「そうか、ようやくか」
昼休み。学校で、僕は修一に人間の身体に戻ったことを告げた。
「ああ。心配かけたな」
「飯ももう食えるのか?」
「こんな感じのやつだけな」
僕は鞄からゼリードリンクを取り出し、修一に見せる。
「まぁ、いいってことよ」
修一の反応は、思っていたよりも薄かった。
雫にも伝えようと思ったが、その日はどうやら体調不良で休みらしかった。
とりあえず自分の身体で生活を送ることができるようになり、食事は時間をかけてできるようになろうということで、僕はめでたく退院することとなった。
「本当に色々、お世話になりました」
母は先生に頭を下げる。
「いえいえ。蓮井くん、退院おめでとう」
先生は、笑顔でそう言った。
「ありがとうございます」
「もっと長くかかると思っていたんだよ。どうやら君を見くびっていたようだ。ところで、彼女は、今日は来ないのかい」
「舞ですか? ええ、来てませんけど」
「……そうか。ならいいんだ。自分の身体で生活できるようになったとはいえ、まだ経過観察は途中だ。定期検診はこれまでどおり行うから、忘れないようにね」
「はい」
僕は先生の方に向き直って言った。
「先生」
「ん」
「ありがとうございました」
「うん。自分を大事にね」
僕は、先生に深く頭を下げた。
日本の四季はどこへ行ったのやら。涼しくなってきたなと思った矢先、強烈な寒波が襲来するという異常事態に、それほど違和感を抱かなくなっている。
デートの約束の日。僕は、最寄り駅の入り口付近で、舞の到着を待っていた。
これほど緊張したのは、いつ以来だろうか。
「お待たせしました」
振り返って見た彼女の姿に、僕は思わず息を呑んだ。
普段は僕のリハビリに付き合ってくれていたから、おしゃれをしてくるということは無く、動きやすい恰好が多かったのだが。
真っ白のコートに身を包んだ彼女は、その名の通り白鷺のようで、控えめに言って、とても綺麗だった。
「……あんまり気合い入れられると、横にいる僕が見劣りするからやめてほしいんだけど」
「なにそれ。遠回しに似合うよって言ってんの?」
彼女はそう言ってくすくすと笑う。
退院した時のご褒美のデート。舞はその約束を律儀に覚えていた。
「車窓から外の景色をぼんやりと眺めるのって、好きだな」
電車に乗り、隣の席に腰掛ける彼女は、そう呟く。
「そのことに没頭できるっていうか、現実を忘れられる。そう、思わない?」
「……今、君が現実を忘れたいと思っているなら、僕はかなりショックだけどな」
「そういうことじゃないんだって。拗ねないでよ」
そう言って、彼女は笑った。
その日、気温がガクッと下がったせいか、電車で三十分ほどの場所にある遊園地は、それほど混雑してはいなかった。
「しかし、本当に寒いな」
「そう?」
「今まで人形だったせいで、寒さや暑さに対する免疫が皆無なんだよ」
「私は寒い中を歩くのって好きなんだけどな。脳がクリアになる感じで。それより空いてるのがラッキーだよ。並ばなくていいし」
幸い、彼女が元気そうなのでほっとする。
「あ、あれに乗ろうよ」
舞が指差したのは、明らかに絶叫系のジェットコースターだった。
「……マジ?」
「マジ」
「まぁ、昔から乗り物酔いとかはするタイプじゃなかったからな。大丈夫だろ」
数十分後。
「おぇー……」
ジェットコースターから降りた僕は、千鳥足で近くのベンチに腰掛けた。
その様子を見ながら、舞はゲラゲラ笑っていた。
「酔うってこんな感覚なんだな。最悪だ」
「ずっと寝たきりだったからねー。三半規管も衰えてるだろうし、仕方ないよ」
「君、わかってて誘ったよな」
「何のことでしょうね」
「……」
「ぎゃあああって叫んでたね。ぎゃああって」
「……うるさい」
「気づいてしまったら、もう絶叫系に誘っても断られるでしょ。最初に一番激しいのに乗っておくという作戦よ」
舞はしたり顔でこっちを見る。
「さて、落ち着いたら、今度はあっちに行ってみましょうか」
「もう絶叫系は無理だぞ」
「流石にその様子を見て、そんな非人道的なことしないわよ」
そんな僕に気を遣ってか、次に行ったのは遊園地の中に併設している水族館だった。
彼女はガラスの向こうで泳ぐ魚を眺めながら言う。
「魚にとっての幸せって何なのかしらね。こうやって水槽の中であっても、ご飯があって子孫が残すことができれば、幸せなのかな」
