「お前だけ剣を持ってるなんて不公平だろ? 見かねた八岐大蛇様が下さったんだよ、この草薙剣を!」
伊吹は容赦なく草薙剣をこちらに向けてくる。
ただ振り下ろすだけで凄まじい斬撃だ。突けば、銃弾のように圧が飛んでくる。一度左肩に掠ってしまったが、そこからの出血が止まらない。じわじわと制服が赤く染まっていく。
天羽々斬であれば受け止められるはずの攻撃。これまでだっていろんな攻撃を受け止めてきた。どれだけの攻撃を受け止めてもびくともしていなかったはずだ。こんなにも受け止めることが怖い攻撃があっただろうか。極力構えないようにと辛うじて攻撃を躱しつつも、やはり咄嗟に天羽々斬に頼ってしまいそうになる。
このままでは駄目だと、千早は隙を見つけて天羽々斬に話しかけた。
「お願いです、人の姿に戻ってください!」
≪戻ったとして、誰が戦えるのだ。私のことは気にせず、剣を振るえ≫
「だ、だって! もしそれで、それ、で」
折れてしまったら。
言葉にはできなかった。唇を噛み締め、伊吹の攻撃を頭の位置を下げて避ける。ぐっと力を込め斬撃を放つも、草薙剣によって難なく弾かれてしまった。千早が攻撃を当てるには、伊吹の身体に直接当たるようにしなければならないのかもしれない。
距離を取り、天羽々斬を構えようとしてやめる。人の姿に戻ってほしい。伊吹には勝てないが、この場から去ることはできるかもしれない。
伊吹に勝てないことよりも、天羽々斬が折れてしまうことのほうが心配だ。今も戦いよりもそちらに気を取られ、何とか躱してはいるものの小さな怪我が増えている。
「ほら、よそ見すんな!」
振り下ろされる剣を天羽々斬で受け止めてしまう。しまったと千早は振り払い距離を取るも、時すでに遅し。またしても刀身が欠けてしまう。
痛みはないのか。これは元の綺麗な刀身に戻るのだろうか。
天羽々斬に訊けば、おそらく「大丈夫だ」の一言しか返ってこないだろう。飛んでくる斬撃を、身体を地面に転がして躱す。力を込めながら体勢を整え、敢えて伊吹の懐に飛び込んでいく。
このままでは防戦一方。天羽々斬もあの夢が現実になってしまう。では、どうすればいいか。
伊吹に攻撃をお見舞いし、退いてもらうしかない。
近づけさせまいといくつもの斬撃が飛んでくるが、天羽々斬は使わずに自身の身体能力のみで躱していく。怪我は多少は負うものの、どれも致命傷ではない。血を流しつつ、伊吹の懐に入り込むと先程よりも力を込めた一撃を放つ。
その一撃は草薙剣で防ぐことが間に合わず、伊吹の身体に直撃した。勢いよく吹き飛んでいき、ドン、と大きな音を立てて大木にぶつかる。
立ち上がるな、退いてくれ、と千早は祈るが、その願いは虚しく、伊吹は口から血を流しながら立ち上がる。
にい、と口角が上がった次の瞬間、伊吹の姿が消えた。どこだと探す間もなく、千早の右側から気配を感じた。振り向く頃には剣が振られ、奇を衒ったその攻撃に、身体は無意識に天羽々斬を構えてしまう。
駄目だと気が付いたときには、伊吹の剣は天羽々斬の刀身に当たり、金属同士がぶつかる音が耳を劈く。幸い、欠けることはなかったが、このまま攻撃を受け続けるのはまずい。距離を取ろうと後ろに何度か飛ぶものの、伊吹が一瞬で詰めてきてしまう。
そして、剣が振り下ろされるのだ。天羽々斬で受け止めるように、わざと。
これでは、狙いが千早ではなく──。
「まさか、折ろうとしてますか」
「そのまさかだよ。戦力を削いでやろうと思って、ね!」
天羽々斬で受け止めたくないのに、伊吹の攻撃がそれを許してくれない。ガキン、と音がするたびに、千早の表情が歪む。
「ついでに、お前の心も折ってやるよ!」
「わたし、の心?」
「特別なんだろ? それ」
それ、と言いつつ伊吹は草薙剣を天羽々斬に向けて振り下ろす。
何を意味しているのか。それを察した千早は目を丸くし、息を呑んだ。だが、その表情すら見ていて楽しいと攻撃は止まない。
ははは、と笑いながら伊吹は何度も何度も振り下ろす。静かな山に似つかわしくない、金属がぶつかる音が響いた。
「特別を、折ってやるよ! ほら、ほらあ!」
「もう、やめて!」
