おかしいって思っていた。

次の春を迎えられるかわからないと言われたから、それなら今年の桜を思う存分見ておきたいと伝えたら、それはできないよと首を真横に振られた日から、ずっと。


窓の外の世界はハリボテのようだった。本やインターネットで知識を得なければ、わたしはずっとこの窓から見える世界を誤解したままでいただろう。月の沈んでいった場所に行けば、そこに三日月が落ちていると可愛らしい幻想に胸を踊らせていた頃もあった。使い古しの月はそれでも毎日美しかった。毎日、生まれ変わっているみたいだと思った。

わたしの体もそうであればいいのに。病巣となった体は弱る一方で何も生み出しはしない。死ぬまでの○日間とでも名付けたエッセイ本を出したら一儲けできるだろうかとか考えて、自分がそのお金を使える可能性は限りなく低いと気付き、徒労だと吐き捨てた。


致死量の痛み止めを打ち込んで死ぬのが理想だと思う。とっくに、延命目的の治療は止めた。楽しみがなく、趣味もない。心はとうの昔に死んでいる。そんな状態で生きている自分が、惨めで仕方なかった。


カレンダーを見ることを止めた。今日は何日? と毎朝たずねる看護師に、昨日プラス一日を答える。毎日、正しかった。


(はるか)


人の病室に忍び込んで、ベッドの縁からひょこりと顔を出す馬鹿もいる。何してんのと口にすることすら億劫で、布団に潜り込み無視を決め込んだ。


「遥。俺、ちょっと出かけてくる」
「……は?」
「もし戻ってこられなかったら遥との最後の会話がこの前の『能天気のアホったれ』になるから、それは嫌だなと思って来たんだけど、別に何も言いたいことはなかった。何がいいかな、さいごの言葉」
「寝言は寝ていいなよ阿呆」
「ひっでぇの……」


乾いた笑いがベッドの上に落とされる。頭まで被ったシーツ越しに、重みと温もりが乗っかる。頭の形をなぞるようにするすると撫でられた。よしよし、と小さな声が聞こえてくる。どうして頭を撫でられているのかわからない。やめてって跳ね除けたいのに、こうしていてほしいと思ってしまう。シーツの隙間から覗くと、宝物にでも触れているかのように柔らかく優しく微笑む、同じ病棟の住人がいた。


天峰(あまね)


四方へ跳ね放題の黒髪。水で撫でつけてもちょっとやそっとじゃ整わない。切れ長に縁取られた瞳は青みがかっていて、空を閉じ込めているようで美しい。陶器のように白くつるりとした肌は、触れると上質な布の上を滑っているように錯覚する。天の峰だなんて、名前すらも一等。

ハリボテの外で出会っていたら、きっと一生縁のない人間だっただろう。同じ年齢、同じ病気、同じ治療、同じ進行度。お互いが競い合って少しでも生き永らえるために神さまが出会わせたのではないかと思う。残念ながら、一緒に頑張ろうと手を握りあったことはない。痛みに耐えきれない日に、背中にぬくもりを分け与えたことがあるだけだ。


「遥も一緒に行く?」
「どこに?」
「どこかに。行くなら、今すぐに」


やっぱり夢でも見ているのだろう。この場合、夢を見ているのはわたしか。この頃は痛みがあって眠れなかった。どうせ夢の中にいるのなら、目を覚まさずにもっと深いところまで沈もう。明日、看護師に日付をきかれたら、26プラス一日を答えなければ。重い瞼をぴったりと合わせて閉じる。このまま眠れると思った。はるか、と呼ばれなければ。


「遥、一緒に行こう」
「いやだ、ねむい」
「遥の行きたいところに一番に連れて行ってやるから」
「…………月の、落ちる場所」


窓からはビルの向こうに去っていく姿しか見られないから。月が落ちてどこに行くのか、見てみたい。幼い頃の夢を、捨てられていなかった。