ローズとリヒトの結婚式は、盛大に行われた。
古代魔法だけではなく、リヒトが作った新しい魔法も式では使われることとなった。
学院の宴の席を盛り上げる天才双子のマリーとリリーも、式を行うにあたり協力を申し出た。
双子はリヒトを気に入っていたらしく、『存分にやるとよいのです!』『遊び心は大事なのです! 協力してやるのです!』とリヒトの師匠を気取っていた。
アカリは『愛し子』として、妖精たちに願って二人が歩く度に、花が咲く道を用意した。
会場を彩るベアトリーチェが育てた花は、結婚式当日に大輪の花を咲かせ、招待客の目を楽しませた。
完璧な結婚式。
その式は、そう言うに相応しいものだった。
――だが。
リヒトがローズに誓いの口付けをしようとしたとき、それを制止する声が響いた。
「その結婚、待った!!!!!」
「え?」
リヒトは目を瞬かせた。
振り返れば何故か、招待客の内数名が手を上げて、好戦的な目をこちらへと向けているではないか。
リヒトは無言で父の方を見た。
リカルドは予想外の事態に一瞬顔を曇らせて、こほんと咳き込んでから静かに言った。
「……どうするかは、お前が決めなさい」
それは丸投げと同義だった。
その中には何故かロイも居た。リヒトは顔を引きつらせた。
――くそ。まさか、『余興』ってこれかよ!!!
「どうした? さっさとはじめよう。今の君なら余裕だろう? 七回の決闘くらい」
ロイはにこりと笑って言った。
ミリア、アルフレッド、ジュテファー、ユーリ、ロイ、アカリ。
手を上げた六人は、リヒトの前に立っていた。
「貴方が本当にお嬢様を守れる方かどうか、試させていただきます!」
リヒトは、ミリアからの攻撃を避けるために外に出た。
強化魔法の使い手であるミリアが建物の中で本気を出したら、倒壊してもおかしくはない。
逃げたリヒトを、他の人間も追いかける。
「お嬢様を悲しませたら、絶対に許しません! 地の果てまで追いかけて、必ず後悔させます!」
リヒトは、少しだけ傷ついた赤い指輪の石に口付けると、ミリアと同じく強化魔法を発動させて彼女の手を払った。
『光の王』は武術もおさめていたということもあるけれど――最近のリヒトは、ローズを抱き上げられなかったことを後悔して体も鍛えていた。
続いて、ジュテファーとアルフレッドがリヒトに向かって魔法を放った。
「ローズ様にはお姉様になっていただくはずだったのに!!」
「そこかよ!?」
「叔父になる覚悟を決めてたのに!」
「気が早い!!」
リヒトは思わずつっこんだ。
雷属性と地属性。
異なる魔法を放たれたリヒトは、空中に光の階段を作り出すと、それを素早く駆け上がってた。
二つの魔法がぶつかり合い、大きな衝撃で砂埃が舞う中、リヒトはとん、と軽く光る階段の踏み板を蹴って、くるりと一回転して地面に着地した。
景色がはっきりとしない。
リヒトがきょろきょろとあたりを見渡していると、砂埃の中を隠れ、鋭い剣先がリヒトのふいをついた。
「ローズ様を泣かせたら、次は本当に『嫌い』になります!」
ユーリはそう言ったが、昔からリヒトに甘いユーリでは、リヒトに傷を負わせることは出来なかった。
「久しぶりに、腕試しといこうじゃないか。……シャルルの前で、簡単に負けるわけにはいかないしな」
全ての属性の精霊晶を持つロイは、楽しそうに笑って魔法を発動させた。
小声でロイが呟いた後半の言葉に、リヒトはキレ気味に叫んだ。
「お前は別にローズのこと好きじゃないなら俺に挑むなよ! というかお前の場合さっさと本人に言えよ! 八つ当たりは大人げないぞ!」
リヒトの言い分はもっともだった。
六人目はアカリだった。
