けれど、ならばどうして……。自らが龍神であることを明かさず、葵を章太郎と結婚させようとしたのか。
葵が怪訝に思っていると、御蔭がその思いを察したようにふっと笑う。
「私は今はこのような姿で葵の前にいますが、本来の姿は恐ろしい姿をした一つ目の龍神。古い因習のために差し出された花嫁を人の世に戻してやるのが、正しい私の勤めです。けれど、葵は言ったでしょう。『離縁の雨が一日でも長く続けばいい』と。思い詰めた顔をしてここに留まりたいと話す葵を見ているうちに、初めて花嫁を人の世に返すのが惜しくなった。葵が雨が続くことを望んでいるかと思うと、身勝手にも離縁の雨をやますことができなかったのです。長雨を降らせながらずっと迷っていました。葵を手放すべきかどうか。けれど、章太郎の葵に対する振る舞いを見て、心が決まりましたよ」
着物に触れていた御蔭の手が、するりと移動して、葵の頬に触れる。
なめらかで、心地の良い御蔭の手のひら。葵がそれに頬を擦り寄せると、御蔭が今までにないほど愛おしそうに葵を見つめてきた。
「葵を章太郎には渡せない。私は葵を愛しているのです。だからこのまま……、私の花嫁としてここにいてはくれませんか」
御蔭のゆったりとした声が、葵の耳に届く。
鼓膜を震わすやさしい音は、葵の胸をも震わせた。
これは夢ではないだろうか。御蔭が葵をそばに置きたいと望んでくれるなんて……。
それを確かめたくて、葵は左目を覆う御蔭の白布にそっと触れた。
「もう一度、こちらの目を見ても……?」
「構いませんが……。恐れられるので隠しているものですよ」
「それでも、龍神様の証を見せてください」
葵が希うと、御蔭は左目に巻いた白布を解いた。その下から現れたのは、縦に傷の入った閉じた瞼。
葵が傷の上をそっと指先でなぞると、御蔭がくすぐったそうにわずかに瞼を開く。その隙間から覗くのは、鮮やかな赤。章太郎から守ってくれた、龍神様の恐ろしくも美しい瞳だ。