どこに行けばいいのかわからず、陽路は幸之輔と一緒に学校に戻って来てしまった。
練習が終わって誰もいなくなったグラウンドに、部活動謹慎中の自分と、汗とは無縁そうな幸之輔がふたりでいるのは場違いな気がした。
ローファーでグラウンドに立つなんて、貴重な経験だ。
足を止め、陽路は大きく息を吸った。今ならなんでも話せるような気がした。
「……わたしね、今日、クラスメイトから物を盗んだ友達を庇ったの。わたしが犯人ですって言ってさ。それは正しいと思った。間違えていないと思った。だって朱音は、インターハイで入賞が期待されている学校のエースだし、こんなことで出場停止とかになったら馬鹿みたいでしょ? だからわたしが罪を被るくらい、いいかなって思ったの。クラスメイトに白い目で見られても、朱音が自分のやったことを反省して、試合で全力を出してくれれば、それでいいって。……なのに……」
あのときの朱音の表情が思い出されて、胸が苦しくなってきた。その息苦しさを吐き出すように、
「なのに、朱音はわたしを裏切った! わたしを切り捨てたのよ!」
親しくもない年下の男に、感情をさらけ出していた。言葉にすることで、自分が傷ついているということがはっきりとわかった。
辛かった。助けてほしかった。無意識に、いや、意図的に、旭幸之輔の救いの手を求めていた。幸之輔に想いを寄せる朱音の愚痴を彼に話すことで、心にかかった靄を汚い方法で振り払おうとしていた。
「……君がやったことはただの偽善、自己満足だ。彼女はそんな君の偽善に、堪えられる器を持っていなかったのだろう? ただそれだけの話じゃないか」
――突然、見捨てられた気分だった。
自分は幸之輔に一体、どんな言葉を期待していたのだろう。慰めてほしかったという下心を見透かされたようで、赤面してしまった。
手品を見せたときは可愛らしい男だと思ったのに、今の彼は冷淡で、人の気持ちなど考えずにただ正論を吐くという、噂通りの旭幸之輔になっていた。
「……なんでよ。なんでわたしばっかり、酷い目に合うのよ! わたしはただマネージャーとして! 親友として! 朱音を一生懸命に守ろうとしただけ! それなのに、どうしてわたしが悪者になるのよ!」
「見返りを求めるくらいなら、自分が悪者になろうなんて思わない方がいい」
「わ、わたしは別に、誰かに評価されたくてやったわけじゃない! ただ朱音のためを思っただけなのに!」
「自己犠牲が美しいと思っている反面、恩の押し売りか。俺には今の君の姿も、俺に優しい言葉をかけてほしくて言っているようにしか思えないがね。本当に親友のことを考えているなら、第三者に事件の事情を話したり、主観的立場から胸の内を吐露したりするなど考えられない行為だ」
冷酷な幸之輔の視線にぞっとした。彼の視線から逃れるように、陽路は必死に叫んだ。
「うるさい! やめてよ! 何もかもを見透かしたような目で、わたしを見ないで!」
言い負かされて視線を逸らした陽路の耳には、幸之輔の呆れたような溜息が届いた。
「――では、俺が君の望む物語を作ってみせよう」
軽蔑され罵倒されるかと思っていた陽路は、幸之輔の言葉に驚いて顔を上げた。
言葉の意味はわからなかったが、彼はふざけているようには見えず、いたって真剣な顔をしていた。
「……どういうこと?」
「言葉通りの意味さ。まあ、君は何も知らないまま、ただ今夜眠るだけでいい。明日の朝には世界は変わっているだろう」
「……待ってよ、わかるように説明して」
幸之輔が真面目に言っているのか頭がおかしいのかが判断できなくて、頭が痛くなってきた。わざとわからないような言い回しをしているのかと疑いたくなる。
「説明は無意味だと思うがね。では、俺はこれで失礼する」
「勝手なこと言わないで! わたしが望む物語って何? わたしに関係あるのなら、ちゃんとわたしにもわかるように説明して!」
