夕方、父さんの車に乗り込んで出発した。
今日は父さんと二人じゃない。後部座席には、高梁さんが乗っている。
「……おい、恒」
信号で止まったとき、父さんが声をひそめて言った。
その言いづらそうな感じにはっとした。
もしかして父さんにも、高梁さんが透けて見えているのか……?
「あの子……柚葉ちゃんだっけか。なんか、機嫌悪くないか?」
違った。少しがっかりする。
父さんは困惑ぎみに小声で続けた。
「もしかしてお前、無理やり連れてきたんじゃないだろうな」
「違う、と思うけど……」
さっきからずっと無言で窓の外を眺めている高梁さんを見ると、やっぱり乗り気じゃなかったのかもしれない。
『見せたいものがあるんだ』
昨日、高梁さんにそうメッセージを送った。
『わかった』
返事はそれだけだった。何を、とすら聞かれなかった。
天文台に行くということは説明してある。
もしかして、何か怒らせてしまったんだろうか。
急に誘ったのがいけなかったのか。
ミラー越しに後ろの高梁さんを見た。
でも、怒っているというより、どこか沈んでいるような……。
気になりつつも聞けないまま、車はがたごと揺れながら山を上ってゆく。
「着いたよ」
車が止まって山の上に降り立った。
夏の暑さを忘れさせる涼しい風が吹いていた。
「わ……すごい」
町を一望できる景色に高梁さんが目を見開いてため息を吐いた。
山に囲まれた田舎町。斜面に不思議なバランスで建っている家を眺めた。
緑ばかりの退屈な町だと思っていたけど、こうして見下ろす景色は、たしかにきれいだと思った。
「暗くなるまで少し時間があるから深夜喫茶でゆっくりしているといい」
父さんは扉を開けて、一階の小部屋に僕らを案内した。
「深夜喫茶?」
聞き慣れない言葉に僕は尋ねた。
ああ、と父さんが笑う。
「ここの職員はそう呼んでるんだ。だいたい使うのは深夜だからな。まだ時間は早いけど、今日はとくべつに早めに開けてやろう」
父さんはそう言って、コーヒーを三人分淹れ始めた。
コーヒー豆の匂い。古い本の匂い。いろんな匂いが染みついた壁は黄ばんでいて、クラシックが鳴っている。
本当に町のどこかでひっそりと営業している古い喫茶店みたいだ。
「優雅に暮らしてるんだね」
めったに家にいない父さんにちょっとした嫌味を込めて言うと
「長い時間ここにいるからな。こういうちょっとした楽しみでやり過ごしてるんだ」
父さんはそう言って、机にコーヒーカップを二つ置いた。
「俺は上で仕事してるからそれまで待ってなさい」
そう言うと、自分のぶんのカップを持っ階段を上っていった。
また沈黙がやってくる。
高梁さんに何かあったのは、なんとなくわかる。
でも、何を聞けばいいのだろう。
そう思いながら結局何も言えず、ちびちびとコーヒーをすする情けない僕。