十月の後半になると、陸の進路が決まった。
関東に本拠地を置く、かなででも知っている名前の球団だった。
プロ入りが無事に決まった陸に、かなではおめでとう、と声をかけただけだったが、そんなに簡単な話ではなかったらしい。
全国の野球ファン、そして二年連続の甲子園での活躍を見て、陸ファンになった人たち。
ドラフト会議とやらを終えてからは、そんな人たちが陸を一目見ようと学校周辺をうろついていることが増えた。
「陸くんの人気はすごいねぇ」
勉強をしながらかなでがぽつりと呟くと、咲夜が頬杖をついて窓の外を見る。
今日も校門前は、野次馬で溢れていた。
「そりゃあそうだろ。ドラフト一位指名だぞ」
「それってすごいの?」
「野球の世界ではめちゃくちゃすごいの」
無知なかなでに、説明することを諦めたらしい。咲夜は呆れた口調で答えて、ため息をこぼした。
「ねぎちゃんだって進路決まりそうなんでしょ?」
「…………声はかかってるけど、まだ決まってない」
咲夜の元には、たくさん推薦の話が来ているらしい。
プロ志望届、というのを出さなかったため、咲夜の進路は推薦で大学に入るか、元々の希望通り就職するか、の二択になる。
野球を続けるとは言っていたが、想像以上に声がかかっていて迷っている、ということなのだろうか。
かなでには縁遠い話だ。
「大学か就職かで迷ってるの? 社会人野球チームみたいなところは?」
「一つ、声がかかってる。でも関東だからな……」
「関東じゃダメなの?」
かなでの問いに、咲夜は眉をひそめる。
すぐに答えが返ってこなそうなので、かなでは咲夜の答えを待ちながら再びノートに目線を落とした。
模試では一応、合格圏内に入っている。
でも受験では何が起こるか分からない。
過去問題集から傾向と対策を練っていても、予想外のところから出題されることもある。
古文、漢文、現代文、リスニングを含めた英語、世界史はまず問題ない。
転ぶ危険性があるとすれば、数学だろう。
数学だけが、第一志望校の偏差値に達していない。たまに上振れして超えることもあるが、運任せでは受からないだろう。
何度も繰り返しやっている数学の問題集をぱらぱらめくっていると、咲夜がようやく口を開いた。
「かなで、志望校って今も変わってないんだろ」
「第一志望は変わってないよ。私立はね、都内にした。お父さんがうるさくて」
女の子の一人暮らし、しかも実家から遠く離れているなんて心配で仕方がない、と父に懇願されたのだ。
国立大学に受かれば、関東を出てもいい。
私立大学に進学するならば、家から通える範囲で、というのが父の条件だ。
父は口にはしないけれど、国立大学の方がお金はかからないので、そのあたりもこの条件には関わっていそうだな、とかなでは推測している。
「都内!? どこだよ!」
「いや、第一志望受かるつもりでいるんだけど!」
「いいから!」
めんどくさいなぁ、と本音をこぼして、かなでは以前のようにルーズリーフに志望校を書き出した。
咲夜は自分の机から何やらファイルを取り出して、かなでの志望校と見比べている。
「あれ? それ、咲夜のもらった推薦一覧?」
ふいに陸の声がして、かなではぱっと顔を上げる。
陸くん! と満面の笑みで名前を呼ぶと、勉強お疲れさま、とチョコレートをくれた。
今日も陸は優しい。
毎日大好きが更新されていくのだから、困ったものである。
「言うなよ陸……」
「えっ? …………ああ、なるほどね」
陸が何かを察したように苦笑して、咲夜の手からルーズリーフを取り上げる。
「この字、なるでしょ? 志望校?」
「うん! 第一志望は国立だけど、それ以外に受ける私立」
「国立ってどこ受けるの?」
「京都だよ」
かなでの答えに、陸が目を丸くする。
同じようなやり取りを、咲夜ともしたなぁ、と思い出して笑いながら、かなでは言葉を続ける。
「陸くんがプロになったら、遠くからしか応援できないから……。それならいっそ、関東から離れて一人で頑張ろうかなって」
陸は目をまたたかせた後、そっか、と呟いた。
かなでの進路など、陸にはどうでもいいのかもしれない。
そんな考えが頭をよぎり、泣きたくなる。
陸はそんな人じゃない。
友達のことを自分のことのように考えてくれる、優しい人なのだ。
分かっているけれど、受験でナーバスになっているせいか、かなでは被害妄想が起き始めていた。
この感覚は覚えがある。
中学生のとき、さんざん苦しんだ、あれだ。
でも陸のそばにいられるのもあと数ヶ月。
卒業したら、離れ離れになる。
それまでに少しでも、陸離れをしなければ。
かなでは被害妄想を必死で抑え込んで、笑顔を作った。