「目が覚めたか」
リカルドは自ら扉を開いたリヒトを見て、静かに目を伏せた。
「レオン・クリスタロス。そしてリヒト・クリスタロス。どちらが次期国王に相応しいのか、今日この場で決めようと思う」
ロイ、ロゼリア、エミリー。そしてローゼンティッヒやベアトリーチェ、ギルバート。
扉の向こうには、これまでリヒトが出会った者たちがいた。
「王として、国の危機に私情を優先させる人間を信頼出来ない。俺はレオン王子を王には相応しいと思う」
これまで、レオンよりリヒトに関心を示してきたロイは、『王』としての意見を述べた。
「学院は、二人に同等の資格があることを認めています」
幼等部の教師であるエミリーは、学院を代表して二人に平等な評価を下した。
「騎士は国を守る者。最後まで前線で戦われていたレオン様、そして仲間を守ってくださったリヒト様にも、私は等しく資格はあると思います」
騎士団長であるユーリは言った。
「民は――私は、貴方を望みます。リヒト様」
四人目となるベアトリーチェは、ローズを一瞥してから言った。
「最後に――ローズ・クロサイト公爵令嬢」
ここまででは引き分けだ。
リカルドの声に、ローズに視線が集まる。
ローズがどちらを選ぶかで、次のクリスタロスの王が決まる。
「魔王を倒した『聖剣の守護者』、そしてこの国で最も強い魔力を持つ君に、私は判断を委ねたい」
「かしこまりました」
ローズは静かに頷いた。
「正直なところを申し上げますと、私はリヒト様もレオン様も、陛下のあとを継がれるには不適格だと考えております。魔力も、国を担うべき立場としての在り方も、相応しいとはとても言えない 」
自国の王と王子を前に、ローズははっきり言った。
「リヒト様は公衆の面前で私をに婚約破棄を言い渡されますし」
「うっ」
「レオン様はいつも飄々とされて何を考えていらっしゃるかわからないですし」
「……」
「正直、どちらの方が王になられても、問題はあるように感じています」
ローズの言葉を、誰も否定はしなかった。
「ただ力も先見の明もお持ちでも、当時騎士団長という地位にありながら、レオン様が倒れられていた時、国家の危機だというのに恋人を優先して国を去ったローゼンティッヒ様が相応しいとも思えません」
ローズの言葉に、ローゼンティッヒは薄く笑った。
ユーリはベアトリーチェの了解を得てグラナトゥムに赴いた。
レオンはそんなユーリのことを否定したが、騎士団での地位を捨てた後とはいえ、『国家の危機に国を空ける』それをしでかしたのは、ローゼンティッヒが先である。
「立場あるものには責任が伴う。そしてこのことから、私を助けに来たリヒト様は、王位を継ぐに相応しくない」
ローズは相変わらず、自分にもだが他人にも厳しかった。
自分を助けた恩人でもあるリヒトを、あっさり不適格だと言ってのけたローズを見て、レオンを望んだはずのロイの表情が僅かに曇る。
「国を守るには力が必要です。そしてこの世界では、魔力が高い者こそ王位に相応しいとされる。婚姻の際の決闘も、優秀な血を残すためのもの。そんな世界で、魔法が使えない人間は、王に相応しくないとみなされてもおかしくはない」
ローズの言葉を、リカルドは肯定も否定もしなかった。
リカルドだって、リヒトの努力は知っている。そして自分が否定し続けた彼の才能が、外の世界では評価されたことも。
魔力だけが全てじゃない。
リヒトのその努力や賞賛を側で見ていながら、公の場でリヒトを否定したローズに、リカルドは顔を顰めた。
「ユーリ。貴方は昔から本当に、何かとリヒト様に甘すぎます。私を助けたから? アルフレッドを、騎士団の仲間を助けたから? そんな理由で、騎士団長である貴方が、冷静な判断を下せずしてどうします。国を守る騎士ならば、個人の為に動く人間を、ましてやその人間が未来の王と望むなら、諫めることはあっても許してはなりません。リヒト様はただ、王族には相応しくない振る舞いをされただけ。自分勝手に行動されただけです」
