後日。
 
 僕は、舞の人形と機械、そして借りていた金槌を返すため、琴平人形店を訪れた。

「もう、二度と舞の人形は作らないでください」
 琴平華月は、僕が持ってきた人形の状態を見て、何があったのを理解したようだった。

「一つ、聞いていいですか」
 去り際に、小さな人形は僕にそう尋ねた。
「なんですか」
「どうして、白鷺舞を選ばなかったのですか。本人も、それを望んでいたでしょう」

 その質問を受け、僕は目を閉じた。
 まだ、雫の演じていた舞の様子が、明瞭に再現できる。
 しばらくして、目を開けた僕は、深呼吸してから答えた。

「舞は……もう死んでいて。生きているのは、雫だからです。その質問も、人形師としての研究ですか?」
 僕は、彼女にそう問いかけた。
 すると、小さな人形は、少し笑って答えた。
「いいえ。これはただの興味本意の質問です。もう行っていいですよ。さようなら」
 

 しばらくの間、学校は休んだ。喪失感が酷く、何もする気が起らなかった。
 母や弟の取り乱し方の方が酷く、交代で僕を監視すると言い出した時は思わず笑ってしまったが、それだけ心配をかけてきたということなのだろう。

 でも、死にたいとは思わなかった。
 僕のせいでと、自分を責めることは、止めることにした。きっと舞はそんなことを望んでいないからと、無理やり自分を納得させた。
 そんな身勝手な思考をしたところで、舞が帰ってくるわけでも、許しをもらえるわけでもないのだ。僕が自分を苦しめるほど、僕のことを大切にしてくれる人たちを苦しめることになると、今回のことで思い知った。

 そう思えるようになっただけ、少しは大人になれたのだろうか。
 舞の夢は、見なくなった。
 あの夢で見た舞が、僕の生み出した想像だったのか、あるいは舞本人だったのか。今となっては、本当のところは分からない。



 雫は、しばらく車椅子での生活を余儀なくされた。ただ、僕と違って定期的に自分の身体に戻っていたため、元の生活ができるようになるまで、それほど時間はかからないらしかった。

 あれから、雫とはほとんど何も話せていない。
 何度かリハビリの手伝いをしに病院に行ったが、「今は会いたくないから帰ってほしいと言ってます」と、彼女のお母さんに追い返されてしまった。辛かったが、雫に会えないことに少しホッとしているのも確かだった。彼女に対する感情が複雑すぎて、何を言えばいいのか分からなかったし、何を言っても、取り繕った言葉になってしまいそうだったから。そんな言葉を、彼女が望んでいるとも思えなかった。

 だが、雫がリハビリを終えたタイミングで、修一から「三人で墓参りに行かないか」と連絡があった。
 


「よ、よう」
 駅の改札で、先に来て待っていたであろう修一が、ぎこちなく右手を上げて挨拶する。
「……おう」
 続いて、雫が現れ、修一は僕の時と同じように「よ、よう」と挨拶をしたが……。
「……」
「わ、悪かったよ……。勝手に廉に教えたことは、謝るからさ……」
「……まぁ、そうね。駅弁奢ってくれたら、許してあげないでも無い」
 僕は少し驚いて、雫に尋ねる。
「君、そんな我が儘みたいなこと言うような奴だったか?」
「舞から学んだことよ。思ったことは大して考えずに口から出してしまおうかと思って」
 修一は、ポカンとした顔で、雫を見ていた。その様子がなんだかおかしくて、僕は少し笑った。


 新幹線から在来線に乗り換える。少しずつ人が減っていく。
「そういえば、雫」
「何?」
「もう身体は大丈夫なのか?」
 雫は、外の景色を眺めたまま答える。
「まぁね。激しい運動とかはまだできないけど、日常生活を送るのに支障はないそうよ」
「そっか。よかった」
「お父さんとお母さん、ヒステリックになっちゃって。お母さんなんか、仕事休んで付きっきりでリハビリ見てるの。いい迷惑よ。……ちゃんと、私のこと大事だったみたい」
 そう愚痴っぽく呟く彼女は、どこか嬉しそうに見えた。



 爽やかな風が吹く場所に、白鷺舞の墓はあった。
 僕は、墓の前で手を合わせ、目を閉じた。
「遅くなってごめん、舞」
 その時、少し強い風が吹き、外の木々がサーっと音を立てて揺れた。



 帰り道、駅に向かう途中で、「廉」と雫が僕を呼び止めた。
 振り返ると、雫は、ポケットからしわしわになった一枚の紙を取り出し、僕に差し出した。
「なんだ、それ」
「舞の手紙。ずっと渡そうと思ってたんだけど。ずいぶん遅くなっちゃった」
 僕は雫から手紙を受け取り、読み始めた。
 
