翌日、僕は一本早い電車で登校した。昨日朝川さんから連絡は来なかった。
教室に着くとまだ二人しかいなかった。朝川さんの机にまだリュックは無い。昨日僕より早く昇降口にいたから一本早いのかと思ったけど、もしかしたら同じ電車で早く着いただけだったのかもしれない。
仲の良いクラスメートも登校していないから、トイレにでも行っておこう。そう思ってドアに近づくと、ちょうど朝川さんが入ってくるところだった。
「お、はよう」
「おはよ」
朝川さんの瞳が少し細まる。昨日のことを言おうとして口を開いたら、そこに朝川さんの人差し指が近付いた。
「あとで、ね」
「う、うん。分かった」
どうやらここではまずいらしい。僕はこくこく頷いて、大人しくトイレに向かった。
「わ」
トイレを済ませて手を洗っていたら、にやついた僕の顔がそこにあった。こんな顔してたんだ、恥ずかしい。朝川さん、変に思わなかったかな。友だちが初めて出来た小学一年生みたいだ。
教室に戻ると、半分近く登校していた。声をかけられて輪に入る。ちらりと朝川さんを見たら、一人で本を読んでいた。
朝川さんが誰かと一緒にいるところを見たことがない。多分、部活にも入っていないはず。
教室ではスマートフォンを弄っているか本を読んでいることが多いけど、どんな本を何読んでるんだろう。気になる。
結局「あとで」がどの時間なのか分からないまま四時間目が終わった。ここまで来たらお昼休みのことだろう、多分。
昼食はたいてい数人で購買に行って総菜パンを買って食べる。今日は断りを入れて買ったあと別れ、人気の無い階段で朝川さんにメッセージを送ってみた。
すぐにメッセージが返ってきたと思ったら、確認する前に声をかけられた。
「こっち」
後ろを振り向くと、マスク姿の朝川さんが手招きしていた。届いたメッセージには「そっち行く」の一言のみ。
「どこ行くの?」
「校舎の裏。暖かくて気持ち良いよ」
「へえ」
そこからは黙って朝川さんの後を付いていく。外へ出て校舎に沿って歩いているからか、人とほとんどすれ違わなかった。もしかして気を遣ってくれたのかな。気にしなくていいのに。
「ここ」
「ベンチだ」
グラウンドが見える位置にベンチが設置されていた。こんなところあったんだ。全然知らなかった。
グラウンドではすでに数人の男子生徒がサッカーをしていた。まだお昼休みになって十分も経っていないのに。きっと三時間目終わりに食べたんだな。食べる人はさらにお昼休みにも二回目の昼食をとってるけど。
「じゃあ、食べよ。いただきます」
「いただきます」
朝川さんはお弁当だった。当たり前のようにマスクを外すけど、素顔を知っているのはこの学校にどれだけいるんだろう。もしかして僕だけかもしれない。
「頼田君、意外と食べるね」
僕の買ってきたものを見て朝川さんが目を丸くさせた。目の前には総菜パン二つとお母さんが持たせてくれたおにぎりが一つある。昼食用に五百円もらえるんだけど、それだけじゃ足りないから先月からおにぎりを渡してくれるようになった。忙しいのにありがとう、お母さん。
「いちおう成長期だから」
「いいね」
「朝川さんも食べるね」
「成長期ですから。他の女子みたいに一口で終わる大きさにしたらお腹鳴っちゃうよ」
朝川さんのお弁当はというと、大き目の二段弁当にみかんがデザートで付いていた。いっぱい食べる女の子、良いと思う。
「で、何か質問?」
勢いよく半分くらい食べ終えた朝川さんが聞く。僕も一つ目のパンを飲み込んだところで答えた。
「ええと、あの、どう言ったらいいか……昨日のことなんだけど、出来れば僕の言ったことは忘れてほしいというか」
「昨日のこと?」
きょとんと首を傾げられてしまった。僕は慌てた。
「ごめん。全然、朝川さんには知られてていいんだけど、ああいうのを好きって周りにバレたくなくって……」
「ああ、ヘッド、あれね。うん、分かった」
僕の説明が悪くて、ちゃんと伝わっていなかったらしい。そうだよね、昨日僕が発言したことなんて全部変だっただろうし。
「僕、可愛いものが好きなこと誰にも言ってなくて」
