「蛍、なんで来たの? あんな危ねぇとこ、一人でダメだよ」
「ごめんなさい! 心配……だったから」

 触れそうで触れられない手を遠ざけて、胸の前でギュッと握りしめる。
 怖かった。宮凪くんが、いなくなってしまう気がして。もう二度、会えない気がして。

「約束したのに、行かなくてごめん。なんか、蛍に合わせる顔なくてさ」

 ため息混じりにハハッと笑うと、言いづらそうに、くしゃっと髪を触って。


「俺、ずっと迷ってたんだ。あの人たちといること」

 よっと上半身を起こすと、宮凪くんは海賊船から降りた。

「でも、やっと目が覚めた。蛍が来てくれて、俺の居場所はここじゃねぇって吹っ切れた」

 さわさわと風でなびく髪が、頬の色を隠す。散りばめられた光は、水が乾いたところでも消えることなく輝いている。
 宮凪くんを侮辱するような態度が、許せなかった。投げ掛けた言葉も、視線の全てが仲間とは思えない振る舞いで。
 あの時の宮凪くんは、まるで〝モノ〟みたいだった。

「俺、入学する前から入退院繰り返してたんだ。あんま学校行ってなかったから、話す相手もいねぇし。あの人らといる時だけ、気が紛れたっつうか、現実から遠ざかれたんだよな」

 声を掛けられて、なんとなく顔を出すようになった。一人でいるよりも楽で、神経をすり減らすような毎日よりマシだと言い聞かせて。
 吸いたくない煙草を咥えさせられて、危ないことも強要されたらしい。染まっていたら、仲間として認められる。自分の存在は肯定される。
 抜け出せなくなっていた時、たまたま見つけたこの公園へ通うようになったと言う。

「俺も自分に正直になるよ。蛍に、話しておきたいことってのは」

 不安そうな空気が伝わったのか、なにか考えるようにしゃがみ込んだ宮凪くんが、手招きする。
 私が隣に並ぶと、落ちていた小枝で地面になにかを書き出した。
 最初の文字は、『す』で、次に『き』が続く。そんなわけがないと頭では分かっているのに、鼓動が速くなる。
 矛盾の期待の横で、なめらかに動く手が『だ』を綴った。ゆっくりと向けられる視線に、思わず息が止まる。

「好きだと春は冬に告げる」
「えっ?」
「読んだよ。前に教えてくれた本。あれは、泣けるね」
「あっ、好きだと……そ、そうなの! ラストの部分とか最初と繋がってて、伏線が回収されてくところがもう……」

 前のめりで口を動かしながら、恥ずかしさが込み上げてくる。
〝好きだと春は冬に告げる〟は、宮凪くんに薦めた小説のタイトルだ。早とちりしなくてよかった。
 まだ続ける感想を聞きながら、宮凪くんは笑って頷く。意識していたことを気づかれないように、必死だ。

 止まらない唇に、そっと人差し指が当てられた。目が合ったまま、私はプシューッと空気の抜けた風船のように静かになる。
 トクトクと心地よい音が流れて、呼吸が苦しい。耳元に響く声が、まるで魔法の呪文みたいに聞こえた。

「……蛍、ありがと」

 すきだと書きかけの文字の上に、ふたつの影が重なっている。まるで口づけを交わしているような姿は、瞬きの間に離れた。