■

     『魔法の万年筆』

「ウィリアムくんもさ、絶対シャーリーに気があるって!」

「告白すべきだって! 大丈夫だよ上手くいく!」

 ランチライムの最中、メグミの通うハイスクールのクラスメイトたちは色恋沙汰の話に花を咲かせていた。

 最近はクラスの中心人物であるシャーリーの片想いについての話題が多い。聞くつもりなどなくとも、大きな彼女たちの声はメグミの耳にも入ってくる。

「ね、メグミもそう思うでしょ?」

 自席でひとり、本を読みながらサンドイッチを頬張っていたメグミは、突然同意を求められ驚いた。詳細を知らないのだから答えようがないと思いつつも、適当なことを言えば質問してくれた彼女に対して無礼だと思ったメグミは、

「……人に訊く時点ですでに、答えは決まっているというわ。自分で考えたら?」

 そう返すのが最良だと思った。だがシャーリーとその友人たちは硬直し、困ったように顔を見合わせた。

「そ、そうだよねー! ごめんね、食事の邪魔して!」

 メグミにもわかるような愛想笑いをして、自分たちの会話に戻っていった。

 どうやらまた間違えてしまったようだ。メグミは持っていた本に視線を戻しながら、肩を落とした。

 東洋人の血が半分混じっているメグミは、クラスメイトたちのような金色の髪と青い瞳を持っていない。いつも疎外感を覚えていたが、外見だけではなく、中身も同世代の少女から浮いていることを自覚していた。

 他の皆が楽しそうにしているところに、悪気はなくとも水を差してしまうことが多いのだ。無意識のうちにやってしまうこともあれば、今のように気をつけているのにもかかわらず、意図的に間違えてしまうこともある。

 メグミは、自分の性格を嫌悪していた。


 放課後、メグミは授業で使うペンとノートを買うために文房具屋に向かった。

 石畳の上を真っ直ぐ進むと、大通りに出る。大通りにある町で一番大きな文房具屋に行こうとしていたメグミは、大通りから一本それた小道に今まで見たことのない露店が出ているのを見つけた。

 店主は普通のお婆さんで、ゆったりとした布で全身を纏う格好をしていた。汚い印象は受けないが、裕福そうにも見えなかった。生活に困っているから露店をはじめたのだろうかと邪推しながら商品を見てみると、古風だが細部にこだわりのあるアクセサリーが揃っていてメグミ好みだった。値段は少し高めだが、全部が手作りで手間がかかっているのであれば妥当な値なのだろうか。

 吟味していると、いらっしゃいませの一言も口にしなかったお婆さんが声をかけてきた。

「これらは、孫にあげるために作っていたのですがねえ……先日、病気で亡くしてしまったんですよ。年寄りの作る物ですが、どうか見てやってくださいな」

 ふらりと立ち寄った客にする話としては随分重たいと思ったが、メグミはこの空気を読めない発言をするあたりが、どこか自分に似ていると感じた。同情心がわいたメグミは、お婆さんと話をする気になった。

「このブレスレットはどうやって作ったの?」

「糸にビーズを通して、ひたすら編みこむのです。ここのグラデーションをつけるのは骨の折れる作業でしたよ」

 ふたりはかぼちゃのスープが好きだとか、編み物で肩が凝ったときの解消法とか、そんなたわいのない話をした。今だけの関係で、相手もどこかずれている。同世代と話すときのように気を遣うことがないため、メグミは気が楽だった。

 メグミとお婆さんが話している間に、商品は一つも売れなかった。すっかりお婆さんに情が移ったメグミは、黒いシンプルなイヤリングを買って売り上げに貢献してやった。

「じゃあ、わたしは帰るわ。お婆さん元気でね」

「素敵な時間をありがとうございました。……これは、話し相手になってくれたお礼です」

 お婆さんが商品とは別の箱から取り出したのは、古い型の万年筆だった。

「ただの万年筆ではありませんよ。これは書いたことが現実となる、魔法の万年筆なのです。ただし、インクを替えることはできませんのでご注意を」

「そ、そう……ありがとう。大切に使うわね」

 メグミはお婆さんの話を全く信じていなかった。話し相手になっただけでプレゼントをくれるような人だから、きっと嘘を吐いて気を引き、明日からも来てもらおうとしているだけなのだろうと思った。


