「昨日のお忍びで、何か良いことでもありましたか?」
「別に」

 『彼』と共に星を見て、神殿にこっそり戻った翌朝。
 嫌みったらしいその男は、にっこり笑って私に尋ねた。私の脱走を『お忍び』よさらっと言う辺り、監視されているようで癪に障る。
 
「そういえば、ご報告すべきことがありました」
「?」
 書類をめくっていた男は、すっと私に一枚の紙を差し出した。

「国内で、歪みが発見されました」

「ひず、み……?」

「はい。それにより、異世界人《まれびと》がこちら側に来るかもしれないと報告がありました。今後、その歪みは神殿で管理することになりました」

「大丈夫……なのよね?」

「勿論。それにもし異世界人がこの世界にやってきたとしても、今は制度が整っておりますから。彼らの生活は保障されます」

 淡々と、男は言った。
 けれど、異世界でたった一人。違う世界で暮らすなんて、きっと大変なことだ。

 昔、彼らの知識を悪用しようとしていた時代があった。それもあり、基本的に世界の危機でもない限り、今は『異世界召喚』は認められていない。
 そして今のこの世界では、『境界』を越えた者を元の世界に返すことは行っていない。つまり、この世界にやってきた異世界人《まれびと》はもう二度と、家族には会えなくなる。
 彼らの気持ちを思うと、生活を保障してやるという男の言葉は、私には理不尽に思えてならなかった。

 それから程なくして、男の言葉の通り、異世界から一人の少年がやってきた。
 少年は、どこにでも居るような――私と同い年くらいの男の子だった。

「俺、剣とか魔法とか、昔からすっげー憧れてて。魔法、俺にも適性があるらしいから、これから使えるようになるのが楽しみなんです」

 一つ予想外だったのは、彼が異世界転移を、悲観することなく受け入れていたこと。
 異世界には、そういった読み物などが沢山あるらしい。
 そのせいか、寧ろ彼は、勇者などといった『役割』を与えられなかったことに、拍子抜けしていたくらいだった。

 異世界人は、どこまでも自由だった。
 何者にも縛られず、自分の意思を突き通す。そうすることが当然だと、生まれながらに染みついているかのようだった。
 そんな彼の前で気を抜いていたせいか――私は、うっかり自分の怪力を彼の前で見せてしまった。

「巫女様って意外と力強いんすね」
「引いたりしないの?」

 この世界では、強化魔法を使える女性は侮蔑の目が向けられる。

「なんでですか?」
 少年は目を瞬かせた。

「俺の世界にも、強い女の人はいますし。ていうか、俺の姉ちゃんがまさにそうだったっていうか……」

 いつも、元気いっぱいに笑っていた。その彼が、家族のことを口にしたときに瞳に悲しみの色が宿るのを、私は見た。

「私のことは、今日から姉だと思って接して」
「……巫女様、俺とそう年は変わらないように見えるけど」
 彼は私を見て――それから少し視線を下げた。

「確かにこの胸のなさは姉ちゃんと一緒だけど」
「今、何か言った?」

 ――よくも、人が気にしている身体的特徴を……!
 私は、彼の首に腕を回してしめた。

「ギブギブ! それ、マジいてえから。やめてよ姉ちゃん!」



「新しくペットを買い始めたんですか?」
 私が少年と仲良くなってから、あの男は私にそんなことを言った。

「『ぺっと』?」
 ――って、なんだっけ? 
 私は、一瞬分からなかった。でも、確か異世界では自分の家で食料目的以外で飼う動物のことを、そんなふうに呼ぶと本で読んだ気がした。

「……彼は、私の弟です」
「そうですか。貴方は本当に昔から、兄弟『ごっこ』がお好きのようだ」
 相変わらず、腹の立つ男だと私は思った。
 いつだってこの男は、一言多い。

 男が私になんと言おうと、私は『弟』との交流をやめはしなかった。『弟』と交流する中で、私は異世界の知識を得た。

「『乙女ゲーム』?」

「うん。恋愛シミュレーションゲームなんだけど……。選択によって、未来が変わるってやつなんだ。もし姉ちゃんが俺の世界に行ったら、きっとハマると思う」

「れんあいしみゅれーしょん……」
 あまり聞き慣れない言葉だ。異世界の言葉だろうか。

「だって姉ちゃん、少女漫画とかのラブストーリーとか好きそうだし、それにイケメン好きでしょ? あの神官長さんのことだって――」

 私は、彼が続きを口にする前にがっと肩を掴んだ。

「確かに顔はいいと思うけど、あの男だけは絶対無いから!」
 それは、私の心からの叫びだった。

「性格が悪いの。自分の体に傷をつけて喜ぶような被虐趣味の持ち主だし、一言多いし小姑みたいだし、とにかく危ない男なの」
「そうなの? 俺には、そういう人には見えなかったけど……」
「蛇みたいな男なの。私たちに見せているものと、あいつの中身は別物なの。騙されちゃ駄目よ。油断してたら、ぱっくり食われちゃうんだからね」
 
 私があの男の危ないところをせっかく説明してあげたのに、『弟』はまるで理解していないようだった。「いい人そうに見えたけど」なんて、とんでもないことを言うほどだ。 
 あの男が、善人なワケがない。

「そういえば、『乙女ゲーム』って、女の子向けなんでしょ? 貴方はどんな『ゲーム』をしてたの?」
 話を変えるために尋ねたら、『弟』は視線を逸らした。

「俺は乙女ゲーじゃなくてギャルゲーを……」
「ぎゃるげー? それって、どんなゲーム?」
「姉ちゃん、この話はもうナシにしよう」

 『弟』に、異世界の、『乙女ゲーム』の話を聞いた日。
 私は一人夜空を見上げて、『彼』のことを想った。

「異世界のゲーム、かあ……」
  
 ――あの日共に星を見上げたあの人は、今何をしているんだろうか?