観測室の扉が開いて、父さんが入ってきた。

「おい、まだなのか」
 そわそわしながら父さんが言う。
 まだ連絡は来ていなかった。

 ある夜、僕はふいに、父さんに聞いてみた。
「父さんが全然家に帰って来なかったのって、もしかして母さんがいなくなって寂しかったから?」

「なんだ、急に」
「なんとなく、そうなのかなと思ったんだ」

 物心つく前に亡くなった母さんのことは、よく覚えていなかった。
 アルバムの中で笑う母さんは、僕に似ているような気もしたし、似ていないような気もした。
 なんとなく、いままで、母さんのことはあまり聞かなかった。

 いや、と父さんは苦笑しながら首を横に振った。

「ただ、仕事に夢中だったんだ。でも、そのせいで家をほったらかしにしてしまっていたな」
「まあ、それが父さんだと思ってたから」
「でも、言われてみると、そうだったのかもしれないな」
 父さんは胃が悪くなりそうな濃いコーヒーを飲みながら、ぽつりと言った。

 そんな風に思ったのは、いま柚葉が家にいないからだった。

 予定日の一週間前になって、柚葉のお腹が痛みだした。
 痛みは時間が経っても収まらず、柚葉は入院することになった。
 僕は落ち着かない気持ちのまま、毎日天文台で星を追っている。
 ちっとも集中できていないのが父さんにはバレバレだろう。

 職員たちが毎晩使う休憩所は、深夜喫茶と呼ばれている。
 年代物のレコードから流れるクラシック。古びたテーブルにソファに小さなランプ。
 みんながそう呼ぶのもわかる、不思議に落ち着く空間だった。
 柚葉を初めてここに招待した日のことを思い出す。

 父さんが淹れたコーヒーを飲みながら話したこと。
 最初は沈んでいた柚葉の顔が、望遠鏡を覗き込んだ瞬間、輝きに満ちた。
 それまで透明だった柚葉がくっきりと輪郭を持って見えたのを、いまでも鮮明に思い出せる。

 あれから六年も経った。

 奇跡がいくつも起こった。

 奇跡はこれからも続いていく。

 生きているだけで奇跡なんだと思う。

 またここに連れてこようと思った。

 柚葉とアルファルド、産まれてくる子供も一緒に。