次の日、チャイムが鳴るギリギリの時間に教室に入ってきた高梁さんを見て、僕はほっとした。
 もしかしたら来ないんじゃないかと思っていたから。

 夜になるとピンク色に光る蛍光イヤホンは、いつものようにただの黒色になって、高梁さんの肩までの髪の隙間から見え隠れしていた。

 高梁さんは頬杖をついて、気だるそうに隣の席に座っている。
 そしてやっぱり、透けている。
 あまりにもいつもと変わらない光景に、昨日の出来事は僕の妄想だったのかもしれないと思えてくる。

 でも、あれは妄想なんかじゃなかった。掴んだ手の感触ははっきり覚えていた。

『やっぱり私、もうすぐ死ぬんだ』

 高梁さんは当たり前のようにそう言った。
 体が透けていることが、どうしてもうすぐ死ぬということになるのだろう。
 考えれば考えるほどわからないことばかりだった。

 本人に直接尋ねればわかるのかもしれないけれど、学校では話しかけることもできない。
 それに、それ以上踏み込むのが、少し怖かった。踏み込んではいけないような気がした。

 リスニングの授業で、CD音声が眠気をさそう英文を読んでいるとき、高梁さんがすっと机の下から手を伸ばしてきた。

 なんだろう?

 そう思って見ると、小さく折りたたまれたメモだった。

 こ、これは……。

 もしかして、授業中に回す手紙というやつだろうか。
 たまに女子同士がやっているのを見かけたことはあるけれど、何が書いてあるのか、ひそかに気になっていた。

 ドキドキしながらメモを開いた僕は、借り物競争で無茶なお題を突きつけられた人みたいに固まった。

『人生最後に食べたいものって何?』

 ……なんだ、この質問は。

 隣を見ると、高梁さんはいつもと変わらず頬杖をついて、真面目に聞くふりをして音楽を聴いている。
 たぶん、英文なんて少しも耳に入っていないであろう音量で。
 そして、僕のほうには目もくれない。

 少し考えて、メモ帳にシャーペンを走らせた。
『お寿司』
 メモを小さく折りたたんで高梁さんに手を伸ばす。
 返事はすぐに返ってきた。
『お寿司好きなの?』
『普通。最初に思い浮かんだものがそれだった』
『ちゃんと考えて』

 えええ……。
 さっきよりも長く考えて、書いた。

『卵かけご飯』
 メモを開いて、高梁さんが口を押さえた。少し震えている。
 というか、笑ってる……?
 少しして高梁さんの震えが止まった。
 返事が返ってきた。
『卵かけご飯好きなの?』
『うん』
『私は、琥珀糖』
『琥珀糖?』
『四角い砂糖菓子。すごくきれいなの』

 四角くてきれいなお菓子……?
 角砂糖みたいな感じだろうか。
 思い浮かべてみたけれど、ぼんやりとしたイメージしか浮かばない。

 そんなくだらないやりとりが、何枚もメモを変えて、授業が終わるまでずっと続いた。
 まるで短い言葉を繋げて会話をしているようだった。
 隣の席同士で、声もなく交わす会話。
 久しぶりに学校で誰かと話した気がした。授業中にやりとりする内容じゃない気はするけど、内容なんてどうだってよかった。

 字、きれいだな。

 高梁さんの意外な一面を知った。
 それから、笑いのツボが浅くて、琥珀糖というお菓子が好き。

 初めて見たそのお菓子の名前は、ゆっくりと甘く、砂糖のように僕の中で溶けていった。