「本当ならセイを失ったあの時、神力の全てを解放した俺は消滅するはずだった。それが何の因果か消えずに残ってしまった。ほんのわずかに俺の中に神力が残ってしまったのだろう。もしくは神としての俺を強く信仰する者がまだ残っていたか。いずれにしても神としての力だけではなく、神名や現人神の姿を含めた全てを失った以上、何千年といった長い時間を掛けて神力が回復するまで、俺は目覚めないはずだった」

 そう言って、長い昔話を締めくくった蓬は深く嘆息する。隣で話を聞いていた莉亜は、いつの間にか膝の上に乗ってきたハルの身体を撫でながら気になったことを尋ねたのだった。
 
「どうして目が覚めたんですか?」
「眠りについてから、百年以上経ったある日、本殿があった一帯を区画整理することになり、余所の土地に移されることになった。その衝撃で起こされてしまったらしいな。目が覚めた時には見たこともない場所に居た。移設の際に本殿を無くしたのか、代わりとなる真新しい祠が建立されて、その中で目を覚ました。その祠の傍にコイツがいたのだ」
 
 蓬は莉亜の膝から慣れた手付きでハルを抱き上げる。くつろいでいたところを急に抱えられたからか、ハルは不機嫌そうに唸ったのだった。
 
「ハルがいたんですか?」
「ああ。祠を守護する守り手のようにずっとな。俺の傍から離れないから、気に入って名を与えて神使にした。それぐらいの力はあったからな。……皮肉にも神としての全てを失った俺に残されていたのは、ハルを神使にするのに必要なわずかな力と、セイから借りた名前と姿だけだった」
 
 いつからハルが蓬の祠にいたのかは知らないが、もしかするとハルは普通の猫の寿命以上の時間を生きているのかもしれない。神使になったことで、ハルもただの猫じゃなくなったのだろうか、と莉亜は推測する。蓬の膝の上で退屈そうに欠伸をする姿は、どこにでもいる普通の猫と同じに見えるが。
 
「だが、俺が消えずに存在している以上、セイの魂に姿と名前が返されていないことが判明してしまった。広漠とした人の世を彷徨うセイを探すには人手が必要だった。目覚めたばかりの俺は今とは違って、神やあやかしの世界を自由に行き来できなかった。俺の目の代わりとなる存在が必要だった。その点、猫の神使は身軽だから、俺が行けないような遠方にも軽々と行ける」
「神やあやかしの世界を自由に行き来できなかったのは、力が無かったからですか?」
「それもあるが、神やあやかしの世界を出入りするのに必要な通行手形を持っていなかったというのもある。今度こそ神としての名や姿を失い、神の証である神力さえ無かった。旧知の神々を渡り歩いて頼み倒して、どうにか通行手形を用立ててもらえた。大半の神々は力を使い果たして消滅していたものと思っていたのか、俺の存在を信じてくれなかった。たらい回しにされて、通行手形の入手に時間が掛かってしまってな」
「神の世界にもあるんですね。たらい回し……」
「ようやく通行手形を入手した俺は何の思い入れのない新しい祠を離れた。ハルと共に現世の各地を巡ってセイの魂を探し、神やあやかしの世界に出入りしては少しでもセイに関する情報が無いか探索した。目覚めるまで百年以上もの時間が流れてしまったので、早く見つけなければ怨霊になってしまうかもしれないと焦るが、それでも神力を失った俺にはセイの気配すら感知することが出来なかった。他の神やあやかしたちに捜索を頼もうにも、たかだか人間一人の魂を探すために、人間に見つかる危険を冒したくないと断られてしまった」

 結局、神やあやかしたちからの協力は得られなかったので、蓬とハルは人の世に隠れ住むあやかしたちを見つけては地道に聞き込み、自分の足で探し歩いた。人間の振りをして人の世に出て、時にはあやかしと間違われて退魔師や陰陽師たちに祓われそうになったこともあったらしい。

「今の人の世ではあやかしは存在してはならないものとして考えられているのだろう。あやかしを見かけたら問答無用で調伏しようとする退魔師や陰陽師も多く、あやかしたちにとっては肩身が狭いばかりだ。だが、その途中で行き場を失くした切り火たちを拾えた」
「切り火ちゃんたちですか?」
 
 莉亜は知らなかったが、火の神が熾した火から生まれた切り火たちでも火を操る以外の力が無いことから、火の神からは不要物として扱われている悲しい存在らしい。
 他のあやかしたちより力が弱いことからあやかしの世界で共存することも敵わず、また人の世に出て来てもまれに霊感が強い人間に鬼火や狐火として騒がれてしまうそうで、普段はあやかしや人から離れた場所で隠れて暮らしているらしい。それも出来ればいいが、住処を追われて各地を転々としている切り火も少なくないという。蓬が出会ったのは、そんな行き場を失くして各地を彷徨う切り火たちらしい。