彼の名前は海斗くん。
 私はドキドキしながら海斗くんからのメッセージを開く。

『酔ってる〜』

 たったそれだけの、短いメッセージ。
 六年ぶりとは思えない、どこか日常的な言葉。

 もしかして、彼女に送ろうとして間違えた?
 そんな可能性が私の頭をよぎり、泣きたくなった。

 海斗くんには彼女がいる。
 六年前、私と別れた後に付き合い始めた女の子。
 名前は芽夢ちゃん。

 私は芽夢ちゃんに会ったことがない。
 でも、彼のSNSをきっかけに、芽夢ちゃんの存在を知った。
 今ではこっそり芽夢ちゃんをフォローしている。
 芽夢ちゃんはかわいくて、フォロワーも多いから、気づかれることはないだろう。

 元彼の彼女のSNSを覗き見しているなんて、ストーカーみたい。
 それに、そんなことをしているから、私はあの恋を忘れられないんだ。
 分かっているのにやめられない。
 私はどうしようもなく情けなくて、かっこ悪い。

 返事にしばらく悩んでいると、海斗くんから追加でメッセージがきた。

『既読無視すんなよー』
『電話したい』

 ドキッと心臓が大きく高鳴った。
 私はやけに速い心音を聞きながら、いいよ、と返した。

 どうせ電話はこない。
 芽夢ちゃんにかけるんでしょ、分かってるもん。

 私もお酒を飲もうと思い、冷蔵庫を開ける。
 最近二十歳になったばかり、一人暮らし、彼氏なしの女子の家とは思えない数のお酒が、冷蔵庫に詰め込まれている。
 いろんなお酒が飲んでみたくて、買いだめしているのだ。

 私がチューハイを開けると、スマートフォンが震え始めた。
 震える指で通話の文字をタップすると、海斗くんの声が響いた。

『よー、久しぶり』

 昔よりも低くなった彼の声が、私の鼓膜をくすぐる。
 たったそれだけのことなのに、目の前が涙でにじんでしまいそうになった。
 慌ててチューハイを喉に流し込んで、私は応える。

「久しぶり〜。どうしたの、急に」
『んー? 別に。声、聞きたくなっただけ』

 胸の奥がキュンとする。
 ずるいじゃん、そんなこと言うの。
 六年も付き合ってる彼女がいるくせに。
 私のことなんて、ちっとも興味がないくせに。

 バカな私はそれでも嬉しくて、「女たらしだ〜」とふざけた口調で返す。
 海斗くんは『女の子大好きだからなぁ』と答えたけれど、私は知ってる。

 女の子に優しくて、よく勘違いさせてしまう海斗くんだけど、浮気はしない。
 芽夢ちゃんに対して、ずっと一途でいる。
 そのことを、私は誰よりも知ってる。

「彼女さんがいるのに電話とかしていいの?」

 もしかしてフラれたのかな。
 そんな最低な期待をした私に、海斗くんはあっさりと答えた。

『俺の彼女はこれくらいで怒ったりしません〜』
「わー! むかつく! 惚気だ!」
『芽夢ちゃんは世界一かわいいんです〜』
「ここぞとばかりに惚気てくるじゃん! なんなの!」

 二人の関係は変わらず続いているらしい。
 きっと近い未来に結婚するんだろう。

 仕方がない。
 私にとって海斗くんは運命の人だったけれど、海斗くんの運命の人は、芽夢ちゃんだったのだから。

『なあ、彼氏できた?』
「いないよー」

 海斗くんとは中学生のときに付き合って、フラれた。
 それ以降、私は誰とも付き合っていない。
 海斗くんへの気持ちも、誰にも話していない。

 だから、海斗くんも知らない。
 告白するつもりもない。
 だって海斗くんには、芽夢ちゃんがいるから。

『今日さぁ、芽夢ちゃんが女子会でオールするって出かけてるから暇なんだよ〜』
「なるほど? 私の出番じゃん。飲み比べしようよ、電話越しだけど!」
『やだよー、咲子強そうじゃん!』

 咲子、と名前を呼ばれて、胸の奥がキュンと鳴いた。
 彼女のことは今でもちゃん付けしているのに、私のことは呼び捨てのままなんだ?
 それって何か意味があったりする?
 私の方が気安く喋れるとか。

 ろくに連絡も取っていなかったのに、バカな私は呼び方一つで期待してしまう。

 でもちゃんと気づいている。
 海斗くんは芽夢ちゃんが出かけてる、と言ったこと。
 それってつまり一緒に住んでいるか、どちらかの家に普段は入り浸っているってことでしょ。

 しんどくなった気持ちを誤魔化すように、私は無理矢理話を変えた。

「お酒はいいよぉ。現実逃避できるし」
『あー分かる。俺もそれで飲んでるところある』
「海斗くんなにか悩みでもあるの? 咲ちゃんが聞いてあげよう」

 ふざけた口調で提案すると、電話口が突然静かになった。
 踏み込みすぎてしまったかな。
 久しぶりに連絡した元カノに、悩み相談なんてするわけないか、と私が再び口を開こうとしたときだった。

『…………マジで聞いてくれない?』

 海斗くんが、ひどく気落ちした声で言った。
 助けを求めるその声に、私は間髪入れずに頷いた。

「いいよ、なんでも話して。誰にも言わないから大丈夫」

 後押しする私の言葉を聞いて、海斗くんはぽつぽつと語り出した。