「……感情的な君が理解できるとは、到底思えないな。だがまあ、知的探究心を持つ人間を拒む理由もない。俺についてくるといい」
そう言って幸之輔は歩き出した。早々と遠ざかっていく彼の背中を追いかけることに、陽路は少しの迷いも抱かなかった。
幸之輔は学校近くの本屋に寄り、真っ直ぐに児童書のコーナーに足を運んだ。彼が手にした本は、浜田広介著の『泣いた赤鬼』だった。
「君はこの物語の内容を知っているかい?」
「うん、有名な話だし、大体はね。人間と仲良くなりたいけどなかなか上手くいかない赤鬼のために、青鬼がわざと悪役を買って出て、人間を襲うフリをするのよね。赤鬼が人間のために戦って青鬼を追い払うことで、赤鬼は人間に信頼されて仲良くなることができたんだけど、青鬼は自分と親しいことがわかったら人間が不信感を抱いてしまうだろうと懸念して、遠くへ行ってしまう。そういう話だったわよね?」
「そうだ。だが、君の知っている『泣いた赤鬼』は、今日から違う物語になる」
小首をかしげた陽路を無視して、幸之輔はさっさとレジに向かい会計を済ませた。
外に出ると、着物のよく似合う美しい女性が黒髪を靡かせて立っていた。こんなに綺麗な女性は陽路の人生で見たことがなかった。
次元の違う美しさについ見惚れていると、
「あなたは……」
黒髪の女性は、陽路を見て驚いているように見えた。陽路は女性と知り合いである線を考えたが、やはり彼女とは初対面だと言い切れると思った。陽路は人の顔を覚えることが苦手ではないし、これ程の美人と知り合いであれば記憶している自信があったからだ。
「……あの、どこかでお会いしたことがありましたか?」
我慢できずに陽路から訊いてみると、女性はふっと我に返ったような表情を見せて、頭を下げた。
「……いえ、大変失礼致しました。わたしはエイミー、彼の行動を見守るだけの存在です。どうかお気になさらず」
エイミーと名乗った女性は、優雅な笑みを浮かべた。
練習が終わって誰もいなくなったグラウンドに、部活動謹慎中の自分と、汗とは無縁そうな幸之輔がふたりでいるのは場違いな気がした。
ローファーでグラウンドに立つなんて、貴重な経験だ。
足を止め、陽路は大きく息を吸った。今ならなんでも話せるような気がした。
「……わたしね、今日、クラスメイトから物を盗んだ友達を庇ったの。わたしが犯人ですって言ってさ。それは正しいと思った。間違えていないと思った。だって朱音は、インターハイで入賞が期待されている学校のエースだし、こんなことで出場停止とかになったら馬鹿みたいでしょ? だからわたしが罪を被るくらい、いいかなって思ったの。クラスメイトに白い目で見られても、朱音が自分のやったことを反省して、試合で全力を出してくれれば、それでいいって。……なのに……」
あのときの朱音の表情が思い出されて、胸が苦しくなってきた。その息苦しさを吐き出すように、
「なのに、朱音はわたしを裏切った! わたしを切り捨てたのよ!」
親しくもない年下の男に、感情をさらけ出していた。言葉にすることで、自分が傷ついているということがはっきりとわかった。
辛かった。助けてほしかった。無意識に、いや、意図的に、旭幸之輔の救いの手を求めていた。幸之輔に想いを寄せる朱音の愚痴を彼に話すことで、心にかかった靄を汚い方法で振り払おうとしていた。
「……君がやったことはただの偽善、自己満足だ。彼女はそんな君の偽善に、堪えられる器を持っていなかったのだろう? ただそれだけの話じゃないか」
――突然、見捨てられた気分だった。
自分は幸之輔に一体、どんな言葉を期待していたのだろう。慰めてほしかったという下心を見透かされたようで、赤面してしまった。
手品を見せたときは可愛らしい男だと思ったのに、今の彼は冷淡で、人の気持ちなど考えずにただ正論を吐くという、噂通りの旭幸之輔になっていた。