『廉へ。
 たぶん、恥ずかしくて何も言えなくなっちゃいそうだから、手紙にしてみました。

 転校してきたとき、口数が少なくて、怖い人なのかなってドキドキしてたけど、話しかけてみたら案外普通の男の子で、少しホッとしたのを覚えてる。
 でも、他のみんなと明らかに違っていたことがあった。それは、廉の野球に対する姿勢。
 自分で引き入れておいて言うのも変だけど、私は自分が本当にやりたいことって無かったから。野球だって、一緒に遊んでいた子がやるって言うから始めたようなものだし(笑)。何となくやってただけだったから。だから、自分の好きなことにそれだけ真剣に取り組める廉を、凄いと思ったんだ。 
 いつか、将来の夢について話をしたことを、覚えてる? たぶん覚えてないよね。
 これは、雫にしか言ったことがなかったんだけど。私、本当は漫画家になりたかったんだ。
 だからね、実は頑張って絵の練習とかしてたんだよ。でも、無理だって諦めてた。漫画家になれる人なんて、ほんの僅かだし。自分には才能が無いって。
 いつかさ、野球は弟の方が上手いって、廉、言ってたよね。あいつには才能があるけど、僕には無いって。私は聞いた。それなのに、どうして野球に打ち込めるのか。苦しく無いのかって。
 苦しいよ。でも、それ以上に楽しい。でも、それは負けを認めたわけじゃない。才能があろうがなかろうが、僕はあいつの何倍も努力して、あいつの前を走り続けるんだって。男兄弟って、そんなもんだって。
 向いているかどうかなんて気にもせず、自分の好きなものに対して全力で取り組むことができるあなたを、いつからか、自然と目で追っていました。

 私は、廉が好きです。
                  白鷺舞』



「自分がやったこと、後悔はしてないの。きっと、何度繰り返したって、同じことをすると思うから」
 僕が手紙を読み終えた後、雫はポツリと言った。

「私のこと、恨んでる?」
「……そりゃ、最初は怒ったけどさ。もう恨んじゃいないよ。半分くらいは僕のことを想ってやってくれたことなんだろうしな」
 僕はそう言って、雫の顔を見た。目を逸らしながら、不安そうな表情をしている。
「それに、想像するんだよ。もし、雫が何もせず、舞の訃報をあの時の僕が聞いていたら、どうなっていただろうって」
「……」
「心が折れていたと思う。立ち上がる気力も無くなって、たぶん、もう二度と自分の身体には戻れなかったんじゃないかな。死ぬことを選んでいたかどうかは……分からないけれど」
 僕はまっすぐ雫を見つめた。雫も、ためらいながら僕の目を見つめ返す。

「僕が不甲斐無いせいで、心配かけてごめん。それと、こんな僕を心配してくれて、ありがとう」
 雫がやったことは、決して正しいことではないだろう。
 それでも、彼女のおかげで、僕は自分の身体で、この先の人生を歩いて行ける。

「……はっきり言ってなかったけど」
 目を逸らしたまま、今にも泣きそうな、震える声で彼女は続けて言った。


「私も、廉が好きだから」


「……雫」
「おーい、何やってんだー? 置いてくぞー」
 遠くでこちらに向かって声を張り上げる修一に、「今行く!」と返答し、雫に向きなおる。
「……浴衣、さ」
「……え?」
「前に四人で花火を観に行ったとき。背の高い雫の方が、似合ってると思ったんだ。でも、そう言ったら舞が怒るかなって思って、言わなかったけど」
「……」
「だからさ、その……また、浴衣を着た雫が見れたら、いいなって。……伝わってるかな、これ」
「……やっぱり、これはモテないね」
 雫は、涙でぐしゃぐしゃになった顔で、笑った。



 舞は、もういない。
 大切な人を失った痛みは、これからも続いていく。僕たちは、それを忘れることなんてできない。乗り越えることなんて、一生かけてもできないかもしれない。
 それでも、その痛みと生きていくために、彼女と寄り添い支えあって進んでいくことは、それほど悪くないことかもしれないと、そう思った。




 気づくと、僕は砂浜の上に立っていた。
 遠くの方で、女の子が砂で遊んでいるのが見えた。

 僕は、ザッザッと砂を踏みながら、彼女に近づいて言った。
「また、お別れできずにバイバイかと思っちゃったよ。元の身体に戻ったら、もう来られないんだと思っていた。もう一度ここに来たら、僕は戻れなくなってしまいそうだったから」
 振り返った彼女は、一瞬キョトンとした表情を見せたが、すぐに破顔し笑った。

「まだ、ちゃんと謝ってなかったよな。ごめん」
 僕のその言葉に、彼女は、目を閉じて首を横に振った。


 周囲の景色がぼやけ始める。

 残りの時間が少なくなってきているのが分かる。

 もうこの場所には、来ることはできないのだろう。
 ここで言わなければ、もう彼女に伝えることはできない。


 僕は、まっすぐに彼女の目を見据えて、言った。
「舞、好きだったよ」
 僕のその言葉に、彼女は、にっこりと微笑んだ。

 視界が光に包まれた。