ああ、この方が一つ目の龍の神様。
形式上のしきたりではなく、本当に存在していた。ずっとお側にいてくださった、わたしの旦那様……。
葵は御蔭の前に跪くと、畳に手をついて頭をさげた。
「天之御影神様……。何も知らなかったとはいえ、これまでの無礼をお許しください。これからも、わたしを貴方様の側に置いていただけますでしょうか」
葵が丁寧に挨拶すると、御蔭が困ってあたふたとする。
「いえいえ、そんな。急に畏まられては困ります。今までどおり、御蔭でいいんですよ。ほら、顔を見せてください」
御蔭が葵の肩に手をのせて、顔をあげさせる。
跪いたまま葵が見上げると、御蔭の優しい笑顔があって。溢れる想いに、葵の胸が苦しくなった。
「御蔭様……。わたしは、ずっと……、ずっと、あなたを恋慕っておりました」
震える声で想いを告げる葵に、御蔭がゆるりと微笑みかけてくる。
「それは、なんとも光栄なことです」
御蔭が葵の肩を抱いて、そっと口付けると、不思議なことに十日間振り続けた雨がぴたりとやんだ。
灰雲に太陽の光が差し、鈍色の空が少しずつ晴れていく。
口付けのあと、葵が明るくなった縁側の外を驚きの目で見つめていると、御蔭が立ち上がって葵の手を引いた。
「さあ、それではあらためて準備をしなければいけませんね」
「何の準備ですか」
ぽかんとした顔で見上げる葵に、御蔭がふっと笑いかける。
「何のって、決まっているでしょう。私と葵の祝言の準備です」
「祝言……!?」
けれど、龍神様との祝言は、三つで美雲神社に連れて来られたときに既に済ませているはず……。
葵が考えていると、それを察したように御蔭が口角を引き上げる。
「あなたが幼子のときにあげた祝言で、私は花婿の席に座れませんでしたからね。あれはまともな祝言とは言えません。池の鯉たちも皆呼び集めて、華やかに行わなければ」
「池の、鯉……」
葵にはまったく想像ができなかったが、御蔭がにこにこと嬉しそうなので余計なことは口にせず黙っておくことにする。
「葵」
御蔭に手を引かれて立ち上がった葵は、彼に促されて縁側から外に出た。
雨続きでずっと曇っていた空が、明るく眩しい。美しく澄んだ御空色に晴れた空は、御蔭とともに生きる葵の未来を祝福するようだった。
Fin.