白鳥美月は、名前の通り整った容姿をしていた。艶やかな黒髪は腰のあたりまで伸びているが、痛んでいる様子はない。うねりも跳ねもなく、まっすぐきれいに彼女の背中で揺れる。
 少しメイクをしているようだが、それはあくまで彼女の素材を引き立たせるものだった。
 たとえば彼女はマスカラをしていない。アイラインも引いていない。
 必要ないからだ。
 長いまつげで彩られた大きな目は、そんなものを使わなくても十分すぎるほど、人目を引きつけた。
 自分の美しさを理解した、割り切ったメイクだな、と蓮は感心した。

 白石蓮が美月に呼び出されたのは、突然のことだった。
 同じ学校に通っていることは知っている。でも話したことは一度もない。同じクラスになったこともないので、接点すら見当たらない。
 しかし美月は蓮のクラスを訪ねてきて、「白石くん、ちょっとお時間いいですか」と迷わず蓮を名指ししたのだった。

「…………突然呼び出してごめんなさい」
「うん、別にいいよ。びっくりはしたけどね」

 生徒数の多いこの学園でも、美月は有名人だ。
 大手芸能事務所にスカウトされ、高校一年で芸能界デビュー。女性向けファッション雑誌のモデルをつとめ、中高生の女の子を中心に人気を獲得。
 その後、ヒロインの友人役として出演したドラマで演技力が評価され、若手女優の一人として注目され始めている。
 
「白石くんは知らないかもしれないけど、私、役者をやってるの」
「いやいや、知ってるよ、さすがに」
「本当? それなら話は早いね」

 美月は吸い込まれそうなほど澄んだ目で、蓮をまっすぐに見つめる。そして、心地良い低めの声で、耳を疑うような言葉を紡いだ。

「白石くんの恋を、役作りの参考にさせてくれない?」


 蓮が三年七組の教室に入ると、クラスメイトの視線が自分に集まるのが分かった。
 売り出し中の若手女優が、接点のないはずの同じ学校の男子生徒を突然呼び出した。
 それだけで話のネタとしては十分なのだろう。
 苛立つ心を抑えて、表面上の笑みを浮かべながら、友人の輪に戻っていく。

「ただいまー」
「蓮くん、おかえり! 今ね、ちょうどお菓子開けたところなの。食べる?」

 にこにこと笑いながらチョコレートを差し出してくるのは、成海かなで。
 その隣で、何か訊きたそうな表情を浮かべ、そわそわしているのが、九条咲夜。
 蓮が座った隣の席でチョコレートを頬張っているのが、速水陸。
 この三人が、蓮の高校生活における友人だ。

 男三人、女一人、という傍目から見ればバランスの悪い組み合わせかもしれないが、四人でいるときは不思議と心地良かった。
 八方美人な性格の蓮は、クラスメイトやあまりよく知らない人に対しても、笑顔を浮かべ親切にしてしまう。
 おかげで周囲の人からの評価は上々だ。
 蓮は絡みやすい。話しやすい。頼りになる。
 そんな風に言われていることを、知っている。
 でも実際は、争いごとが面倒だから笑顔を浮かべているだけだ。親切心なんてこれっぽっちも持ち合わせていない。

 友人たちは、きっと蓮の本音には気づいていない。しかしそれぞれ違ったアプローチで、いつも蓮の心を軽くしてくれる。
 かなではいつも蓮の話を聞いて、一緒に考えてくれる。
 陸は何も言わずに手を貸してくれる。
 そして咲夜は、人助けをしている蓮を見ると、なぜか怒る。

『おまえらなぁ、人がいいからって何でもかんでも蓮に頼るんじゃねえよ!』
『蓮! おまえも! 断ることを覚えろって! 人のことばっかり優先してたらパンクするぞ?』

 そうやって蓮のために、怒ってくれるのだ。
 そして文句を言いながらも、おまえはちょっと休んでろ、と蓮の代わりに手伝いをこなしてしまう。

 咲夜の不器用で優しいところが、蓮には眩しくてたまらない。
 この醜くて汚れた恋心が、うっかり顔を出さないように、心の奥に閉じ込めなければいけない。
 蓮は、同じ男である咲夜に恋をしている。
 本人はもちろん、誰にも知られたくない。
 自分の心の中だけにしまっておく予定の、恋だった。


「蓮。さっきのって、告白だったのか?」

 チョコレートを食べながら適当な雑談をしていると、痺れを切らした咲夜が声を上げた。
 あえてその話題は避けてくれていたらしい陸は、苦笑している。
 かなでは容赦なく咲夜の頭を小突き、「バカ! 本当にデリカシーがない!」と怒りの声を上げる。
 咲夜とかなでは、幼馴染だ。家が近所で幼い頃からよく知った仲なので、仲はいいが喧嘩も多い。