「ローズさんのこと泣かせたら、私はローズさんのこと攫って国を出ます!」
「さら……? あ、アカリ……?」
『光の聖女』が本来の力を行使できるようになり、『愛し子』でもある今のアカリは、人間には不可侵の『妖精の森』に人間を隠すことも可能らしかった。
暗にそれをほのめかされ、リヒトは少し慌てた。
だがローズの幸せを願うアカリがリヒトに向けたのは、攻撃ではなく回復の魔法だった。
これまで五人との闘いで消費した分の魔力が回復するのをリヒトは感じた。
リヒトはアカリの真意が読めずにいた。
まるでこれでは、大きな闘いを前に聖女が勇者に行う祝福のようではないか――。
「ん?」
――そういえば、七回とか言っていたな。
リヒトはロイの言葉を思い出して首を傾げた。
七というのは、『祝福の数字』であることはリヒトも認識しているが、果たしてわざわざ結婚式の誓いの口づけの前に決闘を申し込むのが祝福であるかは謎だ。
「七人目……最後の一人は、一体誰だ?」
そしてリヒトはようやく、自分が戦っていた理由であるはずの愛しい少女が、見当たらないことに気が付いた。
ローズが居ない。
どうして? と辺りを見渡したところで――リヒトは結婚式のドレスではなく、純白の軍服に身を包んでいるローズを見つけた。
「……ローズ?」
なぜ彼女が今、騎士の服を――?
リヒトが理解できず彼女の名を呼んだとき、ローズは『光の王』の赤い石を欠いた聖剣を手に静かに言った。
「お待たせしました。私が、最後の一人です。リヒト様。さあ、最後の勝負を始めましょう」
その瞬間、ローズはリヒトに向かって水の魔法を放った。
強者の証である赤い瞳。
全属性を扱えるという素質。
拮抗した二人の力はぶつかり合い、爆風での被害を防ぐために、ロイやアカリ、ユーリが光の障壁を作り出す。
攻撃は常に、ローズから繰り出される。
リヒトはローズに怪我を負わせないように、ローズの魔法を可能な限り安全に無力化させていた。
強い魔法を扱える人間がいることを示すこと――王族の結婚式では、自身の魔法を披露することがままあるが、リヒトとローズのそれは、明らかに『世の普通』を凌駕していた。
『剣神』と三人の王の一人『光の王』との闘いに誰もが注目する中――防戦につとめていたリヒトは闘いを終わらせるため、少しだけ強い魔法を放った。
ローズはその魔法を防ごうと魔法を発動させたものの、二つの魔法は重なり合って大きな爆発が起きてしまった。
「ローズ!」
しまった。自分今はの方が、力が強いのかもしれない。そのせいでローズに怪我を負わせてしまったのかと思って、リヒトは慌ててローズへと駆け寄った。
砂埃が落ち着き視界が開けると、そこには少し傷を負った彼女が倒れ込んでいた。
リヒトはローズの体を抱き上げた。
目立った外傷は見当たらないが、もしかしたら爆風で脳震盪でも起こしたのかもしれない。
目を開かない彼女を見て、リヒトは胸が締め付けられるのを感じた。
――嫌だ。せっかく思いが通じ合ったのに、彼女には笑っていてほしいのに。自分が彼女を傷つけてしまったなんて。
「……ローズ……!」
動かない彼女の体を、リヒトは強く抱きしめる。
しかしその瞬間、首元にひやりとしたものを感じて、リヒトは大きく目を見開いた。
「――貴方の負けです」
その光景は、彼女が騎士団に入団した時と似ていた。冷静に敗北を告げるその声は、身動き一つとることを許さない。
「これが刃物であれば、貴方は死んでいますよ。リヒト様」
形勢逆転だ。
リヒトがローズから手を離すと、ローズはそのまま彼を地面に押し倒した。
それは初めて二人が出逢った時のように。
