「おまえだって、わかっているんだろ。龍神の花嫁など、古いしきたりに倣った形式上のものだと。おまえの冷めた目を見れば、龍神を敬う気持ちのないことなどすぐわかる。そして俺は、おまえのその目が気に入って、側女にすると決めたんだ」
葵の腕を引っ張って引き寄せると、章太郎が葵の顎に指をかけて上を向かせる。
「おまえなど、若く美しいうちしか価値がない。次の花嫁候補が生まれるまで、せいぜい俺を楽しませくれるといい」
ニヤリと笑いながら顔を近付けてくる章太郎の言葉に、葵は吐き気するほど不快になった。
「……離してくださいっ!」
堪えきれずに葵が章太郎の頬を叩くと、軽く後ろによろけた彼が怒りに顔を歪めた。
「いきなり、何をする! 家に連れて行くまではせめて大事にしてやろうかと思ったが……。あまり言うことを聞かないなら痛い目に合わすぞ」
低い声で唸ると、章太郎が葵の肩をつかんで押し倒す。
「いいか、葵。おまえは今から俺の妻だ」
上からのしかかってきた章太郎が、ねっとりとした声で葵の耳元に囁く。その気持ち悪さに葵が眉をひそめた、その瞬間。
ドーン……、と。美雲神社の庭に、落雷の音がして、部屋の襖が開いた。
マキノかシノだろうか。
「助けて……!」
助かったとばかりに、葵は章太郎の下で足をじたばたとする。
「その娘を離せ」
けれど葵の耳に届いたのは、雷鳴のような低い男の声だった。
「誰だ、おまえは?」
突然の乱入者に、章太郎が不快げに襖のほうを振り向く。
「おまえこそ、汚い手でその娘に触れるな。葵は私の妻だ」
「なんだと……?」
葵に覆いかぶさる章太郎の向こうで、顔の見えない誰かが葵を「妻だ」という。章太郎の他にも、龍神様と離縁した葵を引き受けたいという者がいたのだろうか。
わけがわからず困惑していると、章太郎が葵のほうに向き直って、鋭い目で上から睨め付けてきた。
「おまえ、まさか……。ここで暮らす間ずっと、こんな身分もわからない男を連れ込んでいたのか? 何が龍神様の花嫁だ。これでは、汚い売女じゃないか」
葵の上から退いた章太郎が、葵の着物の胸元を両手で引っ張って起き上がらせる。そのとき、章太郎の肩越しに見えた男の姿に葵の心臓がどくんと跳ねた。