「どうだろうな。野生に比べたら、天敵もいなくてご飯も保証されている水槽の方が、案外幸福度は高いのかもしれない」
魚の次は、クラゲが集められたブースが現れる。水槽の中を、クラゲが優雅に泳いでいる。
「柔らかそう」
舞はガラス越しにクラゲを触る。
「可愛いね」
「……そうだな」
「まだ顔色悪いけど、大丈夫?」
「……人形だったら、乗り物酔いなんてしないんだけどな」
「ふふっ、また人形に戻りたい?」
舞は冗談っぽい口調だが、目が笑っていない。
彼女は僕の顔を覗き込みながら問いかけた。
「冗談だよ。ただ、人形にも利点はあるってだけの話さ」
「利点って?」
これまでの日々が、脳裏で再生される。
「……僕が元の身体に戻ろうとしなかった理由。他にもあるんだ」
人形を使って学校に行った。
隣の席の人に話しかけられる。
思うだけで声が出た。自然と会話ができる。
「人形は、まさに自分の理想の姿だった。自信無さげにおどおど振る舞うことが染み付いた僕の身体と違って、無機質でありのままの、自分の中に生み出した完璧な自分。不思議だった。あれだけ僕を避けていた人間たちが、また何食わぬ顔で話してきたから。輪を乱さない人間として存在することが、この社会で生きていくためにどれほど重要なことであるのか。それを思い知った。それでいいと思っていたんだ。自分の振る舞い方の変化で離れてしまうような関係なら、初めから無い方がいい。そんなのは、本当の友達じゃない。でも、だとしたら人と人との付き合いって、何なんだろうって、思うことが増えた」
利害関係。家族。友人。共感すること。分かち合うこと。それも、時間が経てば変化する、その場限りのもの。
「人形を作って、僕は自分じゃない別の誰かになれると思ってた。事実、人形を使う前より人間関係は好転した。焦りや動揺が表情に出ない。何かあっても、人形の身体だから大丈夫。そんな気持ちが常にあった。でも、僕が僕であることに変わりはなかった。舞への罪悪感も、弟への劣等感も、人形を使ったからといって消え去るわけじゃなかった」
自分がイメージする自分の姿と、ありのままの自分の姿とのギャップ。
人形の目には、僕の内心の迷いは映らない。他者が僕を見て不安に思うことはない。心を乱されることがない。
「あるいは、他人の目を気にすることがなければ、そんなことを意識せずに済んだかもしれないけれど」
「でも、他者の目を気にしないで生きることって、本当に幸せだと言えるのかな」
「誰の目も気にせず、自由に生きられるっていいことじゃないか」
僕がそう言うと、舞は、どこか虚空を見つめて、呟く。
「誰かに認められた時や褒められた時、私たちは幸福であると感じる。他者がどういうものを求めるのかを考え、他者の理想に自分から近づくことで、私たちは他者から認められる」
「周囲に気に入られることが、必ずしも正しいこととは限らないだろ」
「とはいえ、他者の目を気にせず生きたとして、誰かに認められることの無い一生は、幸せであると言えないと思う」
彼女は水槽の中で優雅に泳ぐ魚を見つめながら、ぽつりとそう言った。
「他人が認めてくれない自分を、果たして自分は好きになれるものなのかな」
声の調子こそ、いつもと変わらない彼女のように感じられたが、それは僕に対してというより、自分への問いかけであるように思われた。
「あっちにイルミネーションがあるらしいの」
水族館を出た後、舞に連れられてきた場所には、数えきれないほどたくさんのカラフルな光が、見る者を圧倒させるスケールで輝きを放っていた。
「綺麗……」
舞は、うっとりとした表情で、その光を見つめている。
僕は、そっと彼女の手をとった。
ひんやりと冷たい。
「……寒そうだったからさ」
僕は、言い訳のようにそう呟く。
彼女は驚いたように目を見開いた後、目を細めて微笑んだ。
その時、僕のお腹の音が鳴った。顔が熱くなるのがわかる。
誤魔化せない距離にいた舞には、その音が聞こえていたようだった。
彼女は笑って、「ご飯食べに行こっか」と、僕の手を引いた。
夜の七時。夕食の時間だけに混みあうことが想定されたが、テーマパーク内の飲食店は案外空いていて、簡単に席を確保することができた。
「私は、お腹空いてないから」
「そうか?」
「うん。廉だけ頼んで」
まだ固形物が食べられるようになっていない僕は、スープだけ注文した。
スープを飲んでいると、彼女は両手で頬杖をついて、ニコニコ笑っていた。
