供 述 調 書 

 私は、美しが丘高校二年生の桜台風子といいます。
 今日は、私が九月に高校の階段から落ちて大ケガをしたときのことについて話します。
 私はクラス委員長なので、いつも放課後になったら教室の鍵掛けをするのが仕事です。
 でも、階段から落ちた日は、入部している吹奏楽部の倉庫整理があったので、私は教室の鍵はあとで掛けようと思って、放課後になってすぐ音楽倉庫へ向かうことにしました。
 音楽倉庫にはまだ誰も来ていなかったので、まだ少し時間があるなと思い、それなら急いで教室の鍵を掛けに行こうと、私は鍵を取りに職員室へ走りました。
 どうして出来ることなら教室の鍵を先に掛けようと思ったかというと、少し前に、私が鍵を掛け忘れたのを先生に見つかり、それを永岡くんが「その日は自分が代わりに掛ける担当だった」と言って、私を庇って先生に叱られたことがあったからです。
 永岡くんは、私がクラス委員長になったときに、私が自分で副委員長に指名した男子です。
 彼はいつも冷静で、小さなことでもちゃんと真剣に考えてくれて、どんなときも私を気遣ってくれます。
 そして、職員室で鍵箱を確認すると教室の鍵が無かったので、いつまでも鍵を取りに来ない私に先生が怒って鍵を持って教室に行ったんだろうと思い、私は慌てて教室へ走りました。
 でも、教室に着くと、鍵はもう掛かっていました。
 そして、そこから私が上って来たほうと反対の階段のほうを見ると、廊下のずっと向こうを歩いている永岡くんの後ろ姿が見えました。
 私は、すぐに永岡くんが私の代わりに鍵を掛けてくれたのだと分かり、せめて鍵を職員室へ返却するのは自分で行こうと思って、さらに走って永岡くんを追いかけました。
 階段の直前までたどり着いたとき、永岡くんはもう階段を数段降りていましたが、後ろから走って来た私に気が付いたらしく、彼は立ち止まって私のほうを振り返りました。
 私は、永岡くんに「ごめんね。鍵は私が返しに行くから」と声を掛けたのですが、なぜかそのとき突然、目の前が真っ黒になってしまったのです。
 そのとき私は、音楽倉庫からそこまでずっと走りっぱなしだったし、まだ気温も汗ばむくらい高かったので、もしかしたら熱中症のような症状を起こしてしまったのかもしれません。
 そのあと、私は完全に気を失って、階段の一番下まで永岡くんの横を転げ落ちて、さらに救急隊の人たちに病院へ運ばれたそうですが、私はそのことをまったく覚えていません。
 次に気が付いたのは病院のベッドの上で、両親や永岡くんから一か月半くらい意識不明だったと教えてもらい、とても驚きました。
 警察の人から、私の制服からいくつかのDNAが見つかったと言われましたが、何人か思い当たる人が居るので話します。
 実は、永岡くんとはクラス委員の仕事だけではなくて、個人的に交際もしていて、他の友だちに比べると一緒に過ごす時間も長いので、彼のDNAは見つかることがあるかもしれません。
 それから、永岡くんを通じて仲良くしている、彼の幼馴染みの御笠雅ちゃんと、ちょうどあの階段から落ちた日の昼休みに廊下でふざけてハグし合ったので、彼女のものも見つかるかもしれません。
 このように、私が階段から落ちて大ケガをしたのは、私が突然気を失ってしまったせいで、誰かに突き落とされたり、誰かと揉み合いになって落ちたりしたためではありません。
 あんな暑い中を、気を失うほどに慌てて走り回った私が悪かったと、とても反省しています。
 私が突き落とされたかもしれないということで一生懸命に捜査をしてくれた警察の方や、捜査に協力をしてくれたたくさんのお友だちや関係者の方々には、本当に申し訳なかったと思っています。
 二度とこのようなことがないように注意します。
   桜台風子


 以上のとおり録取して読み聞かせたところ、誤りのないことを申し立て署名押印した。
   二日市警察署
   司法警察員巡査部長
   諸田桃子




「ただいまー。母さん、突然で悪いけど、風子を連れて来た」
「ただいまー、じゃなかった、おじゃましまぁーす」
 風子に付き添って警察署へ行った帰り、風子がどうしても僕の部屋に来たいと言うので、今日の放課後はお部屋デートとあいなった。
 玄関へ出て来た母さんが目を丸くしている。
「ああっ、風子さん? いっ、いらっしゃいっ! ちょっと光平っ、連れて来るならちゃんと言っておいてもらわないと」
「あ、お母さま、いきなり戻って来てごめんなさい! そうだ光平、この前買ってた本、見せてもらってもいい? 机の一番右にあるやつ」
「え? いいけど」
「あれ、ずっと見たかったのよねー」
 そう言って勝手知ったる他人の我が家よろしく、タタタッと階段を駆け上がる風子。
 母さんがさらに目を丸くする。
「えっと……、戻って来てって……、風子さん、今日初めてウチに来たのよ……ね?」
「うん。物理的にはね」
「物理的?」
「お母さまっ、お構いなくぅー」