ユーリは、リヒト本人には『嫌い』といったことがあるにもかかわらず、その原因であるローズからリヒトへの甘さを指摘されて口ごもった。
騎士団長としていたらない。
年下の少女であるローズに、ついでのように叱られて――でもそれ以上に、ユーリはローズがリヒトを否定したことを悔しく思った。
ユーリは知っている。
十年前、目の前でローズを奪われたからこそ――ローズが初めて婚約した時に、リヒトがローズを思って口にした言葉を。
自分だって辛い時に、彼に支えられたからこそ婚約を受け入れたのではないのか。
確かに自分は甘いと言われても仕方は無い。でもだからといって、ローズの言葉はひどすぎる。
「ビーチェ様。一つ、質問をしてもよろしいでしょうか?」
ローズの言葉に、ベアトリーチェは頷いた。
「貴方が、リヒト様を選ばれたのはどうしてですか? 貴方は元平民で、貴族の養子となられた方。騎士団の副団長を務められ、将来は伯爵位を継がれることでしょう。誰よりも民に近いとされる方。その意味で、陛下が貴方をお選びになったことは理解出来ます。しかし貴方は元々、レオン様を戴くことを望まれていた筈。何故今になって、リヒト様の側につかれようなどと思われたのですか?」
「――そうですね。確かに、私はずっとレオン様を王にと望んでいました」
ローズの問いに、ベアトリーチェはにこりと笑った。
「リヒト様には魔力がほとんど無いですし」
「うっ」
「自分の意思で後先考えずに行動しては失敗されますし」
「ううっ」
「正直、いろいろ頼りないなあと思う要素は、非常に満載な方なんですが」
ローズ同様、ベアトリーチェに欠点を指摘され、リヒトは蹲った。
リヒトは心が痛くて泣きそうだった。
「あと、これくらいの叱責、事実を並べられただけで感情を表に出されるところも、王族というより貴族に向かれていないなあとも思うんですが……」
王族どころか貴族にすら向いていない。
ベアトリーチェの言葉に、誰もが心の中で頷いた。
「でも」
ベアトリーチェは、蹲るリヒトに、自らの手を差し出した。
リヒトは目を瞬かせた。
リヒトには、ベアトリーチェの行動の意味がわからなかった。
差し出された手を掴めば、小さな体の割に強い力で引っ張って、ベアトリーチェはリヒトを立ち上がらせた。
「ベアトリーチェ……?」
「――『嬉しかった』、から」
「え……?」
「精霊病を作った彼に対して、思うところがあるのは事実です。ただ、それでも……。私の弟を救ってくださったことも、私と同じ境遇の人間に、寄り添うおうとしてくだったことも。貴方のその優しさが、私は嬉しかったから」
「優し、さ……?」
「ええ、そうです。貴方は、私の知る誰よりも、優しい方だ。優しさというものは本来、余裕から生まれるものなのです。人に分け与えるだけの心の余裕があるから、人は本来優しく在れる。貴方のように、自分もつらい立場だというのに、人の痛みに寄り添おうとし、無力さを嘆きながらも、長い時間努力を重ねることは、とても難しいことだと私は考えています。でも貴方は、ずっとそうあろうとされてきた。確かに難しいこともあったでしょう。けれど貴方のこれまでの努力は、確かに実を結んだ。結果論ではあります。貴方は未熟で、きっとこれからも、失敗なさることは多いだろうと思います。……でも、私は」
ベアトリーチェは、リヒトに向かって微笑んだ。
「誰よりも人を思う貴方を、支えたいと思ったから」
「ベアトリーチェ……」
「だから私は、貴方を選ぶことにしたんです。貴方の、貴方の心に眠る――未来の『可能性』にかけて」
「可能性……?」
「ええ、そうです。――リヒト様。貴方には、可能性がある。貴方自身が気付かれていない、貴方だけの魅力が」
リヒトは自分の胸に手を当てた。嬉しくて、心臓がどきどきする。
「まあ、頼りないのは事実なんですけどね」
「あ……上げて落とすなよ!」
「あははははは! そうやって怒られるところも、私は、貴方の長所だと思いますよ」
「い、意味が分からん……」
笑うベアトリーチェを前に、リヒトは照れくさそうに少しだけ顔を赤くして、それを隠すように右手で顔を隠していた。
