「私は、人殺しですから」


 そう言った時。
 清冬様の顔を、なぜか見ることが出来なかった。



――あれから、三日が経った。


 打掛を返してもらった日から、清冬様は遊郭に来ていない。……いや、正確に言うと、遊郭に花束を持ってやって来るのだけど、頑なに私が「会いたくない」と言っているから、さすがの花魁姉さんも「仕方ないねぇ」と清冬様に帰ってもらっている――というわけだ。

「だって、会えるわけない……」

 あの時、確かに意識が眠りに落ちる最中だったとはいえ……言ってはいけない事を言った。
 人殺し――なんて。

 治癒を専門にしている日登家からすると、私みたいな異分子は忌み嫌う存在そのものだ。ケガ人を治すことが使命であるお家柄の人に、人殺しの肩書を持った人間なんて……ちぐはぐもいいところだ。

「だけど面倒な人に知られてしまった。目を覚ましたら清冬様はいなかったし……誰かに言いふらしてないかな」

 私の名が書かれた罪状が頭をよぎり、いつお国から呼び出しがあるかビクビク過ごす――そんな私にとって、毎日送られる花束は不思議だった。

「あんな事実を知った後でさえ、どうして清冬様は花束を贈ってくるのだろう」

 最初に大量に花を買いつけたから、ただの在庫処理のために私へ花を送ってる? いや、生花だから買いだめしていたら腐ってしまうから、やっぱり毎日わざわざ買っているに違いない。だけど……どうして?

「殺人犯に花束なんて。不釣り合いもいいところだってのに……」

 ふぅ、と自室でため息をつく。その部屋の片隅、予備の着物の下に隠されるように「それ」は置かれていた。

 清冬様が見つけた巾着袋――それは昔、孤児だった私が今日を生きる食べ物にも困っていた際、盗みをはたらいて得た代物だ。古臭い巾着だから期待しないで中身を見れば、そこにはなんと大金が入っていた。私はすぐに食べ物に変え、更にはボロボロになった服さえ新調した。それでも残った金銭を何に使うか、鼻歌混じりで考えていた時だった。

『うわあああ、春ノ助ぇぇ!!』

 一軒の古い小屋から声が聞こえた。それは叫び声にも近くて、何かあったのだと一瞬で判断のつく声色だった。しかし大胆に近づく勇気もなく、小屋の影から中を盗み見た。そこには、小さな男の子と、その男の子を抱きかかえる一人の男の姿。

『あの金さえ盗まれなきゃ、お前を治す薬を買えたのに……すまねぇ、すまねぇ!』

 その時、自分の心がざわついたのを感じた。なぜなら盗んだ巾着の中には、驚くほどの金が入っていたからだ。それは一般人が持つにはあまりに多い額。しかし年季の入った巾着の具合を見るに、持ち主が高貴な人だったとも思えず。巾着の一つもろくに変えない一般人が、何を理由に高額な金を用意していたのか――その疑問は巾着を盗んだ時、確かに私の胸に湧いたものだった。

 だから、小屋の光景を見た時に嫌な予感がした。今この巾着を男性に見せれば、自分は殺されるのではないかと思ったからだ。いや、この際、自分が殺されることはどうでもいい。問題は――自分のせいで、一人の罪なき子供が死んでしまったことだ。

 冷や汗と動悸が体を支配する中、私の疑念を確証づける声が周りで聞こえた。それは男の泣き声を聞いて集まった野次馬だった。その野次馬は男と既知の仲だったらしく、私が知りたい情報を野次馬同士が小さな声で話あっていた。

『かわいそうになぁ、毎日寝る間も惜しんで働いたっていうのに』
『金はたまったんだろう? なんだって薬が買えなかったんだ』
『どうやら盗みにあったらしい。最近は手グセの悪い餓鬼がウヨウヨいるからなぁ』
『あぁ、むごたらしいな……。仲の良い親子だったのに』

 野次馬の話で全てを悟った私は、言葉通り、逃げるように去った。そして巾着を盗んだ犯人が私だとバレないように、山へ入り巾着を捨てようとした――だけど巾着を振り上げた瞬間、巾着の口が開いていたのか残ったお金と一枚の紙きれが出て来た。その紙きれには、

【春ノ助が元気になりますように】と、そう書かれていた。

『う……うぅっ』

 自分の行った下賤さに嫌気がさし、自分自身を恨み、憎んだ。しかしいくら自分を責めたところで亡くなった子供が生き返るわけでもなく、泣いている自分の行為が「自分が楽になるためだけの卑怯な逃げ道」と分かってからは、涙さえ出なくなった。

 どうして私ではなく、あの子が死なないとならなかったんだ。自分が食べる物を我慢すれば、例えそれで自分が餓死したとしても、親から愛されているあの子が生き残る方がよほどいい――と悔いて悔いて、どうしようもない後悔を、どうにもならないほど繰り返した。