先程から、声が聞こえない。声をかける暇すら与えてもらえない。
「お前がそれを手放せばいいんだよ! そうすればこの剣はお前の身体にめり込み、その血肉を俺が喰って取り込む! それで終いだ!」
そうすることで天羽々斬を守れるならそうしたい。
しかし、千早がいなくなったあとは誰が八岐大蛇を、伊吹を相手にするのか。金色の瞳を持つ者は、スサノオの力を継ぐ者は、もう千早しかいないのだ。
負けるわけにはいかない。けれど、天羽々斬でこれ以上受け止めるのは無理だ。
どうすれば、とぐっと奥歯を噛み締めたとき、伊吹がぴたりと動きを止めた。横目で空中を眺め、不満そうな顔をしている。
「どうしてですか。今なら折れる。折ればいい。こいつらは揃っているから脅威なんですよ」
今なら距離を取れると、千早は急いで伊吹から離れる。天羽々斬を見ると、至るところが欠けており、目に涙が滲む。
きっと、痛いはずだ。ごめんなさい、ごめんなさい、と心の中で何度も呟いた。
距離を取り、天羽々斬を自身の後ろにやる。もう構えはしない。じっと伊吹を見ていると、彼はまだ何かと話していた。自身の思惑と違うようなことを言われ、苛立っているようだ。
「……はあ。わかりましたよ。そこまで脅威じゃないんですね、はいはい」
空いている手で頭を掻き、伊吹はこちらを見た。毒々しい赤色の瞳は殺気を放ちつつも、手に持っていた草薙剣を下ろす。
「お前らは、互いの目の前で殺してやるんだと。それがあの方の望みだ」
「あの方……?」
「はあ? 八岐大蛇様に決まってんだろ」
チッ、と舌打ちをし、千早を睨み付ける。今し方まで伊吹が話していたのは八岐大蛇だったようだ。ここで天羽々斬を折るべきだと言う伊吹に対し、八岐大蛇はいろはと千早の目の前でそれぞれを殺すことを望んだ。
その悪趣味のお陰で、これ以上はもう戦わなくて済む。ちらりと後ろに持っている天羽々斬に目をやり、千早は小さく息を吐き出す。
「伊吹山。俺達はそこにいる。どうぞ来てください、だとよ」
伊吹山。櫛名村にある、小さいながらに立派な山だ。伊吹の名はその山から取ったのだと彼の両親が話していた。
千早の返事を待たずに、伊吹は口の中にあった血を吐き出して背を向ける。今まで戦っていた相手に背を向けるなど、油断しすぎだ。そうは思っても、この状態の天羽々斬を振るう気力もない。
その背を静かに見送り、見えなくなってから千早は急いで山を下りた。途中、坂道で足がもつれ転がったが、膝の痛みなど気にせずに走り続ける。
何とか麓まで来ると、息を整えることなく一目散に家へと向かった。ボロボロになっている刀剣を持った千早を見て驚く者達もいたが、それどころではない。
疲れや痛みを気にせず走り続け、ようやく家へと辿り着く。されど、ここからどうすればいいかわからない。千早は「天羽々斬様」と返事があるまで何回も呼び続ける。
≪……千早≫
「天羽々斬様! よかった……」
≪む、何だかその呼び方はむず痒いな。いつもの呼び方が良い≫
そう言って、天羽々斬は人の姿へと形を変える。
その姿に、千早は言葉を失った。
「ふむ、やはりこうなるか。些か、ふらつきも……千早?」
「血、血が……怪我……!」
顔も身体も傷だらけで、血が流れていた。欠けた刀剣が人の姿になると、このような状態なのかと唇を噛み締める。いろはは自身の右手を開き、ゆっくりと力無く握り締めた。
「これほどやられたのは初めてだ。それも、同じ神剣に」
ふら、といろはが前に倒れそうになり、千早は慌てて身体を抱きしめる。千早の右肩に顔を乗せると、短い呼吸を繰り返すいろは。
このまま、治せずに欠けたままだったら。いろははずっと、このままなのだろうか。
いなくなって、しまうのだろうか。
カタカタと小刻みに震えているのがいろはに伝わったのか、ふ、と小さく笑うと千早の背中をポンポンと優しく撫でてくれた。
このようなときでも、自分のことではなく千早のことを考えている。それが今は申し訳なかった。
「すまない。少し、眠る……」
千早の背中を撫でる手が落ち、いろはから力が抜ける。
「いろはさん……!? いろはさん、いろはさん!」
