「……え?」
「あの時、指名しようか迷ったんだよね。みんな自分の許容範囲ってのがあるから、無理しない方がいいよ。春原さんって、やっぱ優しいね」

 予想外に褒められて、胸がそわそわする。
 どうしよう、すごく嬉しい。女の子とこれほど話せたことに対しても、真木さんが見ていてくれたことも、全て。


「でさ、本題なんだけど」

 さっきまでより少しトーンが低くなって、真木さんに腕を引かれた。一変したクールな面持ちに、ぐらりと心臓が揺れる。
 人の波を避けるように、華やかな店の前を過ぎ去っていく。次第に駆け足になって、入り組む道が迷路に見えた。

 黙ってついていくしかない私は、小さく吐息を漏らすだけ。なにも聞けないまま、裏の路地奥へ辿り着く。
 真木さんの足が止まったところで、やっと声が出た。

「あ、あの……」

 シッと人差し指を立てて、壁の向こう側を気にしている。そこに誰かいるらしい。
 見てと合図されて、話し声のする方をそっと覗き込む。
 どくん、と心臓を貫かれたような衝動に、一瞬動けなくなった。

 タトゥーの入った手で煙草をふかす少年の隣に、見慣れたアッシュの髪がある。さらりと髪をかき上げたのは、宮凪くんだ。
 周りは年上らしき人ばかりで、一人女の子も混じっている。薄暗い場所に身を隠す吸血鬼のように、彼らは闇のオーラをまとっていた。

「カイ、前に紹介してやった子どうだった? レベル高かったろ?」

 タトゥーの少年が煙を吐くと、宮凪くんはハハと笑いながら「そうっすね」と反対を向いた。

「お前は顔が良いから得だよな。まっ、オレも負けねぇけど」

 うなずく女の子の目が、宮凪くんを見つめていることにひどく動揺する。

「ねえ、カイ〜! ウチとも遊ぼうよ。今日、おいで? 一人暮らしだから、自由だよ」

 手を触りながら、女の子が猫撫で声を出す。寄り添うように体を密着させて、髪をスリスリとしている。


 ……誰だろう。違う、知らない。

  この人は、私の知る宮凪くんじゃない。


 来た道を夢中で戻った。早く遠ざかりたくて、走りながら水の玉を散らせる。ぼやけて前が見えなくても、震える足を踏ん張って進んだ。

 真木さんのことも忘れて、気づけば駅の前へ辿り着いていた。
 まだ胸が激しく動いている。呼吸は整うことなく、頭の中を乱す。
 階段の下で、しゃがみ込んだらもう立てそうにない。
 信じたくない。宮凪くんが、悪そうな人たちといたこと。他の女の子と、会っていたなんて。