「そうなの?」
「うん」
朝川さんは驚いた顔をしていたけれど、僕に何かを聞き返すことはなかった。ご飯を食べ終えるまで二人とも無言だった。このまま教室戻るのかと思っていたら、朝川さんがこちらを向いて言った。
「次会うのいつにする? 平日は部活あるから土日がいい?」
当然のように遊ぶ提案をしてきてくれた。昨日のこと覚えてるんだ。現金な僕はいそいそスマートフォンを取り出し、予定の無い日を朝川さんに教えた。
「じゃあ、今度の日曜に」
「うん、よろしく」
教室の少し手前で別れる。
朝川さんと遊ぶ約束をしてしまった。しかも、朝川さんの家らしい。まあ、彼女の服とか見せてもらうから行くしかないんだけど。いいのかな。
「おかえり」
「ただいま」
教室に戻ると壮介に話しかけられた。悪いことはしていないのにどこかよそよそしい声で返してしまった。ごめん、壮介。
「五時間目の宿題やった?」
「おう、今日はばっちり」
「よかった」
壮介もやれば出来るんだから毎回ちゃんとやればいいのに。きっと部活が忙しくて夜早く寝ちゃうんだろうな。
朝川さんと話せたことでなんだか気が抜けて、五時間目六時間目はぼーっと過ごした。英語の読みが当たらない日でよかった。
放課後になり、僕はグラウンドに向かった。今日は部活がある。というか、昨日がイレギュラーだっただけだ。だからあんな気分になったんだけど。
「お疲れ~」
テニスコート脇にテニス部員が集まっていた。僕もその輪に加わる。テニス部は男子が二十六人、女子はもう少しいる。男女で別れているので正確な人数は分からない。
中学からの流れでテニス部に入ったけど、それなりに楽しい。顧問の先生が厳しいわけじゃないし、県大会まで行くくらいの強豪じゃないからのんびり出来る。水曜日が休みなことが多く、土日もどちらかの午前中しかない。
部活に全力したい人にはいまいちかもしれないけど、これくらいが僕にはベストだ。
練習試合以外は学校のジャージだから特別な着替えも無くて楽。運動部だから疲れるし筋肉痛になることもあるけど、そこは部活の醍醐味ってことで。
大学は運動サークルに入るつもりはないから、こうして青春するのも高校までか。部活以外の青春も見つけたいなぁ。
一時間半汗を掻き、部活が終わった。もう夏になるから暑い。特に今日は風が吹いていないから余計に。
毎日十八時に部活が終わる。基本的にはそのまま帰宅するから、十八時台には家に着ける。今日もそのコースだ。
「ただいま」
鍵を開けて家に入ると、玄関まで良い匂いが漂ってきた。お、焼肉かステーキかな。育ち盛りだからやっぱり肉料理だとテンション上がる。
「おかえり。手洗ってね」
「もう洗ったよ」
リビングではキッチンでお母さんがせわしく動いていた。もうすぐお父さんも帰ってくる。せめてもと食器をテーブルに運ぶ。これだけじゃ家事を手伝ったことにはならないだろうけど、文句を言われたことはないから甘えている。
三十分もしないうちにお父さんが帰ってきて夕食となった。
「今日はステーキが安かったの」
予想通りステーキだった。塩コショウのシンプルな味付け。それが好き。三百グラムはいける。
「今日も良い食べっぷりね」
「部活で動いたから」
「そりゃいい」
お父さんが歯を見せて笑った。
笑うと結構皺がある。いつからだろう。お父さんも年を取ったんだな。あと少しで五十歳だもんね。
正社員で毎日働くお父さん。パートと家の家事で毎日大変なお母さん。二人のおかげで僕は安心して毎日を送っていられる。二人を悲しませることはしたくない。したくないのに、僕がしたいことはきっと二人を悲しませる。
別に女の子になりたいわけじゃない。なのに、可愛いものが好きで、可愛いものを着たいと思う。男なら男の恰好をしていれば何も言われないのに。自分でも全然分からない。この変な思考を切り捨ててゴミ袋に投げ捨てられたらどんなにいいか。
「ごちそうさま」
食べ終えてさっさと二階に上がる。部屋に入れば少しだけざわざわした気持ちが落ち着いた。
