ローズがローゼンティッヒに出会ったときのことは、レオンとリヒトも知るところとなった。
――ローズ・クロサイトが、初対面の相手に一目惚れしてしまったかもしれないと。
「ローズがそんなことを?」
リヒトはレオンからその話を聞いて、心の底から驚いた。
「ああ。随分彼も驚いているようだった」
「彼?」
リヒトの問いに、レオンはふうと息を吐いた。
「リヒトはまだ会ったことはなかったかな? ローゼンティッヒ・フォンカートという男なんだけれど」
「……」
『しゃしん』のこともあって、リヒトはその名前を聞いて体を強張らせた。
まさか自分の代わりにローズと共に担がれようとしていた相手に、ローズが一目惚れだなんて――とても気分のいい話ではない。
それに、ベアトリーチェ・ロッドはいい男だ。リヒトはそう思う。
たとえレオンを王に望んでいるとはいえ、ベアトリーチェは婚約者であるローズを第一に考えて行動していることは見れば分かったし、リヒトの魔法の研究を最初に認めてくれた人物でもある。
「ローズは今、どうしているだろう……?」
自室に戻ったリヒトは、ローズに手紙を書こうとしてやめた。
ロイから不思議な『しゃしん』が届いたこと、ローゼンティッヒのことで悩んではいないか。
ローズと話したいことは沢山あった。
だがいくら幼馴染とはいえ、もう婚約者ではない自分から、ローズに連絡を取ることは、今のリヒトにはためらわれた。
学院からクリスタロスに戻った日。
当然のようにローズの手を取ったベアトリーチェの姿を思い出して、リヒトは無意識に、少しだけ拳に力を込めた。
◇◆◇
ローゼンティッヒと出会ってから、ローズは不思議な夢を見るようになった。
胸を裂かれるような悲しみと孤独感。
目を覚ましたら殆ど忘れているのに、いつも目を覚ますと、目元が濡れている。
そんな夜が続く内に、ローズは夢を見ることが怖くなり、眠れない日々が続いた。
それがたたってか体調を崩したローズのために、ベアトリーチェが公爵邸を訪れた。
「大丈夫ですか? ローズ様」
「わざわざ来ていただいて……申し訳ございません」
「気になさる必要はありません。私は、貴方の婚約者なのですから。夢見が悪いとのことでしたので、ぐっすり眠れるように薬をお持ちしました」
「ありがとうございます」
ベアトリーチェの優しい微笑みに、ローズはほっと息を吐いた。
年上ということもあるのか、外見はどうあれベアトリーチェはローズにとって安心できる存在だった。
彼が薬の開発を行っている、というせいかもしれない。知識においても信頼出来たし――彼の纏うハーブティーのような薫りも、ローズは嫌いではなかった。
「ローズ様の夢に、何か原因となるような心当たりは?」
「わかりません。ただ、あの方と出会って。ずっと変な声が」
「……ローゼンティッヒ、ですか?」
「すいません」
ローズは思わず謝っていた。ベアトリーチェの表情が、少しだけ曇ったような気がしたからだ。
「貴方が謝られる必要はありません。それに花嫁は昔から、式を前にすると不安になるという方は多いそうです。きっと式が近いから、ローズ様も不安を感じられているのかもしれません」
――自分のせいで不安になっている。
ローズは、ベアトリーチェにそう思われて気遣われているという事実が心苦しかった。
「少し眠られませんか? 安心してください。私が傍に居ます。心配しないでください。全部、私にゆだねて」
ベアトリーチェの声は、まるで幼い子供を寝かしつけるかのように甘く優しかった。
そして彼は、とある提案をローズに告げた。
「それとも一緒に寝て差し上げましょうか?」
「え?」
ローズは、ベアトリーチェの口からその言葉を聞いたとき、聞き間違いかと思った。
だって彼がそんなことを言う人だとは、とても思えなかったから。
「勿論添い寝ですが。貴方がそれを望まれるなら」
「……」
ローズは、ベアトリーチェの提案にどう答えるか悩んだ。
けれど、いつものように優しく笑うベアトリーチェを見て、ローズは決意を込めて言った。
「お願いします」
――自分は、この人の妻になると決めたのだ。
「ローズ様……?」