「告白じゃないよ。普通にちょっとした用事があっただけ」

 まさか、自分の醜い恋心を悟られた挙句、役作りの参考にさせてほしいと言われた、なんて言えるはずもない。
 適当に濁して答えると、咲夜は不満そうに口を尖らせた。

「あの白鳥美月でも、蓮ならありえるって思ったんだけどな」
「蓮はモテるもんね」

 咲夜の言葉をオブラートで包むように、陸が言葉を付け足す。

「蓮が白鳥美月と付き合ってたら、美男美女カップルだったのにな」

 悪気ない咲夜の言葉が、オブラートをぐちゃぐちゃにしてしまう。
 ずきん、と痛む胸の内を隠しながら、蓮は笑う。

「もし俺が白鳥さんに釣り合うほどの美形だったら、とっくに恋人を作ってるよ」

 ひどい自虐だと思った。
 どんなに美形でも。どんなに性格がよくても。
 蓮が男である限り、咲夜の恋愛対象にすら入らない、というのに。
 

 咲夜に出会うまで、蓮は自分が同性に恋をする日がくるなんて、一度も想像したことがなかった。
 初恋も、これまでの恋人も、もれなく女の子だったし、男を恋の対象としてみる、という発想すらなかった。

 高校一年の春。あの日のことは、鮮明に覚えている。
 蓮は中学生の頃あまり身長が伸びなかったので、小柄な方だった。加えて中性的な顔立ち。女みたいだな、とからかわれたこともあり、高校では舐められないように派手にいこう、と思っていた。
 見た目の印象を派手にする。手っ取り早く、髪を染めた。それもユニコーンカラーに。
 校則で過度な染髪は禁止、と定められていたので、さすがに教師に注意された。
 しかし蓮は染め直すつもりがなかった。少なくとも周りの生徒たちに、この印象を植え付けるまでは。

 クラスメイトが遠巻きに蓮を眺めるなか、唯一声をかけてきたのが咲夜だった。
 そのときはまだ名前も知らない、クラスメイトA。

「髪、きれいな色してんな。地毛?」
「そんなわけないじゃん。染めてるんだよ」
「へぇ。虹色にもできるんだ。かっこいいな」

 ユニコーンカラーのことを虹色と呼ぶくらいなので、クラスメイトAはあまりおしゃれに詳しくないのだろう。
 かっこいい、というあまり向けられたことのなかった言葉が、ひどく嬉しかったことを覚えている。

「背も低いし、顔が女みたいって言われるから、舐められないように染めただけだよ」

 照れ隠しに、蓮はつい本当のことを話してしまった。しかしクラスメイトAは、目を丸くして首を傾げた。

「えー、もったいねえな。ハーフみたいな顔だし、染めるなら金髪とかにすればいいのに」
「金髪もユニコーンカラーも変わらないでしょ。どっちも派手だし」

 ユニコーンカラー、という単語にクラスメイトAは不思議そうな表情を浮かべた。
 それから、ああ虹色のこと? と納得したように頷く。

「金にしろよ。ぜってぇ今よりもっと似合うから」

 自信満々に言い切るクラスメイトAの言葉を、どうして信じようと思ったのか。
 そのときには分からなかった。
 今なら分かる。きっと、蓮はこの瞬間から惹かれていたのだ。


 ゴールデンウィーク明けに、髪を金色に染めた。クラスメイトAの言う通り、地毛と言っても納得されそうなくらい、明るい金色は蓮に似合っていた。

「おー、染めた染めた。やっぱり金の方が似合うじゃん」
「まあ、クラスメイトAがうるさいからね」
「は? まさかクラスメイトAって俺のこと?」

 九条咲夜だって自己紹介しただろうが! と不満気に声を荒げながらも、なぜか蓮の隣に居座り続ける。
 後になって気づいたことだが、きっと咲夜は、派手な髪色で目立ち過ぎている蓮を、守ってくれていたのだ。
 クラスで孤立しないように。
 ガラの悪い先輩に絡まれないように。

「なあ、蓮ー」

 当たり前のように呼ばれた名前も、不思議と嫌じゃない。
 なに? と聞き返すと、咲夜は眩しそうに目を細め、蓮の金色の髪を見つめる。

「俺、その色、好きだ」
 
 たぶんそれは、何気ない言葉だった。
 本人はきっともう忘れている。
 覚えているのは、蓮だけ。

 染めたばかりの髪の色を褒められただけ。
 ただそれだけなのに、なぜか自分が告白されたような、そんな気恥ずかしさを覚えた。

 赤くなった蓮に、照れんなバカ、と咲夜は呟く。
 俺にまで移るだろ、と続いた言葉。横目で咲夜を見ると、耳まで真っ赤に染まっていた。


 蓮の恋を演技の参考にさせてほしい、という美月のお願いは、断ったはずだった。
 墓まで持っていくつもりだった醜くて汚い恋心を、よく知りもしない他人に語るなんて、まっぴらごめんだ。
 しかも彼女はそこそこ知名度のある役者だ。
 美月が蓮の恋を参考に役作りをしたとしたら。
 彼女の演技を通じて、日本中の人たちに蓮の恋心を蔑まれるに違いない。
 本人に伝える気もない恋を、赤の他人に否定されるなんて、そんなこと誰が望むというのだろう。

 丁重にお断りしたはずなのに、美月はめげずに蓮の教室に通い詰めた。
 例のお願いの件だけど、考えてくれた? と訊かれ、いやいや断ったでしょ! と答えること、十数回。
 話の内容を知らない咲夜が、ふいに助け舟を出してくれた。