 帰宅したメグミがリビングでコーヒーを飲んでいると、帰宅を宣言する高らかな声が家中に響いた。姉が帰って来たようだ。

「ただいまー! やった、ナイスタイミング! わたしもコーヒー飲みたい!」

「そんなに大きい声を出さなくても……ちょっと待ってて、用意するから」

「ありがと! 愛してるよ、メグミ!」

 コーヒー一杯で大袈裟だとも思うが、そこが姉の特徴なのだ。

 明るく元気で、感情表現が豊かで人懐こく、誰からも愛される少女。そんな一つ年上の姉に、メグミは少しだけ嫉妬しながらも心から憧れていた。

 姉はメグミと異なり、東洋人のハーフであることを誇りに思っているようだった。

 着物を好んで着用し、差別するような人がいれば、積極的に話しかけて打ち解けてしまう。ハーフだから周りに馴染めないというのは、姉を見ていればメグミの言い訳に過ぎないことを思い知らされる。

「あー、やっぱり、メグミのコーヒーは最高に美味しいね!」

「大袈裟。インスタントなのに」

「ね、今夜シャーリーたちと天体観測する予定なんだけど、メグミもおいでよ! 焼きたてのスコーンと紅茶飲みながらさ! ね? きっと楽しいよ!」

「遠慮しておくわ。わたしが行くと、空気が悪くなっちゃうもの。それにシャーリーはきっと、わたしのことが苦手よ」

「まーたそうやって卑屈になるー。メグミは可愛いよ? わたしが一番よく知ってる」

「お姉ちゃんのは身内贔屓。というか、わたしだって今夜はやることがあるから、どのみち行けないし」

「……うーん、それなら仕方ないか。また企画するから、今度は絶対においでよ?」

 姉に握られた手の甲に暖かい温もりを感じながら、メグミは適当な相槌で誤魔化した。


 やることがあるなんて、もちろん嘘だ。

 強いて言うなら、毎日の習慣である日記をつけることくらいだ。引き出しの上から三段目、本の下に隠しているノートを取り出して中を開くと、そこには文字が羅列されている。

 メグミは今日貰った万年筆の使い心地を試そうと、早速ノートに筆先を滑らせてみた。

《露店でシンプルなイヤリングを買った。明日から付けて学校に行こう》

 古い万年筆にしては、インクの滲みもなくなかなか使いやすかった。日記帳にお婆さんとの出会いを簡単に書いたところで、苦手な物理の宿題が出ていることを思い出した。

《物理の宿題がたくさん出たけど、計算が多くて嫌になる。明日、ジャン先生休んでくれたらいいのに》

 特に意識もせず書き込んだ後、メグミは物理の教科書を取り出して宿題に取りかかった。


 物理の授業は一時間目だ。授業開始を告げるチャイムが鳴り、メグミが憂鬱な気分で溜息を吐くと、教室に学年主任が入ってきた。

「今日はジャン先生が急病でお休みされている。今日の授業は自習になるが、決して騒がないように静かに過ごしなさい」

 教室に歓喜の声が上がり、クラスメイトたちは学年主任に怒られていた。そんな中、メグミだけが罪悪感にも似た興奮状態にあった。

 ――ただの万年筆ではありませんよ。これは書いたことが現実となる、魔法の万年筆なのです

 お婆さんの言葉を思い出し、唾を飲んだ。だがまだ半信半疑だ。確信に変えるためには、もう一度検証する必要がある。

 帰宅したメグミはすぐに万年筆を手に持ち、日記帳にこう書いた。

《今日はお母さんがケーキを買ってくる。それも、ホールで》

 緊張しながら母の帰りを待つこと一時間、玄関の扉が開く音が聞こえた。逸る気持ちを抑えられないメグミはリビングに降り、声をかけた。