それから程なくして、私は『彼』と運命の再会を果たした。

「あ」
「あ」
「宝石職人さん……だったんですね」
 
 異世界人の『弟』のために、精霊晶の宝飾品を買うために訪れた店で、私は彼と再開した。

「また、会いましたね。あの日の約束通り、貴方のお名前をお伺いしても?」

「リ……リアです! リア・アルベール。それが、私の名前です」

 流石に『光の巫女』とバレたら、引かれるのは目に見えていた。私はとっさに偽名を使うことにした。

「今日は、どのようなご要件で?」
「『弟』が、魔法を使うので。そのために、精霊晶の宝飾品が欲しくて」
 その言葉に嘘はなかった。ただ、私の返事に、彼は少し考え込むような表情をした。
「……なるほど」

 商品の説明を追えたあとで、彼は私に、店の奥の工房を案内してくれた。

「いつもここで、作業をしているんです」
 彼は私に、研磨されていない鉱石なども見せてくれた。

「どの石にも、違う魅力があると思いませんか?」
 色の混じった石を一つ手にとって、彼は私に微笑んだ。

「この石は原石です。磨くことで、新しい魅力が生まれるのです」
 
 彼は、魔法は使えない人だった。
 けれど価値のなさそうにない石を、美しい宝飾品に仕立てる彼の瞳は真剣そのもので、そしてそれはまるで、一種の魔法のようだった。

 彼の言葉は私の大好きな姉様に似ていて、それでいて彼の真っ直ぐな人柄は、どこか兄様に似ていた。
 私は彼に会いたいという思いもあり、『弟』への贈り物という大義名分のもと、彼の元に足を運ぶようになった。

 彼に会う度、言葉を交わす度に、私は彼に惹かれていった。
 私は、彼が好きだった。
 彼は私が知らない世界を、私に見せてくれような気がした。



「アメリア様。ジュリアを置いて、今までどこにいかれていたのですか?」

 ある日私が彼との逢瀬の為に神殿を抜け出して戻ると、私はあの男に捕まった。

「ね……姉様のところよ」
「異世界では、嘘つきは泥棒の始まりだというそうですが、貴方にその自覚はありますか?」
「どうしてそんなことを言って私を責めるの? 嘘だとしても、貴方には関係ない」

 せっかく彼と話せて、幸せな気持ちだったのに。気分を害した私が彼をにらめば、彼は溜息の後にとんでもないことを言った。

「――王宮から、貴方に招請がありました。王妃様の容態が芳しくないようです。アメリア様。それでも、関係ありませんか?」

 『光の巫女』である私の役目は、王族の治癒。私は、急いで姉様のもとに向かった。

「姉様!」
 姉様の顔色は、明らかに悪かった。

「ごめんなさい。兄様。今すぐ私が魔法を――」
「何故」
 兄様のそんなに低い声を聞いたのは、私は生まれて初めてだった。
「え?」
「何故、すぐに来なかった? 彼女を助けられるのは、お前しかいないのに」
「……兄、様……」

 兄様の瞳には、私に対する敵意や憎しみが込められていた。私は、自分の足元がぐらつくのを感じた。

 ――兄様。兄様にとって私は、一体どういう存在なの?

 私は変わらなくても、周りの世界は変わっていく。
 私は『光の巫女』で、兄様は『王』だから。それは、仕方のないのことだ。
 でもそれでも、私が兄様を思う気持ちは変わらなかった。遠く離れても、年をとっても、兄様が私の兄様であることに変わりはない。

 兄様は、姉様を愛している。だから私も、姉様を愛している。兄様が愛する人を、兄様を愛してくれる人を、私が愛さない理由はない。

 兄様は、愛情深い人だ。兄様は、家族を愛している。でも兄様の家族に――私は。兄様の中に、私はいるんだろうか?
 もし兄様の中に私がいないなら――私のことを本当に思ってくれる人は、この世界に居るのだろうか?
 