「ビーチェ様。リヒト様をからかうのはおやめください。お気持ちは分かりますが」
「そうですね。今はこれで我慢します」
リヒトをからかうベアトリーチェとローズの息はぴったりだった。
「今はってなんだ。今はって……」
リヒトは、二人を見て恨めしそうに呟いた。
ローズは、そんな彼の表情を見て柔らかな笑みを浮かべた。
「人は誰かに信じられてこそ、前を向いて歩いていける。もし、どんなに努力を重ねてもそれを認められないとしたら――それでも俯かず、誰かを否定せずに努力することは、どれほど大変なことでしょう? 魔法が上手く使えないということで悩んだことのない私はきっと、リヒト様のお気持ちは分からない。この国の多くの民は、魔法を使うことができません。だからこそ王の座につくものは、魔力を持つ者が望ましいとされる。人の上に立つ者が一番大切なことは、強い魔力を持ち、それを扱えるようになることである――私は、ずっとそう教えられて生きてきました」
ローズの話は、今のこの世界の価値観だ。
「けれど気付いたのです。魔王を倒せないと思った時、本当に苦しい時に、私の頭の中に浮かんだのは、お兄様、ミリア――私にとってかけがえのない、身近な人の顔でした。 その姿が頭に浮かんだ時に、私は帰りたい――いえ、帰らなければならないと思いました。そして『強い魔力を持つ自分には何でも出来る、全てを変えられる』そう思っていたはずの私は、強敵を前に、あまりに無力でした。その時私は、漸く己の弱さに気がつきました」
ローズは胸に手を当てた。
「人は、誰もが心に弱さを抱える。どんなに強い魔力を持っていたとしても、それがかわることはない。 私はずっと、誰かの弱さを受け入れることが出来なかった。自分が出来ることは、当然他の人も出来るものだと、出来ないのは努力が足りないせいなのだと、どこかでそう思っていました。……だから、『光の聖女』として違う世界から来たアカリが出来ないこと、わからないことを認めることが、あの頃の私には出来なかった。それはきっと傲慢で、 人を守るべき、上に立つ人間としては不適格だったと、責められても文句は言えない。でも――でも、こうも思うのです。人は誰もが、いつも正しいばかりでいることは出来ない。今回のこともそうです。私の弱さが、沢山の人を危険にさらしてしまった。そんな私を助けに来られたせいで、リヒト様は王として認められるために、これまで積み重ねてこられた努力を否定されることになってしまった。この状況は自分のせいだと、私はリヒト様が目覚められるまでの間、ずっと自分を責めていました。リヒト様は私のせいで、信頼を失った。側で努力されてきた姿を知っているからこそ、私はリヒト様から多くのものを奪ってしまった自分を責めていました。――でも、リヒト様は」
ローズは、リカルドではなくリヒトを見つめて言った。
「私の責任ではないと、そう仰った」
リヒトは、ローズが何を言いたいのか分からず目を瞬かせた。
まさかこの場で、彼女がその話をするなんて、欠片も思ってはいなかったから。
「アルフレッドの時も、そうです。誰かの罪を代わりに背負うことが、王の資質であるかと言えば、私にはまだ、その答えを出すだけの確かな考えはありません。人の心は難しい。でもただ私も、その言葉が『嬉しかった』。そしてその時、確かにこう思ったんです。この方の作る国を、見てみたいと」
熱のこもったローズの声は、紛れもなく本心だと、周りに思わせるには十分だった。
「確証なんてない。でも、リヒト様なら。皆が笑える国を作ってくださると、そんなふうに思うんです。夢物語のようだと笑われるかもしれない。ええ、それは分かっています。でも、いつの世も――……世界は、人で作られる」
ローズはリヒトに微笑んだ。
「だから私も信じています。リヒト様の可能性を」
「ローズ……」
ずっと背ばかり追ってきた幼馴染の言葉に、リヒトは胸をおさえた。
王に選ばれる、選ばれないなんて関係ない。
ただ彼女の言葉が、リヒトにはただ嬉しくてたまらなかった。もしたとえ、今魔法を使えない自分が、最後は選ばれないとしても。
