想いが通じ合っているとわかっても、胸は苦しいまま。
同じ時間を過ごしたい。これからも一緒にいたい。こんな小さな夢ですら──ふと、千早はあることが気になった。鼻を啜ると、小さく息を吐き出していろはに話しかける。
「もし、八岐大蛇が退治できたら……いろはさんは、どうなるんですか?」
柄を大事にするようにと言われていたが、それはいつか復活するであろう八岐大蛇を退治するため。では、退治できればどうなるのか。いろはは千早を抱きしめていた腕を離し、仰向けになる。背を向けていた千早も仰向けになり、顔だけを動かしていろはを見た。
「わからない。役目を果たしたということで柄に戻るのか、それともこのまま過ごせるのか」
ただ、といろはは言葉を続ける。
「退治するにしても、無事では済まないだろう。向こうには草薙剣がある」
伊吹が持っていた、青銅色の剣。八岐大蛇からもらったと言っていた。いろはは、あれは神剣だとも。ただの剣ではないだろうと思っていたが、これまでどのような攻撃にも耐えてきた天羽々斬の刀身が欠けるとは。
八岐大蛇と対峙するということは、伊吹が必ず出てくる。あの草薙剣はどうやっても避けられない。
「あのような剣を隠し持っていたとは。スサノオも驚くだろうな」
「……どうして、今になって」
「皮肉のつもりかもしれないな。スサノオの血と力を継ぐ者が八岐大蛇の眷属となった。神剣も与え、同じくスサノオの血と力を継ぐ者と天羽々斬と対峙させる」
溜飲を下げようとしているようだ。千早そんなことを思った。
かつて、八岐大蛇はスサノオに身体を切り刻まれ、心臓を封印された。恨んでいないはずがない。
そして、今。スサノオの血と力を継ぐ者を手中に収めることができた。その者を、伊吹を使い、争わせ、窮地に立たされそうになっている千早達の姿を見て楽しんでいるのかもしれない。
スサノオの血と力を継ぐ者同士が争っているぞ、と。
「今回、欠ける程度で済んだのは不幸中の幸いと言うものだ。次は折れるやもしれんな」
いろはの言葉を聞き、千早は勢いよく上半身を起こした。折れた夢を思い出したのだ。何も知らないいろはは目を大きく開いてこちらを見ている。
「も、もし、折れてしまったら。いろはさんは、どうなるんですか」
そうだな、といろははゆっくり起き上がり、胡坐を組む。項垂れるようにして顔を下げ、両手を膝の上で握り締めた。
「神剣同士とはいえ、草薙剣とは相性というものが悪い。最悪、神剣としての力を失うだろう」
「失えば、いろはさんは、消えてしまう……?」
「おそらく。現に、回復に時間がかかっているのがその証拠だ」
言葉が出なかった。
八岐大蛇を退治しないという選択はない。スサノオの血と力を継ぎ、戦えるのは千早のみ。このまま放っておけば、悪夢のような過去が再来するだろう。何としてでも退治しなければならない。
されど、あの草薙剣をどうすればいいのか。天羽々斬で戦うのは避けられない。欠けることは間違いないだろう。では、折れてしまったら──。
千早はぐっと奥歯を噛み締める。この戦い、こちら側の失うものが大きすぎる。戦わなければならないことはわかっていても、逃げようと口に出してしまいそうだ。逃げて、二人でひっそりと生きていこうと。
そんなことはできないと、わかっているのに。
「千早、私のことは気にせずに戦え」
「でも!」
「我々は、八岐大蛇を退治することが目的だ。その目的を果たすことができるのであれば、折れたとしても悔いはない」
俯けていた顔を上げ、いろはは目を細めて笑う。
どうして笑えるのだろうか。折れてしまえば、神剣としての力を失う。いろはが、いなくなってしまう。
千早はいろはの胸元に顔を埋め、目の前にある服を握る。
「千早」
「……さっき、一緒に過ごしたいって言ってくれたじゃないですか。同じ時を生きたいって、言ってくれたじゃないですか」
「そうだな。それは本心だ」
そこでいろはは言葉を止めるも、本心だけでは駄目だと続いているように思えた。
折れることを恐れていては、八岐大蛇に立ち向かえない。伊吹すら倒せない。そんなことは、千早もわかっている。
けれど、いろはを失いたくないのだ。いろはがいない日常が考えられない。いろはがいない未来を、考えたくない。
「千早、私は折れても悔いはないと言ったが、折られるつもりはない」
顔を上げると、いろはは口角を上げ、少年のような笑みを浮かべていた。
