ようやく蓬がショックから立ち直ったのは、本日最後の客となった雨降り小僧たちが帰った後であった。雨降り小僧たちが使ったテーブルを片付けていると、蓬が暖簾を外して店内に戻ってきたところだった。
「今日はもう閉めるんですか?」
「誰も来ないだろう。さすがに今日は」
暖簾を片付けると、蓬はカウンター席に座って大きく息を吐き出す。どんなに店が混んでも、忙しくても疲れた様子を今まで見せなかった蓬にしては珍しい姿だった。さすがに今日は心身共に堪えたのだろう。
「すみません。きっと私が原因ですよね」
「何故、お前が?」
「さっきハルが調味料棚を悪戯した時によく見ないで棚に戻したから……。その後、蓬さんが味噌汁を作った際に間違えてしまったんですよね」
思い出せば、ハルが調味料棚を悪戯した後、莉亜はよく元の場所を確かめもせずに適当に調味料を戻してしまった。特に塩と砂糖は同じ形状の調味料ケースに入れているので、逆に戻してしまったのかもしれない。その後、蓬が味噌汁を作る際に塩と間違えて砂糖を入れてしまったのなら合点がいく。
莉亜は肩を落として、再度謝罪の言葉を口にするが、蓬は顔を背けたまま静かに否定する。
「……いいや。お前やハルが原因じゃない。遅かれ早かれ、いずれはこうなっていたんだ」
「それはどういうことですか……?」
「お前も今日はもう帰った方が良い。俺も竈と調理台の片付けをしたら休む。……迷惑を掛けたな」
蓬は立ち上がると、竈の後始末に行ってしまう。足取りもふらつき、力ない様子にこのまま帰っていいのか迷ってしまう。他の客の言う通り、今日は調子が悪いだけかもしれない。それなら早く休ませるためにも、そっとしておいた方がいい。元気になったら、元の蓬に戻るだろう。でも――。
(本当にこのまま帰っていいの?)
今の蓬はとても放っておいていいような雰囲気ではない。脆く儚く、今にも崩れてしまいそうな砂の城のように思えてしまう。
それに塩を入れ間違えたという甘い味噌汁は蓬も味見していた。ハルが調味料棚を悪戯した時と鼠の男性に指摘された後の二回。
最初に飲んだ時に気付いたのなら、その時点で味を直しただろう。鼠姿の男性に言われた時もすぐに謝罪しただろう。莉亜でさえ一口飲んであの強烈な甘さに気付けたのだから。
あそこまで味がおかしければ、誰だって気付くだろう。例えば、病気などで味覚が異常|じゃない限りは――。
(まさか……)
そこまで考えて、莉亜はハッと顔を上げる。金魚から貰った青唐辛子の味噌を舐めていた時から蓬に感じていた違和感。それなら金魚の主人用のご飯の味見を頼まれたのも納得できる。あの時は青唐辛子の辛さで味覚が正常に働かないからだと思っていた。けれども、そうじゃなかったとしたら……?
莉亜は冷蔵庫を開けると、あるものを取り出す。そして自分のトートバッグを取りに行くと、コンビニエンスストアの白いビニール袋を取り出したのだった。
「今日はもう閉めるんですか?」
「誰も来ないだろう。さすがに今日は」
暖簾を片付けると、蓬はカウンター席に座って大きく息を吐き出す。どんなに店が混んでも、忙しくても疲れた様子を今まで見せなかった蓬にしては珍しい姿だった。さすがに今日は心身共に堪えたのだろう。
「すみません。きっと私が原因ですよね」
「何故、お前が?」
「さっきハルが調味料棚を悪戯した時によく見ないで棚に戻したから……。その後、蓬さんが味噌汁を作った際に間違えてしまったんですよね」
思い出せば、ハルが調味料棚を悪戯した後、莉亜はよく元の場所を確かめもせずに適当に調味料を戻してしまった。特に塩と砂糖は同じ形状の調味料ケースに入れているので、逆に戻してしまったのかもしれない。その後、蓬が味噌汁を作る際に塩と間違えて砂糖を入れてしまったのなら合点がいく。
莉亜は肩を落として、再度謝罪の言葉を口にするが、蓬は顔を背けたまま静かに否定する。
「……いいや。お前やハルが原因じゃない。遅かれ早かれ、いずれはこうなっていたんだ」
「それはどういうことですか……?」
「お前も今日はもう帰った方が良い。俺も竈と調理台の片付けをしたら休む。……迷惑を掛けたな」
蓬は立ち上がると、竈の後始末に行ってしまう。足取りもふらつき、力ない様子にこのまま帰っていいのか迷ってしまう。他の客の言う通り、今日は調子が悪いだけかもしれない。それなら早く休ませるためにも、そっとしておいた方がいい。元気になったら、元の蓬に戻るだろう。でも――。
(本当にこのまま帰っていいの?)
今の蓬はとても放っておいていいような雰囲気ではない。脆く儚く、今にも崩れてしまいそうな砂の城のように思えてしまう。
それに塩を入れ間違えたという甘い味噌汁は蓬も味見していた。ハルが調味料棚を悪戯した時と鼠の男性に指摘された後の二回。
最初に飲んだ時に気付いたのなら、その時点で味を直しただろう。鼠姿の男性に言われた時もすぐに謝罪しただろう。莉亜でさえ一口飲んであの強烈な甘さに気付けたのだから。
あそこまで味がおかしければ、誰だって気付くだろう。例えば、病気などで味覚が異常|じゃない限りは――。
(まさか……)
そこまで考えて、莉亜はハッと顔を上げる。金魚から貰った青唐辛子の味噌を舐めていた時から蓬に感じていた違和感。それなら金魚の主人用のご飯の味見を頼まれたのも納得できる。あの時は青唐辛子の辛さで味覚が正常に働かないからだと思っていた。けれども、そうじゃなかったとしたら……?
莉亜は冷蔵庫を開けると、あるものを取り出す。そして自分のトートバッグを取りに行くと、コンビニエンスストアの白いビニール袋を取り出したのだった。