『優しい人間』が嫌いだ。
善人のふりをして、その実何を考えているかわからない。
心の奥底の裏切りを知ったとき、彼らが私に与えたあらゆるものが、偽物へとかわる瞬間。
陽だまりのようだった世界は、欺瞞だらけの世界に変わる。
だからこそ――信じることは、愚かしい。
◇◆◇
男が私の森の屋敷にやってきたのは、ある晴れた日の午後のことだった。
森で採れた果実を洗い、いつものようにそれを齧りながら過ごしていたら、その男はやってきた。
「はじめまして。突然だが、俺と友だちにならないか?」
「……は?」
金髪赤目の男。
男は、この国の王に最も相応しい外見をしていた。
クリスタロスの王族特有の金の髪に、強い魔力を持つ証である赤の瞳。
呆然とする私を前に、男はニコリと笑うと、籠を私に差し出して言った。
「君と食べようと思って持ってきたんだ。よかったら、これから一緒に食べないか?」
「突然やってきて、名のりもせずに一緒に食べようなんて不躾な人と、一緒に食事をするつもりはありません」
男が何者かなんて、一目瞭然だった。
だが私が失礼な態度をとっても、男は嫌な顔一つせずに頭を下げた。
「すまない。自己紹介が遅れた。俺は、クリスタロス王国国王、リヒト・クリスタロス。今日は君と友達になりたくて、ここまでやってきたんだ」
「お帰りください」
私は、男が自己紹介をしている間に屋敷に戻ると、扉を閉じて鍵を締めた。
「ちょっ!? き、君!? なんで扉を占めるんだ! 扉を開けてくれ!」
「嫌です」
どんどんと、男が扉を叩く。五月蠅いといったらありゃしない。私は耳に栓をすると、布団を被って眠ることにした。
「ふあ……」
どれくらい時が経っていたのだろう。
暫く眠って目を覚ますと、男はもういなくなっていた。
私は確認のために、少しだけ玄関の扉を開けて、外の様子を確認した。
「帰ったか」
――全く、嵐のような男だった。
私が溜め息をついて下を見ると、玄関のすぐ側に、男が持っていた籠が置かれていることに私は気が付いた。
【君と食べようと思ったんだが、これから仕事で戻らなくてはならない。よかったらこの料理は君が食べてくれ】
私は籠の書き置きをくしゃりと握りつぶすと、そのままゴミ箱へと捨てた。
◇
だがそれからも、毎日その男――リヒト・クリスタロスはやってきた。
扉を閉め拒絶の意思を示しているというのに、男はめげないようだった。
しぶとい。
面倒な人間に絡まれてしまった、と私は思った。
「今日も来たぞ。さあ、一緒に話をしよう」
「嫌です」
扉越しにぴしゃりと断れば、彼は黙った。
王族にしては顔に出やすいらしい。素直と言えば聞こえはいいが、王族にも貴族にも、向いていないのではないとも私は思った。
「……その、少しくらい、考えてくれたって」
「時間の無駄です」
いつものように私がいえば、男は無言で膝をおると、また玄関の側に籠を置こうとしているのが気配で分かった。
「食事を置いていくのはやめてくたさい。せっかくの美味しい料理を無駄にしたくはありませんので」
「え?」
私がそういえば、扉越しに男が驚いたような声を上げた。
「美味しいって……つまり、食べてくれたのか?」
「……それは」
実は一度だけ、男が持ってきた食事を食べたことがあった。
酸味のある、白っぽいクリームが、ハムやパンに挟まれた食べ物。初めて見たそれに興味を持って一口食べてみると、確かに私は『美味しい』と思った。
だがその事実を、私は男に教えてやるつもりはなかった。
「あれ、俺が作ったんだ!」
沈黙を貫く私に、男は声を弾ませて言った。
「は?」
私は耳を疑った。
王族が料理なんて、『有り得ない』にも程がある。
「王が料理なんてするなとは言われたんだが、『胃袋を掴め』と本に書いてあったからな!」
「……」
――この男は自分を懐柔するために、一体何の本を読んだのか。
私は意味が分からず頭を抱えた。奇天烈にも程がある。
天然かと思ったが、やはり彼は『真正』らしい。
その日私の中での、男の立ち位置が確定した。
『赤い瞳の美しい、王になるべくして生まれた男』?
否。
『いい人ヅラした馬鹿そうな男』!!!
