高校二年生、友人関係に勉強、部活。目まぐるしく回っていく世界にただただ疲れていた。
「未奈、夕飯出来たわよ」
「要らない」
「ちゃんと食べないと身体を壊して……」
「うるさい!要らないって言ってるでしょ!」
学校の中でだけ気を遣って、家族に当たって、健康的に暮らさないそんな生活を送っていた。
そんなある日の塾のこと。授業が丁度終わった時だった。
「吉岡さん、次回の授業についてだけど……吉岡さん?」
塾の先生の声が段々と遠くなっていく。
「吉岡さん!」
私は気づいたら倒れていた。
目を開けると、真っ白な天井。
「……奈!未奈!」
声の方向に目を向けると、涙になっている両親が立っている。
「良かった!目が覚めて……すぐに先生を読んでくるから……!」
パタパタと忙しそうにしている両親と看護師さん。ああ、私、倒れたんだ……自分のことなのに、どこか自分のことじゃないようだった。
その後は病院の先生にちゃんと食事と睡眠を取れと優しい口調で怒られ、両親にも泣きながら怒られた。
それでも、やっぱりどこか他人事のように感じる。それは、普段とは違う場所だからだろうか。
「じゃあ、一応今日だけ入院していってね。明日検査をして何もなければ、帰ってもいいから」
病院の先生の言葉に私は小さく頷き、お礼を言う。それから、入院出来る部屋のベッドに移動した。両親は「また明日来るから」と心配そうな顔で帰っていった。
カーテンに囲まれた静かなベッドに一人、どこか今までとは時間の流れが違うのではないかと思うほどゆっくりとした時間に感じた。
「ねぇ」
っ!?
突然、カーテンの向こうから声をかけられて私は飛び上がりそうになる。
しかし、よく考えればカーテンの向こうには他のベッドがある。つまり、他に患者さんがいてもおかしくないわけで。
「……何ですか……?」
今は音は立てていないはずだが、先ほどの両親との話し声がうるさかっただろうかと心配していると、その人は無遠慮に質問してきた。
「君はなんで病院に運ばれたの?」
「え……?」
そんなことを知らない人に言いたくない。声の感じからして若い男の人なのは分かったが、それでも全く知らない人である。
私は返事をしないで黙っていると、その人はまた話し始めた。
「俺は古賀 朝斗。俺も暇だから、少しだけ話さね?」
「俺も」という言葉が引っかかる。勝手に私まで暇なことにしないでほしかったが、確かに今はすることがない。本当は休むために寝るべきだろうが、そんなにすぐには寝られない。
それでも、こんな場所で話したら他の患者さんに迷惑になってしまう。
「他の患者さんに迷惑になってしまうので……すみません」
知らない人と話したくないと直接言いにくかった私は、その理由だけ伝える。
「この部屋、君が来るまで俺一人だったから。元々もう一人いたんだけど、昨日退院したから」
「そうですか……」
どうしよう……正直、あんまり話したくない。怖くないと言ったら嘘になる。
すると、私のそんな気持ちを察したのか、その人は自分のことを話し始めた。
「俺、南陽野下高校。今、高二。まぁ、高一の時から病気になってほとんど通えてねぇけど」
南陽野下高校と言えば、この辺りで一番大きな高校である。高校名を聞いて少し安心した私は、少しだけ会話に参加する。
「そうなんだ……私も高二で……」
言ってしまった後に知らない人に学年を明かさない方が良かったかなと思ったが、高校名も言っていないので大丈夫だろうと思い直した。
