そのあと、深月はお茶に誘われ、キャラメルやそのほかの菓子を囲みながら会話に参加していた。
「わたしたち本当に誤解していました。てっきり包丁の扱いや水仕事にも触れたことがない生粋のお嬢さまだと思っていたのに」
「生粋のお嬢さまというのは間違っていないわよ。でも本当に驚きました。朱凰家の分家ともなると家事はすべて使用人任せなのが普通だと思っていたのに。あんなにも素早く動き回れるなんて」
「ひ、ひと通りの知識と経験は……ほかのお嬢さまはわかりませんが、それぞれだと思います」
こうして輪に入ることができたのはよかったが、大勢の前で話すにも失言には注意を払わなければいけない。どちらかといえば聞き手に回るほうが得意な深月は、自分が喋るたび複数に注目される状況にはまだあまりなれていなかった。
深月がそういう性格だというのは、この数日で女中たちも密かに察したようで、お喋り女中らを中心に和気あいあいと談話が続いていた。
自分が中心にいるのはなるべく遠慮したい深月だが、賑々しい雰囲気はむしろ好きだということに最近気づいた。だから、女中たちの会話がころころと変わっていくのも楽しくて、自然と笑みがこぼれた。
「あっ、そういえば。あなた、あの方とはどうなったのよ」
ふいに深月の対角線上に座る女中が、隣の女中をにやつきながら小突く。話を振られたほうは、とたんにかっと赤くなった。
「いきなり聞くなんてやめてよ、もう」
「うまくいっていなそうなら聞かないわよ。でも、今日はずっと朝からご機嫌で聞いてほしそうな顔をしてたじゃない」
話の雰囲気で深月はなんとなく悟った。
たぶん、これは。
「ふふふ、じつは……永桜祭を一緒に過ごそうと誘われて。黎明舞もふたりで鑑賞する予定よ」
その告白に、場はわっと盛り上がりを見せる。
「きゃあ、やったじゃない!」
「羨ましいわぁ。気になる殿方と逢瀬だなんて。わたしの故郷は男女ふたりで歩いているとまだいろいろ言ってくる人が多いもの」
「逢瀬ではなくて、いまどきはデェトって言うのよ。いいわねぇ気になる人とデェト」
それぞれ視線を上向きにして思い馳せるようにうっとりしているので、深月は呆然とその様子を見つめるしかなかった。深月の隣に座る園子が気を利かせ、こほんと咳払いする。
「あなたたち、お嬢さまが驚いているでしょ」
「ああ、ごめんなさいっ。じつはこの子、ずっと気になっていた酒蔵の息子さんと文通する仲になりまして。いつデェトに漕ぎつけるのかと皆やきもきしていたんです」
「……恋仲ということですか?」
ごくりと空気を飲み込み、深月は興味津々に聞き返す。
「ま、まだそこまでではないんですよ⁉ いえ、ゆくゆくはとも思っているという感じで、でもまだそんな」
「とまあ、正式にお付き合いを申し込まれたわけではないので、恋仲です」
早口語りが止まらない女中に代わり、隣の女中が呆れ気味に教えてくれた。
その話題をきっかけに、女中たちは口々に色恋話に花を咲かせ始める。
なんという間の悪い話……いや、そのようなことを思ってはいけないと深月は慌てて首を振る。
「すみません、お嬢さま。永桜祭が近いからとはいえ皆揃って浮かれ頭で」
「浮かれ頭だなんて言い方ひどい園子さん! そういう園子さんだって前に紳士風な方と」
「きっぱり振られたけど聞きたい?」
園子が腕を組んで堂々と言い張ると、これまで盛り上がっていたはずの場が一気に沈んだ。同情的な空気に、当の園子はとくに気にしてなさそうである。
「ま、まあ、恋がすべて実るのはお伽噺のなかぐらいよね。むしろ現実はうまくいかないことのほうが多いというか、相思相愛はある意味奇跡だもの」
「そうそう。失恋のひとつやふたつなによ。女は振られるたびに涙を流して強さと美しさを手に入れるんだから。園子さんの最後の相手は幸せものよ」
「気を遣わなくて結構。失恋も得恋も好きに話しなさい」
園子のさっぱりとした言い草に、わかりやすい慰めを言っていた女中たちは、では遠慮なくと好きに話し始める。
彼女たちの会話はむしろうまくいかなかった場合のほうが多くて興味深かった。それから深月はそろりと園子を窺い、意を決して言葉にする。
「恋とは、うまくいかないことのほうが多いのでしょうか」