「何がおかしいんだ?」
「おかしいんじゃなくて、嬉しいんだよ」
「嬉しい?」
「廉が食事できるようになったことがさ」
「まぁ、まだこんなものしか食べられないけどな」
「ゆっくりでいいんだよ。焦る必要なんてない」
「……やっぱり、こっちの身体がいい」
「そう思えるようになって、本当によかった」
舞は嬉しそうに笑って言った。
楽しい時間はあっという間に過ぎ、僕たちは帰路についていた。
「楽しかったね」
帰り道、二人で並んで歩きながら、舞は嬉しそうにそう呟く。
こんな幸せを、僕には享受する資格があるのだろうか。
舞の事故によって、僕は今までできていたことができなくなった。理由はわからない。でも、自分のせいで舞が事故にあったという事実が、どうして僕が普通に生きることが許されるのかという思いがあったことは事実だと思う。
幸せになったらいけないと思っていた。
人形を使うようになって、何度も同じことを思った。
時々、舞が事故に遭わなければ、どうなっていただろうと考えた。野球も続けられたし、ご飯だって食べられた。どうして僕だけが。そんなことを考えてしまう自分が、どうしようもなく醜いと思った。
思い出に蓋をし続けるということは、乗り越えたことにならない。大切なのは、誤魔化す事ではなく、事実をありのままに受け入れることだったんだ。そうしない限り、僕は自分自身と向き合うことができずにいただろう。
「舞」
「何?」
僕は、立ち止まり、目を閉じる。
「君には本当にたくさん支えてもらった。君がそばで支えてくれなければ、僕はこうしてまた自分の足で歩くことができなかったと思う。感謝しても仕切れない」
「私は何もしてないよ。廉が自分に向き合うことができた結果で、それは誇っていいことなんだよ」
「でも、君がきっかけを作ってくれなければ、僕はいつまでも自分の過去から逃げ続けていたと思う」
今こそ、勇気を出して言うべきだ。
僕は目を開けて、再び口を開いた。
「舞、僕は……」
視界に、舞の姿は無かった。
ゆっくり、視線を下げると、足元に倒れている舞の姿があった。
「舞‼」
僕が彼女の名前を叫んだその瞬間、舞の携帯電話が鳴った。
昼休み。学校で、僕は修一に人間の身体に戻ったことを告げた。
「ああ。心配かけたな」
「飯ももう食えるのか?」
「こんな感じのやつだけな」
僕は鞄からゼリードリンクを取り出し、修一に見せる。
「まぁ、いいってことよ」
修一の反応は、思っていたよりも薄かった。
雫にも伝えようと思ったが、その日はどうやら体調不良で休みらしかった。
とりあえず自分の身体で生活を送ることができるようになり、食事は時間をかけてできるようになろうということで、僕はめでたく退院することとなった。
「本当に色々、お世話になりました」
母は先生に頭を下げる。
「いえいえ。蓮井くん、退院おめでとう」
先生は、笑顔でそう言った。
「ありがとうございます」
「もっと長くかかると思っていたんだよ。どうやら君を見くびっていたようだ。ところで、彼女は、今日は来ないのかい」
「舞ですか? ええ、来てませんけど」
「……そうか。ならいいんだ。自分の身体で生活できるようになったとはいえ、まだ経過観察は途中だ。定期検診はこれまでどおり行うから、忘れないようにね」
「はい」
僕は先生の方に向き直って言った。
「先生」
「ん」
「ありがとうございました」
「うん。自分を大事にね」
僕は、先生に深く頭を下げた。
日本の四季はどこへ行ったのやら。涼しくなってきたなと思った矢先、強烈な寒波が襲来するという異常事態に、それほど違和感を抱かなくなっている。
デートの約束の日。僕は、最寄り駅の入り口付近で、舞の到着を待っていた。
これほど緊張したのは、いつ以来だろうか。
「お待たせしました」
振り返って見た彼女の姿に、僕は思わず息を呑んだ。
普段は僕のリハビリに付き合ってくれていたから、おしゃれをしてくるということは無く、動きやすい恰好が多かったのだが。
真っ白のコートに身を包んだ彼女は、その名の通り白鷺のようで、控えめに言って、とても綺麗だった。
「……あんまり気合い入れられると、横にいる僕が見劣りするからやめてほしいんだけど」
「なにそれ。遠回しに似合うよって言ってんの?」
彼女はそう言ってくすくすと笑う。
退院した時のご褒美のデート。舞はその約束を律儀に覚えていた。