「俺、中学の時からずっとサッカー部だったんだけど、病気になってから出来なくてさ。サッカー部の友達が元気に運動出来るのが羨ましくて、なんか悔しくてあんまり見てられなくて……自分から距離を置いてたら、気づいたら友達もお見舞いに来なくなってた。だから、久しぶりに誰かと話したくなったんだよね」
その人の声は本当に高校二年生くらいの声に聞こえて、今の言葉も嘘をついているように聞こえなかった私は段々警戒心が薄れていた。
「なぁ、さっきの君と両親の会話少しだけ聞こえちゃったんだけど、君は明日には退院出来るの?」
「うん」
「そっか、良かったな。それと実はさっき君の両親が『未奈』って呼んでるのも聞こえちゃって、『君』って呼ぶの恥ずかしいから俺も『未奈』って呼んでいい?」
「うん……じゃあ、私も『古賀くん』って呼ぶね」
私がそう言うと、古賀くんは何故か少しだけ笑った。
「どうしたの?」
「いや、俺は下の名前で呼んでるのに朝斗じゃなくて、苗字の方で呼ぶの警戒心強いなって」
「あ、ごめん」
「いや、全然。未奈の両親の教育の賜物でしょ。警戒心なんてあった方がいいに決まってるし」
私はこんなにまだ他人行儀なのに、それでも古賀くんはすごく楽しそうで……本当に誰かと話したかったんだなという感じがして、どこか心が痛んだ。
「未奈のこと聞いても答えにくいだろうし、俺の話してもいい?」
「うん」
「うーん、何話そうかな……高校生だし得意科目とか?」
「得意科目くらい私だって話せるよ」
古賀くんの言葉につい私は笑ってしまった。
「まじ!?じゃあ、未奈の得意科目何?」
「うーん、数学?」
「げ!俺、一番苦手なんだけど!」
「古賀くんは何が一番得意なの?」
「前は体育だったけど、今は現文かな」
「現文かー。私は逆に文系科目が苦手だからなぁ」
「俺と真逆じゃん!」
「前は体育」、それはきっと古賀くんが病気になる前の話だろう。体育が好きで運動が得意な高校生が、病気で運動が出来なくなる。私には完全に気持ちを理解することは出来ないけれど、どれだけ苦しかったのだろう。
「未奈は明日、退院出来るかもってことは結構健康なんだろ?……あ、ごめん。踏み込みすぎたかな。なんか普通に心配になっちゃって。元気ならいいなって」
「全然大丈夫だよ。実際、元気だし」
「じゃあ、なんで入院?」
「あー……えっと、忙しくてちゃんと食事と睡眠を取らなくて……」
「は!?」
「え、どうしたの?」
「それは駄目だろ!健康以上に大切なものなんてないだろ!」
古賀くんが真剣にそう叫んだ。病気の古賀くんがどう思ってそう言ったのか、健康以上に大切なものはないとどんな気持ちで言ったのか想像すると苦しかった。
「ごめん……」
「あ、いや、俺も大きな声出してごめん。なんか病気になってから、健康がどれだけ大事か身に染みて分かってさ」
その言葉に私は何も言えなかった。学校でのストレスを家族に当たって、お母さんがせっかく作ってくれたご飯も食べない。
それでも、毎日勉強して、友達と話して、塾に行って、それだけで偉いと思っていた。
「俺もさ、病気になる前は当たり前にサッカーして、当たり前にカップ麺とか食って、当たり前に夜更かしとかしてた。でも、実際はそれすら幸せだったんだなーって今は思うんだ」
古賀くんはどこか昔の自分を嘲笑するようだった。
「あーあ、昔に戻れるならもっと人生楽しんだのにな」
古賀くんのその小さな呟きに私はつい思ったことを言ってしまった。
「昔は人生楽しんでなかったの?……あ、いや、悪い意味じゃなくてね。昔は昔で楽しんでたなら、今、後悔するのは勿体無いんじゃないかなって」
「……」
「古賀くん?」
「いや、その通りだなって。なんか胸が軽くなったわ」
私なんかの言葉で、古賀くんの気持ちを軽くしてあげられたのだろうか。