仰向けになった彼の耳のそばに、ローズは氷で作られた短剣を突き刺した。
リヒトは瞠目した。
何が起きているのかが理解出来ない。
「……ろ、ろーず……?」
「貴方なら、私が気絶したふりをすればこうなさると確信していました」
目を瞬かせるリヒトに、ローズはいつものように落ち着いた声で言った。
「貴方がどんなに強くても、貴方は私には勝てない。貴方を倒せるのは私だけ。貴方は私のものです。誰にも貴方を奪わせない。たとえそれが、貴方自身であったとしても。貴方の命は、貴方一人のものじゃない」
リヒトは動けなかった。
自分を見下ろすローズの瞳が、涙で濡れているように見えたから。
「もう二度と、勝手に死ぬのは許しません。次に貴方がそうすれば、私はこの命を持って貴方を生かす。私の命は貴方のもの。私を殺したくなかったら、死なないでください。もう二度と、私を置いていくことは許しません。貴方は私のもの。そして私は、貴方のものです」
その言葉はかつて、ロイがシャルルにおくった言葉。
ローズの言葉をロイの側で聞いていたシャルルは、そのことを思い出して頬を少し赤く染めた後、ロイの服の袖を小さな手で少しだけ引っ張った。
「愛しています。――『私の王様』」
ローズはそう言うと、自らリヒトに口付けた。
「おめでとうございます!」
口付けに合わせ、二人を祝福する声が上がる。
「……ろ、ローズ。あのな、普通こういうのは俺がかっこよくだな……」
ローズの口づけは確かにずっと望んでいたことだったが、自分の思い描いていた未来と違いすぎてリヒトが不満を述べようとすると、ローズに低い声で名前を呼ばれ、手を握られて、リヒトは顔を真っ赤に染めた。
「リヒト様」
「な、なんだよ」
「人には、向き不向きがあるのです」
「つまり、俺が不向きだと!?」
ローズの言葉に、リヒトは反射的に突っ込んでいた。
確かに、『かっこいい』も『王子様』も、ローズの方がぴったりかもしれないけれど……。
まさか劇の中だけでなく、まさか現実でも姫扱いされる日が来るなんて、リヒトは思ってもみなかった。
せめて今日くらいは、自分が彼女をリードしたいと思っていたのに――リヒトがそう思っていると、二人のやりとりを見ていたロイが声を上げて笑った。
「あはははは! この国の人間は、本当に昔から愉快だな」
「……全く、あいかわらず前代未聞だわ」
笑うロイを見て、ロゼリアが腕を組んで溜め息を吐いた。
「確かに、王族の結婚式で、女性に押し倒されて誓いの口付けをされたのは、俺が知る限りこれが初めてだな」
くくくと笑うロイを見て、リヒトは諦めたかのように息を吐いた。
リヒトは正直、自分が笑われるのは少しだけ不満だったが、それをきっかけに周囲の人間が楽しそうに笑う姿は、嫌だとは思えなかった。
「二人とも五月蠅い。……いいんだよ、もう。俺たちは、俺たちなんだから」
「リヒト様」
「ああ。わかってる」
ローズに促され、リヒトは頷いた。
「今日は俺たちのために集まってくれてありがとう。今日ここに集まってくれた人に、全ての人に――たくさんの幸福がありますように」
ローズとリヒトは視線を合わせて、それから紙の鳥の魔法を発動させた。
四枚の葉を咥えた鳥たちが、一斉に飛び立っていく。
全ての鳥が飛び立っても、花籠の中に四枚の葉はまだ残っていた。
すると二人の結婚式を側で見守っていた白い天龍は、リヒトから花籠を奪うと、高く空へと羽ばたいた。
フィンゴットが咥えた花籠からは、四枚の葉が降り注ぐ。幸福の葉を咥えた紙の鳥は、世界中へと飛び散っていく。
雲ひとつない青い空を、白い鳥は翔けていく。
どこまでも、どくまでも遠く、遠くへと――……。
