両親に愛情を注がれ、順調に育っていたはずの僕にターニングポイントが訪れたのは、小学三年生の時だ。
 
 両親が離婚して、母と僕と翔の三人は、母の実家に引っ越すことになった。母方の祖父と祖母は既に他界していて、その家に住むことになった。
 家族の不和が子供に与える影響は強く、テンション低めで転校してきた僕と弟を周囲はどう扱っていいのか分からなかった結果、僕たちはクラスで浮いていた。
 
 その状況を打開してくれたのが、『白鷺舞』だった。
 舞は、とにかくよく喋る女の子だった。僕も弟の翔も、最初はその距離感の近さに、少し驚いたけれど、それでも舞は、外から来た僕たちを、何の偏見もなく受け入れてくれたことはすごく嬉しかった。
 元々いた小学校で野球をしていたという話をすると、半ば強引に地域の少年野球チームへと引き入れられた。田舎の野球少年団で、人数も少なく、学年もごちゃ混ぜのチームだった。
 舞が間を取り持ってくれたおかげで、僕と弟はその野球チームのメンバーと仲良くなれたんだ。まぁ、舞はそんな自覚なんてなかったのかもしれないけれど。
 
 学校が終わると、僕たちはよく公園で一緒に遊んだ。
 休日は少年団の練習。子供を地域のみんなで育てましょうみたいな雰囲気で、昼ごはんとかも出してもらったりしていたから、母からすればすごく助かっていたと思う。
 そういう意味で、舞は幼馴染でありながら、僕にとっては恩人でもあった。それ以上の感情を、舞に対して持ち合わせたことはないと思っていたけれど。
 
 修一は、少年団に入って仲良くなった最初の子だった。同い年とは思えないくらい大人びていて、周囲に気配りができる男の子であり、そして、チームで一番野球が上手かった。
 小学生にとって、運動神経は一番のステータスだ。当然、修一は女の子からモテていた。
 舞も、修一のことが好きなんじゃないかと思っていた。そして、そんなふうに考えると、いつしか胸が痛くなるようになった。初めての経験だった。
 
「修一さ、舞のこと、どう思ってる?」
 ある日、僕は勇気を出して修一に聞いた。察しが良い彼は、僕が何を問いかけているのか、理解したようだった。少し笑って、「普通に友達だよ。それがどうした?」と答えた。
「僕、舞に告白しようと思ってるんだけど」
 そう言うと、修一は「いいじゃん。いつ告白するんだ? 場所は決めてるのか?」と、なぜか嬉しそうに相談に乗ってくれた。
 プレゼントをしてみてはどうかと、アドバイスしてくれたのも修一だった。
「貰って嬉しくない女の子はいないって、姉貴が言ってた」
 悩んだ末、僕はヘアピンを買ってプレゼントとして渡すことにした。
 あとは、いつ、どこで告白をするのかという問題だったが、修一は自信満々といった表情で僕に提案をしてきた。
「二人で花火大会に行こうと誘えよ。乗ってきたら、半分勝ったみたいなもんだ。嫌なやつと行くわけないし、どうでもいいやつなら友達を優先するだろ? オッケーってことは、少なからず気があるってことだよ」
 
 修一に後押しされた僕は、舞を花火大会に誘った。
 すると、舞は、少し逡巡した後、「別に……良いけど」と言ってくれた。
 僕は嬉しくて、修一にそのことを報告すると、彼はまるで自分のことのように飛び跳ねて喜んだ。
「やったな!」
「でも、家族みたいなもんだからって思われている可能性も……」
「大丈夫だって! もしそうだったら即答でオッケーって言うはずさ!」
「そういうもんか?」
「そういうものなんだよ」
 

 花火大会の当日。花火が上がるのは夜からだったが、家にいてもそわそわして落ち着かず、夕方までグラウンドでボールの壁当てをして過ごしていた。
 夕方になって、僕は待ち合わせ場所に向かった。だが、肝心のプレゼントを机の上に置いてきたことを思い出した。しまったと思ったが、舞を待たせるのも忍びなく、僕は待ち合わせ場所へと向かった。
 
 しかし、待ち合わせの時間を過ぎても、舞は現れなかった。当時は携帯電話なんて持っていなかったから、理由の確認のしようも無かった。
 家まで走れば、片道五分くらいだ。
 もしかしたら、舞も何かあって遅れているのかもしれない。
 僕は、プレゼントを取りに戻ることに決め、一度家へ戻った。
 そして、待ち合わせ場所に再び戻ってきたが、舞はまだ来ていないようだった。さすがに遅いなと思い、僕は舞の家に行った。ところが、「え、舞? 結構前に祭りに行ってくるって言って家を出たはずだけど」と彼女の母は言った。
 
 きっと、僕がプレゼントを取りに帰った時に、待ち合わせ場所に来ていたのだ。そう思った僕は、慌てて、会場へ向かって走った。
 

 道の途中で、人だかりができていた。
 怒号が飛び交う中、人を掻き分けて、それを目にした瞬間。
 
 音が消えた。
 
 一台の車の先に、血まみれで倒れている浴衣を着た女の子。
「……舞?」
 その時、後ろが光った。振り返ると、大きな金色の花火が光り輝いていた。  

 それからの記憶は、あまりはっきりしない。暫くして救急車が到着し、舞は運ばれていったのだと思う。
 後日、病院に行って舞の容体を聞くと、連れられたのは集中治療室だった。
 医師は、奇跡的に一命を取り留めたが、意識は戻っておらず、予断を許さない状況であると診断を下したと聞いた。
 その宣告は、僕をどん底へ突き落とした。
 