 まるで尼に入ったように入山したままで、それきりだった私は、何日目かにして初めて野生動物に襲われた。おそらくイノシシだったと思うが、恐ろしい速さで突撃され引きずりまわされた。挙句私は、きりたった崖の下に落ちてしまったのだ。

『痛い……、死ぬ』

 だけど「怖い」という感情は、一瞬にして消え失せた。自分の犯した罪は消えないが、しかし卑しいことをした自分はこの世から消えていく。もう私は、誰の命を奪う事もないのだと思うと、妙な安心感につかまれた。

 結局、捨てに捨てきれなかった巾着を最期に見ようと着物から取り出す。ボロボロの巾着は私の血の色に染まり、少しだけつややかに見えた。この巾着を抱いて眠ろう――そう思い、自分の胸に巾着を抱き寄せる。すると不思議なことが起こった。

『青い光……?』

 自分の手から青い光が出て、体全体を包み込んでいる。妖怪からの攻撃かと思ったが、そうではなく。むしろ痛みを忘れていくような安心感さえ覚えた。そしてしばらくした後、青い光は消えて行った。一つの変化を残して。

『傷が、治った……?』

 きっと助からないだろうと思った深い傷は、ものの見事に綺麗に治っていた。切り傷もなく、皮膚という皮膚が全て綺麗に再生されていたのだ。
 もしかして、あの青い光は治癒能力の――と勘づいた時、持っていた巾着が静かに落ちた。その様子を見て……私は、自分の天命を知った。

『きちんと罪を償ってから、地獄へ行けってこと……?』

 私が生かされたのは「たまたま」ではない。きっと天命なんだって、この時に直感した。これからは人の命を救って生きろという、男の子からのお告げなんだって。そう思った。

 そして、その日から私は「春ノ助」の名をもらい、真っ当に生き始めた。孤児になった子供たちを見つけては一緒に住み、その子供たちが病気になったら治癒能力で治す。たまに「医者だ」と言っては、近隣住民の治癒にあたり対価としてお金をもらった。盗んだお金ではない、働いて得たお金で作ったご飯は美味しくて、たまにしょっぱかった。

『まーた春ねぇが泣いてるよ』
『泣き虫~』

 あの子たちは全員日登家に行き、これからも不自由なく過ごせることだろう。誰一人欠けることなく、皆で大人になっていくはずだ。私のせいで命を落としてしまった、あの子の分まで、立派に――


「っと……夕方か。物思いにふけりすぎた」

 寝ていたわけではないが、長い間閉じていた目を開けるのは、ひどく重く感じる。ゆっくりと動く瞼にやっと力を入れて、窓の外を見る。すると障子の向こうが、燃えるように明るかった。ちょうど夕焼けなのだろうか――と、今日も姉様から渡された白いバラの花束を見る。

「こんな私の過去を知ったら、花束ではなく、刀の〝刃(は)な束〟が届くだろうな」

 自嘲気味にため息をはいた、その時だった。廊下を歩く遊女たちの会話が耳に入る。

「聞いた? 妖怪が総出で日登家を襲っているらしいわ」
「やだ怖い。でも狙われるのは時間の問題だったものね」
「ケガ人を治す日登家が潰れるということは、人間側の戦力がなくなるということですものね」

「……っ!」

 聞いた瞬間、燃えるような明るい障子に手を伸ばす。すると遊女たちの話していた日登家がある方角から、確かに眩しいほどの明るい「赤」が見えた。その上空には、数多の数の妖怪たち。すごい数だ。日登家が潰れるのは時間の問題。いかに妖怪を倒すかという話ではなく、あとどれくらい持ちこたえられるか、という方が正しい。

 ということは、けが人もかなりの数が出ているはず。私の治癒は、遠方よりも近くであればあるほど効果が高い。つまり……いま私がいるべき場所は、ここではないということだ。

「すみません、ちょっと行ってきます……っ!」

 私は遊女ではないので、遊郭の外に出る際に許可はいらない。ただ「出てきます」、「帰りました」を合言葉よろしく、きちんと挨拶していれば、厳しいお咎めはない。今日もしかりで番頭さんが「あいよ」と、帳簿とにらめっこしながら軽い返事をした。

「急がないと、急がないと!」

 走りにくい草履を脱ぎ捨て、急いで日登家を目指す。燃え盛る日登家の上空に、不気味にうごめく妖怪たち。それらは攻撃をやめることなく日登家に攻め続けている。

 やめて、やめて……!
 あの屋敷の中には私の子供たちがいるの。私の大事な贖罪たちが――

「それに、あの人だって!」

 え……私、今なにを――
 ふと、頭の中に浮かんだ白いバラ。私に離縁を叩きつけておいて、白いバラの花束で機嫌を取ろうとしている変な人。そんな元・旦那様のいつもの強気な表情が、なぜだか頭をよぎった。

「屋敷が大変な今、きっと清冬様は部下から頼りにされている。だけど、あの人は……何の能力もない」

 そんな人が陣頭指揮をとれるわけがない!って、そう思っていた。きっとどこかで隠れて、この様子を見ているのだろうと。
 だけど――