【騎士の結婚編 了】
古代魔法だけではなく、リヒトが作った新しい魔法も式では使われることとなった。
学院の宴の席を盛り上げる天才双子のマリーとリリーも、式を行うにあたり協力を申し出た。
双子はリヒトを気に入っていたらしく、『存分にやるとよいのです!』『遊び心は大事なのです! 協力してやるのです!』とリヒトの師匠を気取っていた。
アカリは『愛し子』として、妖精たちに願って二人が歩く度に、花が咲く道を用意した。
会場を彩るベアトリーチェが育てた花は、結婚式当日に大輪の花を咲かせ、招待客の目を楽しませた。
完璧な結婚式。
その式は、そう言うに相応しいものだった。
――だが。
リヒトがローズに誓いの口付けをしようとしたとき、それを制止する声が響いた。
「その結婚、待った!!!!!」
「え?」
リヒトは目を瞬かせた。
振り返れば何故か、招待客の内数名が手を上げて、好戦的な目をこちらへと向けているではないか。
リヒトは無言で父の方を見た。
リカルドは予想外の事態に一瞬顔を曇らせて、こほんと咳き込んでから静かに言った。
「……どうするかは、お前が決めなさい」
それは丸投げと同義だった。
その中には何故かロイも居た。リヒトは顔を引きつらせた。
――くそ。まさか、『余興』ってこれかよ!!!
「どうした? さっさとはじめよう。今の君なら余裕だろう? 七回の決闘くらい」
ロイはにこりと笑って言った。
ミリア、アルフレッド、ジュテファー、ユーリ、ロイ、アカリ。
手を上げた六人は、リヒトの前に立っていた。
「貴方が本当にお嬢様を守れる方かどうか、試させていただきます!」
リヒトは、ミリアからの攻撃を避けるために外に出た。
強化魔法の使い手であるミリアが建物の中で本気を出したら、倒壊してもおかしくはない。
逃げたリヒトを、他の人間も追いかける。
「お嬢様を悲しませたら、絶対に許しません! 地の果てまで追いかけて、必ず後悔させます!」
リヒトは、少しだけ傷ついた赤い指輪の石に口付けると、ミリアと同じく強化魔法を発動させて彼女の手を払った。
『光の王』は武術もおさめていたということもあるけれど――最近のリヒトは、ローズを抱き上げられなかったことを後悔して体も鍛えていた。
続いて、ジュテファーとアルフレッドがリヒトに向かって魔法を放った。
「ローズ様にはお姉様になっていただくはずだったのに!!」
「そこかよ!?」
「叔父になる覚悟を決めてたのに!」
「気が早い!!」
リヒトは思わずつっこんだ。
雷属性と地属性。
異なる魔法を放たれたリヒトは、空中に光の階段を作り出すと、それを素早く駆け上がってた。
二つの魔法がぶつかり合い、大きな衝撃で砂埃が舞う中、リヒトはとん、と軽く光る階段の踏み板を蹴って、くるりと一回転して地面に着地した。
景色がはっきりとしない。
リヒトがきょろきょろとあたりを見渡していると、砂埃の中を隠れ、鋭い剣先がリヒトのふいをついた。
「ローズ様を泣かせたら、次は本当に『嫌い』になります!」
ユーリはそう言ったが、昔からリヒトに甘いユーリでは、リヒトに傷を負わせることは出来なかった。
「久しぶりに、腕試しといこうじゃないか。……シャルルの前で、簡単に負けるわけにはいかないしな」
全ての属性の精霊晶を持つロイは、楽しそうに笑って魔法を発動させた。
小声でロイが呟いた後半の言葉に、リヒトはキレ気味に叫んだ。
「お前は別にローズのこと好きじゃないなら俺に挑むなよ! というかお前の場合さっさと本人に言えよ! 八つ当たりは大人げないぞ!」
リヒトの言い分はもっともだった。
六人目はアカリだった。