「車窓から外の景色をぼんやりと眺めるのって、好きだな」
電車に乗り、隣の席に腰掛ける彼女は、そう呟く。
「そのことに没頭できるっていうか、現実を忘れられる。そう、思わない?」
「……今、君が現実を忘れたいと思っているなら、僕はかなりショックだけどな」
「そういうことじゃないんだって。拗ねないでよ」
そう言って、彼女は笑った。
その日、気温がガクッと下がったせいか、電車で三十分ほどの場所にある遊園地は、それほど混雑してはいなかった。
「しかし、本当に寒いな」
「そう?」
「今まで人形だったせいで、寒さや暑さに対する免疫が皆無なんだよ」
「私は寒い中を歩くのって好きなんだけどな。脳がクリアになる感じで。それより空いてるのがラッキーだよ。並ばなくていいし」
幸い、彼女が元気そうなのでほっとする。
「あ、あれに乗ろうよ」
舞が指差したのは、明らかに絶叫系のジェットコースターだった。
「……マジ?」
「マジ」
「まぁ、昔から乗り物酔いとかはするタイプじゃなかったからな。大丈夫だろ」
数十分後。
「おぇー……」
ジェットコースターから降りた僕は、千鳥足で近くのベンチに腰掛けた。
その様子を見ながら、舞はゲラゲラ笑っていた。
「酔うってこんな感覚なんだな。最悪だ」
「ずっと寝たきりだったからねー。三半規管も衰えてるだろうし、仕方ないよ」
「君、わかってて誘ったよな」
「何のことでしょうね」
「……」
「ぎゃあああって叫んでたね。ぎゃああって」
「……うるさい」
「気づいてしまったら、もう絶叫系に誘っても断られるでしょ。最初に一番激しいのに乗っておくという作戦よ」
舞はしたり顔でこっちを見る。
「さて、落ち着いたら、今度はあっちに行ってみましょうか」
「もう絶叫系は無理だぞ」
「流石にその様子を見て、そんな非人道的なことしないわよ」
そんな僕に気を遣ってか、次に行ったのは遊園地の中に併設している水族館だった。
彼女はガラスの向こうで泳ぐ魚を眺めながら言う。
「魚にとっての幸せって何なのかしらね。こうやって水槽の中であっても、ご飯があって子孫が残すことができれば、幸せなのかな」
「どうだろうな。野生に比べたら、天敵もいなくてご飯も保証されている水槽の方が、案外幸福度は高いのかもしれない」
魚の次は、クラゲが集められたブースが現れる。水槽の中を、クラゲが優雅に泳いでいる。
「柔らかそう」
舞はガラス越しにクラゲを触る。
「可愛いね」
「……そうだな」
「まだ顔色悪いけど、大丈夫?」
「……人形だったら、乗り物酔いなんてしないんだけどな」
「ふふっ、また人形に戻りたい?」
舞は冗談っぽい口調だが、目が笑っていない。
彼女は僕の顔を覗き込みながら問いかけた。
「冗談だよ。ただ、人形にも利点はあるってだけの話さ」
「利点って?」
これまでの日々が、脳裏で再生される。
「……僕が元の身体に戻ろうとしなかった理由。他にもあるんだ」
人形を使って学校に行った。
隣の席の人に話しかけられる。
思うだけで声が出た。自然と会話ができる。
「人形は、まさに自分の理想の姿だった。自信無さげにおどおど振る舞うことが染み付いた僕の身体と違って、無機質でありのままの、自分の中に生み出した完璧な自分。不思議だった。あれだけ僕を避けていた人間たちが、また何食わぬ顔で話してきたから。輪を乱さない人間として存在することが、この社会で生きていくためにどれほど重要なことであるのか。それを思い知った。それでいいと思っていたんだ。自分の振る舞い方の変化で離れてしまうような関係なら、初めから無い方がいい。そんなのは、本当の友達じゃない。でも、だとしたら人と人との付き合いって、何なんだろうって、思うことが増えた」
利害関係。家族。友人。共感すること。分かち合うこと。それも、時間が経てば変化する、その場限りのもの。
「人形を作って、僕は自分じゃない別の誰かになれると思ってた。事実、人形を使う前より人間関係は好転した。焦りや動揺が表情に出ない。何かあっても、人形の身体だから大丈夫。そんな気持ちが常にあった。でも、僕が僕であることに変わりはなかった。舞への罪悪感も、弟への劣等感も、人形を使ったからといって消え去るわけじゃなかった」
自分がイメージする自分の姿と、ありのままの自分の姿とのギャップ。
人形の目には、僕の内心の迷いは映らない。他者が僕を見て不安に思うことはない。心を乱されることがない。
