そうして私は、いじめと共に過ごした中学2年生の生活に終止符を打った。
だが、中学3年生に上がったからといって私に安心できる世界は用意されていなかった。
世界は残酷だと思った。
またしてもいじめが始まったのだ。
2年で終止符を打ったと思われていたいじめは、終わっていなかった。
ただ、いじめという形が変わっただけで、なにも終わっていなかった。
いじめの形は変わり、無視をされなくなった。
そのかわり、なにをしても笑われた。
今まで私が居ないもののように扱っていたのに対し、今度は無駄に私を見て、私がなにかする度にクスクスと笑うような、そんな陰湿ないじめが始まったのだ。
正直、馬鹿馬鹿しいと思った。
なんて幼稚なのだろう。
中学生にもなり、半分大人へとなりつつある年齢なのにそんな幼稚なことをして何が面白いんだと、同級生に対して心底幻滅した。
そう思うことをきっかけにして、私は中学に通うことを最低限にした。
高校受験を控えていたため、行かないという選択肢は選べなかったが、定期テストや必須授業以外のものは全て行かなかった。
そのため、塾や家、様々な場所を使い自分1人でひたすらに受験勉強へ打ち込んだ。
たまに行く学校は憂鬱でしかなかった。
行くと吐き気や目眩、過呼吸に襲われた。
それでも私は学校へ行き、地獄のような教室に入り、半分以上頭に入ってこない授業を聞き、定期テストの際は1人でひたすらに勉強した証拠を答案用紙に殴り書いた。
そんな、15歳にしていじめを2つ乗り越え、相変わらず周りの顔色を伺う私の人生は着々と次へと進んで行った。
そんなある日、自分の異変に気付いた。
本当はもっと早く気付いていたが、気付かないふりをしていたことに気づいてしまった。
私は、人を信頼することが出来ない。
そして、学校へ行くと襲われる気分の不調は明らかにただの体調不良では無いということ。
おそらくその理由はいじめが原因だろう。
約2年間にわたり私はいじめの標的として生きてきた。
たかが人間関係のもつれ。
されど人間関係のもつれ。
そのせいで人を信じることが出来なくなり人間不信に陥ると考えるのは妥当だと思った。
そうして、私の地獄のような日々が始まった。
だが、中学3年生に上がったからといって私に安心できる世界は用意されていなかった。
世界は残酷だと思った。
またしてもいじめが始まったのだ。
2年で終止符を打ったと思われていたいじめは、終わっていなかった。
ただ、いじめという形が変わっただけで、なにも終わっていなかった。
いじめの形は変わり、無視をされなくなった。
そのかわり、なにをしても笑われた。
今まで私が居ないもののように扱っていたのに対し、今度は無駄に私を見て、私がなにかする度にクスクスと笑うような、そんな陰湿ないじめが始まったのだ。
正直、馬鹿馬鹿しいと思った。
なんて幼稚なのだろう。
中学生にもなり、半分大人へとなりつつある年齢なのにそんな幼稚なことをして何が面白いんだと、同級生に対して心底幻滅した。
そう思うことをきっかけにして、私は中学に通うことを最低限にした。
高校受験を控えていたため、行かないという選択肢は選べなかったが、定期テストや必須授業以外のものは全て行かなかった。
そのため、塾や家、様々な場所を使い自分1人でひたすらに受験勉強へ打ち込んだ。
たまに行く学校は憂鬱でしかなかった。
行くと吐き気や目眩、過呼吸に襲われた。
それでも私は学校へ行き、地獄のような教室に入り、半分以上頭に入ってこない授業を聞き、定期テストの際は1人でひたすらに勉強した証拠を答案用紙に殴り書いた。
そんな、15歳にしていじめを2つ乗り越え、相変わらず周りの顔色を伺う私の人生は着々と次へと進んで行った。
そんなある日、自分の異変に気付いた。
本当はもっと早く気付いていたが、気付かないふりをしていたことに気づいてしまった。
私は、人を信頼することが出来ない。
そして、学校へ行くと襲われる気分の不調は明らかにただの体調不良では無いということ。
おそらくその理由はいじめが原因だろう。
約2年間にわたり私はいじめの標的として生きてきた。
たかが人間関係のもつれ。
されど人間関係のもつれ。
そのせいで人を信じることが出来なくなり人間不信に陥ると考えるのは妥当だと思った。
そうして、私の地獄のような日々が始まった。