リヒトの顔に赤みがさしたのを見て、リカルドとレオン、ロイとユーリに、一瞬安堵の色が宿る。
だがそれは一瞬で、リカルドは自分を見上げるローズを見て、コホンと息を吐いていつものように目を細めた。
「それでは君は、それを理由にリヒトを選ぶというのかね?」
ローズに向けるリカルドの声は厳しかった。
しかしローズは、たとえ相手が一国の王が相手でも、揺らぐことはなかった。
ローズ・クロサイトは自分の意思を貫く。
「いいえ。これは私の意志であり、私は個人の思いで、票を投じようとは思っておりません」
「……どういうことかね?」
「これまでの私の言葉は、全て私の思いです。ただ私は、この話をしたときの皆様のお顔を見て、改めて私は、リヒト様こそ王にいただくに相応しいと確信しました」
「何故かね? ローズ嬢」
「――皆様、私がリヒト様を否定した時に、一様に顔が曇られました。そしてリヒト様が表情を明るくされた時は、ほっとしたような顔をなされた」
「?」
「お分かりになりませんか?」
ローズはいつもと変わらぬ表情《かお》で、リカルドに笑いかけた。
「大切に思う人間が傷つけられれば、誰もが怒りを抱くもの。私の言葉で、もしリヒト様を擁護しようと思われたなら、私はその心こそ本心で、だからこそ私は、リヒト様は王に相応しい資質を持ち合わせていらっしゃると考えます」
『水晶の王国の金剛石』――ローズがそう呼ばれるようになったのは、彼女がいついかなる場合においても、相手においても、変わらぬ気品を保ち続けてきたからだ。
立場が上の相手にも、決して彼女は遅れを取らない。
美しい赤い瞳を宝石のように輝せて、ローズはその場にいた人間の心を掌握する。
「『王の資質』を問うために、私が最後の一人に選ばれたというならば、私は申し上げましょう。人に愛される才能は、紛れもなく、『王の資質』であると」
その声は、静かなその空間に、確かな熱を持って響く。
リヒトが最も得意とするのは光魔法だ。
千年前からあるとされる『光の祭典』。
そしてその力もあって、彼はリヒトと名付けられた。
それは、王とは最も遠い力。
誰かの幸福を、力になりたいと祈る心だけでは、彼一人だけでは、世界は動かせない。
だからこそリヒトは、その魔力の低さからずっと、王には不適格であるとされてきた。
でも、本当に?
彼の祈りは、願いは届かないのか?
相手を思い、慈しむ。
その心が、誰かを守る力になるなら、そのとき祈りは、自分だけのものではなく、誰かに影響を与える力になる。
そしてその影響は、魔法という『世界への影響』だけでなく、きっと人の心にも。
光属性の適性。
それは人の心に温かな感情を呼び起こす、素質を持つ者の証だ。
外交・学問・軍・民。
それぞれの立場で語られた王の資質。
ローズは予感していた。
ベアトリーチェと自分はどこか似ているところがある。だからきっとベアトリーチェはリヒトを選び、自分と同じ理由を述べることも。
けれどローズがリヒトを選ぶ言葉は、ベアトリーチェと同じであってはならない。
それ故にローズは考えたのだ。
自分の選択は、この場に居る全ての者に、改めて問う形にしようと。
そしてこの作戦が成功した暁には――。
ローズの『一票』は、何よりも重いものとなる。
「……っ!」
ローズの言葉の意味を理解して、その場にいた者は一様に息をのんだ。
口に出さなかった本心を、不意に突かれたような気がして。
そんな中、ローズとベアトリーチェの二人だけが、静かに笑みを浮かべていた。
ローズはいつだって、人に厳しい。
それは彼女の短所だ。けれど今、この時だけは、彼女の短所はリヒトを引き立てる力を持つ唯一のものだった。
ベアトリーチェもローズも、厳しさを併せ持つ。
しんと静まりかえり、誰もが声を発せぬ中、ベアトリーチェはレオンに尋ねた。
「レオン様。私たちは、リヒト様を王に望みます。でもそれは――本当は、貴方も同じではないのですか?」
ベアトリーチェの問いに、レオンは沈黙の後、静かに瞳を閉じた。