「……なんでよ。なんでわたしばっかり、酷い目に合うのよ! わたしはただマネージャーとして! 親友として! 朱音を一生懸命に守ろうとしただけ! それなのに、どうしてわたしが悪者になるのよ!」
「見返りを求めるくらいなら、自分が悪者になろうなんて思わない方がいい」
「わ、わたしは別に、誰かに評価されたくてやったわけじゃない! ただ朱音のためを思っただけなのに!」
「自己犠牲が美しいと思っている反面、恩の押し売りか。俺には今の君の姿も、俺に優しい言葉をかけてほしくて言っているようにしか思えないがね。本当に親友のことを考えているなら、第三者に事件の事情を話したり、主観的立場から胸の内を吐露したりするなど考えられない行為だ」
冷酷な幸之輔の視線にぞっとした。彼の視線から逃れるように、陽路は必死に叫んだ。
「うるさい! やめてよ! 何もかもを見透かしたような目で、わたしを見ないで!」
言い負かされて視線を逸らした陽路の耳には、幸之輔の呆れたような溜息が届いた。
「――では、俺が君の望む物語を作ってみせよう」
軽蔑され罵倒されるかと思っていた陽路は、幸之輔の言葉に驚いて顔を上げた。
言葉の意味はわからなかったが、彼はふざけているようには見えず、いたって真剣な顔をしていた。
「……どういうこと?」
「言葉通りの意味さ。まあ、君は何も知らないまま、ただ今夜眠るだけでいい。明日の朝には世界は変わっているだろう」
「……待ってよ、わかるように説明して」
幸之輔が真面目に言っているのか頭がおかしいのかが判断できなくて、頭が痛くなってきた。わざとわからないような言い回しをしているのかと疑いたくなる。
「説明は無意味だと思うがね。では、俺はこれで失礼する」
「勝手なこと言わないで! わたしが望む物語って何? わたしに関係あるのなら、ちゃんとわたしにもわかるように説明して!」
「……感情的な君が理解できるとは、到底思えないな。だがまあ、知的探究心を持つ人間を拒む理由もない。俺についてくるといい」
そう言って幸之輔は歩き出した。早々と遠ざかっていく彼の背中を追いかけることに、陽路は少しの迷いも抱かなかった。
幸之輔は学校近くの本屋に寄り、真っ直ぐに児童書のコーナーに足を運んだ。彼が手にした本は、浜田広介著の『泣いた赤鬼』だった。
「君はこの物語の内容を知っているかい?」
「うん、有名な話だし、大体はね。人間と仲良くなりたいけどなかなか上手くいかない赤鬼のために、青鬼がわざと悪役を買って出て、人間を襲うフリをするのよね。赤鬼が人間のために戦って青鬼を追い払うことで、赤鬼は人間に信頼されて仲良くなることができたんだけど、青鬼は自分と親しいことがわかったら人間が不信感を抱いてしまうだろうと懸念して、遠くへ行ってしまう。そういう話だったわよね?」
「そうだ。だが、君の知っている『泣いた赤鬼』は、今日から違う物語になる」
小首をかしげた陽路を無視して、幸之輔はさっさとレジに向かい会計を済ませた。
外に出ると、着物のよく似合う美しい女性が黒髪を靡かせて立っていた。こんなに綺麗な女性は陽路の人生で見たことがなかった。
次元の違う美しさについ見惚れていると、
「あなたは……」
黒髪の女性は、陽路を見て驚いているように見えた。陽路は女性と知り合いである線を考えたが、やはり彼女とは初対面だと言い切れると思った。陽路は人の顔を覚えることが苦手ではないし、これ程の美人と知り合いであれば記憶している自信があったからだ。
「……あの、どこかでお会いしたことがありましたか?」
我慢できずに陽路から訊いてみると、女性はふっと我に返ったような表情を見せて、頭を下げた。
「……いえ、大変失礼致しました。わたしはエイミー、彼の行動を見守るだけの存在です。どうかお気になさらず」
エイミーと名乗った女性は、優雅な笑みを浮かべた。