 私は幼い頃に両親と引き離されて、神殿で祈りを捧げることを義務付けられて育った。『光の巫女』と呼ばれるようになってから、私の仕事は姉様が急病の時は必ず駆けつける事になった。それだけが、今の兄様が私に求めることだ。

 兄様にとって、一番大切なのは私ではなくて姉様だ。

 もしそうなのだとしたら――私の人生に、本当に価値はあるのだろうか?
 この世界に生まれ、誰かと結ばれることも、自分の血を引く子どもを残すことすら禁じられて、『光の巫女』という立場の、人々の思い描く人物像を守るために一生を終えるのだとしたら。

「私も、家族が欲しい」

 兄様と私を比べる両親は本当の家族とは呼べない。異世界人の『弟』はいても、結局は本当に思う誰かの穴埋めに過ぎない。

 家族が欲しい。
 姉様みたいな、兄様みたいな、そんな優しい人。寂しいとき、暗い夜に、一緒に星を見上げて笑ってくれる、そんな人が。
 
 貴方に――貴方に、会いたい。

 神殿を抜け出して、私は一人、彼のもとへと走る。
 好きだ。
 貴方が好きだ。
 世界で一番、私は貴方ことを愛している。だからこの場所から、どうか私を連れ出して。
 その願いが叶わなくても、私は――私は自分が生きた証を、この世界に残したい。
 貴方なら叶えてくれる。
 何も知らない、貴方なら。

 貴方なら私を、普通の女の子にしてくれる。

「リア?」
 私は、彼の工房の扉を開いて、出迎えた彼に抱きついた。

「お願い。私の、家族になってください」

 分かるの。魂が叫んでいるの。この人は私の、『運命』の人なんだって。

「貴方のことが、好きなんです」



「巫女様が懐妊だと……!?」
「何を考えておられるのだ! あの方は!」
「いやしかし……これは、好機なのでは?」
 神官たちや貴族たちの反応は様々だった。

「アメリア様! どうしてこんなことをなさったのですか!」
 ジルは、一人神殿を抜け出して子どもまで作った私を責めた。

「私は彼を愛しているの。彼が生きるこの世界を愛しているの。もしこの気持ちを無かったことにするのなら、きっと私は、これまでのように魔法を使えないわ」

 それから程なくして、私の愛する彼は捕らえられてしまった。罪状は、私を妊娠させた罪――馬鹿馬鹿しいとしか思えなかった。私はただ、愛する人と思いを重ねただけなのに。

「リア……いや、『アメリア』」
「嘘を吐いてごめんなさい」
「いや」
 彼は、私を責めはしなかった。

「僕が愛した人は凄い人だったんだって、少し驚いただけだよ」
 そう言うと、彼はふわりと笑った。
 その笑顔を見るだけで、私は思わず泣いてしまった。この人を選んで良かったと思った。間違いじゃなかったとそう思えた。
 だって彼が私に笑ってくれるだけで、私はこんなにも幸せな気持ちになるんだから。

 彼の縄を解いて、再会の約束をして口付ける。彼を見送った私は、何故かあの男に腕を引かれた。
 
 男の私室に入ったのは、それが初めてだった。
 てっきり私欲を満たし、豪華なものに囲まれていると思ったけれど、予想とは違って彼の部屋にものはほとんど置かれてはいなかった。

「その手で、その唇で、貴方はあの男に触れたのですか?」

 聞いたことのない男の声。
 怒っているような、泣いているような――それは、そんな声だった。
 
「痛い。……離してっ!」

 私が拒絶すれば、彼は私の腕の拘束をといた。私は、彼から逃げるように部屋をあとにした。
 私室に戻った私は、閉じた扉に寄り掛かり、何故か痛む胸を押さえた。

「……なんで貴方が、そんな顔をするの。なんで私は……」

 ――あの男の顔が、頭から離れないんだろう?

 私が好きなのは、彼なのに。


 
「アメリア様、お体は大丈夫ですか?」

 私が妊娠してからというもの、ジルはこれまで以上に私に過保護になった。
 そして私の出産が近付くにつれ、神殿の中で妙な話をする男たちを見かけるようになった。

「しかし、これはいいきっかけになるかもしれないぞ。病弱なあの王太子妃に、子など本当に出来るのか?」
「そうだ。光の巫女様の子が、男の子なら――」
「アメリア様の子が男児なら、神殿で養育した者を、玉座につけることが出来るかもしれない」