「白鳥さんが蓮にどんな頼み事してるのか、知らないし興味もないけどさ」
「なに、九条くん」
「あ、俺のこと知ってるんだ、意外」

 蓮からは、美月に何も話していない。
 しかしきっと蓮の恋の相手として認識しているのだろう。
 何か余計なことを話される前に、蓮は慌てて口を挟む。

「えーっと、さっくん、何言いかけてたの?」
「ああ、そう。蓮って人の頼み事は基本的に断らないんだよ。その蓮がこれだけ断るって、たぶん相当困ってると思うからさ。やめてやってくれない?」

 その言葉に、胸の奥がぎゅうと締め付けられる。
 咲夜から向けられる優しさが、また蓮の恋を重くした。
 どんどん重たくなっていく気持ちを、どうすることもできず、ただ持て余している。
 美月は咲夜の言葉に頷いて、少しだけ笑う。

「無理強いするつもりはないの。最終的に断るなら、それでもいい。でも、最後まで話を聞いてほしくて」

 美月の言い分を聞いて、蓮は自分がろくに話も聞かずに断りの返事をしたことを思い出した。
 恋の話には触れてほしくなかったから、きっと防衛本能で遮ってしまったのだ。
 最終的に断ってもいい。美月の言葉に、後押しされたところもある。
 しかし一番の狙いは、しっかり話を聞いた上で断りの返事をして、美月にこれ以上付きまとわれないようにするためだった。

「…………まあ、それくらいなら」

 嫌々ながらも答えた蓮に、咲夜がため息を吐く。
 本当に大丈夫か? と心配そうな声を上げてくれる咲夜に、蓮は眉を下げて笑ってみせた。

「大丈夫。この件に関しては、何があっても断る気でいるから」
「…………蓮がちゃんと断れるっていうなら、それでいいけどさ」

 困ったら俺に言えよ、という優しさが言外に滲み出ている。そんなところも、たまらなく好きだ。
 咲夜の優しさに触れることができたので、美月にも少しくらいは感謝しなくてはいけないかもしれない。
 横目で美月を盗み見ると、嬉しそうな笑みを浮かべていた。


 美月の話を聞くために、空き教室に移動した。何があっても他の誰かに聞かれるわけにはいかない。特に、蓮の恋について美月が触れるつもりならば、万が一もあってはいけないのだ。

「話は聞くけど、何回も言ってる通り、俺は断るからね」
「うん。それでもいい。ありがとう」

 美月は口元にやわらかな笑みを浮かべ、静かな声で語り出した。

「私には好きな人がいるの。現実には存在しないんだけど…………それでも、これは恋だって信じてる」

 そう言って美月が見せてきたのは、蓮も知っている映画の予告映像だった。
 幼馴染のヒロインに想いを寄せる主人公。でもそのヒロインは、主人公の兄のことが好きだった。
 果たしてこの恋は叶うのか。
 そんな煽りで終わる予告の映像だったが、蓮は映画を見ていないので結末を知らない。
 美月はこの映画に出てくる、主人公の兄のことが好きなのだと語った。

「お兄さん役を演じてる俳優さんが好きってこと?」
「ううん。役者じゃなくて、その役が好きなの」

 蓮にはなかなか理解しがたい感情だった。
 実在しない、作られた役。
 演じている役者ではなく、役者が演じたキャラクターに恋をしていると、美月は言った。
 そういうこともあるのか、と蓮は少しだけ驚いてしまった。同性に恋をしてしまった蓮が言えることではないが、かなり珍しい形の恋に思えたからだ。

 考えが表情に出てしまったのか、美月は「気持ち悪いって思うでしょ」と自虐的に笑った。

「気持ち悪くないよ。誰を好きになろうが、白鳥さんの自由でしょ」
「…………うん、ありがとう」

 その話と頼み事がどんな風に繋がってくるのか分からなかったので、蓮は続きを促した。
 美月は静かな声で言葉を紡ぐ。

「この映画を撮った監督、もう引退しちゃうの。次が最後の映画なんだって」
「……監督の撮る最後の映画に出たいってこと?」
「うん。メインキャストを決めるオーディションが今月末にある。私、どうしても主人公がやりたいの」

 ようやく話が繋がってきた。
 嫌な予感とともに、蓮はおそるおそる訊ねる。

「…………つまり、その映画が恋愛もので、しかも相手がその…………」

 同性ってこと? と言うのはためらった。
 その発言をしてしまえば、参考にしたいと言われている蓮の恋も、同性に対するものだと認めることになるからだ。
 美月は蓮に気遣うように、言葉を選んでくれた。

「そう。女友達に恋をしてしまった主人公の女の子。その苦悩と葛藤を描いた、純愛の物語」
「純愛、ね………………」

 どんなにきれいな言葉で着飾ったところで、きっとその主人公の恋も迷惑なものに違いないのに。
 蓮が自虐を含んだ笑みをこぼすと、美月は不思議そうに首を傾げた。

「純愛だよ? まだ台本を読んだわけじゃないから、実際にどんな話かは私も知らない。でも前に監督がインタビューで熱く語ってた」

 この世界で一番きれいな恋を描きたい、と。
 とても美しい響きだ、と蓮は思った。
 そして同時に、やはりこの話は辞退するべきだ、とも。
 どんなに好意的に捉えようとしても、蓮の咲夜に対する気持ちは、醜く汚れている。
 同性から向けられる恋心が、汚いとは限らないのかもしれない。
 でも、蓮のものはダメだ。だって蓮が咲夜に抱いている気持ちの中には、劣情が含まれている。こんなものを表に出してはいけない。