呼びかけても、いろはから返事が返ってくることはなかった。
伊吹は容赦なく草薙剣をこちらに向けてくる。
ただ振り下ろすだけで凄まじい斬撃だ。突けば、銃弾のように圧が飛んでくる。一度左肩に掠ってしまったが、そこからの出血が止まらない。じわじわと制服が赤く染まっていく。
天羽々斬であれば受け止められるはずの攻撃。これまでだっていろんな攻撃を受け止めてきた。どれだけの攻撃を受け止めてもびくともしていなかったはずだ。こんなにも受け止めることが怖い攻撃があっただろうか。極力構えないようにと辛うじて攻撃を躱しつつも、やはり咄嗟に天羽々斬に頼ってしまいそうになる。
このままでは駄目だと、千早は隙を見つけて天羽々斬に話しかけた。
「お願いです、人の姿に戻ってください!」
≪戻ったとして、誰が戦えるのだ。私のことは気にせず、剣を振るえ≫
「だ、だって! もしそれで、それ、で」
折れてしまったら。
言葉にはできなかった。唇を噛み締め、伊吹の攻撃を頭の位置を下げて避ける。ぐっと力を込め斬撃を放つも、草薙剣によって難なく弾かれてしまった。千早が攻撃を当てるには、伊吹の身体に直接当たるようにしなければならないのかもしれない。
距離を取り、天羽々斬を構えようとしてやめる。人の姿に戻ってほしい。伊吹には勝てないが、この場から去ることはできるかもしれない。
伊吹に勝てないことよりも、天羽々斬が折れてしまうことのほうが心配だ。今も戦いよりもそちらに気を取られ、何とか躱してはいるものの小さな怪我が増えている。
「ほら、よそ見すんな!」
振り下ろされる剣を天羽々斬で受け止めてしまう。しまったと千早は振り払い距離を取るも、時すでに遅し。またしても刀身が欠けてしまう。
痛みはないのか。これは元の綺麗な刀身に戻るのだろうか。
天羽々斬に訊けば、おそらく「大丈夫だ」の一言しか返ってこないだろう。飛んでくる斬撃を、身体を地面に転がして躱す。力を込めながら体勢を整え、敢えて伊吹の懐に飛び込んでいく。
このままでは防戦一方。天羽々斬もあの夢が現実になってしまう。では、どうすればいいか。
伊吹に攻撃をお見舞いし、退いてもらうしかない。
近づけさせまいといくつもの斬撃が飛んでくるが、天羽々斬は使わずに自身の身体能力のみで躱していく。怪我は多少は負うものの、どれも致命傷ではない。血を流しつつ、伊吹の懐に入り込むと先程よりも力を込めた一撃を放つ。
その一撃は草薙剣で防ぐことが間に合わず、伊吹の身体に直撃した。勢いよく吹き飛んでいき、ドン、と大きな音を立てて大木にぶつかる。
立ち上がるな、退いてくれ、と千早は祈るが、その願いは虚しく、伊吹は口から血を流しながら立ち上がる。
にい、と口角が上がった次の瞬間、伊吹の姿が消えた。どこだと探す間もなく、千早の右側から気配を感じた。振り向く頃には剣が振られ、奇を衒ったその攻撃に、身体は無意識に天羽々斬を構えてしまう。
駄目だと気が付いたときには、伊吹の剣は天羽々斬の刀身に当たり、金属同士がぶつかる音が耳を劈く。幸い、欠けることはなかったが、このまま攻撃を受け続けるのはまずい。距離を取ろうと後ろに何度か飛ぶものの、伊吹が一瞬で詰めてきてしまう。
そして、剣が振り下ろされるのだ。天羽々斬で受け止めるように、わざと。
これでは、狙いが千早ではなく──。
「まさか、折ろうとしてますか」
「そのまさかだよ。戦力を削いでやろうと思って、ね!」
天羽々斬で受け止めたくないのに、伊吹の攻撃がそれを許してくれない。ガキン、と音がするたびに、千早の表情が歪む。
「ついでに、お前の心も折ってやるよ!」
「わたし、の心?」
「特別なんだろ? それ」
それ、と言いつつ伊吹は草薙剣を天羽々斬に向けて振り下ろす。
何を意味しているのか。それを察した千早は目を丸くし、息を呑んだ。だが、その表情すら見ていて楽しいと攻撃は止まない。
ははは、と笑いながら伊吹は何度も何度も振り下ろす。静かな山に似つかわしくない、金属がぶつかる音が響いた。
「特別を、折ってやるよ! ほら、ほらあ!」
「もう、やめて!」
先程から、声が聞こえない。声をかける暇すら与えてもらえない。