リカルドは自ら扉を開いたリヒトを見て、静かに目を伏せた。
「レオン・クリスタロス。そしてリヒト・クリスタロス。どちらが次期国王に相応しいのか、今日この場で決めようと思う」
ロイ、ロゼリア、エミリー。そしてローゼンティッヒやベアトリーチェ、ギルバート。
扉の向こうには、これまでリヒトが出会った者たちがいた。
「王として、国の危機に私情を優先させる人間を信頼出来ない。俺はレオン王子を王には相応しいと思う」
これまで、レオンよりリヒトに関心を示してきたロイは、『王』としての意見を述べた。
「学院は、二人に同等の資格があることを認めています」
幼等部の教師であるエミリーは、学院を代表して二人に平等な評価を下した。
「騎士は国を守る者。最後まで前線で戦われていたレオン様、そして仲間を守ってくださったリヒト様にも、私は等しく資格はあると思います」
騎士団長であるユーリは言った。
「民は――私は、貴方を望みます。リヒト様」
四人目となるベアトリーチェは、ローズを一瞥してから言った。
「最後に――ローズ・クロサイト公爵令嬢」
ここまででは引き分けだ。
リカルドの声に、ローズに視線が集まる。
ローズがどちらを選ぶかで、次のクリスタロスの王が決まる。
「魔王を倒した『聖剣の守護者』、そしてこの国で最も強い魔力を持つ君に、私は判断を委ねたい」
「かしこまりました」
ローズは静かに頷いた。
「正直なところを申し上げますと、私はリヒト様もレオン様も、陛下のあとを継がれるには不適格だと考えております。魔力も、国を担うべき立場としての在り方も、相応しいとはとても言えない 」
自国の王と王子を前に、ローズははっきり言った。
「リヒト様は公衆の面前で私をに婚約破棄を言い渡されますし」
「うっ」
「レオン様はいつも飄々とされて何を考えていらっしゃるかわからないですし」
「……」
「正直、どちらの方が王になられても、問題はあるように感じています」
ローズの言葉を、誰も否定はしなかった。
「ただ力も先見の明もお持ちでも、当時騎士団長という地位にありながら、レオン様が倒れられていた時、国家の危機だというのに恋人を優先して国を去ったローゼンティッヒ様が相応しいとも思えません」
ローズの言葉に、ローゼンティッヒは薄く笑った。
ユーリはベアトリーチェの了解を得てグラナトゥムに赴いた。
レオンはそんなユーリのことを否定したが、騎士団での地位を捨てた後とはいえ、『国家の危機に国を空ける』それをしでかしたのは、ローゼンティッヒが先である。
「立場あるものには責任が伴う。そしてこのことから、私を助けに来たリヒト様は、王位を継ぐに相応しくない」
ローズは相変わらず、自分にもだが他人にも厳しかった。
自分を助けた恩人でもあるリヒトを、あっさり不適格だと言ってのけたローズを見て、レオンを望んだはずのロイの表情が僅かに曇る。
「国を守るには力が必要です。そしてこの世界では、魔力が高い者こそ王位に相応しいとされる。婚姻の際の決闘も、優秀な血を残すためのもの。そんな世界で、魔法が使えない人間は、王に相応しくないとみなされてもおかしくはない」
ローズの言葉を、リカルドは肯定も否定もしなかった。
リカルドだって、リヒトの努力は知っている。そして自分が否定し続けた彼の才能が、外の世界では評価されたことも。
魔力だけが全てじゃない。
リヒトのその努力や賞賛を側で見ていながら、公の場でリヒトを否定したローズに、リカルドは顔を顰めた。
「ユーリ。貴方は昔から本当に、何かとリヒト様に甘すぎます。私を助けたから? アルフレッドを、騎士団の仲間を助けたから? そんな理由で、騎士団長である貴方が、冷静な判断を下せずしてどうします。国を守る騎士ならば、個人の為に動く人間を、ましてやその人間が未来の王と望むなら、諫めることはあっても許してはなりません。リヒト様はただ、王族には相応しくない振る舞いをされただけ。自分勝手に行動されただけです」
ユーリは、リヒト本人には『嫌い』といったことがあるにもかかわらず、その原因であるローズからリヒトへの甘さを指摘されて口ごもった。
