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マキノが葵を連れ帰ると、シノが着替えを用意して待っていた。
「この着物にお着替えください」
シノが差し出してきたのは、前に章太郎から贈られてきた蝶や洋花のあしらわれた御空色の着物だった。
離縁の雨がやんだあとに迎えに行くとき、着てほしいと言われた派手な着物だ。
「なぜ、これに?」
怪訝な顔をする葵から濡れた着物を剥ぎ取ると、マキノとシノが御空色の着物を羽織らせる。
「章太郎様がお待ちですから」
シノは微笑んで言うと、素早く葵を着付けてしまう。
「葵様はここでお待ちくださいね」
葵の着物を着替えさせると、マキノとシノが部屋を出ていく。それとほとんど入れ違いに入ってきたのは、軍服姿の竜堂 章太郎だった。
「思ったとおり、よく似合うな。俺の側妻に迎え入れるのに申し分ない」
御空色の着物に身を包んだ葵を見た章太郎が、顎を指先で撫でながらニヤリとする。章太郎は顔立ちの端正なほうだ。けれど、品定めるようにじっと見てくる章太郎の目が、葵にはひどく気持ちが悪かった。
顔をしかめて後ずさる葵だったが、章太郎のほうは少しの遠慮もなくずかずかと部屋の奥へと踏み込んでくる。そうして、葵の手を乱暴に掴んだ。
「来い。今すぐここを出るぞ」
「出るとは、どういうことですか」
「おまえを妻にするために迎えに来たんだ。急げ。外に迎えを待たせている」
「そんな、勝手な……。わたしはまだここを出ることはできません」
強い力で腕を引かれて、葵は畳の上で足を踏ん張る。
「何故だ」
葵が抵抗すると思わなかったのか、章太郎が不機嫌そうに振り向いた。
「何故って……。龍神様の降らした離縁の雨が、まだやんでおりません」
葵が眉間を寄せつつ章太郎の手を振り払おうとすると、彼がふっと鼻先で笑う。
「はっ……。そんなもの待っていられるか。おまえはもう、俺に嫁ぐことが決まっているんだ。姿も形もない龍神などどうでもいいだろう」
「でも、しきたりでは……」
「おまえは、一つ目の龍神の存在や古いしきたりを心から信じていたのか」
「……」
章太郎に訊ねられて、葵は言葉に詰まってうつむいてしまった。
葵は龍神様の存在も古いしきたりも信じていない。けれど、しきたりにこだわって章太郎に抵抗するのは、御蔭のいる美雲神社を離れたくないからだ。
けれど、御蔭は太鼓橋の上で話している途中にどこかに姿を消してしまった。