 彼らの話を、呆然として私が盗み聞いていると、そこにあの男が現れて彼らに言った。

「ここでは、人目につきます。詳しいことは、奥の部屋で」
「――ああ、そうだな」

 彼らはそれから、しばらく部屋から出てこなかった。
 彼らが奥の部屋で、どんな話をしていたか私は知らない。私は彼らが帰ったあと、男を問いただした。

「知ってたの?」
「最初から、こうなることはわかっていたことでしょう? 貴方は強い。そして貴方の兄の力は弱い。この世界での貴方と彼の価値は、決して等価ではないことを」

 たとえ兄様にとって私が姉様に劣る存在であったとしても、私は、兄様を否定する人間が許せなかった。
 だって一番悪いのは兄様ではなく、私と兄様の間に壁を作る、この世界の価値そのものだ。そしてそれを理由に、兄様を蔑む人間達だ。

「残念です。私なら貴方の心を、ちゃんとわかって差し上げれたのに」
「……貴方に、私の何がわかるの?」
「少なくとも私なら、子どもを作るような真似はいたしません」

 私は、お腹に手を当てた。この男は何を言うのか。私は、望んでこの子を得たというのに。

「力を持って生まれた人間には、その責任がある。『愛する者のために』、なんて、そんな思想は無意味だ」
「だから……私に感情を殺して生きろと?」
「……」

 男は、肯定も否定もしなかった。

「……私は、貴方のようにはならない」
「貴方は子どもだ。貴方はまだ、自分の運命を何も知らない。それでいて、全てを知った気でいる。いつか貴方は後悔するでしょう。一時の気の迷いで、彼の手を取ったことを」

「子ども扱いしないで。私は自分の決断に、後悔なんてしない」
「……貴方は、本当の痛みを知らない。貴方には信仰心というものが存在しない。しかしもし貴方がその痛みにさらされた時、貴方の心は、それに耐えることが出来るでしょうか?」

「私、貴方のことが嫌い」
「私は好きですよ。ですから必要なときは、私を頼ってください。私はいつだって、貴方の味方です」
 
 ――心にもないことを。

 からかうような男の言葉を聞いて、私は彼を睨んだ。
 
 大嫌い。大嫌いだ。
 私と比べて、兄様を蔑むような人間。
 神殿に心からの忠誠を誓うような人間に、私が心を許す日なんて絶対に来るはずがない。



「子どもが出来たのでしょう? おめでとう」
 姉様は、私の懐妊を喜んでくれた。
 ただ兄様は、私が妊娠してからは、私にあってくれなくなった。

「私、兄様に嫌われてるんだわ」
「そんなことないわ。今はただ、周りが見えなくなっているだけ。だってリカルドは、可愛い人だもの」
「……兄様のことをそういうのは、この世界できっと姉様くらいです」
「そう?」

 姉様は、落ち込む私を抱きしめてくれた。大丈夫と、安心させるみたいに頭を撫でてくれた。その温もりに触れた時に――私は改めて、姉様のことが好きなのだと、そう思った。

 妊娠してからは、『彼』との面会は神殿のみで許されることになった。
 週に一度、私は彼と部屋で会うことを許された。
 
「リア」
「会いたかった!」

 彼はいつも、私を優しく抱きしめてくれた。
 その腕に包まれている時は、愛されていると実感できた。
 彼はいつも私に、愛の言葉を口にしてくれる人だった。その言葉を聞くと、私は安心できた。

 彼の側に居ると、心の隙間が埋まっていくような気がした。

 でも私には、一つ不思議なことがあった。
 自分でも、理由はわからなかった。
 だって、そうでしょう? 『彼』と兄様の姿が時折重なるだなんて――そんなこと、どう考えてもおかしいのに。
 

 
 痛い。
 痛い。
 子どもの出産を行う時、痛みで死ぬかと思った私は、初めて心の底から神様に願った。
 
 お願い神様。この子を私に、無事に産ませてください。この子の幸せのためなら、私は死んだっていい――。

 まさかそれが、『引き金』になるとも思わずに。

『……貴方は、本当の痛みを知らない。貴方には信仰心というものが存在しない。しかしもし貴方がその痛みにさらされた時、貴方の心は、それに耐えることが出来るでしょうか?』

 彼の言葉のとおり、追い詰められた私は『未来』を見た。
 しかしその光景は、私が思い描くものとは、あまりに違っていた。

 これは――こんなものが、未来の光景だというの?
 
 私には信じられなかった。この世界が、滅ぶだなんて。
 どうしたらいいの? 

 どうしたら――この結末を変えられるの?