学校で話をしない、手紙のやりとりもしない。
 そう決めたはずだったけれど……。

 さっそく物理の授業中に、高梁さんが机の下から手を伸ばしてきた。

 あれ、決めたはずだったよな……?

 何か大事なことだろうか。
 緊張しながらメモを開いて、一気に脱力した。

『大島、鼻毛出てない?』

 全然大事なことじゃなかった。

 自分で言ったルールをさっそく破る高梁さん。
 条約は破るためにある、というスターリンの名言を体現している。

『出てるね。寝癖もついてるね』

 僕は適度なことを書いてメモを返した。
 本当に鼻毛が出ているかどうかなんてことは、この際どうだっていいのだ。
 隣で高梁さんが笑いを堪えて震えていた。

 夏休みまであと三週間か。
 休み時間、いつものように夏休みまでの日数を数えながら、この教室で前よりずっと息がしやすくなっていることに気づいた。

 いままで、ずっと呼吸を止めていたみたいだった。
 誰にも気づかれないように。物音を立てないように、気配を消していたのだ。

 でも、そんなことしなくてもいいのだと思った。
 普通にしていればいい。
 そう思えるようになったのは、高梁さんのおかげだった。

“ありがとう”

 そう書こうとしたとき、チャイムが鳴った。
 結局、お礼は言えなかった。