 話は分かったけど、と蓮が断りの言葉を紡ぎ始めると、美月は待って! と慌てたように声を上げた。

「一つ、誤解をしているみたいだから、これだけは分かってほしいの」
「なに?」
「私は……白石くんの恋の相手が、同性だったから、この話を持ちかけたんじゃない」
「え…………?」

 美月はまっすぐに蓮を見つめる。
 どこまでも澄んだ、きれいな瞳だった。

「たくさんの人を観察したの。学年や性別は関係なく、学校中の人を」
「役作りのために?」
「そう。どんな恋の形があるのか知りたくて」

 片想い、両片想い、両想いだけどまだ付き合う前、恋人になってから。恋にはたくさんの形がある。
 そして、その恋の捉え方も人それぞれなのだと美月は語った。
 恋を全力で楽しんだり、叶わない恋に苦しんだり。

「そんな中で、白石くんを見つけたの」

 思い出を懐かしむように、美月は目を閉じる。
 それからゆったりとした口調で、『それ』を紡いだ。

「白石くんの視線の先には、いつもあの人がいた。最初は仲がいいからかな、と思った。でも、あの人が笑うと、白石くんはとても幸せそうな顔をするの。だからきっと、恋なんだなって思ったの」
「………………」
「この学校の中でたくさんの恋を見てきて、たぶん白石くんだけだったのよ」

 相手に何の見返りも求めない。
 ただ相手の幸せを願うだけの恋。

 そんな風に言語化されて、蓮は戸惑った。そんなのは買い被りすぎだ、と言ってやりたいのに、どうしてか言葉にならない。
 美月は蓮が何も言わないのを見て、言葉を続けた。

「この世界にはもっとたくさんの恋の形があると思う。でも私は、白石くんだと思った」
「…………っ」
「白石くんの恋が、一番きれいだと思ったの……!」

 美月の言葉に、息が詰まる。
 視界が歪むのはどうしてか。
 断る言葉が思いつかないのはなぜか。
 どうしようもないほど感情が揺さぶられている、その理由は。

 泣き出してしまいたかった。
 誰にも話したことのない、醜くて汚い恋心。
 美月はこの恋を、きれいだと言ってくれた。
 その事実がたまらなく嬉しかったのだ。

「…………俺だって、恋人でもないのに嫉妬したり、好きな人の好きな人になりたいなんて考えることもある。あんまりこんなこと言いたくないけど、……そういう欲も、含まれてる。だからこの恋はきれいなんかじゃ、」
「きれいだよ」

 蓮の言葉を遮り、凛とした声が教室に響く。

「白石くんがどう思っていようと関係ない。私はきみの恋が、一番きれいだと思ったんだから」

 同性に恋心を抱くなんて、きっと気持ちが悪い。しかもそこに劣情が混ざっているのならなおさら。
 自分自身ですら汚い恋だと否定し、受け入れられなかった感情。
 しかし美月は、ひとかけらの迷いもなく、蓮の気持ちをきれいだと言い切ってくれた。

 もしかしたら蓮に協力をあおぐための、嘘かもしれない。
 それでも蓮は信じたいと思った。思って、しまったのだ。
 騙されてもいい。この恋を認めてくれる人がいるなら。

「…………役作りの協力って、具体的に何をするの」
「話を聞かせてほしい。白石くんの抱いている感情を詳しく知りたいの」

 どの感情を芝居に反映させるかは、美月自身が決める。
 咲夜に対して抱く気持ちの全てを、余すことなく話す。それが蓮に求められていることのようだった。

「協力、してもいいよ」
「本当!?」
「白鳥さんも叶わない恋をしている仲間だし」

 言葉にした理由は間違いなく都合のいい言い訳だ。美月もきっとそのことには気づいているはずだ。しかし蓮の狡さには触れることなく、美月は嬉しそうに笑った。

「ありがとう……! 私、白石くんの覚悟を無駄にしない。主役、絶対にとってみせるよ」

 映画のキャスティングのオーディションが、どのくらいの倍率なのか、蓮は知らない。
 出来レースとまではいかなくても、所属する芸能事務所の力関係や、金の流れ、コネなどが関わっているかもしれない。
 役のイメージ、そして純粋な演技力だけを問われるとも限らないだろう。

 それでも美月は蓮に約束してくれた。
 そして実際に、彼女は憧れの監督が手掛ける最後の作品の主役に抜擢されたのだった。


 美月は役が決まってから忙しくなり、学校に来る回数も減った。
 蓮と美月は主に電話でやり取りをした。

 咲夜との会話の内容。
 蓮がどんな想いを抱いたか。
 気持ちを押し隠すときにどんなことを考えているか。
 どんな言葉を向けられると嬉しくて。
 どんな言葉に傷つくのか。

 あれほど拒んでいたというのに、いざ美月に話を聞いてもらうと、驚くほど気持ちが軽くなった。
 醜い嫉妬の炎も、汚い情欲も、美月に話すことで懺悔し、許されているような気持ちになった。
 そのせいでたぶん、少し気が緩んでいたのだ。

「たまに蓮は俺のこと好きなのかも、って思うことあるんだよなぁ」

 冗談のように告げられた咲夜の言葉。
 心臓に直接冷水をかけられたように、ひゅうと縮み上がる。
 蓮は強張る顔に無理矢理笑顔を貼り付け、なにそれ、と誤魔化す言葉を口にした。

「俺がさっくんのことを好きだったら、ホモってことになっちゃうじゃん」

 冗談を返すように必死で言葉を紡いだけれど、かすかに声が震えてしまう。
 世の中で一般的に使われる、ホモという言葉が嫌いだ。
 その中には同性愛に対する侮蔑が含まれているような気がするからだ。

 そもそも俺は同性愛者じゃない!
 好きになった人が、たまたま同じ性別だっただけだ…………!