「俺さ、なんか本当にサッカーが好きだったんだよ。それさえあれば、もう何もなくていいってくらい。でもその世界の全てがなくなったら、どうしたらいいか分からなくてさ。もっと色んなことしておけば良かったなって、今になって思う」
古賀くんの言葉に私はキュゥっと胸が痛んだ。
「……私ね、勉強が嫌いなの。勉強も嫌いだし、友達に気を遣うのも疲れるし、部活もバレー部だけどしんどくて辞めたい時もある。それでも、全部全力でやってるつもり。でも、どれが私の世界の全てだって聞かれたら答えられない」
「普通はそうだよな」
「うん。だから、古賀くんはもっと自分を誇っていいと思う……!世界の全てだと思えるものに出会えて、最高に楽しんで、それだけで十分だと思う。それに今から新しいことを探したっていいんだし」
古賀くんは私の言葉にしばらく何も言わなかった。少しだけ沈黙が続いて、古賀くんは口を開いた。
「俺さ、さっき未奈は警戒心が強くて、両親の教育がすげぇって言ったじゃん。あれ、間違ってたわ」
「え……?」
「普通に未奈の人間性が出来すぎてるわ。尊敬する」
古賀くんの素直な言葉に心臓が速くなったのが分かった。
「あはは、何それ。照れるんだけど」
つい笑って誤魔化した私に古賀くんは「いや、本当に」と真剣に返してくれる。
「元気出た。ありがと」
古賀くんに素直にお礼を言われ、顔に熱が集まっていくのを感じた。こんなに素直にお礼を言われることなんてないので、どこか恥ずかしい。
「未奈」
「ん?」
「未奈、本当ありがと」
「もう分かったってば」
何度もお礼を言う古賀くんに私は明るく言葉を返す。
しかし、その後から古賀くんの返事がない。
「古賀くん?」
やはり、返事がなくて何処か胸がザワザワする。
「古賀くん……!返事して……!」
私のその言葉にも返事がなかったので、私は慌ててカーテンを開けた。すると、古賀くんが胸を苦しそうに抑えている。
私が慌ててナースコールを押そうとすると古賀くんに腕を掴まれた。しかし、古賀くんは上手く手に力を入れられていないようで全然痛くない。すると、古賀くんがやっと口を開いた。
「未奈、大丈夫だから……よくあるやつだし……」
そう言って、私にナースコールを押させようとしない。私はつい大きな声で怒鳴ってしまった。
「よくあるやつか私には判断出来ない!私がやばいと思ったから、ナースコールを押すの!」
私はそう言って、ナースコールを押した。看護師さんがすぐに走ってくる。
「何かありましたか……!?」
「古賀くんが苦しそうで……!」
私が状況を説明すると看護師さんがすぐに古賀くんに近寄り、容態を確認する。そして、先生を呼んできて古賀くんが落ち着くまでそばにいてくれる。
すると、看護師さんがそっと私に近づいて来る。
「吉岡さん、ナースコールを押してくれてありがとうね。古賀くんはすぐに無理しちゃう子だから……」
「いえ、私も楽しくて沢山話しちゃったのが良くなかったです」
「……古賀くんと話していたの?」
何故か不思議そうに私の顔を見ている看護師さんに私は頷いた。
「そう、ありがとうね。古賀くんはあんまり素を見せないし、警戒心が強い子だから心配してたの。吉岡さんと気が合ったみたいで良かったわ」
看護師さんの言葉を私はすぐに理解出来なかった。だって、古賀くんは見知らぬ私に気軽に話しかけてきたし、警戒心強いとは思えなかった。
古賀くんが落ち着くと、看護師さんと先生が帰っていく。
「また何かあったらすぐに呼んでね」
看護師さんの言葉に私は「はい」と返事をして、お礼を言った。