私が男に蔑みの目を向けているなど知りもせず、男はそれからも毎日のように私の森の屋敷にやってきては、扉越しにくだらない話をして私に聞かせた。
「今日は、俺の好物を持ってきたんだ」
ある日男は、そう言って『いちごちょこれえとけえき』なるものを持って、森の屋敷にやってきた。
「『異世界人《まれびと》』の中に『ぱてぃしえ』? という職業の者がいてな。彼につくりかたを教えてもらったんだ」
「へえ……」
どうやら男は異世界の知識に興味があるようだった。
異世界では、魔法を使えない者も空を飛ぶことが出来たり、簡単に選択をすることが出来るのだと、彼は私に話して聞かせた。
「科学」が発達した世界。
その世界では誰もが、身分の貴賤などなく、自分の人生を選ぶことが出来るのだと男は語った。
それはまるで夢のように美しい――遠い世界の話だった。
そして男は異世界の技術を参考に、新しい魔法を作っているのだとも言った。
『紙の鳥』
それは、輝石鳥を使わずとも手紙のやりとりが出来るという魔法だった。
男は人々の生活を豊かにするために、新しい魔法を作るのだと言った。
ただ私は、男の『理想』を聞きながら、やはり馬鹿なんじゃないかと思った。
人間は、自分たちに出来ないことが出来るからこそ他者を相手を敬うのだ。
魔法を安売りするような彼のやり方は、やがて今の社会の、王侯貴族に対する尊敬さえも、ゆがめてしまうのではないかと私は思った。
いつだって『理想』を、『綺麗事』を語ることは簡単だ。ただそれを、実現させることは難しい。
私には男が、自らの望むものを作り上げらるとも、広められるとも思えなかった。
クリスタロス王国は、グラナトゥムやディランには国力で劣っている。
そんな国の王一人の理想で、世界を変えられるとは、私はとても思えなかった。
扉越しに話を聞く日々が一週間ほど続いた頃、男はポツリこんなことを呟いた。
「君は今日も、その扉を開けてはくれないんだな」
「……」
私は男の言葉に答えなかった。
「なら……よし、決めた!」
「?」
「一〇〇日。一〇〇日毎日僕が君に会いに来たら、その時はこの扉を開けて欲しい」
私は、一体何を言い出すのかと思った。
だいたい、仮にも一国の王が、わざわざこんな森の屋敷を毎日訪れる理由などどこにあるというのだろう?
『馬鹿も休み休みに言え』――私が断る前に、男はさっさと帰ってしまった。
「……まだ、承諾していないのに」
善人のふりをして、その実何を考えているかわからない。
心の奥底の裏切りを知ったとき、彼らが私に与えたあらゆるものが、偽物へとかわる瞬間。
陽だまりのようだった世界は、欺瞞だらけの世界に変わる。
だからこそ――信じることは、愚かしい。
◇◆◇
男が私の森の屋敷にやってきたのは、ある晴れた日の午後のことだった。
森で採れた果実を洗い、いつものようにそれを齧りながら過ごしていたら、その男はやってきた。
「はじめまして。突然だが、俺と友だちにならないか?」
「……は?」
金髪赤目の男。
男は、この国の王に最も相応しい外見をしていた。
クリスタロスの王族特有の金の髪に、強い魔力を持つ証である赤の瞳。
呆然とする私を前に、男はニコリと笑うと、籠を私に差し出して言った。
「君と食べようと思って持ってきたんだ。よかったら、これから一緒に食べないか?」
「突然やってきて、名のりもせずに一緒に食べようなんて不躾な人と、一緒に食事をするつもりはありません」
男が何者かなんて、一目瞭然だった。
だが私が失礼な態度をとっても、男は嫌な顔一つせずに頭を下げた。
「すまない。自己紹介が遅れた。俺は、クリスタロス王国国王、リヒト・クリスタロス。今日は君と友達になりたくて、ここまでやってきたんだ」
「お帰りください」
私は、男が自己紹介をしている間に屋敷に戻ると、扉を閉じて鍵を締めた。
「ちょっ!? き、君!? なんで扉を占めるんだ! 扉を開けてくれ!」
「嫌です」
どんどんと、男が扉を叩く。五月蠅いといったらありゃしない。私は耳に栓をすると、布団を被って眠ることにした。
「ふあ……」
どれくらい時が経っていたのだろう。
暫く眠って目を覚ますと、男はもういなくなっていた。
私は確認のために、少しだけ玄関の扉を開けて、外の様子を確認した。
「帰ったか」
――全く、嵐のような男だった。
私が溜め息をついて下を見ると、玄関のすぐ側に、男が持っていた籠が置かれていることに私は気が付いた。