 蓮は必死に心の中で叫ぶ。
 同時に気づいてしまった。
 そんな風に思う蓮自身が、誰よりも同性愛に対して差別的な意見を持っているのだ、と。

「へぇ、なんか意外。蓮ってそういうの理解ありそうなのに」
「自分以外の誰かの恋愛ならね。たとえば俺がさっくんのこと、そういう意味で好きだったら、気持ち悪いでしょ」

 胸の奥のやわい部分がぐちゃぐちゃに踏み荒らされたような気持ちになった。
 他の誰でもない、蓮自身の言葉によって。
 二度と立ち直れないくらいぐちゃぐちゃに。

 何も知らないはずの咲夜が、目をまたたかせる。
 いっそ同調してほしいと思った。
 確かに気持ち悪いかもな、と咲夜がこの気持ちを全否定してくれれば。
 もしかしたらこの恋も諦めがつくかもしれないのに、と。

「気持ち悪いってなんで?」

 心から不思議そうな表情で、咲夜が首を傾げる。
 相手がどんな人でも、好きって思ってもらえるのは嬉しいだろ。
 続いたその言葉に、どれだけ蓮の心が揺れるのか、咲夜は知らないのだ。

 ああ、やっぱり俺、さっくんが好きだ。
 優しすぎるところも、人を傷つけないところも。
 俺の気持ちなんて知るはずもないのに、一番欲しい言葉をくれる。

 気持ちを打ち明けてしまいたい衝動に駆られ、必死に押さえ込んだ。

「さっくんは誰にでも優しいね。モテるのも納得だよ」

 茶化すような言葉で誤魔化すと、「蓮の方がモテるだろうが! 嫌味か!」と返してくれた。もしかしたら、咲夜も空気を読んでくれたのかもしれない。

 翌日から、蓮は少しだけ咲夜との距離を取るようにした。
 この気持ちが本人に悟られてしまわないように。
 咲夜の優しさに甘えて、蓮が自分の気持ちを彼にぶつけてしまわないように。

 友人に避けられていることを、勘のいい咲夜はすぐに気づくだろう。
 蓮は大切な彼のことを傷つけてしまうかもしれない。

 それでも、と蓮は唇を噛む。
 この欲にまみれた汚い恋心を本人にぶつけてしまうより、よっぽどマシだ。


 蓮に避けられていることを、咲夜が気にしている。
 その情報をくれたのは、蓮の友人であり、咲夜の想い人であるかなでだった。

 かなでは蓮の隣で昼食を食べながら、優しい口調で呟いた。

「私でよければいつでも話、聞くからね」

 もしも。咲夜と幼馴染で、蓮よりも彼のことを知っているかなでに相談すれば、何かアドバイスをもらえるのだろうか。
 そんな考えが頭をよぎる。

 しかしすぐにダメだと思い直した。
 咲夜はかなでのことが何よりも大事なのだ。好きなのにその気持ちを伝えることもせず、幼馴染が傷つくことのないよう、ずっとそばで見守っている。

 蓮が咲夜に恋をしていることを打ち明ければ、かなでは蓮の恋を応援してくれるかもしれない。
 しかし同時に、かなで本人が気付かぬうちに、咲夜の恋心を踏みにじることになってしまう。
 それは嫌だ。咲夜が蓮のせいで傷つくのは、絶対に嫌だ。

「…………これは、ひとりごとなんだけどさ」

 咲夜と蓮の仲を心配してくれている友人に、何か言えることはないか。
 ゆっくりと考えて、蓮は口を開く。

「俺、好きな人がいるんだよね。絶対に本人には言えない、叶わない恋をしてる」

 きっとかなでには脈絡のない話に思えただろう。
 蓮が咲夜を避けている理由を心配していたのに、突然好きな人の話をされたのだ。繋がらないに違いない。
 それでもかなでは、深く追求することなく、相槌を打ってくれた。


 撮影期間中も、美月からは何度か連絡があった。
 映画の内容を部外者である蓮に話すわけにはいかないので、美月からの質問はいつも曖昧だった。

『お友達が見たことのない不思議なお菓子を持っていて、白石くんも欲しいなと思ったとするでしょ。でもそれは一つしかない。白石くんならどうする?』
『友達がお菓子を食べているときの表情を見て、どんな味か想像するかな』
『一口ちょうだいって言わないの?』
『言ったら友達の分が減っちゃうじゃん』