私達は、また病室に二人きりになった。
「未奈。看護師さん呼んでくれてありがと」
「ううん。こっちこそ大声出してごめん」
「大丈夫。俺が無理したのが悪いんだし」
その時、お互いに初めてしっかりと顔を見た。古賀くんはまさにサッカー部の高校生という感じの短髪の男子だった。
「ねぇ、古賀くん。古賀くんって、警戒心強いの?」
「……?何で?」
「さっき、看護師さんが言ってた。初めましての人に急に話しかけるタイプじゃないって」
「ああ、確かに。普通だったら、話しかけてなかったかも」
「なんで、話しかけてくれたの?」
「なんか隣で両親に話しかけられても、全然返事しなくて反抗期真っ最中のやつが来たと思ってたんだけど、未奈の両親が『また明日来るから』って言った時に、小さく『ありがと』って聞こえたんだよね。ああ、こいつただの素直じゃない良いやつだって思ってさ」
「それ褒めてるの……!?」
「あはは、褒めてる褒めてる。俺、人を見る目には自信あるから」
「嘘つけ!」
私達はいつの間にか軽口を叩ける仲になっていた。それが何処か楽しくて、古賀くんに話しかけられる前は時間があまりにゆっくりに感じたのに、いつの間にかもう消灯の時間になっていた。
病院内の電気が消えていく。
「じゃあ、私そろそろ寝るね」
「ああ、おやすみ」
「絶対、無理しちゃ駄目だからね!」
「未奈もな」
私は自分のベッドに戻り、カーテンを閉める。
「未奈」
カーテンを閉めた後に、古賀くんにもう一度呼ばれる。
「ん?どうしたの?早く寝ないと看護師さんに怒られるよ」
「分かってる。ただこれだけ言いたくて」
「何?」
「俺、本当に人を見る目はあるから。じゃあ、おやすみ」
その言葉に何処か胸が高鳴ったのが分かった。
私はきっと明日には退院する。それに明日は検査で終わる。古賀くんとちゃんと話せるのはきっと今日だけだろう。でも、それは嫌だから。
きっと明日から少しだけ変わることがある。
ちゃんと食事を取って、ちゃんと寝て、無理をしない。
両親とちゃんと向き合う。
それから……
サッカーについて少しだけ調べて、お見舞いに行こう。
fin.
「未奈、夕飯出来たわよ」
「要らない」
「ちゃんと食べないと身体を壊して……」
「うるさい!要らないって言ってるでしょ!」
学校の中でだけ気を遣って、家族に当たって、健康的に暮らさないそんな生活を送っていた。
そんなある日の塾のこと。授業が丁度終わった時だった。
「吉岡さん、次回の授業についてだけど……吉岡さん?」
塾の先生の声が段々と遠くなっていく。
「吉岡さん!」
私は気づいたら倒れていた。
目を開けると、真っ白な天井。
「……奈!未奈!」
声の方向に目を向けると、涙になっている両親が立っている。
「良かった!目が覚めて……すぐに先生を読んでくるから……!」
パタパタと忙しそうにしている両親と看護師さん。ああ、私、倒れたんだ……自分のことなのに、どこか自分のことじゃないようだった。
その後は病院の先生にちゃんと食事と睡眠を取れと優しい口調で怒られ、両親にも泣きながら怒られた。
それでも、やっぱりどこか他人事のように感じる。それは、普段とは違う場所だからだろうか。
「じゃあ、一応今日だけ入院していってね。明日検査をして何もなければ、帰ってもいいから」
病院の先生の言葉に私は小さく頷き、お礼を言う。それから、入院出来る部屋のベッドに移動した。両親は「また明日来るから」と心配そうな顔で帰っていった。
カーテンに囲まれた静かなベッドに一人、どこか今までとは時間の流れが違うのではないかと思うほどゆっくりとした時間に感じた。
「ねぇ」
っ!?
