「おい、久金家から使いが来ているぞ。冷徹久金、傲慢久金のお出ましだ」

翌朝一番、濁声で久金久金と連呼されて梢は跳ね起きた。昨日、つぼみの様子を見ながら寝落ちしたようで、首のつけねが痛い。
ばんばんと無遠慮に叩かれる襖に飛びつく。突っ支い棒を噛ませてあるとはいえ、開けられたら大変だ。この叔父ならやりかねない。

「わかりました! 今伺います!」
「今回の縁談は斎樹と久金だと決まっているからいいようなものの、火邑と水波も年頃らしいからな。久金の坊ちゃんを逃がすんじゃないぞ」

襖越しというのにヤニ臭い息がかかりそうで梢は顔をしかめる。叔父と顔を合わせていないのをいいことに隠すつもりも無いのだが。

五家の結束を血で強めるために、年頃の子どもは政略結婚を余儀なくされる。
それでも時代が下るにつれて、問答無用に結婚させるわけでなく、一応は互いの自由意志も尊重するようになってきた。
火邑家と水波家にも適齢期の男女がいる。火邑家の三人兄弟は秀才揃いだと評判だ。
順番はあるものの、必ずしも今年、久金家と斎樹家が結ばれる必要はない。もし、そちらが先に結婚するようなら、つぼみを斎樹家から──この薄汚い叔父から解放するチャンスが潰えてしまう。

口調と声色だけはよそ行きに装って「ご心配なく」と返すが、叔父は納得していない。

「今回の婚姻、あの冷徹久金から申し出があったと聞いている」
「ええ」
「久金始まって以来の秀才が、何を考えて斎樹を指名する? 水波の嬢ちゃんは雨乞いの手練と評判だぞ」
それに美人だ、と付け加えられて、それはお前の私欲だろ、と梢の瞳から更に温度が消えていく。

「あちらの目的など……こちらが知りたいですわ」
「斎樹の家を乗っ取ろうとしているんじゃないだろうな」

それはあんただろ、と梢は口の形だけで口答えする。

「いいか? ここの当主は俺だ。本家筋とはいえ、まだ頼りないお前達の親代わりなんだからな」

何を恩着せがましいことを。両親を喪ったあの日にずけずけと乗り込み、保護者気取りか。
直系から外れていることを逆手に取り、つぼみをいやらしい目で見ていることが梢には許せない。
優しく美しい、ただひとりの姉。
斎樹の家が司ってきた治癒の力を色濃く継いだ、類まれなる天賦の才能は、まぎれもなく彼女自身のものだ。
この男にのさばらせておいたら姉の才も、姉自身も確実に穢される。

梢は襖に張り付く指の力を更に強める。

「叔父様はご心配なさらず。久金様はお優しい方です。そんな方をお待たせしてはなりませんので、すぐに参りますね」

さっさと話を切り上げようと声を張り上げる。叔父としても久金に悪印象は持たれたくないらしく、ぶつくさ文句を言いつつ引き下がっていった。

「優しい? 五家のトップ気取りの傲岸不遜な若造が」

足音が遠ざかっていくのをぴったり耳をつけて確認し、ようやく梢は襖からそっと離れた。

「確かに、叔父様の言うことにも一理あるのよね」

それぞれ司るものの異なる五家は対等であるべきだ。
しかしそれは理想であり、力の発現が顕著な者を頂く家が、自然とリーダーシップをとるようになっている。
この世代は久金家がそうだった。
元来、堅牢な結界を張ることが久金の役割だった。どちらかといえば後衛部隊としての活躍を主とする久金は、治癒を司る斎樹と肩を並べていたはずだ。
それがどうだ。久金晶は盾ばかりでなく矛の力すら発揮している、久金家始まって以来の天才と名高い。攻撃も防御もひとりで完結するその圧倒的な力に、矛盾は起きていない。
若くして溢れんばかりの才気ほとばしる久金晶はその力を惜しみなく発揮し、幽世との境界線を強化し、はみだしたあやかしを容赦なく処断した。
これは攻撃を司る火邑家の領域を冒すものだと異論もあったが、実力差は明らかだった。

「融和を図るために火邑家と縁組をするならともかく、どうしてうちと……?」

考え込んだ梢だが、柱時計の刻む音にはたと我に返る。これでは久金の使いを待たせる一方だ。


「つぼみ様と梢様、お二方をお連れするようにと主人より仰せつかりました」

急いで支度を整えた梢とつぼみを応接室で待っていたのは、結い上げた黒髪とそれに似合いの黒い石のピアスをした女性だった。

「ふたりを?」
「ええ」

元よりこれから姉だけを久金家に連れて行って、梢の立ち位置をそっくりそのまま譲り渡すつもりではいたのだが、先方から二人揃っての指名と聞くとどうにも厄介だ。
久金家の嫁はつぼみひとり。梢は名前すら上がっていないはずなのに。

「かしこまりました。ふたりで参りましょう」

梢の思考をふつりと断ったのはつぼみの声だった。張りのある凛とした声音は堂々としていて、まさに長女の風格だ。

「家族になるのですもの。顔を合わせておいて損はなくてよ」

ね? と微笑む姉の真意が掴めないまま、梢は静かに頷いた。