『月も電気もない、光源のなさそうな世界に放り込まれたら、何をする?』
『…………まず自分の存在を確認するかな。たとえば暗闇だと思っていても、自分の手とか足とかが見えるなら、どこかに光があるわけだし』
『そっか、希望を探すんだね』

『好きな人が隠れて泣いています。白石くんはどう動く?』
『見守るよ。隠れているなら、きっと声をかけてほしくないんだし。でも泣き止んだら声をかけるかな。何も気づいていないふりをして、いつも通りに』

『めったに雪が降らないところに住んでいるのに、突然雪が降ってきました。白石くんはどうする?』
『好きな人とか友達に、電話とかメッセージで教える。好きな人と話す口実になるし、他の友達にも連絡すれば、下心もバレないだろうし』

 ときに直球に思える質問。でもときには謎かけのような。
 美月からの質問にはなるべく素直に答えるようにしていたが、答えに困るような質問もたくさんあった。

 美月が主役を勝ち取った映画の公開は、来年になると言っていた。
 蓮たちが高校を卒業した後の話だ。
 そもそも主人公が女性とはいえ、同性愛の話を冷静に見られる自信がない。
 しかも『世界一きれいな恋』を謳っているが、切ない恋の話らしい。そんなのあまりにも辛すぎる。
 少し仲良くなっているだけあって、美月の芝居を見てみたいと思う反面、絶対に見ることはないだろうという確信があった。


 高校を卒業してからは、夜は専門学校でヘアメイクの勉強、昼はプロのヘアメイクアーティストの先生の下で現場の手伝い、という生活になった。
 咲夜とは今も連絡を取り続けているが、互いに違う道を進んだので、会う頻度はがくっと減った。

 忙しない日常の中で、ふとしたときに咲夜のことを思い出してしまう。
 新しい恋ができたらいいのに、できなかった。
 専門学校や現場で、たくさん新しい出会いはある。ヘアメイクに関わる業界なので、おしゃれな子が多い。魅力的な人はたくさんいた。
 しかしどれも、恋にはなってくれない。

 この醜くて汚い恋心を、一生抱えて生きていくんだろうか。
 そう思いながら、どうにか恋を忘れるためにヘアメイクの勉強に没頭しようとしていたときだった。
 久しぶりに、美月からメッセージが届く。

『白石くんの家に映画の試写会のチケットを送るから、住所を教えて』

 なんて一方的なメッセージだろう。
 美月には悪いが、見るつもりはないと素直に返信する。すると追加のメッセージが送られてきた。

『気分が悪くなったり、不快になったらすぐに席を立っていいから。お願い、絶対に白石くんに見て欲しい』
『…………じゃあ、行くかは分からないけどとりあえず送って。住所貼っておく』

 住所をメッセージで送信すると、再び『絶対に見に来てね』と返信がくる。
 どんな気持ちで見ればいいか分からないんだよ、と心の中で吐き捨てる。蓮は適当に猫のスタンプを送って、美月とのやり取りを無理矢理終わらせた。

 美月から送られてきたのは、二枚の試写会のチケット。それから短い手紙が同封されていた。

『白石くんへ
あなたが協力してくれたおかげで、最高の映画になりました。白石くんのことは監督にも伏せていたけれど、私が演じた役を見て、こんなにもきれいな恋があるのか、とおっしゃっていました。
前に白石くんは自分の恋を醜くて汚いと言っていたけれど、やっぱり私は、あなたの恋が世界で一番きれいだと思っています。
美月より』

 美月の手紙に目を通し、悔しいけれど泣いてしまった。
 手紙と試写会のチケットを抱きしめて、蓮は久しぶりに流した涙を拭うこともなく、ただ部屋で一人、泣き続けていた。


 試写会の日は、あっという間にやってきた。
 お世話になっているヘアメイクアーティストの先生に話すと、一緒に行きたいと言ってくれたので、先生と蓮は二人並んで席に座る。
 きっと美月がチケットを二枚送ってくれたのは、咲夜を誘えるように、という心遣いだろう。
 でも映画の内容が同性愛に関するものだと分かっていながら、想い人である咲夜を誘う勇気は、待ち合わせていなかった。

 試写会の前後には舞台挨拶があった。
 映画監督と主要キャストが舞台に登壇し、一人ずつコメントをしていく。
 真っ赤なワンピースを着た美月は、際立って美しく見えた。

「本日はご来場いただきありがとうございます。憧れの監督の作品に出演できたことを、誇りに思います。そしてこの映画を通じ、みなさんに恋の美しさを知っていただけたら嬉しいです」

 深くお辞儀をし、顔を上げた美月と、なぜか目が合ったような気がした。
 このチケットを用意してくれたのは美月なので、蓮がどこに座っているのか分かっているのかもしれない。
 目が合ったまま逸らすのは気まずくて、蓮はぺこりと頭を下げる。すると美月は嬉しそうに笑ってみせた。

 舞台挨拶が終わり、映画の上映が始まった。
 美月が演じるのは、学校一の美少女と言われる高校生、ミキ。
 ミキは隣の席の男子に惹かれていき、告白されて初めての交際を始める。しかし男子生徒は、ミキのことが好きなのではなく、『美人な彼女と付き合っている』というステータスが欲しかっただけだった。
 好きだった人に裏切られ、もう恋なんてしたくないと思っていたときに、一人の少女アカネと出会う。
 過去の恋愛が原因で男嫌いになってしまったアカネは、ミキと友達になりたいと言った。二人はどんどん仲良くなり、そしてある日、ミキは自分の中に小さく灯った感情に気づいてしまう。