「お前がそれを手放せばいいんだよ! そうすればこの剣はお前の身体にめり込み、その血肉を俺が喰って取り込む! それで終いだ!」
そうすることで天羽々斬を守れるならそうしたい。
しかし、千早がいなくなったあとは誰が八岐大蛇を、伊吹を相手にするのか。金色の瞳を持つ者は、スサノオの力を継ぐ者は、もう千早しかいないのだ。
負けるわけにはいかない。けれど、天羽々斬でこれ以上受け止めるのは無理だ。
どうすれば、とぐっと奥歯を噛み締めたとき、伊吹がぴたりと動きを止めた。横目で空中を眺め、不満そうな顔をしている。
「どうしてですか。今なら折れる。折ればいい。こいつらは揃っているから脅威なんですよ」
今なら距離を取れると、千早は急いで伊吹から離れる。天羽々斬を見ると、至るところが欠けており、目に涙が滲む。
きっと、痛いはずだ。ごめんなさい、ごめんなさい、と心の中で何度も呟いた。
距離を取り、天羽々斬を自身の後ろにやる。もう構えはしない。じっと伊吹を見ていると、彼はまだ何かと話していた。自身の思惑と違うようなことを言われ、苛立っているようだ。
「……はあ。わかりましたよ。そこまで脅威じゃないんですね、はいはい」
空いている手で頭を掻き、伊吹はこちらを見た。毒々しい赤色の瞳は殺気を放ちつつも、手に持っていた草薙剣を下ろす。
「お前らは、互いの目の前で殺してやるんだと。それがあの方の望みだ」
「あの方……?」
「はあ? 八岐大蛇様に決まってんだろ」
チッ、と舌打ちをし、千早を睨み付ける。今し方まで伊吹が話していたのは八岐大蛇だったようだ。ここで天羽々斬を折るべきだと言う伊吹に対し、八岐大蛇はいろはと千早の目の前でそれぞれを殺すことを望んだ。
その悪趣味のお陰で、これ以上はもう戦わなくて済む。ちらりと後ろに持っている天羽々斬に目をやり、千早は小さく息を吐き出す。
「伊吹山。俺達はそこにいる。どうぞ来てください、だとよ」
伊吹山。櫛名村にある、小さいながらに立派な山だ。伊吹の名はその山から取ったのだと彼の両親が話していた。
千早の返事を待たずに、伊吹は口の中にあった血を吐き出して背を向ける。今まで戦っていた相手に背を向けるなど、油断しすぎだ。そうは思っても、この状態の天羽々斬を振るう気力もない。
その背を静かに見送り、見えなくなってから千早は急いで山を下りた。途中、坂道で足がもつれ転がったが、膝の痛みなど気にせずに走り続ける。
何とか麓まで来ると、息を整えることなく一目散に家へと向かった。ボロボロになっている刀剣を持った千早を見て驚く者達もいたが、それどころではない。
疲れや痛みを気にせず走り続け、ようやく家へと辿り着く。されど、ここからどうすればいいかわからない。千早は「天羽々斬様」と返事があるまで何回も呼び続ける。
≪……千早≫
「天羽々斬様! よかった……」
≪む、何だかその呼び方はむず痒いな。いつもの呼び方が良い≫
そう言って、天羽々斬は人の姿へと形を変える。
その姿に、千早は言葉を失った。
「ふむ、やはりこうなるか。些か、ふらつきも……千早?」
「血、血が……怪我……!」
顔も身体も傷だらけで、血が流れていた。欠けた刀剣が人の姿になると、このような状態なのかと唇を噛み締める。いろはは自身の右手を開き、ゆっくりと力無く握り締めた。
「これほどやられたのは初めてだ。それも、同じ神剣に」
ふら、といろはが前に倒れそうになり、千早は慌てて身体を抱きしめる。千早の右肩に顔を乗せると、短い呼吸を繰り返すいろは。
このまま、治せずに欠けたままだったら。いろははずっと、このままなのだろうか。
いなくなって、しまうのだろうか。
カタカタと小刻みに震えているのがいろはに伝わったのか、ふ、と小さく笑うと千早の背中をポンポンと優しく撫でてくれた。
このようなときでも、自分のことではなく千早のことを考えている。それが今は申し訳なかった。
「すまない。少し、眠る……」
千早の背中を撫でる手が落ち、いろはから力が抜ける。
「いろはさん……!? いろはさん、いろはさん!」
呼びかけても、いろはから返事が返ってくることはなかった。