そのとき、かすかな声が聞こえた。

 ふみゃ、と寝起きの猫みたいな声がしたかと思うと、おぎゃあ、おぎゃあ、と泣き始めた。

 産まれたばかりの泣き声は分娩室じゅうに、そして外まで響き渡った。

「おめでとうございます、元気な男の子です!」

 全身汗だくの助産師さんが大声で言った。

「男の子……」

 柚葉が小さな声で言った。
 そして、目に涙を浮かべて笑った。

 助産師さんが、ふかふかの毛布にくるまれた赤ちゃんを抱かせてくれた。

 産まれたばかりの真っ赤なしわくちゃな顔。目は閉じていて、鼻も口も手も足も全部小さかった。

 産まれたばかりの赤ちゃんは、こんなに小さいんだ。

 僕は涙ぐみながら、その小さな額に指を触れた。
 薄い産毛が生えていて、柔らかかった。

 おそるおそる、へその緒にも触ってみた。

 へその緒は固かった。そのチューブみたいな緒で母と子はしっかりと繋がっていて、たったいま切られて外に出てきたのだと思うと、不思議な感じがした。


「柚葉、頑張ったなあ」

 僕は柚葉の手を握りしめて言った。

「頑張った。いままででいちばん、頑張ったよ」

「うん。ありがとう」

「赤ちゃん抱かせて」

 柚葉の腕にそっと乗せた。
 ふわりと手で包みこむ。

「ふふ、可愛い」

 柚葉は幸せそうに目を細めた。

「ねえ、恒くん」

「なに?」

 僕は顔を近づける。

 柚葉が声にならない声で、かすかに口を動かした。



「柚葉……?」



 その瞬間。

 握りしめていた柚葉の手の力が、すっと消えた。


 ピーーーーーー、と機械の音が鳴った。


 モニターに映された波形が形をなくし、一直線になって、まるでこの時を待っていたみたいに、


 心拍数が、0になった。



「柚葉……? 柚葉……!」



 何度、名前を呼びかけても、柚葉は目を開けなかった。

 もう二度と答えてはくれなかった。

 目を閉じる前、柚葉が声にならない声で言った言葉。



『あ、り、が、と、う』



 それが、柚葉の最後の言葉だった。