『どうして……アカネは女の子なのに…………どうして私、アカネのことを好きになってしまったの』
『アカネには言いたくない。あの子が男嫌いになったのは、恋愛が原因なんだ。私がアカネを好きだなんて言ったら、アカネはきっと、女の人も苦手になってしまう……!』

 アカネのことを深く愛するが故に、ミキはどんどん苦しむことになる。
 彼女を傷つけないために自分の気持ちを押し殺す。それでもアカネの前ではいつも優しい笑顔のミキでいた。
 しかしある日、アカネに「好きな人ができたの」と言われてしまう。ようやく幸せを見つけられそう、と笑うアカネの幸せを、心から願うミキ。

『本当なの。アカネが笑っていてくれれば…………私はそれだけで幸せなの。幸せなのに…………! どうしてこんなに苦しいの……! 誰か教えてよっ!』

 アカネの幸せを本気で願いながらも、ミキは自分がアカネを幸せにしてあげたかったのだ、と気がついてしまう。
 こんな恋心は汚い。アカネを汚してしまう。
 そう思い込み、ミキはアカネを避けるようになる。

『どうして私を避けるの? 私にだけ好きな人ができたから? もう恋愛なんてしないって言ってたのに、約束を破ってごめん』
『ちがう、違うよ……先に破ったのは私なの』
『ミキ?』
『ごめん。もう、アカネとは会えない。でもアカネのことは嫌いじゃなかったよ。幸せになってね』

 友達なのだから、好きだと言ってもおかしくはないはずだ。でもミキは言えなかった。
 違う色の『好き』が混ざってしまうことを恐れて、嫌いじゃないという言葉で誤魔化した。

 数ヶ月後、二人は初めて出会った公園で偶然再会する。
 アカネの隣には知らない男がいて、彼女は幸せそうに笑っていた。ミキはそれを見て、静かに涙を流す。

『よかった…………。アカネが幸せそうで、本当によかった……』

 一人でぽろぽろと涙をこぼすミキに、アカネが気づく。
 それから隣にいた男の手をほどき、ミキに駆け寄る。思い切りミキに抱きついたアカネは、ずっと会いたかった、と泣きながら話す。

『ごめんね、ミキ。本当は私あのとき、ミキの気持ちを知ってた。知らないふりをして、ミキのことを傷つけたの。ごめんなさい』
『…………いいの、私こそごめんね。気持ち悪かったでしょ』
『ちがう! そんなことない! ミキの気持ちはいつだってまっすぐで、優しくて、透き通っていて、いつも私のことを一番に考えてくれてた!』

 泣きじゃくるアカネを見つめながら、ミキも大粒の涙をこぼす。

『私、嬉しかったの。ミキの気持ちが嬉しかった。心地よかった。ずっとそのまま好きでいてほしかった…………!』
『でもアカネは、好きな人がいる、って……』
『うん、ずるいよね、ごめん。ミキの気持ちに応えられないくせに、わがまま言ってごめん』

 でもお願い、とアカネがミキに縋り付く。

『この恋を忘れないで。なかったことにしないで。ミキにとっては辛かったかもしれない……でも私は、私にとっては、ミキの向けてくれたその気持ちが、宝物だったの…………!』

 二人は和解して、エンドロールが流れ始める。流行りのミュージシャンがこの映画のために書き下ろした、切ないラブソングだった。
 そしてラストシーンではミキのモノローグ。

 身勝手で醜くて汚い。大好きな彼女には絶対に触れさせたくない。私にとってはそんな恋だった。
 でも彼女は、私のこの汚い恋を、宝物と呼んでくれた。許してくれた。
 この恋はきっと、この先も叶うことはないだろう。
 でも私は、明日も明後日も、この気持ちを胸に抱いて、堂々と生きていく。


 映画が終わると、会場内に拍手が溢れた。蓮は両手を叩きながら、顔を上げることが出来なかった。
 泣くつもりなんてなかったのに、自然と涙が溢れていた。
 隣にいる先生にも、再び壇上に上がった美月にも気づかれたくなくて、蓮は静かに涙を拭う。

 息ができないくらいに、胸が苦しくてたまらなかった。
 ずっと抱えてきた咲夜への恋心。醜くて汚い、とても表には出せない気持ち。
 美月は映画と役を通して、この恋を肯定してくれたのだ。

 あなたの恋は叶わないかもしれない。でも、大丈夫。たまたま相手が同性だっただけ。他の恋と何にも変わらないよ。
 その優しい気持ちを、醜いって罵らないであげて。汚いなんて恥じることもない。
 ううん、むしろ、あなたの恋は、こんなにも透き通ってきれいなんだよ。
 だってほら、いつもあなたは相手の気持ちばかり考えている。押し付けたりしないで、相手の幸せを願い続けている。
 こんなにきれいな恋を、私は他に知らないよ。
 会場に溢れているこの拍手が、その証拠だよ。