だが、提案した側のベアトリーチェは、ローズの答えに少し動揺の色を見せた。
「本当によろしいのですか?」
ローズはコクリと頷いた。ローズはベアトリーチェに、赤い石の嵌った指輪を手渡した。
「……では」
ベアトリーチェは少しの間の後に指輪を嵌めた。
すると長い髪の美しい男が、ローズの前に現れた。
精霊のような美しさ。人ならざる美しさを備えた彼が、ローズの寝台に横になる。
ベアトリーチェは、いつもより覇気のない瞳をしたローズの身体を、自分の方に抱き寄せた。
どんな敵からも守ってくれると思わせる、そんなベアトリーチェの温もりに、ローズは静かに目を瞑った。
こうやって誰かに添い寝されたのは、ローズはもう随分と昔の頃のことのように思えた。
優しいぬくもり。心臓の、人の鼓動の音がする。
その音を聞くだけで、ローズは何故か胸が痛かった。
「……っ」
嗚咽を漏らしたローズの手に、ベアトリーチェは指を絡ませて尋ねた。
「どうして、泣いていらっしゃるのですか……?」
返せる答えは、ローズの中には浮かばなかった。
ローズには、自分の感情が分からなかった。
だからこそ。
「――キス、してください」
自分のことを思ってくれる優しい人に、自分の中にある隙間を、埋めてほしいとローズは思った。
他の誰も入れないくらい、自分の心も体も彼で埋めてしまえば、きっと不安からは開放されるように思えた。
「……私が、貴方のものだと教えていただきたいんです」
自分の提案は、ベアトリーチェにとっても良い提案のはずだ。
ローズはそう思ったが、ベアトリーチェはローズの言葉に困ったように笑って――それから、幼い子どもに諭すように言った。
「……ローズ様……言ったでしょう? 貴方に、無理に心を決めてほしくないと。そんな顔をなさる今の貴方に……」
ローズは、自分が今どんな顔をしているかわからなかった。
「私との結婚が嫌になりましたか?」
嫌なら、こんな提案なんてしない。ローズには、ベアトリーチェがどうしてそんなことを思うのか理解出来なかった。
「一年間、お待ちします。そう約束したでしょう? 私は、貴方には幸せになってほしい。私の時間を動かしてくださった貴方だから。私は貴方には、笑っていてほしい。だからそんな顔をする今の貴方に、私は口付けることは出来ません」
ベアトリーチェはそう言うと、ローズの目元に手を伸ばした。
ローズはその時初めて、自分が涙をこぼしていたことに気が付いた。
「私が、貴方にして差し上げられることはありますか? 変えてほしいことがあればを教えてください。私は、貴方の望みを叶えたい。私の心を、救ってくださった貴方だからこそ」
「違うのです。ビーチェ様が、悪いのではないのです。私が……私が悪いのです」
ローズは、自分の言葉や態度がベアトリーチェを傷つけた気がして、精一杯彼の言葉を訂正した。
自分がどれだけ彼に大切に思われていたかを知って、ローズは自分の心労の理由を彼には教えることにした。
「最近ずっと、同じ夢を見るのです。――誰かが、泣いている夢を」
「『誰か』?」
ベアトリーチェは、ローズの言葉に目を瞬かせた。
「わからないんです。でも、夢を見るたびに悲しくて仕方がなくなるのです。それで、眠るのが怖くなってしまって……」
「それは……夢の中で泣いている人物は、ローズ様ではないということですか?」
「わかりません。私ではないとは思うのですが……」
自分ではない自分に似た女性。
ローズはその人物は、自分が見たことのあるとある女性に似ているようにも感じていた。
『誓約の指輪』の片割れ――ローズがリヒトから預かっている、クリスタロス王国の『鍵の指輪』から現れた、完璧な『古い写真』に映っていた女性に。
だがそれと自分の夢との関係については、ローズにはまだわからなかった。
ベアトリーチェに添い寝してもらったおかけが、ローズは久しぶりに、悪夢を見ずに眠れた。
午後、ローズが目を覚ますまでそばにいた彼は、ローズが目を覚ますとすぐに騎士団へと戻っていった。
そして彼が屋敷を出たあとに、精霊たちと協力してお菓子を作ったというアカリが、公爵邸へとやってきた。