騎士団長としていたらない。
年下の少女であるローズに、ついでのように叱られて――でもそれ以上に、ユーリはローズがリヒトを否定したことを悔しく思った。
ユーリは知っている。
十年前、目の前でローズを奪われたからこそ――ローズが初めて婚約した時に、リヒトがローズを思って口にした言葉を。
自分だって辛い時に、彼に支えられたからこそ婚約を受け入れたのではないのか。
確かに自分は甘いと言われても仕方は無い。でもだからといって、ローズの言葉はひどすぎる。
「ビーチェ様。一つ、質問をしてもよろしいでしょうか?」
ローズの言葉に、ベアトリーチェは頷いた。
「貴方が、リヒト様を選ばれたのはどうしてですか? 貴方は元平民で、貴族の養子となられた方。騎士団の副団長を務められ、将来は伯爵位を継がれることでしょう。誰よりも民に近いとされる方。その意味で、陛下が貴方をお選びになったことは理解出来ます。しかし貴方は元々、レオン様を戴くことを望まれていた筈。何故今になって、リヒト様の側につかれようなどと思われたのですか?」
「――そうですね。確かに、私はずっとレオン様を王にと望んでいました」
ローズの問いに、ベアトリーチェはにこりと笑った。
「リヒト様には魔力がほとんど無いですし」
「うっ」
「自分の意思で後先考えずに行動しては失敗されますし」
「ううっ」
「正直、いろいろ頼りないなあと思う要素は、非常に満載な方なんですが」
ローズ同様、ベアトリーチェに欠点を指摘され、リヒトは蹲った。
リヒトは心が痛くて泣きそうだった。
「あと、これくらいの叱責、事実を並べられただけで感情を表に出されるところも、王族というより貴族に向かれていないなあとも思うんですが……」
王族どころか貴族にすら向いていない。
ベアトリーチェの言葉に、誰もが心の中で頷いた。
「でも」
ベアトリーチェは、蹲るリヒトに、自らの手を差し出した。
リヒトは目を瞬かせた。
リヒトには、ベアトリーチェの行動の意味がわからなかった。
差し出された手を掴めば、小さな体の割に強い力で引っ張って、ベアトリーチェはリヒトを立ち上がらせた。
「ベアトリーチェ……?」
「――『嬉しかった』、から」
「え……?」
「精霊病を作った彼に対して、思うところがあるのは事実です。ただ、それでも……。私の弟を救ってくださったことも、私と同じ境遇の人間に、寄り添うおうとしてくだったことも。貴方のその優しさが、私は嬉しかったから」
「優し、さ……?」
「ええ、そうです。貴方は、私の知る誰よりも、優しい方だ。優しさというものは本来、余裕から生まれるものなのです。人に分け与えるだけの心の余裕があるから、人は本来優しく在れる。貴方のように、自分もつらい立場だというのに、人の痛みに寄り添おうとし、無力さを嘆きながらも、長い時間努力を重ねることは、とても難しいことだと私は考えています。でも貴方は、ずっとそうあろうとされてきた。確かに難しいこともあったでしょう。けれど貴方のこれまでの努力は、確かに実を結んだ。結果論ではあります。貴方は未熟で、きっとこれからも、失敗なさることは多いだろうと思います。……でも、私は」
ベアトリーチェは、リヒトに向かって微笑んだ。
「誰よりも人を思う貴方を、支えたいと思ったから」
「ベアトリーチェ……」
「だから私は、貴方を選ぶことにしたんです。貴方の、貴方の心に眠る――未来の『可能性』にかけて」
「可能性……?」
「ええ、そうです。――リヒト様。貴方には、可能性がある。貴方自身が気付かれていない、貴方だけの魅力が」
リヒトは自分の胸に手を当てた。嬉しくて、心臓がどきどきする。
「まあ、頼りないのは事実なんですけどね」
「あ……上げて落とすなよ!」
「あははははは! そうやって怒られるところも、私は、貴方の長所だと思いますよ」
「い、意味が分からん……」
笑うベアトリーチェを前に、リヒトは照れくさそうに少しだけ顔を赤くして、それを隠すように右手で顔を隠していた。
