「じゃあ待ちますよ。先輩の気持ちの整理がつくまで、一緒に。保冷剤変えてきますね」

 どこまでも優しい後藤くんに、凍り付いていた私の心は溶き解されていく。
 彼は痛みを知っているからこそ、優しいのかもしれない。

 時刻は二時。
 ベッドに背中を預けて座りボーとしていると、彼は側に寄り添ってくれた。
 現在は夏休み中とは言え三年生の彼は就活真っ盛りで、生活の為のバイトがあるのに、この虚無の時間をずっと。

「……私。大学デビューに失敗しちゃったの」
「え?」
「田舎から都会の大学に進学して、勉強も友達もと意気込んでたけど、キラキラ輝く周りとノリが合わなくて。そこに声をかけてくれたのが、彼だった」
 あの頃を懐かしんで、思わず目を細めてしまう。
 そうだ。彼と私は、初めからこうだったわけじゃない。
 ドキドキして、温かくて、優しくて、穏やかな時間。
 一秒でも離れたくないと何度も願った日々だった。
 あの時はこうなるなんて、考えたこともなかったのに。
 私は後藤くんの肩を借りて、別の異性の話を始める。

「彼が話しかけてきたのは、写真サークルの勧誘目的だったの。押しが強くて入部しちゃったんだけど、始めたら結構楽しくて、友達も出来て、色々と好転し始めて。その内に、実は一目惚れしてたから無理矢理サークルに誘ったとか告られて、でもすぐに付き合うとかは……と断ってて。まあ結局、半年後には付き合ったんだけどね」
 その後にバイト先に後藤くんがきて、知り合ったんだった。
 ……出会う順番が違えば。
 何度、思ったことだろうか。

「付き合って一年が過ぎた頃。彼が束縛してくるようになったの。サークルの男性メンバーと少し話しただけで怒鳴り、物を投げつけてきた。連絡先全部消せとか、サークルに来るなとか。自分が誘ったのにね? そのうちに就活までするなと言ってきて、そんなわけにはいかないと反発したら。……叩かれて。分かったから。全て聞き入れるから就活だけはさせてください、バイトだけはさせてくださいと頼み込んで、私は大切な友達も居場所も失った。だけど彼が卒業して同じ大学じゃなくなったら、より束縛は酷くなって。部屋に毎日来るようになって、仕事で疲れてイライラしているのか、些細なことで怒るようになって、毎日私のことを……」
 言葉に詰まり、ガタガタと震え出す体。
 本能が、私に危険だと警鐘を鳴らしていた。

「どうしてそんな彼の言いなりに?」
「それは……」

 私にはずっと憧れていることがあった。それは両親みたいに、初めて付き合った人と結婚すること。
 だから彼から告白されてもすぐには応じず、彼の人柄を見て優しい人だと確信してから付き合いを始めた。関係性を深めるのも少しずつ。今時と言われそうだけど、後悔だけはしたくなかった。
 付き合い一年、私は彼に全てを許した。運命の相手だと信じていたから……。

 でも、そうゆう関係になった途端彼は変わり、暴力で私を縛り付けてきた。
 なんとかマスクで誤魔化して、大学もバイトも通っていたけど彼はそんな私を許さず、暴力はエスカレートしていって。
 もうどこにも行かさないと、嫌がる私に無理矢理……。

 その結果、本当に妊娠したかもしれないと告げたら、俺より赤ん坊優先になるだろう? それは許さないって、お腹を蹴られた。
 もう意味分かんない。
 私を縛り付ける為に、わざとだったくせに。
 でも、一番の最低は私。
 拒否すれば殴られると思って、最終的に受け入れてしまった。

 だけど。もし、もし私のお腹の中に命が宿っていたら。
「産みたいの……」
 気付けば、本心が漏れていた。

 まだ社会に出たこともなくて、父親はあんな人だけど。
 私の本能がそう叫んでいる。
 就職とか、子供は産んで終わりではないとか。理性は必死に阻んでくるけど、本能には勝てない。
 だから、この二週間。苦しかった。