突然、カーテンの向こうから声をかけられて私は飛び上がりそうになる。
しかし、よく考えればカーテンの向こうには他のベッドがある。つまり、他に患者さんがいてもおかしくないわけで。
「……何ですか……?」
今は音は立てていないはずだが、先ほどの両親との話し声がうるさかっただろうかと心配していると、その人は無遠慮に質問してきた。
「君はなんで病院に運ばれたの?」
「え……?」
そんなことを知らない人に言いたくない。声の感じからして若い男の人なのは分かったが、それでも全く知らない人である。
私は返事をしないで黙っていると、その人はまた話し始めた。
「俺は古賀 朝斗。俺も暇だから、少しだけ話さね?」
「俺も」という言葉が引っかかる。勝手に私まで暇なことにしないでほしかったが、確かに今はすることがない。本当は休むために寝るべきだろうが、そんなにすぐには寝られない。
それでも、こんな場所で話したら他の患者さんに迷惑になってしまう。
「他の患者さんに迷惑になってしまうので……すみません」
知らない人と話したくないと直接言いにくかった私は、その理由だけ伝える。
「この部屋、君が来るまで俺一人だったから。元々もう一人いたんだけど、昨日退院したから」
「そうですか……」
どうしよう……正直、あんまり話したくない。怖くないと言ったら嘘になる。
すると、私のそんな気持ちを察したのか、その人は自分のことを話し始めた。
「俺、南陽野下高校。今、高二。まぁ、高一の時から病気になってほとんど通えてねぇけど」
南陽野下高校と言えば、この辺りで一番大きな高校である。高校名を聞いて少し安心した私は、少しだけ会話に参加する。
「そうなんだ……私も高二で……」
言ってしまった後に知らない人に学年を明かさない方が良かったかなと思ったが、高校名も言っていないので大丈夫だろうと思い直した。
「俺、中学の時からずっとサッカー部だったんだけど、病気になってから出来なくてさ。サッカー部の友達が元気に運動出来るのが羨ましくて、なんか悔しくてあんまり見てられなくて……自分から距離を置いてたら、気づいたら友達もお見舞いに来なくなってた。だから、久しぶりに誰かと話したくなったんだよね」
その人の声は本当に高校二年生くらいの声に聞こえて、今の言葉も嘘をついているように聞こえなかった私は段々警戒心が薄れていた。
「なぁ、さっきの君と両親の会話少しだけ聞こえちゃったんだけど、君は明日には退院出来るの?」
「うん」
「そっか、良かったな。それと実はさっき君の両親が『未奈』って呼んでるのも聞こえちゃって、『君』って呼ぶの恥ずかしいから俺も『未奈』って呼んでいい?」
「うん……じゃあ、私も『古賀くん』って呼ぶね」
私がそう言うと、古賀くんは何故か少しだけ笑った。
「どうしたの?」
「いや、俺は下の名前で呼んでるのに朝斗じゃなくて、苗字の方で呼ぶの警戒心強いなって」
「あ、ごめん」
「いや、全然。未奈の両親の教育の賜物でしょ。警戒心なんてあった方がいいに決まってるし」
私はこんなにまだ他人行儀なのに、それでも古賀くんはすごく楽しそうで……本当に誰かと話したかったんだなという感じがして、どこか心が痛んだ。
「未奈のこと聞いても答えにくいだろうし、俺の話してもいい?」
「うん」
「うーん、何話そうかな……高校生だし得意科目とか?」
「得意科目くらい私だって話せるよ」
古賀くんの言葉につい私は笑ってしまった。
「まじ!?じゃあ、未奈の得意科目何?」
「うーん、数学?」
「げ!俺、一番苦手なんだけど!」
「古賀くんは何が一番得意なの?」
「前は体育だったけど、今は現文かな」
「現文かー。私は逆に文系科目が苦手だからなぁ」
「俺と真逆じゃん!」