 風子が退院する日、ハルダに手を引かれて謝罪に訪れた雅は、結局、ずっと無言だった。
 諸田さんとハルダの後ろに隠れるようにして、ただただ頭を下げてうな垂れたままの雅。
 雅によれば、まさかこんな事態になるとは思っていなかったらしい。
 あの日、僕が風子に副委員長を辞める話をしていたとき、雅はたまたますぐ脇の通路を歩いていて僕らを見つけた。
 そして僕らが通り過ぎたところで駆け出して、風子の背中にぶつかったあと、その勢いでそのまま上りの階段へと走り抜けた。
 ケガをさせるつもりはなくて、踏み外して、二、三段をズルッとコケる程度と思っていたみたいだけど、意外に勢いが強くて風子がそのまま下まで転げ落ちてしまったんだとか。
 そして、まさか僕が犯人として疑われることになるなんて、まったく想像もしていなかったらしい。
 『わたくしを……、逮捕して』
 そう言って、諸田さんに両手首を差し出した雅。
 そうしたら、そっと近寄った風子が雅をぎゅっと抱き寄せて、こう言ったんだ。
『大丈夫だよ? あたし、怒ってないもん』
 それを聞いた雅は、そのまま号泣。
 最後は、ハルダにおんぶしてもらって部屋を出ていった。
 泣きじゃくる雅を見て、僕も悪かったなって思った。
 雅のこと、なんにも分かってあげてなかった。
 諸田さんが『いいの?』って聞いたら、風子は『あはは、ぜーんぶ許すっ』ってケラケラと笑い飛ばした。
『それだけ光平のことを大事に思ってくれてたんだなって思うと、なんか雅ちゃんを恨む気持ちなんてぜんぜん起きなくて』
 ほんと、風子らしい。
 結局、『雅ちゃんのこと、ぜんぶ秘密にして』と風子があまりに懇願するので、諸田さんは今回の事件を『風子の自己過失だった』という結末にすることにしたらしい。
 しかし、僕と風子のことは秘密どころか、完全に公然の事実として知れ渡ってしまったようだ。
 今朝、風子が登校して来たときのクラスの騒ぎようは大変なもの。
 わあっ! っと歓声が上がって、それから割れんばかりの拍手。
 きゃっきゃと騒ぐ女子集団に囲まれた風子が、窓際の席の僕を見つけて「こうへーい! おはよーっ!」っと手を振ったもんだから、そのキャーキャーがさらに増幅されて廊下まで響いて、もうすっかりお祭り状態。
 すごくみんな盛り上がって、おかげで停滞していた文化祭のクラス参加の件も一気に動き出した。
 六限目のホームルーム。
 ほんと、風子が壇上に立つと、その途端に教室がアットホームな雰囲気になる。
 壇上の風子と、窓際に立っている僕とを代わる代わる見てニヤニヤしているヤツが結構いたな。
『さてー、クラス参加の件だけど、みんな考えてきてくれてるんだってね。光平、そうでしょ?』
『うん。で、先週話し合う予定だったけど風子が退院したから、じゃあ風子が学校に出てくるまでもうちょっと待っておこうってなって』
『そっかー。みんなごめんねー? じゃ、まずは意見聴取ね? ハルダっ、あんた書記!』
『なにおう? そこにぼさっと突っ立っておるお主のダーリンが居るではないかっ!』
『だーめ。チョークで光平の手が汚れるもん』
『ハルダなら汚れてよいというのかっ』
『そうそう』
『だめだ。話にならん』
 みんなからはカタブツと思われているハルダ。
 その扱いがあまりにフランクな風子を見て、ぽかんとしたみんなの顔。
 ぶつぶつ言いながら、ハルダが壇上へ上がる。
『そんなこと言ってぇ、ハルダやる気まんまんじゃん。腕まくりまでして』
『うるさいっ。ところで委員長。お主は演劇と言っておったではないか。それはもうよいのか?』
『ううーん……、ちょっと時間が足りないかもねぇ。光平はどう……思う?』
 風子が少しもじもじしながらそう言って僕へ目を向けると、みんなの顔が一斉に僕を向いた。
 また辛辣な返しをすると思ってるんだろ。
『そうだなぁ……。 本当にやりたいなら、風子がちゃんとみんなにお願いしないと。僕はやるほうに賛成だ』
『ほんとっ? もし演劇やれるなら、やりたいお話があるんだけど……』
 黒板の『演劇』の下に、『正』の字の三画目まで書いたハルダが、のけ反って風子を見下ろした。
『小生も賛成するぞ? で? そのやりたい演目とはなんなのだ。申してみよ、リアル風子』
『リアル言うなー。うーんとね、えへへ、タイトルは……、「うしろの風子」!』
『なんと』
 さらにぽかんとしたみんな。
 僕は、思わず噴き出した。
『あはは、わかった。風子が台本書くんだろ? みんな、いいかな』
 一瞬、僕の笑顔に戸惑って固まったみんな。
 でも、それはすぐに柔らかな笑みに変わって、「よし、やろう」とか「賛成っ」とかいう言葉が教室を飛び交った。
『ほんとっ? あたしっ、嬉しいっ! じゃ、早速スタッフ決めねっ。ハラダは大道具っ!』
『私はハラダではないっ! ハルダであ――』
『うるさいぞ?』
『うるさいよ?』
『ぷはっ! ふたりして口を押さえるのは反則であるっ! キミら仲良すぎではないかっ?』
 その瞬間、どどっと教室を包み込んだ笑い。
 これは、目に見えるものしか信じなかった僕が、目に見えない『うしろの風子』を信じたから、手に入れられた笑顔だ。
 ぜんぶ、風子のおかげ。
 目に見えるものだけでは、その人の想いも、その人の真の姿も理解することはできない。
 本当にたくさん、僕に大切なことを教えてくれた。