そして少女らしい趣味を持つアカリは、こんな噂話をローズに教えた。
「そういえば、面白い噂を聞きました。最近王都に、よく当たる占い師さんがいるそうです。その人なら、もしかしたらローズさんの悩みも、解決してくれるかもしれません」
◇◆◇
「アカリが言っていた『占いの館』はここでしょうか……?」
翌朝、ローズは誰にも言わずに屋敷を抜け出すと、アカリから聞いた占い師の元へと向かった。
本当のことを言うと、ローズはあまり占いなどを信じる性質ではなかった。
ただ、自分のことを何よりも優先して考えてくれる婚約者を、これ以上ローズは傷つけたくはなかった。
だからもし、それを解決してくれる存在がいるとするならと――ローズは、藁にもすがる思いだった。
『占いの館』
アカリから聞いていた場所には、蛇を思わせるような細長い黒い天幕があった。
「扉のあとにすぐ扉?」
天幕の中にはいくつもの立て札があった。
外套は脱ぐように、魔法式の書き込まれた指輪は外すように、だとか――ローズはそれらの指示がなんのためのものかはわからなかったが、魔法を使用する際には心理状況も影響してくることから、占い師が正しく魔法を使うためのし指示かもしれないと思った。
あるいは、神秘性を高めるための仕掛けなのかもしれないと。
だがその数の多さに、少しだけ疲れてしまったのも事実だった。
「ここまで来ると、流石に注文が多いですね……。これで最後でしょうか?」
いくつもの立て札の注文をこなしたローズは、最後の立て札を見て驚いた。
なぜならその言葉は、こちらを気遣うふりをして嘲笑うような――そんなものにさえ思えたからだ。
その時だった。
「――つかまえた」
「これは……っ!」
幼い子どものような声がして、ローズは体の自由を奪われた。
「貴方には、この世界を滅ぼす糧となってもらう」
闇魔法の拘束だ。
動けない。体に力が入らない。
すべての属性の精霊晶。
色とりどりの、花のような首飾りをつけた子どもは、どこまでも冷たい目でローズのことを見下ろしていた。
「それでは作るといたしましょうか。貴方を糧に――この世界にもう一度、新しい『魔王』を」
――ローズ・クロサイトが、初対面の相手に一目惚れしてしまったかもしれないと。
「ローズがそんなことを?」
リヒトはレオンからその話を聞いて、心の底から驚いた。
「ああ。随分彼も驚いているようだった」
「彼?」
リヒトの問いに、レオンはふうと息を吐いた。
「リヒトはまだ会ったことはなかったかな? ローゼンティッヒ・フォンカートという男なんだけれど」
「……」
『しゃしん』のこともあって、リヒトはその名前を聞いて体を強張らせた。
まさか自分の代わりにローズと共に担がれようとしていた相手に、ローズが一目惚れだなんて――とても気分のいい話ではない。
それに、ベアトリーチェ・ロッドはいい男だ。リヒトはそう思う。
たとえレオンを王に望んでいるとはいえ、ベアトリーチェは婚約者であるローズを第一に考えて行動していることは見れば分かったし、リヒトの魔法の研究を最初に認めてくれた人物でもある。
「ローズは今、どうしているだろう……?」
自室に戻ったリヒトは、ローズに手紙を書こうとしてやめた。
ロイから不思議な『しゃしん』が届いたこと、ローゼンティッヒのことで悩んではいないか。
ローズと話したいことは沢山あった。
だがいくら幼馴染とはいえ、もう婚約者ではない自分から、ローズに連絡を取ることは、今のリヒトにはためらわれた。
学院からクリスタロスに戻った日。
当然のようにローズの手を取ったベアトリーチェの姿を思い出して、リヒトは無意識に、少しだけ拳に力を込めた。
◇◆◇
ローゼンティッヒと出会ってから、ローズは不思議な夢を見るようになった。
胸を裂かれるような悲しみと孤独感。
目を覚ましたら殆ど忘れているのに、いつも目を覚ますと、目元が濡れている。
そんな夜が続く内に、ローズは夢を見ることが怖くなり、眠れない日々が続いた。
それがたたってか体調を崩したローズのために、ベアトリーチェが公爵邸を訪れた。
「大丈夫ですか? ローズ様」
「わざわざ来ていただいて……申し訳ございません」
