バス停から更に歩くこと十分少々。
さすがに舗装されてない田舎の泥や小石の転がる道でスーツケースを押すとキャスターが壊れてしまうので、あらかじめリヤカーを持ってきてくれるよう頼んであった。
農作物用の収納ボックスや灯油缶を乗っけて押して進む、アルミ製の軽いやつだ。
リヤカーの隣を歩くばあちゃんを見る。
背は160に少し足りないくらい。この年代にしては高めだろう。
さすがにもう八十を過ぎた頭は真っ白だ。だが髪は俺が子供の頃から変わらず、後ろで品よく上品にまとめ髪にしてて、モンペ姿でも案外田舎臭さがない。
顔の色つやが良くて、皺も目尻や口元にあるぐらいで実際の歳より若く見える。
いつもご機嫌そうに微笑んでる、俺の自慢のばあちゃんだ。
そして平屋の日本家屋に到着すると「帰ってきたあああ!」な気分で一杯になる。
俺はここに両親と一緒に、小学校に入学する前まで住んでいたのだ。
かつて、亡くなったじいちゃんが建てた5LDKの家と倉庫。子供の頃の俺や従兄弟たちが遊んだ駐車場を兼ねた庭。
最後に来た学生時代から変わってない。変わったものといえば、じいちゃんが生きてた頃にはあった軽トラが駐車場にないことぐらいか。残されたばあちゃんは車の運転免許を持ってない。
夜行バスと電車を乗り継いできた俺は、それから少し居間で寝転がり休ませてもらって。
その間もばあちゃんは俺に茶を出した後で、畑に行って手入れや収穫をしていたようだ。
昼近くになると戻ってきて、おにぎりと味噌汁、煮物、漬物の簡単な昼飯を出してくれた。
「ユキちゃん、召し上がれ」
「いただきます!」
おにぎりは塩むすびだ。朝に炊いて握っておいてくれたんだろう。
もなか村の米は〝ささみやび〟といって、米そのものがめちゃくちゃ美味いこの地域の固有種だ。
はぐっと大きく一口頬張った。くう、これこれ、この口の中でほぐれる絶妙な握り具合と感触、旨み。塩加減はまさに神レベル。ばあちゃんはおにぎり名人なのだ。
最初のおにぎりの一口を堪能した後で、ずずずっと熱い味噌汁をすする。くう、染みる……!
味噌はばあちゃんの自家製。これは煮干しと昆布の合わせ出汁だな。顆粒のインスタントじゃなくて乾物から引いたやつだ。具は油揚げと大根の細切り。俺が子供の頃から大好きだった組み合わせだ。こんなところにばあちゃんの孫愛を感じて幸せな気分になる。
「ばあちゃん、美味い」
「そうけ?」
「うん」
煮物に箸を伸ばした。筍の土佐煮だ。濃口醤油とみりんや砂糖を加えて、かつお節と一緒に軽く煮たやつ。
そうか、もうちょっと早く来てたら筍掘りも一緒に行けたなぁ、なんて思いながら、俺は筍を噛み締めた。
甘辛く煮付けた筍は柔らかくてエグみもなく、上品なトウモロコシみたいな味がする。これは旬に朝イチで掘ってきて、すぐ茹でて瓶詰めしたやつだろう。もなか村ではそうして一年分を保存しておくのだ。
極めつけはキュウリの糠漬けだ。少し塩っぱいが絶妙な浸かり具合。ぱきぱきとした歯応えもさることながら、噛み締めると糠漬け特有のかすかな酸味と旨みが堪らない。
帰ってきた。もなか村に帰ってきた、とほんわかしながら地元の飯に喜んでる俺を、ばあちゃんは昔から変わらないニコニコ顔で見守っている。
「そろそろ根曲り竹の季節だで。後で山登って採ってくるから、夜はそんで味噌汁と煮物にしようねえ」
「俺も行く!」
「そっかあ。ばあちゃんの手伝いありがとう」
根曲り竹は姫竹とも呼ばれる鉛筆みたいに細長い筍だ。根っこが曲がっているから根曲り竹。
筍と違ってアク抜きなしで食えて、東京でも輸入ものの煮物がスーパーに並んでて食えるが、地元の採れたては別格といっていい。
昼の後は、じいちゃんの形見の作業着を借りて、日よけの帽子と軍手を嵌めて近くの山まで山菜採りに励んだ。
ここは天然の食用キノコが豊富に採れる。ばあちゃんは畑の農作物の他に、山の山菜を隣町の飲食店に卸してこの年でも細々収入を得ているのだ。
少し季節は早かったが、ブナカノカ――ブナハリタケとも呼ぶ白い甘い香りのキノコを見つけてガッツポーズしてしまった俺だ。これは煮物にすると最高のやつ!