「草薙剣に折られるなど、負けたような気分になる」
負けず嫌いが移ったな、と笑ういろはに、千早もたまらず笑みを溢した。同時に、涙が頬を伝う。
八岐大蛇をこのままにしてはおけないが、いろはを失いたくない。その気持ちに整理はついておらず、これからもつくことはないだろうが、いろはは腹を括っている。ならば、千早も覚悟を決めなければならない。
「……わたしは、八岐大蛇は退治しなければいけないと思ってます。それ以上に、いろはさんを失いたくないって、思ってます」
袖で涙を拭い、いろはを見た。
「けど……全力で、戦います」
伊吹に負けたくないと微笑むと、いろはは小さく頷いた。
無事では済まないはず。それでなくとも、退治できたあともどうなるかわからない。いろはのことが気になるが、彼はそこで千早が立ち止まるとは思っていない。どんなときでも前を向くと、信じてくれている。
だからこそ、背中を押してくれた。
そんないろはに、応えないわけにはいかない。
「私と千早であれば、必ず退治できる。そう信じている」
二人で寝転び、天井を見る。こうして一緒に寝られるのも、あと何回だろうか。いろはの力が回復すれば、伊吹山へと向かうことになるだろう。退治できるかどうかの不安と、いろはを失うかもしれない不安がせめぎ合う。
戦うと決めたが、迷わずに戦えるだろうか。
伊吹はこう言っていた。千早の心も折ると。いろはを折ることが千早の心を折ることにも繋がるとわかっていたのだ。
絶対に、伊吹はいろはを、天羽々斬を狙ってくる。狙ってこないはずがない。
ちらりといろはを見ると、彼はすでにぐっすりと眠りについている。疲れていたところに話を長くさせてしまった。
「いろはさん、ごめんなさい。おやすみなさい」
いろはが回復するまでに、迷いを断ち切らなければ。迷いがあれば、戦いに響いてしまう。それこそ、いろはが折られるような事態になりかねない。
視線を天井に戻し、千早はゆっくりと目を瞑る。
退治できたとしても、その後いろはがどうなるかもわからない。なんて厳しいのだろうか。ふ、と小さく笑みを溢した。
「ご褒美的なものがあればいいのにな」
そうすれば、いろはのことを願うのに。
そんなことを思いながら、千早も眠りについた。
同じ時間を過ごしたい。これからも一緒にいたい。こんな小さな夢ですら──ふと、千早はあることが気になった。鼻を啜ると、小さく息を吐き出していろはに話しかける。
「もし、八岐大蛇が退治できたら……いろはさんは、どうなるんですか?」
柄を大事にするようにと言われていたが、それはいつか復活するであろう八岐大蛇を退治するため。では、退治できればどうなるのか。いろはは千早を抱きしめていた腕を離し、仰向けになる。背を向けていた千早も仰向けになり、顔だけを動かしていろはを見た。
「わからない。役目を果たしたということで柄に戻るのか、それともこのまま過ごせるのか」
ただ、といろはは言葉を続ける。
「退治するにしても、無事では済まないだろう。向こうには草薙剣がある」
伊吹が持っていた、青銅色の剣。八岐大蛇からもらったと言っていた。いろはは、あれは神剣だとも。ただの剣ではないだろうと思っていたが、これまでどのような攻撃にも耐えてきた天羽々斬の刀身が欠けるとは。
八岐大蛇と対峙するということは、伊吹が必ず出てくる。あの草薙剣はどうやっても避けられない。
「あのような剣を隠し持っていたとは。スサノオも驚くだろうな」
「……どうして、今になって」
「皮肉のつもりかもしれないな。スサノオの血と力を継ぐ者が八岐大蛇の眷属となった。神剣も与え、同じくスサノオの血と力を継ぐ者と天羽々斬と対峙させる」
溜飲を下げようとしているようだ。千早そんなことを思った。
かつて、八岐大蛇はスサノオに身体を切り刻まれ、心臓を封印された。恨んでいないはずがない。
そして、今。スサノオの血と力を継ぐ者を手中に収めることができた。その者を、伊吹を使い、争わせ、窮地に立たされそうになっている千早達の姿を見て楽しんでいるのかもしれない。
スサノオの血と力を継ぐ者同士が争っているぞ、と。
「今回、欠ける程度で済んだのは不幸中の幸いと言うものだ。次は折れるやもしれんな」
いろはの言葉を聞き、千早は勢いよく上半身を起こした。折れた夢を思い出したのだ。何も知らないいろはは目を大きく開いてこちらを見ている。
「も、もし、折れてしまったら。いろはさんは、どうなるんですか」