「え?」
「相思相愛は奇跡なのですか」
深月の素っ頓狂な質問で園子の目が大きく広がる。
「お嬢さま、突然どうしたんです……って、ああ、お嬢さまは隊長さまと良好なご関係ですからね。わたしとはまったく違いますよ」
暁との関係を指摘され、内心どきりとしながら平常を装う。
便乗するように周りの女中もうなずいた。
「ええ、本当に。隊員の方から聞きましたけど、女性にあれだけ気を許している隊長さまは初めてだと言っていましたよ」
「……そのように言われていたんですね」
偽りの関係がしっかり信じられているという証であり、暁の立ち回りもうまくいっているということなのだろう。でも、いま聞くにはなんだか複雑である。
「お嬢さまは隊長さまとうまくいっていますし、失恋の話自体が珍しいんですよ。わたしも不思議ですもん。園子さん、昨日振られたとしても気持ちを引きずったりしないじゃないですか」
うんうん、と女中たちは首を縦にした。
こうした悩める女子の力強い同調が深月には学ぶことが多かった。
「わたしなら相手のことを考えて、どうして、なんで……って、悶々としちゃいます。好きにならなければここまで辛い思いせずに済んだのにって」
厭世的な思考に覚えのある彼女らは、またも肯定するよう何度もうなずいていた。
しかし園子は考えが少し違うようで、早熟な顔で笑ってみせた。
「結果はどうであれ、お慕いしていたことを後悔していないもの。たとえ相手との気持ちに大きな差があって好意を受け入れてもらえなくても、その人のすべてを嫌いになったわけではないし」
はっと深月は息を呑んだ。
世の女性というのは、皆似たような経験をして、園子のように達観するようになるのだろうか。許嫁や婚約者をあてがわれる華族の娘はまた違うのかもしれないが、話を聞く限り庶民間では自由恋愛の風潮も徐々に増えてきたという。でなければ、年頃の女子がいくつも恋に敗れた話で盛り上がりはしないだろう。
なんにせよ、園子の言葉は目から鱗の答えだった。
同時に、深月はひどく納得していた。
実りある午前の休息を過ごした深月は、馳せる思いを感じながら午後の手伝いに全力で励むのだった。
「わたしたち本当に誤解していました。てっきり包丁の扱いや水仕事にも触れたことがない生粋のお嬢さまだと思っていたのに」
「生粋のお嬢さまというのは間違っていないわよ。でも本当に驚きました。朱凰家の分家ともなると家事はすべて使用人任せなのが普通だと思っていたのに。あんなにも素早く動き回れるなんて」
「ひ、ひと通りの知識と経験は……ほかのお嬢さまはわかりませんが、それぞれだと思います」
こうして輪に入ることができたのはよかったが、大勢の前で話すにも失言には注意を払わなければいけない。どちらかといえば聞き手に回るほうが得意な深月は、自分が喋るたび複数に注目される状況にはまだあまりなれていなかった。
深月がそういう性格だというのは、この数日で女中たちも密かに察したようで、お喋り女中らを中心に和気あいあいと談話が続いていた。
自分が中心にいるのはなるべく遠慮したい深月だが、賑々しい雰囲気はむしろ好きだということに最近気づいた。だから、女中たちの会話がころころと変わっていくのも楽しくて、自然と笑みがこぼれた。
「あっ、そういえば。あなた、あの方とはどうなったのよ」
ふいに深月の対角線上に座る女中が、隣の女中をにやつきながら小突く。話を振られたほうは、とたんにかっと赤くなった。
「いきなり聞くなんてやめてよ、もう」
「うまくいっていなそうなら聞かないわよ。でも、今日はずっと朝からご機嫌で聞いてほしそうな顔をしてたじゃない」
話の雰囲気で深月はなんとなく悟った。
たぶん、これは。
「ふふふ、じつは……永桜祭を一緒に過ごそうと誘われて。黎明舞もふたりで鑑賞する予定よ」
その告白に、場はわっと盛り上がりを見せる。
「きゃあ、やったじゃない!」
「羨ましいわぁ。気になる殿方と逢瀬だなんて。わたしの故郷は男女ふたりで歩いているとまだいろいろ言ってくる人が多いもの」
「逢瀬ではなくて、いまどきはデェトって言うのよ。いいわねぇ気になる人とデェト」
