「すみません。でも確かめたかったんです。もしかしたら蓬さんは特定の味だけ分からないんじゃないかって。それで試させてもらいました。紅茶とシュークリームに細工をすることで、口に入れた時に気付いてくれるかどうか……」
「それで紅茶を醤油と偽り、シュークリームに味噌を混ぜたわけか」
「それでもこっちは食べる前に気付かれたらどうしようって、心配だったんですよ。渋い紅茶を抽出しようと茶葉を多めに使ったら、あまり香りがしない茶葉なのに、予想外に強くなってしまって……。もしかしたら飲む前に匂いで気付かれてしまうかもって。そうしたらシュークリームも怪しまれて食べてもらえないから、何か手を打たなきゃって……」
 
 既に紅茶を飲ませた時に醤油と嘘をついて騙しているので、きっと蓬はシュークリームを怪しんで、食べずに二つに割いてしてしまうかもしれない。実際に蓬はシュークリームを訝しんで、なかなか食べようとしなかった。いつシュークリームの裏から注入した青唐辛子の味噌に気付かれてしまうか、内心では冷や汗が流れそうであった。
 そこで莉亜が何も仕込んでいない自分の分のシュークリームを食べてみせることで、このシュークリームには何にも細工をしていないと蓬に思わせて油断を誘った。蓬は莉亜の思惑通りにシュークリームを食べて、そして何ともないような顔をしていた。
 その瞬間、莉亜の予想は的中したと同時に落胆もした。――もしかすると、心のどこかでは信じたくなかったのかもしれない。

「……いつから気付いていた?」
「最初は金魚さんから貰った青唐辛子を味見している姿を見た時でした。でもその時は辛い食べ物が平気なだけだと思っていました。確信に変わったのは、さっきの味噌汁の騒動の時です。みんなが甘い味噌汁だと騒いでいるのに、蓬さんだけ何も感じていなさそうだったので……」

 味覚の基本味は全部で五種類。甘味、酸味、塩味、苦味、旨味とされている。痛覚で感じる辛味、触覚の一種とされている渋味など、舌で感じない味は含まれない。
 この内、味噌汁に間違えて使われた砂糖の甘味、金魚の主人用に用意した塩分控えめのご飯の味見を莉亜にさせたことから塩味が機能していないのは分かった。
 残る味覚の内、わざと濃い目に淹れた紅茶の苦味、紅茶に淹れたレモンの酸味も感じていないことも判明した。そして紅茶を醤油と偽った時に区別がつかなかったところから、おそらく出汁から抽出される旨味も知覚していないのだろう。
 ついでに青唐辛子の味噌が分からなかったことから辛味も。
 蓬の味覚は全く機能しておらず、何も味を感じられていないことが、これで明瞭になったのだった。

「そうだな。あの時は俺も返答に窮して、何を言えばいいか迷った。味が分からなかったから、肯定も否定も出来ずにいた。……お前が代わりに味を教えてくれて、本当に助かった」
「いつから味を感じられなくなったんですか?」
「お前がこの店に通い始めた頃だ。それまでは、まだかろうじて感じられる味があったのだがな。今では何も感じられない……。水のような、無味の固形物を食っているような気分だ」
「それなのにお店を続けていたんですか……。休まないでずっと……」
「俺にはずっと待っている奴がいる。ソイツに借りたままのものがある。それを返すまで、俺はこの店を続けなければならない」

 初めてここに来た時も、蓬は誰かを待っているような話をしていた。それは道標のように植えられた外の花忍も現している。
 大切な人が迷わずここに来るのを、蓬はずっと待っているのだと。
 
「もし待っている人がいたとしても、それで蓬さんが苦しんだら意味は無いと思います」
「これも俺の運命だ。罪を犯した俺に課せられた神罰なのだろう。アイツが現れるまで、ここでアイツから借りたものを守り続けること。それが俺に出来る、唯一の贖罪だ」

 罪と贖罪の二文字が面倒見の良い蓬と結びつかず、頭に入ってこない。声も掠れてすぐには出てこず、紅茶で口の中を濡らすことで、ようやく言葉に出来たのだった。

「何か罪を犯してしまったんですか?」
「神といえども、常に正しいとは限らない。時には判断を誤り、罪過を犯すこともある。個の感情から取り返しのつかないことをして、大切な友を永遠に失うことも……」
「友……」
「少し長い話になるが、聞いてくれるか? 神として風前の灯火である俺の代わりに覚えていて欲しい。かつてこの地に祀られていた豊穣の神が友と認めた唯一の人間のことを」

 そうして蓬は滔々と話し始める。
 人と神の出会いと別れの物語を――。