【君と食べようと思ったんだが、これから仕事で戻らなくてはならない。よかったらこの料理は君が食べてくれ】
私は籠の書き置きをくしゃりと握りつぶすと、そのままゴミ箱へと捨てた。
◇
だがそれからも、毎日その男――リヒト・クリスタロスはやってきた。
扉を閉め拒絶の意思を示しているというのに、男はめげないようだった。
しぶとい。
面倒な人間に絡まれてしまった、と私は思った。
「今日も来たぞ。さあ、一緒に話をしよう」
「嫌です」
扉越しにぴしゃりと断れば、彼は黙った。
王族にしては顔に出やすいらしい。素直と言えば聞こえはいいが、王族にも貴族にも、向いていないのではないとも私は思った。
「……その、少しくらい、考えてくれたって」
「時間の無駄です」
いつものように私がいえば、男は無言で膝をおると、また玄関の側に籠を置こうとしているのが気配で分かった。
「食事を置いていくのはやめてくたさい。せっかくの美味しい料理を無駄にしたくはありませんので」
「え?」
私がそういえば、扉越しに男が驚いたような声を上げた。
「美味しいって……つまり、食べてくれたのか?」
「……それは」
実は一度だけ、男が持ってきた食事を食べたことがあった。
酸味のある、白っぽいクリームが、ハムやパンに挟まれた食べ物。初めて見たそれに興味を持って一口食べてみると、確かに私は『美味しい』と思った。
だがその事実を、私は男に教えてやるつもりはなかった。
「あれ、俺が作ったんだ!」
沈黙を貫く私に、男は声を弾ませて言った。
「は?」
私は耳を疑った。
王族が料理なんて、『有り得ない』にも程がある。
「王が料理なんてするなとは言われたんだが、『胃袋を掴め』と本に書いてあったからな!」
「……」
――この男は自分を懐柔するために、一体何の本を読んだのか。
私は意味が分からず頭を抱えた。奇天烈にも程がある。
天然かと思ったが、やはり彼は『真正』らしい。
その日私の中での、男の立ち位置が確定した。
『赤い瞳の美しい、王になるべくして生まれた男』?
否。
『いい人ヅラした馬鹿そうな男』!!!
私が男に蔑みの目を向けているなど知りもせず、男はそれからも毎日のように私の森の屋敷にやってきては、扉越しにくだらない話をして私に聞かせた。
「今日は、俺の好物を持ってきたんだ」
ある日男は、そう言って『いちごちょこれえとけえき』なるものを持って、森の屋敷にやってきた。
「『異世界人《まれびと》』の中に『ぱてぃしえ』? という職業の者がいてな。彼につくりかたを教えてもらったんだ」
「へえ……」
どうやら男は異世界の知識に興味があるようだった。
異世界では、魔法を使えない者も空を飛ぶことが出来たり、簡単に選択をすることが出来るのだと、彼は私に話して聞かせた。
「科学」が発達した世界。
その世界では誰もが、身分の貴賤などなく、自分の人生を選ぶことが出来るのだと男は語った。
それはまるで夢のように美しい――遠い世界の話だった。
そして男は異世界の技術を参考に、新しい魔法を作っているのだとも言った。
『紙の鳥』
それは、輝石鳥を使わずとも手紙のやりとりが出来るという魔法だった。
男は人々の生活を豊かにするために、新しい魔法を作るのだと言った。
ただ私は、男の『理想』を聞きながら、やはり馬鹿なんじゃないかと思った。
人間は、自分たちに出来ないことが出来るからこそ他者を相手を敬うのだ。
魔法を安売りするような彼のやり方は、やがて今の社会の、王侯貴族に対する尊敬さえも、ゆがめてしまうのではないかと私は思った。
いつだって『理想』を、『綺麗事』を語ることは簡単だ。ただそれを、実現させることは難しい。
私には男が、自らの望むものを作り上げらるとも、広められるとも思えなかった。
クリスタロス王国は、グラナトゥムやディランには国力で劣っている。
そんな国の王一人の理想で、世界を変えられるとは、私はとても思えなかった。
扉越しに話を聞く日々が一週間ほど続いた頃、男はポツリこんなことを呟いた。
「君は今日も、その扉を開けてはくれないんだな」
「……」
私は男の言葉に答えなかった。
「なら……よし、決めた!」
「?」
「一〇〇日。一〇〇日毎日僕が君に会いに来たら、その時はこの扉を開けて欲しい」
私は、一体何を言い出すのかと思った。
だいたい、仮にも一国の王が、わざわざこんな森の屋敷を毎日訪れる理由などどこにあるというのだろう?
『馬鹿も休み休みに言え』――私が断る前に、男はさっさと帰ってしまった。
「……まだ、承諾していないのに」