「前は体育」、それはきっと古賀くんが病気になる前の話だろう。体育が好きで運動が得意な高校生が、病気で運動が出来なくなる。私には完全に気持ちを理解することは出来ないけれど、どれだけ苦しかったのだろう。
「未奈は明日、退院出来るかもってことは結構健康なんだろ?……あ、ごめん。踏み込みすぎたかな。なんか普通に心配になっちゃって。元気ならいいなって」
「全然大丈夫だよ。実際、元気だし」
「じゃあ、なんで入院?」
「あー……えっと、忙しくてちゃんと食事と睡眠を取らなくて……」
「は!?」
「え、どうしたの?」
「それは駄目だろ!健康以上に大切なものなんてないだろ!」
古賀くんが真剣にそう叫んだ。病気の古賀くんがどう思ってそう言ったのか、健康以上に大切なものはないとどんな気持ちで言ったのか想像すると苦しかった。
「ごめん……」
「あ、いや、俺も大きな声出してごめん。なんか病気になってから、健康がどれだけ大事か身に染みて分かってさ」
その言葉に私は何も言えなかった。学校でのストレスを家族に当たって、お母さんがせっかく作ってくれたご飯も食べない。
それでも、毎日勉強して、友達と話して、塾に行って、それだけで偉いと思っていた。
「俺もさ、病気になる前は当たり前にサッカーして、当たり前にカップ麺とか食って、当たり前に夜更かしとかしてた。でも、実際はそれすら幸せだったんだなーって今は思うんだ」
古賀くんはどこか昔の自分を嘲笑するようだった。
「あーあ、昔に戻れるならもっと人生楽しんだのにな」
古賀くんのその小さな呟きに私はつい思ったことを言ってしまった。
「昔は人生楽しんでなかったの?……あ、いや、悪い意味じゃなくてね。昔は昔で楽しんでたなら、今、後悔するのは勿体無いんじゃないかなって」
「……」
「古賀くん?」
「いや、その通りだなって。なんか胸が軽くなったわ」
私なんかの言葉で、古賀くんの気持ちを軽くしてあげられたのだろうか。
「俺さ、なんか本当にサッカーが好きだったんだよ。それさえあれば、もう何もなくていいってくらい。でもその世界の全てがなくなったら、どうしたらいいか分からなくてさ。もっと色んなことしておけば良かったなって、今になって思う」
古賀くんの言葉に私はキュゥっと胸が痛んだ。
「……私ね、勉強が嫌いなの。勉強も嫌いだし、友達に気を遣うのも疲れるし、部活もバレー部だけどしんどくて辞めたい時もある。それでも、全部全力でやってるつもり。でも、どれが私の世界の全てだって聞かれたら答えられない」
「普通はそうだよな」
「うん。だから、古賀くんはもっと自分を誇っていいと思う……!世界の全てだと思えるものに出会えて、最高に楽しんで、それだけで十分だと思う。それに今から新しいことを探したっていいんだし」
古賀くんは私の言葉にしばらく何も言わなかった。少しだけ沈黙が続いて、古賀くんは口を開いた。
「俺さ、さっき未奈は警戒心が強くて、両親の教育がすげぇって言ったじゃん。あれ、間違ってたわ」
「え……?」
「普通に未奈の人間性が出来すぎてるわ。尊敬する」
古賀くんの素直な言葉に心臓が速くなったのが分かった。
「あはは、何それ。照れるんだけど」
つい笑って誤魔化した私に古賀くんは「いや、本当に」と真剣に返してくれる。
「元気出た。ありがと」
古賀くんに素直にお礼を言われ、顔に熱が集まっていくのを感じた。こんなに素直にお礼を言われることなんてないので、どこか恥ずかしい。
「未奈」
「ん?」
「未奈、本当ありがと」
「もう分かったってば」
何度もお礼を言う古賀くんに私は明るく言葉を返す。
しかし、その後から古賀くんの返事がない。
「古賀くん?」
やはり、返事がなくて何処か胸がザワザワする。
「古賀くん……!返事して……!」
私のその言葉にも返事がなかったので、私は慌ててカーテンを開けた。すると、古賀くんが胸を苦しそうに抑えている。