「ビーチェ様。リヒト様をからかうのはおやめください。お気持ちは分かりますが」
「そうですね。今はこれで我慢します」
リヒトをからかうベアトリーチェとローズの息はぴったりだった。
「今はってなんだ。今はって……」
リヒトは、二人を見て恨めしそうに呟いた。
ローズは、そんな彼の表情を見て柔らかな笑みを浮かべた。
「人は誰かに信じられてこそ、前を向いて歩いていける。もし、どんなに努力を重ねてもそれを認められないとしたら――それでも俯かず、誰かを否定せずに努力することは、どれほど大変なことでしょう? 魔法が上手く使えないということで悩んだことのない私はきっと、リヒト様のお気持ちは分からない。この国の多くの民は、魔法を使うことができません。だからこそ王の座につくものは、魔力を持つ者が望ましいとされる。人の上に立つ者が一番大切なことは、強い魔力を持ち、それを扱えるようになることである――私は、ずっとそう教えられて生きてきました」
ローズの話は、今のこの世界の価値観だ。
「けれど気付いたのです。魔王を倒せないと思った時、本当に苦しい時に、私の頭の中に浮かんだのは、お兄様、ミリア――私にとってかけがえのない、身近な人の顔でした。 その姿が頭に浮かんだ時に、私は帰りたい――いえ、帰らなければならないと思いました。そして『強い魔力を持つ自分には何でも出来る、全てを変えられる』そう思っていたはずの私は、強敵を前に、あまりに無力でした。その時私は、漸く己の弱さに気がつきました」
ローズは胸に手を当てた。
「人は、誰もが心に弱さを抱える。どんなに強い魔力を持っていたとしても、それがかわることはない。 私はずっと、誰かの弱さを受け入れることが出来なかった。自分が出来ることは、当然他の人も出来るものだと、出来ないのは努力が足りないせいなのだと、どこかでそう思っていました。……だから、『光の聖女』として違う世界から来たアカリが出来ないこと、わからないことを認めることが、あの頃の私には出来なかった。それはきっと傲慢で、 人を守るべき、上に立つ人間としては不適格だったと、責められても文句は言えない。でも――でも、こうも思うのです。人は誰もが、いつも正しいばかりでいることは出来ない。今回のこともそうです。私の弱さが、沢山の人を危険にさらしてしまった。そんな私を助けに来られたせいで、リヒト様は王として認められるために、これまで積み重ねてこられた努力を否定されることになってしまった。この状況は自分のせいだと、私はリヒト様が目覚められるまでの間、ずっと自分を責めていました。リヒト様は私のせいで、信頼を失った。側で努力されてきた姿を知っているからこそ、私はリヒト様から多くのものを奪ってしまった自分を責めていました。――でも、リヒト様は」
ローズは、リカルドではなくリヒトを見つめて言った。
「私の責任ではないと、そう仰った」
リヒトは、ローズが何を言いたいのか分からず目を瞬かせた。
まさかこの場で、彼女がその話をするなんて、欠片も思ってはいなかったから。
「アルフレッドの時も、そうです。誰かの罪を代わりに背負うことが、王の資質であるかと言えば、私にはまだ、その答えを出すだけの確かな考えはありません。人の心は難しい。でもただ私も、その言葉が『嬉しかった』。そしてその時、確かにこう思ったんです。この方の作る国を、見てみたいと」
熱のこもったローズの声は、紛れもなく本心だと、周りに思わせるには十分だった。
「確証なんてない。でも、リヒト様なら。皆が笑える国を作ってくださると、そんなふうに思うんです。夢物語のようだと笑われるかもしれない。ええ、それは分かっています。でも、いつの世も――……世界は、人で作られる」
ローズはリヒトに微笑んだ。
「だから私も信じています。リヒト様の可能性を」
「ローズ……」
ずっと背ばかり追ってきた幼馴染の言葉に、リヒトは胸をおさえた。
王に選ばれる、選ばれないなんて関係ない。
ただ彼女の言葉が、リヒトにはただ嬉しくてたまらなかった。もしたとえ、今魔法を使えない自分が、最後は選ばれないとしても。