「あるいは、他人の目を気にすることがなければ、そんなことを意識せずに済んだかもしれないけれど」
「でも、他者の目を気にしないで生きることって、本当に幸せだと言えるのかな」
「誰の目も気にせず、自由に生きられるっていいことじゃないか」
僕がそう言うと、舞は、どこか虚空を見つめて、呟く。
「誰かに認められた時や褒められた時、私たちは幸福であると感じる。他者がどういうものを求めるのかを考え、他者の理想に自分から近づくことで、私たちは他者から認められる」
「周囲に気に入られることが、必ずしも正しいこととは限らないだろ」
「とはいえ、他者の目を気にせず生きたとして、誰かに認められることの無い一生は、幸せであると言えないと思う」
彼女は水槽の中で優雅に泳ぐ魚を見つめながら、ぽつりとそう言った。
「他人が認めてくれない自分を、果たして自分は好きになれるものなのかな」
声の調子こそ、いつもと変わらない彼女のように感じられたが、それは僕に対してというより、自分への問いかけであるように思われた。
「あっちにイルミネーションがあるらしいの」
水族館を出た後、舞に連れられてきた場所には、数えきれないほどたくさんのカラフルな光が、見る者を圧倒させるスケールで輝きを放っていた。
「綺麗……」
舞は、うっとりとした表情で、その光を見つめている。
僕は、そっと彼女の手をとった。
ひんやりと冷たい。
「……寒そうだったからさ」
僕は、言い訳のようにそう呟く。
彼女は驚いたように目を見開いた後、目を細めて微笑んだ。
その時、僕のお腹の音が鳴った。顔が熱くなるのがわかる。
誤魔化せない距離にいた舞には、その音が聞こえていたようだった。
彼女は笑って、「ご飯食べに行こっか」と、僕の手を引いた。
夜の七時。夕食の時間だけに混みあうことが想定されたが、テーマパーク内の飲食店は案外空いていて、簡単に席を確保することができた。
「私は、お腹空いてないから」
「そうか?」
「うん。廉だけ頼んで」
まだ固形物が食べられるようになっていない僕は、スープだけ注文した。
スープを飲んでいると、彼女は両手で頬杖をついて、ニコニコ笑っていた。
「何がおかしいんだ?」
「おかしいんじゃなくて、嬉しいんだよ」
「嬉しい?」
「廉が食事できるようになったことがさ」
「まぁ、まだこんなものしか食べられないけどな」
「ゆっくりでいいんだよ。焦る必要なんてない」
「……やっぱり、こっちの身体がいい」
「そう思えるようになって、本当によかった」
舞は嬉しそうに笑って言った。
楽しい時間はあっという間に過ぎ、僕たちは帰路についていた。
「楽しかったね」
帰り道、二人で並んで歩きながら、舞は嬉しそうにそう呟く。
こんな幸せを、僕には享受する資格があるのだろうか。
舞の事故によって、僕は今までできていたことができなくなった。理由はわからない。でも、自分のせいで舞が事故にあったという事実が、どうして僕が普通に生きることが許されるのかという思いがあったことは事実だと思う。
幸せになったらいけないと思っていた。
人形を使うようになって、何度も同じことを思った。
時々、舞が事故に遭わなければ、どうなっていただろうと考えた。野球も続けられたし、ご飯だって食べられた。どうして僕だけが。そんなことを考えてしまう自分が、どうしようもなく醜いと思った。
思い出に蓋をし続けるということは、乗り越えたことにならない。大切なのは、誤魔化す事ではなく、事実をありのままに受け入れることだったんだ。そうしない限り、僕は自分自身と向き合うことができずにいただろう。
「舞」
「何?」
僕は、立ち止まり、目を閉じる。
「君には本当にたくさん支えてもらった。君がそばで支えてくれなければ、僕はこうしてまた自分の足で歩くことができなかったと思う。感謝しても仕切れない」
「私は何もしてないよ。廉が自分に向き合うことができた結果で、それは誇っていいことなんだよ」
「でも、君がきっかけを作ってくれなければ、僕はいつまでも自分の過去から逃げ続けていたと思う」
今こそ、勇気を出して言うべきだ。
僕は目を開けて、再び口を開いた。
「舞、僕は……」
視界に、舞の姿は無かった。
ゆっくり、視線を下げると、足元に倒れている舞の姿があった。
「舞‼」
僕が彼女の名前を叫んだその瞬間、舞の携帯電話が鳴った。