私が慌ててナースコールを押そうとすると古賀くんに腕を掴まれた。しかし、古賀くんは上手く手に力を入れられていないようで全然痛くない。すると、古賀くんがやっと口を開いた。
「未奈、大丈夫だから……よくあるやつだし……」
そう言って、私にナースコールを押させようとしない。私はつい大きな声で怒鳴ってしまった。
「よくあるやつか私には判断出来ない!私がやばいと思ったから、ナースコールを押すの!」
私はそう言って、ナースコールを押した。看護師さんがすぐに走ってくる。
「何かありましたか……!?」
「古賀くんが苦しそうで……!」
私が状況を説明すると看護師さんがすぐに古賀くんに近寄り、容態を確認する。そして、先生を呼んできて古賀くんが落ち着くまでそばにいてくれる。
すると、看護師さんがそっと私に近づいて来る。
「吉岡さん、ナースコールを押してくれてありがとうね。古賀くんはすぐに無理しちゃう子だから……」
「いえ、私も楽しくて沢山話しちゃったのが良くなかったです」
「……古賀くんと話していたの?」
何故か不思議そうに私の顔を見ている看護師さんに私は頷いた。
「そう、ありがとうね。古賀くんはあんまり素を見せないし、警戒心が強い子だから心配してたの。吉岡さんと気が合ったみたいで良かったわ」
看護師さんの言葉を私はすぐに理解出来なかった。だって、古賀くんは見知らぬ私に気軽に話しかけてきたし、警戒心強いとは思えなかった。
古賀くんが落ち着くと、看護師さんと先生が帰っていく。
「また何かあったらすぐに呼んでね」
看護師さんの言葉に私は「はい」と返事をして、お礼を言った。
私達は、また病室に二人きりになった。
「未奈。看護師さん呼んでくれてありがと」
「ううん。こっちこそ大声出してごめん」
「大丈夫。俺が無理したのが悪いんだし」
その時、お互いに初めてしっかりと顔を見た。古賀くんはまさにサッカー部の高校生という感じの短髪の男子だった。
「ねぇ、古賀くん。古賀くんって、警戒心強いの?」
「……?何で?」
「さっき、看護師さんが言ってた。初めましての人に急に話しかけるタイプじゃないって」
「ああ、確かに。普通だったら、話しかけてなかったかも」
「なんで、話しかけてくれたの?」
「なんか隣で両親に話しかけられても、全然返事しなくて反抗期真っ最中のやつが来たと思ってたんだけど、未奈の両親が『また明日来るから』って言った時に、小さく『ありがと』って聞こえたんだよね。ああ、こいつただの素直じゃない良いやつだって思ってさ」
「それ褒めてるの……!?」
「あはは、褒めてる褒めてる。俺、人を見る目には自信あるから」
「嘘つけ!」
私達はいつの間にか軽口を叩ける仲になっていた。それが何処か楽しくて、古賀くんに話しかけられる前は時間があまりにゆっくりに感じたのに、いつの間にかもう消灯の時間になっていた。
病院内の電気が消えていく。
「じゃあ、私そろそろ寝るね」
「ああ、おやすみ」
「絶対、無理しちゃ駄目だからね!」
「未奈もな」
私は自分のベッドに戻り、カーテンを閉める。
「未奈」
カーテンを閉めた後に、古賀くんにもう一度呼ばれる。
「ん?どうしたの?早く寝ないと看護師さんに怒られるよ」
「分かってる。ただこれだけ言いたくて」
「何?」
「俺、本当に人を見る目はあるから。じゃあ、おやすみ」
その言葉に何処か胸が高鳴ったのが分かった。
私はきっと明日には退院する。それに明日は検査で終わる。古賀くんとちゃんと話せるのはきっと今日だけだろう。でも、それは嫌だから。
きっと明日から少しだけ変わることがある。
ちゃんと食事を取って、ちゃんと寝て、無理をしない。
両親とちゃんと向き合う。
それから……
サッカーについて少しだけ調べて、お見舞いに行こう。
fin.