背中に背負ったカゴ半分くらい山菜を採ったところで家に戻り、庭先で一緒にナイフで根曲り竹の皮を剥いたり、山菜の下処理をしたり。
「あー。懐かしいな。やり方まだ覚えてる」
「ユキちゃん、よくお手伝いしてくれたっけね」
「先っぽまできれいに剥けると嬉しくてさ」
根曲り竹は緑の皮が巻いた細い筍だ。今どきは専用のハサミもあるらしいが、ナイフで硬い根元を切り落としてから中身の筍本体に傷をつけないよう慎重に剥いていくのが楽しい。
上手く剥けると先っぽが尖ったきれいな細い筍が出てくる。剥いた皮はくるんとまた丸まって先が尖るので、子供の頃は指先に装着して遊んだものだった。
こいつはな、本当にな、一度自分で採ってきて剥いたやつを食うともう二度と輸入ものは食えなくなるぞ。美味い。
さすがに舗装されてない田舎の泥や小石の転がる道でスーツケースを押すとキャスターが壊れてしまうので、あらかじめリヤカーを持ってきてくれるよう頼んであった。
農作物用の収納ボックスや灯油缶を乗っけて押して進む、アルミ製の軽いやつだ。
リヤカーの隣を歩くばあちゃんを見る。
背は160に少し足りないくらい。この年代にしては高めだろう。
さすがにもう八十を過ぎた頭は真っ白だ。だが髪は俺が子供の頃から変わらず、後ろで品よく上品にまとめ髪にしてて、モンペ姿でも案外田舎臭さがない。
顔の色つやが良くて、皺も目尻や口元にあるぐらいで実際の歳より若く見える。
いつもご機嫌そうに微笑んでる、俺の自慢のばあちゃんだ。
そして平屋の日本家屋に到着すると「帰ってきたあああ!」な気分で一杯になる。
俺はここに両親と一緒に、小学校に入学する前まで住んでいたのだ。
かつて、亡くなったじいちゃんが建てた5LDKの家と倉庫。子供の頃の俺や従兄弟たちが遊んだ駐車場を兼ねた庭。
最後に来た学生時代から変わってない。変わったものといえば、じいちゃんが生きてた頃にはあった軽トラが駐車場にないことぐらいか。残されたばあちゃんは車の運転免許を持ってない。
夜行バスと電車を乗り継いできた俺は、それから少し居間で寝転がり休ませてもらって。
その間もばあちゃんは俺に茶を出した後で、畑に行って手入れや収穫をしていたようだ。
昼近くになると戻ってきて、おにぎりと味噌汁、煮物、漬物の簡単な昼飯を出してくれた。
「ユキちゃん、召し上がれ」
「いただきます!」
おにぎりは塩むすびだ。朝に炊いて握っておいてくれたんだろう。
もなか村の米は〝ささみやび〟といって、米そのものがめちゃくちゃ美味いこの地域の固有種だ。
はぐっと大きく一口頬張った。くう、これこれ、この口の中でほぐれる絶妙な握り具合と感触、旨み。塩加減はまさに神レベル。ばあちゃんはおにぎり名人なのだ。
最初のおにぎりの一口を堪能した後で、ずずずっと熱い味噌汁をすする。くう、染みる……!
味噌はばあちゃんの自家製。これは煮干しと昆布の合わせ出汁だな。顆粒のインスタントじゃなくて乾物から引いたやつだ。具は油揚げと大根の細切り。俺が子供の頃から大好きだった組み合わせだ。こんなところにばあちゃんの孫愛を感じて幸せな気分になる。
「ばあちゃん、美味い」
「そうけ?」
「うん」
煮物に箸を伸ばした。筍の土佐煮だ。濃口醤油とみりんや砂糖を加えて、かつお節と一緒に軽く煮たやつ。
そうか、もうちょっと早く来てたら筍掘りも一緒に行けたなぁ、なんて思いながら、俺は筍を噛み締めた。
甘辛く煮付けた筍は柔らかくてエグみもなく、上品なトウモロコシみたいな味がする。これは旬に朝イチで掘ってきて、すぐ茹でて瓶詰めしたやつだろう。もなか村ではそうして一年分を保存しておくのだ。
極めつけはキュウリの糠漬けだ。少し塩っぱいが絶妙な浸かり具合。ぱきぱきとした歯応えもさることながら、噛み締めると糠漬け特有のかすかな酸味と旨みが堪らない。
帰ってきた。もなか村に帰ってきた、とほんわかしながら地元の飯に喜んでる俺を、ばあちゃんは昔から変わらないニコニコ顔で見守っている。
「そろそろ根曲り竹の季節だで。後で山登って採ってくるから、夜はそんで味噌汁と煮物にしようねえ」
「俺も行く!」
「そっかあ。ばあちゃんの手伝いありがとう」
根曲り竹は姫竹とも呼ばれる鉛筆みたいに細長い筍だ。根っこが曲がっているから根曲り竹。
筍と違ってアク抜きなしで食えて、東京でも輸入ものの煮物がスーパーに並んでて食えるが、地元の採れたては別格といっていい。
昼の後は、じいちゃんの形見の作業着を借りて、日よけの帽子と軍手を嵌めて近くの山まで山菜採りに励んだ。
ここは天然の食用キノコが豊富に採れる。ばあちゃんは畑の農作物の他に、山の山菜を隣町の飲食店に卸してこの年でも細々収入を得ているのだ。
少し季節は早かったが、ブナカノカ――ブナハリタケとも呼ぶ白い甘い香りのキノコを見つけてガッツポーズしてしまった俺だ。これは煮物にすると最高のやつ!
背中に背負ったカゴ半分くらい山菜を採ったところで家に戻り、庭先で一緒にナイフで根曲り竹の皮を剥いたり、山菜の下処理をしたり。
「あー。懐かしいな。やり方まだ覚えてる」
「ユキちゃん、よくお手伝いしてくれたっけね」
「先っぽまできれいに剥けると嬉しくてさ」
根曲り竹は緑の皮が巻いた細い筍だ。今どきは専用のハサミもあるらしいが、ナイフで硬い根元を切り落としてから中身の筍本体に傷をつけないよう慎重に剥いていくのが楽しい。
上手く剥けると先っぽが尖ったきれいな細い筍が出てくる。剥いた皮はくるんとまた丸まって先が尖るので、子供の頃は指先に装着して遊んだものだった。
こいつはな、本当にな、一度自分で採ってきて剥いたやつを食うともう二度と輸入ものは食えなくなるぞ。美味い。