週末、僕は秘密を初めて形にする。お父さん、お母さん、ごめんなさい。
教室に着くとまだ二人しかいなかった。朝川さんの机にまだリュックは無い。昨日僕より早く昇降口にいたから一本早いのかと思ったけど、もしかしたら同じ電車で早く着いただけだったのかもしれない。
仲の良いクラスメートも登校していないから、トイレにでも行っておこう。そう思ってドアに近づくと、ちょうど朝川さんが入ってくるところだった。
「お、はよう」
「おはよ」
朝川さんの瞳が少し細まる。昨日のことを言おうとして口を開いたら、そこに朝川さんの人差し指が近付いた。
「あとで、ね」
「う、うん。分かった」
どうやらここではまずいらしい。僕はこくこく頷いて、大人しくトイレに向かった。
「わ」
トイレを済ませて手を洗っていたら、にやついた僕の顔がそこにあった。こんな顔してたんだ、恥ずかしい。朝川さん、変に思わなかったかな。友だちが初めて出来た小学一年生みたいだ。
教室に戻ると、半分近く登校していた。声をかけられて輪に入る。ちらりと朝川さんを見たら、一人で本を読んでいた。
朝川さんが誰かと一緒にいるところを見たことがない。多分、部活にも入っていないはず。
教室ではスマートフォンを弄っているか本を読んでいることが多いけど、どんな本を何読んでるんだろう。気になる。
結局「あとで」がどの時間なのか分からないまま四時間目が終わった。ここまで来たらお昼休みのことだろう、多分。
昼食はたいてい数人で購買に行って総菜パンを買って食べる。今日は断りを入れて買ったあと別れ、人気の無い階段で朝川さんにメッセージを送ってみた。
すぐにメッセージが返ってきたと思ったら、確認する前に声をかけられた。
「こっち」
後ろを振り向くと、マスク姿の朝川さんが手招きしていた。届いたメッセージには「そっち行く」の一言のみ。
「どこ行くの?」
「校舎の裏。暖かくて気持ち良いよ」
「へえ」
そこからは黙って朝川さんの後を付いていく。外へ出て校舎に沿って歩いているからか、人とほとんどすれ違わなかった。もしかして気を遣ってくれたのかな。気にしなくていいのに。
「ここ」
「ベンチだ」
グラウンドが見える位置にベンチが設置されていた。こんなところあったんだ。全然知らなかった。
グラウンドではすでに数人の男子生徒がサッカーをしていた。まだお昼休みになって十分も経っていないのに。きっと三時間目終わりに食べたんだな。食べる人はさらにお昼休みにも二回目の昼食をとってるけど。
「じゃあ、食べよ。いただきます」
「いただきます」
朝川さんはお弁当だった。当たり前のようにマスクを外すけど、素顔を知っているのはこの学校にどれだけいるんだろう。もしかして僕だけかもしれない。
「頼田君、意外と食べるね」
僕の買ってきたものを見て朝川さんが目を丸くさせた。目の前には総菜パン二つとお母さんが持たせてくれたおにぎりが一つある。昼食用に五百円もらえるんだけど、それだけじゃ足りないから先月からおにぎりを渡してくれるようになった。忙しいのにありがとう、お母さん。
「いちおう成長期だから」
「いいね」
「朝川さんも食べるね」
「成長期ですから。他の女子みたいに一口で終わる大きさにしたらお腹鳴っちゃうよ」
朝川さんのお弁当はというと、大き目の二段弁当にみかんがデザートで付いていた。いっぱい食べる女の子、良いと思う。
「で、何か質問?」
勢いよく半分くらい食べ終えた朝川さんが聞く。僕も一つ目のパンを飲み込んだところで答えた。
「ええと、あの、どう言ったらいいか……昨日のことなんだけど、出来れば僕の言ったことは忘れてほしいというか」
「昨日のこと?」
きょとんと首を傾げられてしまった。僕は慌てた。
「ごめん。全然、朝川さんには知られてていいんだけど、ああいうのを好きって周りにバレたくなくって……」
「ああ、ヘッド、あれね。うん、分かった」
僕の説明が悪くて、ちゃんと伝わっていなかったらしい。そうだよね、昨日僕が発言したことなんて全部変だっただろうし。
「僕、可愛いものが好きなこと誰にも言ってなくて」
「そうなの?」