リヒトの顔に赤みがさしたのを見て、リカルドとレオン、ロイとユーリに、一瞬安堵の色が宿る。
だがそれは一瞬で、リカルドは自分を見上げるローズを見て、コホンと息を吐いていつものように目を細めた。
「それでは君は、それを理由にリヒトを選ぶというのかね?」
ローズに向けるリカルドの声は厳しかった。
しかしローズは、たとえ相手が一国の王が相手でも、揺らぐことはなかった。
ローズ・クロサイトは自分の意思を貫く。
「いいえ。これは私の意志であり、私は個人の思いで、票を投じようとは思っておりません」
「……どういうことかね?」
「これまでの私の言葉は、全て私の思いです。ただ私は、この話をしたときの皆様のお顔を見て、改めて私は、リヒト様こそ王にいただくに相応しいと確信しました」
「何故かね? ローズ嬢」
「――皆様、私がリヒト様を否定した時に、一様に顔が曇られました。そしてリヒト様が表情を明るくされた時は、ほっとしたような顔をなされた」
「?」
「お分かりになりませんか?」
ローズはいつもと変わらぬ表情《かお》で、リカルドに笑いかけた。
「大切に思う人間が傷つけられれば、誰もが怒りを抱くもの。私の言葉で、もしリヒト様を擁護しようと思われたなら、私はその心こそ本心で、だからこそ私は、リヒト様は王に相応しい資質を持ち合わせていらっしゃると考えます」
『水晶の王国の金剛石』――ローズがそう呼ばれるようになったのは、彼女がいついかなる場合においても、相手においても、変わらぬ気品を保ち続けてきたからだ。
立場が上の相手にも、決して彼女は遅れを取らない。
美しい赤い瞳を宝石のように輝せて、ローズはその場にいた人間の心を掌握する。
「『王の資質』を問うために、私が最後の一人に選ばれたというならば、私は申し上げましょう。人に愛される才能は、紛れもなく、『王の資質』であると」
その声は、静かなその空間に、確かな熱を持って響く。
リヒトが最も得意とするのは光魔法だ。
千年前からあるとされる『光の祭典』。
そしてその力もあって、彼はリヒトと名付けられた。
それは、王とは最も遠い力。
誰かの幸福を、力になりたいと祈る心だけでは、彼一人だけでは、世界は動かせない。
だからこそリヒトは、その魔力の低さからずっと、王には不適格であるとされてきた。
でも、本当に?
彼の祈りは、願いは届かないのか?
相手を思い、慈しむ。
その心が、誰かを守る力になるなら、そのとき祈りは、自分だけのものではなく、誰かに影響を与える力になる。
そしてその影響は、魔法という『世界への影響』だけでなく、きっと人の心にも。
光属性の適性。
それは人の心に温かな感情を呼び起こす、素質を持つ者の証だ。
外交・学問・軍・民。
それぞれの立場で語られた王の資質。
ローズは予感していた。
ベアトリーチェと自分はどこか似ているところがある。だからきっとベアトリーチェはリヒトを選び、自分と同じ理由を述べることも。
けれどローズがリヒトを選ぶ言葉は、ベアトリーチェと同じであってはならない。
それ故にローズは考えたのだ。
自分の選択は、この場に居る全ての者に、改めて問う形にしようと。
そしてこの作戦が成功した暁には――。
ローズの『一票』は、何よりも重いものとなる。
「……っ!」
ローズの言葉の意味を理解して、その場にいた者は一様に息をのんだ。
口に出さなかった本心を、不意に突かれたような気がして。
そんな中、ローズとベアトリーチェの二人だけが、静かに笑みを浮かべていた。
ローズはいつだって、人に厳しい。
それは彼女の短所だ。けれど今、この時だけは、彼女の短所はリヒトを引き立てる力を持つ唯一のものだった。
ベアトリーチェもローズも、厳しさを併せ持つ。
しんと静まりかえり、誰もが声を発せぬ中、ベアトリーチェはレオンに尋ねた。
「レオン様。私たちは、リヒト様を王に望みます。でもそれは――本当は、貴方も同じではないのですか?」
ベアトリーチェの問いに、レオンは沈黙の後、静かに瞳を閉じた。