 そんなものは、蓮の都合のいい妄想だろうか。
 きっと違う、そう確信していた。
 ゆっくり顔を上げ、壇上の美月の顔を見る。
 整った顔をくしゃりと歪めて、彼女は涙をこぼしていた。あんなに泣いてしまっては、せっかくのメイクも台無しだ。

『異性間の恋愛とは違い……同性に対する恋心は、嫌悪されてしまうことも、あると思います。でも大事なのはどんな相手に恋をしたか、ではなくて、どんな気持ちを抱くか、だと思うんです』

 美月のコメントは途中で途切れた。涙でつかえてしまい、うまく言葉にできないようだった。

『どうか一人でも多くの人が、いろんな恋のあり方を理解し、そして少しでも……ミキのような恋のあり方を、きれいだと思っていただけたら、嬉しいです』

 上映前と同じように深くお辞儀をした美月に、盛大な拍手が贈られる。
 それは美月のファンからのエールかもしれないし、よく話せましたという形だけのものかもしれない。
 映画を見た観客から『きれいな恋だったよ』とか、『素敵な恋のあり方だね』という共感の拍手だったらいい。蓮は柄にもなく、そんなことを思った。


 美月とはしばらく連絡が取れなかった。
 映画の公開に向け、いろんな番組に出て宣伝していたので、きっと忙しいのだろう。

 公開から一週間経った頃、たまたま咲夜とメッセージのやりとりをしているときに、美月の映画の話題になった。
 美月ファンの友人に誘われて、公開初日に見に行ったらしい。
 試写会に行ったことは伏せて、蓮はおそるおそる感想を訊ねた。

『賛否ありそうだけど、俺は好きだったな。すげーきれいな恋の話だった』
『へぇ。確か同性愛の話なんでしょ?』
『まあそうだな。でもポイントはそこじゃなくてさ。うーん、上手く伝えられねーし、一緒に見に行こうぜ』

 そんな誘いを受けて、蓮は咲夜と共に美月の映画を再び見ることになったのだ。
 ストーリーがすでに頭に入っている分、初めて見たときよりも強く感情移入してしまった。
 やっぱり最後のモノローグで泣きそうになってしまったのだが、隣でポップコーンを抱えていた咲夜は、蓮とは比べ物にならないほど号泣していた。

「さっくん大丈夫?」
「いや、ダメ。まじで。白鳥美月、演技うますぎるだろ……」
「それは分かる。思わず共感しちゃうよね」

 服の袖で雑に涙を拭った咲夜は、器に残っていたポップコーンをざらりと口の中に流し込む。
 そして食べきれなかったのか、残ったそれを蓮の口にも流し込んだ。口いっぱいに広がるバター醤油のポップコーンを頬張りながら、二人並んで映画館を出る。

「二回目なのに余韻がすげー」
「語彙力失ってるじゃん」

 蓮もうまく感想を言葉に出来ないが、咲夜はもっとひどかった。

「白鳥が演じてるミキ? ミキのアカネに対する感情がさ、なんつーか、恋なんだけど、恋よりもっときれいというか……」
「んー、分かんないけど、なんとなく分かる」
「くそー、きれい以外の単語が浮かばねー!」

 悔しそうに髪をぐしゃりと乱した咲夜は、蓮を見上げる。
 高校のときよりも少しだけ伸びた髪が、乱れたままなのはもったいなくて、蓮は手櫛で直してみせた。
 サンキューと笑う咲夜に、胸の奥がぎゅうと締め付けられる。

 どうやらまだこの恋は健在らしい。
 それでもあまり苦しくないのは、美月と映画のおかげだろうか。
 そんなことを考えていると、再び咲夜が口を開いた。

「あんなに優しくてきれいな気持ちを向けられたら、たとえ応えられなくても、アカネは幸せだったんだろうな」

 映画の中のアカネと咲夜が重なる。
 同じように、ミキと蓮も重なった。

 こんな風に、咲夜の想いを聞ける日がくるなんて、想像もしていなかった。
 告白するつもりのない、墓まで持っていく予定だった恋。
 醜くて汚い。そう思い込んでいたこの恋が、救われた瞬間だった。

 映画を通じて、蓮の恋を役作りの参考にしてくれた美月を、そして美月が演じたミキという役を通して、ついに、咲夜まで届いたのだ。

「…………俺、今すっごく白鳥さんに電話したい」
「白鳥とまだ仲いいんだ? じゃあ俺の感想も伝えておいてよ。感動しすぎて語彙力失ってました、って」
「うん。伝える、絶対伝えるよ」

 きっと美月には、電話は繋がらないだろう。それでもいつか折り返しの電話がきたときに、必ず伝えよう。

 白鳥さん。
 俺の恋を、演じてくれてありがとう。
 白鳥さんのおかげで、あの人に気持ちが届いた気がする。
 ようやく俺も、この恋を大切にしてあげられそうだ。

「蓮ー、飯何にする? 俺ラーメンがいい」
「やだよ、さっくんの選ぶラーメンって絶対豚骨じゃん」
「塩もうまいとこあるから! な!」
「はいはい、しょうがないなぁ」

 先を歩く咲夜を追いかけて、蓮は歩き出す。

 この恋は思っていたよりも、きれいなものらしい。
 それならば、もう少しだけ。
 彼の幸せを願い続けよう。

 そんなことを考えて、蓮は笑みを浮かべるのだった。