それぞれ視線を上向きにして思い馳せるようにうっとりしているので、深月は呆然とその様子を見つめるしかなかった。深月の隣に座る園子が気を利かせ、こほんと咳払いする。
「あなたたち、お嬢さまが驚いているでしょ」
「ああ、ごめんなさいっ。じつはこの子、ずっと気になっていた酒蔵の息子さんと文通する仲になりまして。いつデェトに漕ぎつけるのかと皆やきもきしていたんです」
「……恋仲ということですか?」
ごくりと空気を飲み込み、深月は興味津々に聞き返す。
「ま、まだそこまでではないんですよ⁉ いえ、ゆくゆくはとも思っているという感じで、でもまだそんな」
「とまあ、正式にお付き合いを申し込まれたわけではないので、恋仲です」
早口語りが止まらない女中に代わり、隣の女中が呆れ気味に教えてくれた。
その話題をきっかけに、女中たちは口々に色恋話に花を咲かせ始める。
なんという間の悪い話……いや、そのようなことを思ってはいけないと深月は慌てて首を振る。
「すみません、お嬢さま。永桜祭が近いからとはいえ皆揃って浮かれ頭で」
「浮かれ頭だなんて言い方ひどい園子さん! そういう園子さんだって前に紳士風な方と」
「きっぱり振られたけど聞きたい?」
園子が腕を組んで堂々と言い張ると、これまで盛り上がっていたはずの場が一気に沈んだ。同情的な空気に、当の園子はとくに気にしてなさそうである。
「ま、まあ、恋がすべて実るのはお伽噺のなかぐらいよね。むしろ現実はうまくいかないことのほうが多いというか、相思相愛はある意味奇跡だもの」
「そうそう。失恋のひとつやふたつなによ。女は振られるたびに涙を流して強さと美しさを手に入れるんだから。園子さんの最後の相手は幸せものよ」
「気を遣わなくて結構。失恋も得恋も好きに話しなさい」
園子のさっぱりとした言い草に、わかりやすい慰めを言っていた女中たちは、では遠慮なくと好きに話し始める。
彼女たちの会話はむしろうまくいかなかった場合のほうが多くて興味深かった。それから深月はそろりと園子を窺い、意を決して言葉にする。
「恋とは、うまくいかないことのほうが多いのでしょうか」
「え?」
「相思相愛は奇跡なのですか」
深月の素っ頓狂な質問で園子の目が大きく広がる。
「お嬢さま、突然どうしたんです……って、ああ、お嬢さまは隊長さまと良好なご関係ですからね。わたしとはまったく違いますよ」
暁との関係を指摘され、内心どきりとしながら平常を装う。
便乗するように周りの女中もうなずいた。
「ええ、本当に。隊員の方から聞きましたけど、女性にあれだけ気を許している隊長さまは初めてだと言っていましたよ」
「……そのように言われていたんですね」
偽りの関係がしっかり信じられているという証であり、暁の立ち回りもうまくいっているということなのだろう。でも、いま聞くにはなんだか複雑である。
「お嬢さまは隊長さまとうまくいっていますし、失恋の話自体が珍しいんですよ。わたしも不思議ですもん。園子さん、昨日振られたとしても気持ちを引きずったりしないじゃないですか」
うんうん、と女中たちは首を縦にした。
こうした悩める女子の力強い同調が深月には学ぶことが多かった。
「わたしなら相手のことを考えて、どうして、なんで……って、悶々としちゃいます。好きにならなければここまで辛い思いせずに済んだのにって」
厭世的な思考に覚えのある彼女らは、またも肯定するよう何度もうなずいていた。
しかし園子は考えが少し違うようで、早熟な顔で笑ってみせた。
「結果はどうであれ、お慕いしていたことを後悔していないもの。たとえ相手との気持ちに大きな差があって好意を受け入れてもらえなくても、その人のすべてを嫌いになったわけではないし」
はっと深月は息を呑んだ。
世の女性というのは、皆似たような経験をして、園子のように達観するようになるのだろうか。許嫁や婚約者をあてがわれる華族の娘はまた違うのかもしれないが、話を聞く限り庶民間では自由恋愛の風潮も徐々に増えてきたという。でなければ、年頃の女子がいくつも恋に敗れた話で盛り上がりはしないだろう。
なんにせよ、園子の言葉は目から鱗の答えだった。
同時に、深月はひどく納得していた。
実りある午前の休息を過ごした深月は、馳せる思いを感じながら午後の手伝いに全力で励むのだった。