八月の中旬に、高梁さんが海に行きたいと言った。
五日ぶりに顔を合わせた高梁さんは顔色がよかった。
僕はほっとしながら、おはようと言った。
藤吾さんと会ったことを言おうか迷ったけど、言わないことにした。
これは男同士の約束だ。
海水浴場は人で賑わっていた。
浮き輪やパラソル、レジャーシートに寝そべる人たちを横切って、高梁さんは太陽にきらめく海に向って
「海だーっ!」
と、両手を広げて叫んだ。
「海だね」
僕は言った。
「反応薄っ。もっとなんかないの? 気分の高まりとか青春の叫びとか」
「高ぶってるよ。これでも」
「わかりづらいなあ」
そう言いながら、高梁さんは砂浜にしゃがんだ。
白いTシャツにショートパンツ、水色のパーカー型のラッシュガード。
高梁さんの全身がはっきりと輪郭をもって見えることに、僕はいまだに感動していた。
高梁さんの目にも、僕がまた透明にうつらないことを願う。
と同時に、ふだんあまり見ることのないショートパンツから伸びるすらりとした足に、目のやり場がわからなくなった。
「私、小学校のとき水泳得意だったんだ。クラスでいちばん速かったんだよ。いまはもう泳げないけど」
高梁さんが海水を手ですくって言う。
「笹ヶ瀬くんは何泳ぎが得意?」
「得意ではないけど……まあ、クロールかな」
「じゃあ、泳げない私のかわりにクロールして」
とにっこり笑って言う。
またこのパターンか。
というか海でクロールって、できるのだろうか。
「できるかわからないけど、やってみるよ」
僕はそう言ってゴーグルをかけた。
やってみてわかった。
頑張って手を動かそうと、足をバタつかせようと、波の抵抗で全然前に進まない。
おまけに息継ぎするときに海水が口に入って、口の中がヒリヒリした。
なんか溺れてる人みたいになってないか。救助される前に戻ろう。
無様な泳ぎを披露して、戻ってくるときはすいすい進んだ。こうなるともう、波に従っているだけでクロールは何も関係ない。
往復して砂浜に戻ってきた僕は、ぜえぜえと肩で息をしながら言った。
「ど、どうだった……?」
「うーん……クロールっていうか犬かき?」
高梁さんはなかなかシビアだった。
浮き輪でぷかぷか浮かんで、売店で焼きそばを買って食べた。シャキシャキのキャベツに豚肉、たっぷり乗った紅しょうが。疲れた体にはいくらでも入りそうだ。
高梁さんが半分食べたところで手を止めた。
「あはは、あんまりお腹空いてなかった。笹ヶ瀬くん、食べる?」
「えっ、いいよ」
「食べさせてあげようか」
高梁さんが箸でつまんであーんと言う。
一瞬考えた。
口を開きかけてはっとする。
「……いやいや、自分で食べるよ」
急に恥ずかしくなって、いただきますと言って食べた。