「ローズさんのこと泣かせたら、私はローズさんのこと攫って国を出ます!」
「さら……? あ、アカリ……?」
『光の聖女』が本来の力を行使できるようになり、『愛し子』でもある今のアカリは、人間には不可侵の『妖精の森』に人間を隠すことも可能らしかった。
暗にそれをほのめかされ、リヒトは少し慌てた。
だがローズの幸せを願うアカリがリヒトに向けたのは、攻撃ではなく回復の魔法だった。
これまで五人との闘いで消費した分の魔力が回復するのをリヒトは感じた。
リヒトはアカリの真意が読めずにいた。
まるでこれでは、大きな闘いを前に聖女が勇者に行う祝福のようではないか――。
「ん?」
――そういえば、七回とか言っていたな。
リヒトはロイの言葉を思い出して首を傾げた。
七というのは、『祝福の数字』であることはリヒトも認識しているが、果たしてわざわざ結婚式の誓いの口づけの前に決闘を申し込むのが祝福であるかは謎だ。
「七人目……最後の一人は、一体誰だ?」
そしてリヒトはようやく、自分が戦っていた理由であるはずの愛しい少女が、見当たらないことに気が付いた。
ローズが居ない。
どうして? と辺りを見渡したところで――リヒトは結婚式のドレスではなく、純白の軍服に身を包んでいるローズを見つけた。
「……ローズ?」
なぜ彼女が今、騎士の服を――?
リヒトが理解できず彼女の名を呼んだとき、ローズは『光の王』の赤い石を欠いた聖剣を手に静かに言った。
「お待たせしました。私が、最後の一人です。リヒト様。さあ、最後の勝負を始めましょう」
その瞬間、ローズはリヒトに向かって水の魔法を放った。
強者の証である赤い瞳。
全属性を扱えるという素質。
拮抗した二人の力はぶつかり合い、爆風での被害を防ぐために、ロイやアカリ、ユーリが光の障壁を作り出す。
攻撃は常に、ローズから繰り出される。
リヒトはローズに怪我を負わせないように、ローズの魔法を可能な限り安全に無力化させていた。
強い魔法を扱える人間がいることを示すこと――王族の結婚式では、自身の魔法を披露することがままあるが、リヒトとローズのそれは、明らかに『世の普通』を凌駕していた。
『剣神』と三人の王の一人『光の王』との闘いに誰もが注目する中――防戦につとめていたリヒトは闘いを終わらせるため、少しだけ強い魔法を放った。
ローズはその魔法を防ごうと魔法を発動させたものの、二つの魔法は重なり合って大きな爆発が起きてしまった。
「ローズ!」
しまった。自分今はの方が、力が強いのかもしれない。そのせいでローズに怪我を負わせてしまったのかと思って、リヒトは慌ててローズへと駆け寄った。
砂埃が落ち着き視界が開けると、そこには少し傷を負った彼女が倒れ込んでいた。
リヒトはローズの体を抱き上げた。
目立った外傷は見当たらないが、もしかしたら爆風で脳震盪でも起こしたのかもしれない。
目を開かない彼女を見て、リヒトは胸が締め付けられるのを感じた。
――嫌だ。せっかく思いが通じ合ったのに、彼女には笑っていてほしいのに。自分が彼女を傷つけてしまったなんて。
「……ローズ……!」
動かない彼女の体を、リヒトは強く抱きしめる。
しかしその瞬間、首元にひやりとしたものを感じて、リヒトは大きく目を見開いた。
「――貴方の負けです」
その光景は、彼女が騎士団に入団した時と似ていた。冷静に敗北を告げるその声は、身動き一つとることを許さない。
「これが刃物であれば、貴方は死んでいますよ。リヒト様」
形勢逆転だ。
リヒトがローズから手を離すと、ローズはそのまま彼を地面に押し倒した。
それは初めて二人が出逢った時のように。
仰向けになった彼の耳のそばに、ローズは氷で作られた短剣を突き刺した。