そうだな、といろははゆっくり起き上がり、胡坐を組む。項垂れるようにして顔を下げ、両手を膝の上で握り締めた。
「神剣同士とはいえ、草薙剣とは相性というものが悪い。最悪、神剣としての力を失うだろう」
「失えば、いろはさんは、消えてしまう……?」
「おそらく。現に、回復に時間がかかっているのがその証拠だ」
言葉が出なかった。
八岐大蛇を退治しないという選択はない。スサノオの血と力を継ぎ、戦えるのは千早のみ。このまま放っておけば、悪夢のような過去が再来するだろう。何としてでも退治しなければならない。
されど、あの草薙剣をどうすればいいのか。天羽々斬で戦うのは避けられない。欠けることは間違いないだろう。では、折れてしまったら──。
千早はぐっと奥歯を噛み締める。この戦い、こちら側の失うものが大きすぎる。戦わなければならないことはわかっていても、逃げようと口に出してしまいそうだ。逃げて、二人でひっそりと生きていこうと。
そんなことはできないと、わかっているのに。
「千早、私のことは気にせずに戦え」
「でも!」
「我々は、八岐大蛇を退治することが目的だ。その目的を果たすことができるのであれば、折れたとしても悔いはない」
俯けていた顔を上げ、いろはは目を細めて笑う。
どうして笑えるのだろうか。折れてしまえば、神剣としての力を失う。いろはが、いなくなってしまう。
千早はいろはの胸元に顔を埋め、目の前にある服を握る。
「千早」
「……さっき、一緒に過ごしたいって言ってくれたじゃないですか。同じ時を生きたいって、言ってくれたじゃないですか」
「そうだな。それは本心だ」
そこでいろはは言葉を止めるも、本心だけでは駄目だと続いているように思えた。
折れることを恐れていては、八岐大蛇に立ち向かえない。伊吹すら倒せない。そんなことは、千早もわかっている。
けれど、いろはを失いたくないのだ。いろはがいない日常が考えられない。いろはがいない未来を、考えたくない。
「千早、私は折れても悔いはないと言ったが、折られるつもりはない」
顔を上げると、いろはは口角を上げ、少年のような笑みを浮かべていた。
「草薙剣に折られるなど、負けたような気分になる」
負けず嫌いが移ったな、と笑ういろはに、千早もたまらず笑みを溢した。同時に、涙が頬を伝う。
八岐大蛇をこのままにしてはおけないが、いろはを失いたくない。その気持ちに整理はついておらず、これからもつくことはないだろうが、いろはは腹を括っている。ならば、千早も覚悟を決めなければならない。
「……わたしは、八岐大蛇は退治しなければいけないと思ってます。それ以上に、いろはさんを失いたくないって、思ってます」
袖で涙を拭い、いろはを見た。
「けど……全力で、戦います」
伊吹に負けたくないと微笑むと、いろはは小さく頷いた。
無事では済まないはず。それでなくとも、退治できたあともどうなるかわからない。いろはのことが気になるが、彼はそこで千早が立ち止まるとは思っていない。どんなときでも前を向くと、信じてくれている。
だからこそ、背中を押してくれた。
そんないろはに、応えないわけにはいかない。
「私と千早であれば、必ず退治できる。そう信じている」
二人で寝転び、天井を見る。こうして一緒に寝られるのも、あと何回だろうか。いろはの力が回復すれば、伊吹山へと向かうことになるだろう。退治できるかどうかの不安と、いろはを失うかもしれない不安がせめぎ合う。
戦うと決めたが、迷わずに戦えるだろうか。
伊吹はこう言っていた。千早の心も折ると。いろはを折ることが千早の心を折ることにも繋がるとわかっていたのだ。
絶対に、伊吹はいろはを、天羽々斬を狙ってくる。狙ってこないはずがない。
ちらりといろはを見ると、彼はすでにぐっすりと眠りについている。疲れていたところに話を長くさせてしまった。
「いろはさん、ごめんなさい。おやすみなさい」
いろはが回復するまでに、迷いを断ち切らなければ。迷いがあれば、戦いに響いてしまう。それこそ、いろはが折られるような事態になりかねない。
視線を天井に戻し、千早はゆっくりと目を瞑る。
退治できたとしても、その後いろはがどうなるかもわからない。なんて厳しいのだろうか。ふ、と小さく笑みを溢した。
「ご褒美的なものがあればいいのにな」
そうすれば、いろはのことを願うのに。
そんなことを思いながら、千早も眠りについた。