 後悔が頭の中を支配した。
 あの時、そのまま待ち合わせ場所に残っていれば。プレゼントを取りに戻らなければ。


 舞の家族は、舞を設備の整った病院に移すために、町を出ていった。
 僕は抜け殻のようになった。虚無が身体全体を支配し、無力感に押し潰された僕は、何もすることができなくなった。 
 
 まず、食欲がなくなった。それどころか、ご飯を食べると吐いてしまうようになった。
 家に帰っても、誰とも話そうとせず、部屋に閉じこもった。時折、修一や雫が訪ねてきたが、ドアをあけることは無かった。誰にも会いたくなかった。
 僕のせいだ。
 僕が、プレゼントを家に忘れなければ。家に取りに帰らず、そのまま待ち合わせ場所で待ち続けていれば。そもそも、祭りに誘いさえしなければ。
 仕方のないことだ。廉のせいじゃない。皆がそう言ってくれた。でも、僕は自分を許すことができなかった。
 いつの間にか、笑えなくなっていた。舞がこうなってしまう前、自分がどんなふうに生きていたのか、相手の言葉に対して、何と返したらいいのか、どんな態度を取ればいいのか、分からなくなった。彼女のことを常に思い、悲しみ続けることを自分に課した。そして、舞のことを忘れて笑っているやつを見るたびに、腹が立った。そんな自分に気づくと、死にたくなった。
 それなりに友人もいたし、クラスにも馴染んでいたはずだった。だが、僕が吐いた日を境に、修一と雫の二人以外は、誰も僕に近づかなくなっていった。
 僕は、学校に行くことをやめた。
 
 いつの間にか、小学校を卒業して、僕は中学生になっていた。だが、中学校にはほとんど行くことはなかった。
 舞のお見舞いには、一度だけ行こうとしたことがある。だが、彼女のお母さんに、来てほしくないと、断られてしまった。それ以降、学校どころか外にすら出なくなっていった。
 母は、最初こそ色々言ってきたが、家で勉強し、高校に行くことを条件に、学校には行かなくていいと許可してくれた。
 勉強は億劫だったが、それ以外のことを考えなくて済む。母の出した条件は、僕にとっては好都合だった。僕は、家で勉強をするだけの機械になった。
 同じことを繰り返すだけの毎日は、飛ぶように時間が過ぎていった。気づけば、僕は中学三年になっていた。母に言われた高校を受験して合格したものの、結局家から出ることはできず、状況は何一つ変わらないまま僕は書面上だけ高校生になった。
  


 その日、倒れた僕を発見して救急車を呼んだのは弟だった。
 その時のことは、実はほとんど覚えていないのだ。後から聞いた話によると、僕は衰弱しきっていて、まともに口も聞けないような状態だったらしい。 
 その頃になると、僕はもう自分の力で立って歩くことすらままならなくなっていた。
 自力で開けることのできなかった自室の扉は強制的にこじ開けられ、僕は病院暮らしとなった。

 淀川先生とは、その時からの付き合いになる。
「食事を摂ると、吐いてしまうんだってね。精神的な要因によるものなら、将来的に治すことを考えたときに、経口での食事を全面的に取りやめるというのは、本来あまり良い選択とは言えない。だが、こうなってしまっては話が別だ。君の命の方が優先だから。点滴で栄養を摂取する必要がある」
 僕は、先生の足元を見つめたまま。何も言わなかった。
「事情は分かりました。栄養のことはとりあえずそれでいいとしても、君がずっと引きこもったままでいるというのでは、状況は変わらない。君は、人形というものがあることを知っているかい」
 僕は首を横に振る。
「人形を使えば、ベッドに横になりながら、日常生活を送ることができる。起き上がる気力が湧かないというのであれば、起き上がらなくてもいいんだよ」
「それって、大丈夫なんですか? その、副作用とか……」
 母が心配そうな顔で先生に問いかける。
「もちろん、リスクはあります。ですが、このまま部屋に引きこもって、貴重な時間を失っていくよりは、人形を使ってでも外に出た方が良いと私は思います。ただ、それなりに費用はかかるから、よく相談して決めてください」
 
 最初は、先生の提案を拒否した。僕自身、外に出て何かをしようなんて思えなかったし、学校なんてどうでもよかったから。母も、人形使用のリスクと費用を気にしていた。
 だが時間が経過しても、僕が病院のベッドの上から動こうとしないのを見て、母は考えを変えたようだった。
 
 そして、高校一年の春休み。何かに抵抗する気力なんて既に無くしていた僕は、母に言われるまま、無感情にトレーニングに取り組んだ。だが向いていなかったのか、結局、新学期には間に合わず、実際に人形で学校に通えるようになったのは、つい最近のことだ。
 人形自体は自宅でも使えるらしいが、僕の場合は経口での食事ができないこともあり、本体は病院のベッドで管理されることになった。

 舞を酷い目に遭わせた僕は、死ぬべきなんじゃないかと、何度もそう思った。それでも自殺を試みなかったのは、彼女が目覚める可能性が残されていたからだ。
 そんな期待とは裏腹に、舞は今も目覚めていない。