リヒトは瞠目した。
何が起きているのかが理解出来ない。
「……ろ、ろーず……?」
「貴方なら、私が気絶したふりをすればこうなさると確信していました」
目を瞬かせるリヒトに、ローズはいつものように落ち着いた声で言った。
「貴方がどんなに強くても、貴方は私には勝てない。貴方を倒せるのは私だけ。貴方は私のものです。誰にも貴方を奪わせない。たとえそれが、貴方自身であったとしても。貴方の命は、貴方一人のものじゃない」
リヒトは動けなかった。
自分を見下ろすローズの瞳が、涙で濡れているように見えたから。
「もう二度と、勝手に死ぬのは許しません。次に貴方がそうすれば、私はこの命を持って貴方を生かす。私の命は貴方のもの。私を殺したくなかったら、死なないでください。もう二度と、私を置いていくことは許しません。貴方は私のもの。そして私は、貴方のものです」
その言葉はかつて、ロイがシャルルにおくった言葉。
ローズの言葉をロイの側で聞いていたシャルルは、そのことを思い出して頬を少し赤く染めた後、ロイの服の袖を小さな手で少しだけ引っ張った。
「愛しています。――『私の王様』」
ローズはそう言うと、自らリヒトに口付けた。
「おめでとうございます!」
口付けに合わせ、二人を祝福する声が上がる。
「……ろ、ローズ。あのな、普通こういうのは俺がかっこよくだな……」
ローズの口づけは確かにずっと望んでいたことだったが、自分の思い描いていた未来と違いすぎてリヒトが不満を述べようとすると、ローズに低い声で名前を呼ばれ、手を握られて、リヒトは顔を真っ赤に染めた。
「リヒト様」
「な、なんだよ」
「人には、向き不向きがあるのです」
「つまり、俺が不向きだと!?」
ローズの言葉に、リヒトは反射的に突っ込んでいた。
確かに、『かっこいい』も『王子様』も、ローズの方がぴったりかもしれないけれど……。
まさか劇の中だけでなく、まさか現実でも姫扱いされる日が来るなんて、リヒトは思ってもみなかった。
せめて今日くらいは、自分が彼女をリードしたいと思っていたのに――リヒトがそう思っていると、二人のやりとりを見ていたロイが声を上げて笑った。
「あはははは! この国の人間は、本当に昔から愉快だな」
「……全く、あいかわらず前代未聞だわ」
笑うロイを見て、ロゼリアが腕を組んで溜め息を吐いた。
「確かに、王族の結婚式で、女性に押し倒されて誓いの口付けをされたのは、俺が知る限りこれが初めてだな」
くくくと笑うロイを見て、リヒトは諦めたかのように息を吐いた。
リヒトは正直、自分が笑われるのは少しだけ不満だったが、それをきっかけに周囲の人間が楽しそうに笑う姿は、嫌だとは思えなかった。
「二人とも五月蠅い。……いいんだよ、もう。俺たちは、俺たちなんだから」
「リヒト様」
「ああ。わかってる」
ローズに促され、リヒトは頷いた。
「今日は俺たちのために集まってくれてありがとう。今日ここに集まってくれた人に、全ての人に――たくさんの幸福がありますように」
ローズとリヒトは視線を合わせて、それから紙の鳥の魔法を発動させた。
四枚の葉を咥えた鳥たちが、一斉に飛び立っていく。
全ての鳥が飛び立っても、花籠の中に四枚の葉はまだ残っていた。
すると二人の結婚式を側で見守っていた白い天龍は、リヒトから花籠を奪うと、高く空へと羽ばたいた。
フィンゴットが咥えた花籠からは、四枚の葉が降り注ぐ。幸福の葉を咥えた紙の鳥は、世界中へと飛び散っていく。
雲ひとつない青い空を、白い鳥は翔けていく。
どこまでも、どくまでも遠く、遠くへと――……。
【騎士の結婚編 了】