「えっと、コーヒーとクッキー、ここに置いておくわね?」
「ありがと、母さん」
「風子さん、よかったら、夕飯食べていかない?」
「えっ? いいんですかっ? お母さま、あたしっ、お料理のお手伝いしますっ!」
「ほんと? じゃあ、もうこのままウチのお嫁さんになって?」
「うわ、母さん、なにを勝手なことを言って――」
「あああ、あたしっ、おっ、おっ、お嫁さんになりますっ!」
「あはは。光平、よかったわねー。ごゆっくりぃー」
 艶のあるフローリングには、傾き始めた陽光が描くレースカーテンの美しい波模様。
 いつもの、僕の部屋。
 いつもと違うのは、風子の笑顔がすぐそこにあること。
「お嫁さんだって。えへへ。あー、これこれっ、この本。ねぇ、いまちょっとだけ見ていい?」
「いいけど、劇の台本はどうするんだ? 今日と明日で書いてしまわないと間に合わないぞ?」
「もぉー、せっかく光平の部屋に戻って来たんだから、もうちょっとだけゆっくりさせてよぅ。もうねぇ、このベッドにぃー、こうやって腰掛けたかったのっ!」
 ベッドに腰掛けて足をパタパタさせた風子。
 僕は「はいはい」なんて言いながら、ポケットから取り出したそれをそっと机の上に置いた。
 真っ白な、僕のスマートフォン。
 あの日、『うしろの風子』と出会わせてくれた、僕の宝物だ。
「あー、光平のスマホ、修理から戻って来たんだねー」
「うん。昨日の夕方、ショップに取りに行ったんだ。……ん? どうした?」
「へへーん」
 満面の笑みの風子。
 その笑みの前で振られているのは、スカートのポケットから取り出された風子のスマートフォン。
 なにがそんなに嬉しいのか、その顔を見てこちらも思わず笑みが出る。
 すると風子は、その笑みのままよいしょっとベッドから立ち上がると、それから僕の前に身を乗り出して、その真っ白なスマートフォンをそっと机の上に置いた。
 僕のスマートフォンの、となり。
 行儀よく、そのふたつがそこに並ぶ。
「おー、お揃いお揃い」
 すごく嬉しそうに笑う風子の横顔。
 ドキッとした。
 こんなにも……可愛かったっけ。
 僕は思わずあさってのほうへ目を向けて、まぁ、これも風子のことをちゃんと理解していなかったせいだなーなんて思いながら、そのドキドキをごくりと飲み込んだ。
「どうしたの?」
「いや……、なんでもない。えっと、そうだ、写真撮ろうか。ちょっとシャレで」
「シャレ?」
「うん。風子、僕の後ろに立って」
「あ、なるほどっ」
 クスッと笑った風子が、椅子に座った僕の左後ろに立って、肩にちょこんとあごを乗せた。
 背景は窓の外の秋空。
 スマートフォンのカメラを自撮りモードに切り替えて、ちょうど初めて『うしろの風子』に会ったときみたいに、画面にふたりの顔を映す。
「うんうん。こんな感じだったねぇ」
「さすがにあの不気味さは再現できないか。風子、もうちょっと『うしろの風子』っぽくして」
「なんですとー? 不気味とかひどーい」
 そう言った風子は、なにやら僕の左隣に膝立ちになって、僕の腕をぎゅーっと抱き寄せた。
 腕にちょこんとおでこが触る。
「なんだよ」
「もうねぇ、『うしろの風子』はおしまいっ!」
「ん?」
「そうっ! あたしは『うしろの風子』ではないっ、『となりの風子』であるっ」
「なんだそれ」
「いいから、早く早くっ」
 ぎゅっと僕の左腕に身を寄せた風子に、僕もちょっとだけ頬を寄せた。
 思い切り伸ばした右手でシャッターを押す。
 なるほど。
 『うしろの風子』改め、『となりの風子』か。
「ねぇ、見せて見せてっ! うわー、空がきれーい!」
 つい見とれてしまった、画面を覗き込む風子の横顔。
 ちょっと咳払いをして、僕も風子にそっと肩を寄せて画面を見る。
 ふたり初めての記念撮影。
 風子はちゃんと写真に写っていた。
 これからはずっと、僕の『となりの風子』でいて欲しいな。
 笑顔いっぱいの風子が覗き込んだ白いスマートフォンの中、僕と『となりの風子』の後ろには、抜けるような秋空がどこまでもどこまでも続いていた。

   おわり