「気になさる必要はありません。私は、貴方の婚約者なのですから。夢見が悪いとのことでしたので、ぐっすり眠れるように薬をお持ちしました」
「ありがとうございます」
ベアトリーチェの優しい微笑みに、ローズはほっと息を吐いた。
年上ということもあるのか、外見はどうあれベアトリーチェはローズにとって安心できる存在だった。
彼が薬の開発を行っている、というせいかもしれない。知識においても信頼出来たし――彼の纏うハーブティーのような薫りも、ローズは嫌いではなかった。
「ローズ様の夢に、何か原因となるような心当たりは?」
「わかりません。ただ、あの方と出会って。ずっと変な声が」
「……ローゼンティッヒ、ですか?」
「すいません」
ローズは思わず謝っていた。ベアトリーチェの表情が、少しだけ曇ったような気がしたからだ。
「貴方が謝られる必要はありません。それに花嫁は昔から、式を前にすると不安になるという方は多いそうです。きっと式が近いから、ローズ様も不安を感じられているのかもしれません」
――自分のせいで不安になっている。
ローズは、ベアトリーチェにそう思われて気遣われているという事実が心苦しかった。
「少し眠られませんか? 安心してください。私が傍に居ます。心配しないでください。全部、私にゆだねて」
ベアトリーチェの声は、まるで幼い子供を寝かしつけるかのように甘く優しかった。
そして彼は、とある提案をローズに告げた。
「それとも一緒に寝て差し上げましょうか?」
「え?」
ローズは、ベアトリーチェの口からその言葉を聞いたとき、聞き間違いかと思った。
だって彼がそんなことを言う人だとは、とても思えなかったから。
「勿論添い寝ですが。貴方がそれを望まれるなら」
「……」
ローズは、ベアトリーチェの提案にどう答えるか悩んだ。
けれど、いつものように優しく笑うベアトリーチェを見て、ローズは決意を込めて言った。
「お願いします」
――自分は、この人の妻になると決めたのだ。
「ローズ様……?」
だが、提案した側のベアトリーチェは、ローズの答えに少し動揺の色を見せた。
「本当によろしいのですか?」
ローズはコクリと頷いた。ローズはベアトリーチェに、赤い石の嵌った指輪を手渡した。
「……では」
ベアトリーチェは少しの間の後に指輪を嵌めた。
すると長い髪の美しい男が、ローズの前に現れた。
精霊のような美しさ。人ならざる美しさを備えた彼が、ローズの寝台に横になる。
ベアトリーチェは、いつもより覇気のない瞳をしたローズの身体を、自分の方に抱き寄せた。
どんな敵からも守ってくれると思わせる、そんなベアトリーチェの温もりに、ローズは静かに目を瞑った。
こうやって誰かに添い寝されたのは、ローズはもう随分と昔の頃のことのように思えた。
優しいぬくもり。心臓の、人の鼓動の音がする。
その音を聞くだけで、ローズは何故か胸が痛かった。
「……っ」
嗚咽を漏らしたローズの手に、ベアトリーチェは指を絡ませて尋ねた。
「どうして、泣いていらっしゃるのですか……?」
返せる答えは、ローズの中には浮かばなかった。
ローズには、自分の感情が分からなかった。
だからこそ。
「――キス、してください」
自分のことを思ってくれる優しい人に、自分の中にある隙間を、埋めてほしいとローズは思った。
他の誰も入れないくらい、自分の心も体も彼で埋めてしまえば、きっと不安からは開放されるように思えた。
「……私が、貴方のものだと教えていただきたいんです」
自分の提案は、ベアトリーチェにとっても良い提案のはずだ。
ローズはそう思ったが、ベアトリーチェはローズの言葉に困ったように笑って――それから、幼い子どもに諭すように言った。
「……ローズ様……言ったでしょう? 貴方に、無理に心を決めてほしくないと。そんな顔をなさる今の貴方に……」
ローズは、自分が今どんな顔をしているかわからなかった。
「私との結婚が嫌になりましたか?」
嫌なら、こんな提案なんてしない。ローズには、ベアトリーチェがどうしてそんなことを思うのか理解出来なかった。