「うん」
朝川さんは驚いた顔をしていたけれど、僕に何かを聞き返すことはなかった。ご飯を食べ終えるまで二人とも無言だった。このまま教室戻るのかと思っていたら、朝川さんがこちらを向いて言った。
「次会うのいつにする? 平日は部活あるから土日がいい?」
当然のように遊ぶ提案をしてきてくれた。昨日のこと覚えてるんだ。現金な僕はいそいそスマートフォンを取り出し、予定の無い日を朝川さんに教えた。
「じゃあ、今度の日曜に」
「うん、よろしく」
教室の少し手前で別れる。
朝川さんと遊ぶ約束をしてしまった。しかも、朝川さんの家らしい。まあ、彼女の服とか見せてもらうから行くしかないんだけど。いいのかな。
「おかえり」
「ただいま」
教室に戻ると壮介に話しかけられた。悪いことはしていないのにどこかよそよそしい声で返してしまった。ごめん、壮介。
「五時間目の宿題やった?」
「おう、今日はばっちり」
「よかった」
壮介もやれば出来るんだから毎回ちゃんとやればいいのに。きっと部活が忙しくて夜早く寝ちゃうんだろうな。
朝川さんと話せたことでなんだか気が抜けて、五時間目六時間目はぼーっと過ごした。英語の読みが当たらない日でよかった。
放課後になり、僕はグラウンドに向かった。今日は部活がある。というか、昨日がイレギュラーだっただけだ。だからあんな気分になったんだけど。
「お疲れ~」
テニスコート脇にテニス部員が集まっていた。僕もその輪に加わる。テニス部は男子が二十六人、女子はもう少しいる。男女で別れているので正確な人数は分からない。
中学からの流れでテニス部に入ったけど、それなりに楽しい。顧問の先生が厳しいわけじゃないし、県大会まで行くくらいの強豪じゃないからのんびり出来る。水曜日が休みなことが多く、土日もどちらかの午前中しかない。
部活に全力したい人にはいまいちかもしれないけど、これくらいが僕にはベストだ。
練習試合以外は学校のジャージだから特別な着替えも無くて楽。運動部だから疲れるし筋肉痛になることもあるけど、そこは部活の醍醐味ってことで。
大学は運動サークルに入るつもりはないから、こうして青春するのも高校までか。部活以外の青春も見つけたいなぁ。
一時間半汗を掻き、部活が終わった。もう夏になるから暑い。特に今日は風が吹いていないから余計に。
毎日十八時に部活が終わる。基本的にはそのまま帰宅するから、十八時台には家に着ける。今日もそのコースだ。
「ただいま」
鍵を開けて家に入ると、玄関まで良い匂いが漂ってきた。お、焼肉かステーキかな。育ち盛りだからやっぱり肉料理だとテンション上がる。
「おかえり。手洗ってね」
「もう洗ったよ」
リビングではキッチンでお母さんがせわしく動いていた。もうすぐお父さんも帰ってくる。せめてもと食器をテーブルに運ぶ。これだけじゃ家事を手伝ったことにはならないだろうけど、文句を言われたことはないから甘えている。
三十分もしないうちにお父さんが帰ってきて夕食となった。
「今日はステーキが安かったの」
予想通りステーキだった。塩コショウのシンプルな味付け。それが好き。三百グラムはいける。
「今日も良い食べっぷりね」
「部活で動いたから」
「そりゃいい」
お父さんが歯を見せて笑った。
笑うと結構皺がある。いつからだろう。お父さんも年を取ったんだな。あと少しで五十歳だもんね。
正社員で毎日働くお父さん。パートと家の家事で毎日大変なお母さん。二人のおかげで僕は安心して毎日を送っていられる。二人を悲しませることはしたくない。したくないのに、僕がしたいことはきっと二人を悲しませる。
別に女の子になりたいわけじゃない。なのに、可愛いものが好きで、可愛いものを着たいと思う。男なら男の恰好をしていれば何も言われないのに。自分でも全然分からない。この変な思考を切り捨ててゴミ袋に投げ捨てられたらどんなにいいか。
「ごちそうさま」
食べ終えてさっさと二階に上がる。部屋に入れば少しだけざわざわした気持ちが落ち着いた。
週末、僕は秘密を初めて形にする。お父さん、お母さん、ごめんなさい。