「一年間、お待ちします。そう約束したでしょう? 私は、貴方には幸せになってほしい。私の時間を動かしてくださった貴方だから。私は貴方には、笑っていてほしい。だからそんな顔をする今の貴方に、私は口付けることは出来ません」
ベアトリーチェはそう言うと、ローズの目元に手を伸ばした。
ローズはその時初めて、自分が涙をこぼしていたことに気が付いた。
「私が、貴方にして差し上げられることはありますか? 変えてほしいことがあればを教えてください。私は、貴方の望みを叶えたい。私の心を、救ってくださった貴方だからこそ」
「違うのです。ビーチェ様が、悪いのではないのです。私が……私が悪いのです」
ローズは、自分の言葉や態度がベアトリーチェを傷つけた気がして、精一杯彼の言葉を訂正した。
自分がどれだけ彼に大切に思われていたかを知って、ローズは自分の心労の理由を彼には教えることにした。
「最近ずっと、同じ夢を見るのです。――誰かが、泣いている夢を」
「『誰か』?」
ベアトリーチェは、ローズの言葉に目を瞬かせた。
「わからないんです。でも、夢を見るたびに悲しくて仕方がなくなるのです。それで、眠るのが怖くなってしまって……」
「それは……夢の中で泣いている人物は、ローズ様ではないということですか?」
「わかりません。私ではないとは思うのですが……」
自分ではない自分に似た女性。
ローズはその人物は、自分が見たことのあるとある女性に似ているようにも感じていた。
『誓約の指輪』の片割れ――ローズがリヒトから預かっている、クリスタロス王国の『鍵の指輪』から現れた、完璧な『古い写真』に映っていた女性に。
だがそれと自分の夢との関係については、ローズにはまだわからなかった。
ベアトリーチェに添い寝してもらったおかけが、ローズは久しぶりに、悪夢を見ずに眠れた。
午後、ローズが目を覚ますまでそばにいた彼は、ローズが目を覚ますとすぐに騎士団へと戻っていった。
そして彼が屋敷を出たあとに、精霊たちと協力してお菓子を作ったというアカリが、公爵邸へとやってきた。
そして少女らしい趣味を持つアカリは、こんな噂話をローズに教えた。
「そういえば、面白い噂を聞きました。最近王都に、よく当たる占い師さんがいるそうです。その人なら、もしかしたらローズさんの悩みも、解決してくれるかもしれません」
◇◆◇
「アカリが言っていた『占いの館』はここでしょうか……?」
翌朝、ローズは誰にも言わずに屋敷を抜け出すと、アカリから聞いた占い師の元へと向かった。
本当のことを言うと、ローズはあまり占いなどを信じる性質ではなかった。
ただ、自分のことを何よりも優先して考えてくれる婚約者を、これ以上ローズは傷つけたくはなかった。
だからもし、それを解決してくれる存在がいるとするならと――ローズは、藁にもすがる思いだった。
『占いの館』
アカリから聞いていた場所には、蛇を思わせるような細長い黒い天幕があった。
「扉のあとにすぐ扉?」
天幕の中にはいくつもの立て札があった。
外套は脱ぐように、魔法式の書き込まれた指輪は外すように、だとか――ローズはそれらの指示がなんのためのものかはわからなかったが、魔法を使用する際には心理状況も影響してくることから、占い師が正しく魔法を使うためのし指示かもしれないと思った。
あるいは、神秘性を高めるための仕掛けなのかもしれないと。
だがその数の多さに、少しだけ疲れてしまったのも事実だった。
「ここまで来ると、流石に注文が多いですね……。これで最後でしょうか?」
いくつもの立て札の注文をこなしたローズは、最後の立て札を見て驚いた。
なぜならその言葉は、こちらを気遣うふりをして嘲笑うような――そんなものにさえ思えたからだ。
その時だった。
「――つかまえた」
「これは……っ!」
幼い子どものような声がして、ローズは体の自由を奪われた。
「貴方には、この世界を滅ぼす糧となってもらう」
闇魔法の拘束だ。
動けない。体に力が入らない。
すべての属性の精霊晶。
色とりどりの、花のような首飾りをつけた子どもは、どこまでも冷たい目でローズのことを見下ろしていた。
「それでは作るといたしましょうか。貴方を糧に――この世界にもう一度、新しい『魔王』を」