『高坂くんへ。
高坂くんがこの手紙を読んでいる時、私は既に遠くへ引っ越していると思います。
突然こんなことになってしまって、ごめんなさい。
家庭の事情で、私は転校することになりました。
本当は直接お別れを言いたかったけど、言えませんでした。
高坂くんが元気になるまで、そばにいられなくてごめんなさい。
私を助けたばっかりに、大怪我をさせてしまってごめんなさい。
本当に、本当にごめんなさい。
そして、助けてくれてありがとう』
季節はあれから、何度も移ろった。
夏になり、秋になり、冬になり、また春になった。
高校三年生になっても私は住み慣れた地に帰ることなく、転校先の高校でそれなりに楽しい毎日を過ごした。新しい友達も作って、何気ない日々を過ごして、無事に高校を卒業することができた。今では、お母さんと一緒に住んでいるアパートから通える地元の大学に進学し、課題に追われる毎日を送っている。
それでも、高坂くんのことを思い出さない日はなかった。
高坂くんは、私が転校してから数日後に目を覚ましたと美菜から聞いた。とても嬉しくて、電話口で私は声をあげて泣いてしまった。さらにそのあと瞳さんから聞いた話では、目立った後遺症もなくリハビリを続けてまた元の学校生活に復帰したらしい。本当に良かったと、私は心から喜んだ。
でも、私は彼に連絡をとることはなかった。
今思い出しても、あんな手紙だけを残して突然消えるなんて、我ながら酷い恋人だと思う。最低な女だと思う。
けれど、それで良かった。
『そして、もうひとつ言いたいことがあります。
どうか私と別れてください。
私は寂しがりやだから遠距離恋愛は無理だし、高校を卒業してからとか期限や条件をつけるのも嫌だし、それになにより、やっぱり私と高坂くんは合わないです。
高坂くんから告白されて、約一ヶ月付き合ってみて思いました。高坂くんと一緒にいると、私はなんだか不安になります。高坂くんのことをたくさん知ったうえで言います。やっぱり私は、高坂くんの隣にはいられません。
高坂くんは高坂くんの、私は私の場所で、それぞれの人生を歩みましょう。
だから、電話やメッセージもしないでください。お願いします』
手紙には、なるべく嘘は書かないようにした。
隠し事はある。私だけが見える不幸の青い糸のことは書いてないし、両親の離婚のことも書いていない。
だけど、最後の手紙だから嘘だらけの内容で終わりたくなかった。高坂くんを貶めるようなことは書きたくないし、必要以上に悪口なんかを書いてわざと傷つけるようなこともしたくなかった。
だから、少し意味合いは違っても、私は本当のことしか書いていない。
『私は遠く離れた場所で、ちゃんと前を向きます。
高坂くんの描いた絵は、私にも希望をくれました。高坂くんの絵を思い出すたびに、私は辛いことがあっても頑張ろうと思えます。
それに高坂くんとお付き合いした時間も、不安ばかりじゃなくて楽しかったです。私がモデルになって高坂くんが絵を描いたり、一緒に勉強したり、映画館や美術館に行ったり、とても充実した時間を過ごすことができました。
これは、高坂くんと一緒じゃなければ感じることのできなかった感情でした。この大切な思い出を胸に、私はしっかり前を向いて幸せになれるよう頑張ろうと思います』
私は、両親が離婚を決断したことをきっかけに高坂くんと離れることを決意した。
当然、美菜や瞳さんには反対された。美菜とはほとんど喧嘩みたいになったけれど、青い糸のことは伏せて時間をかけて説得した。
私は不幸の青い糸が見えるのに、その青い糸と繋がれた高坂くんを好きになって、自分の気持ちに逆らえずに彼と付き合った。
その結果、高坂くんは大怪我をした。幸いにも後遺症は残らなかったけど、美菜や瞳さんから彼の経過を聞く限り、夏のコンクールには間に合わなかっただろう。しかも、一歩間違えれば命の危険すらあった。
そしてこの先、高坂くんが不幸に見舞われない保証はない。そこまでの不幸の危険があることを承知で付き合い続けて、仮に高坂くんの身に更なる危険が及んでしまったら、私はきっと罪悪感と後悔で心が壊れてしまう。そんなのは絶対嫌だ。
やっぱり私は、結ばれるなら幸せになりたいし、相手にも幸せになってほしい。
私と高坂くんは、運命の人じゃなかった。好きだけど、大好きだけど、結ばれるべき縁にはなかった。
けれど、悪いことばかりじゃない。高坂くんとの思い出は確かに青春の輝きをはらんでいて、本当に心の底から楽しかった。手紙に書いた通り、絵を描くのも、見るのも、勉強するのも、お出かけするのも、全てが楽しくて充実していた。この時間は間違いなくかけがえのないもので、私の人生になくてはならないものだ。
でも、それだけでいい。
不幸の青い糸があるなら、私には見えないけれど、きっと幸運の赤い糸もある。人生は出会いの連続で、恋だってひとつだけじゃない。何度も何度も、いろんな人と恋をして、付き合って別れて、思い出や経験を重ねて、そしていつか本当に運命だと思える人と結ばれればいいのだ。
私も高坂くんも、今回の恋は実らなかったけれど、最後の最後で幸せになれれば、それはバッドエンドでもビターエンドでもなくて、紛れもないハッピーエンドなんだ。
だから私は、高坂くんと離れる決意をしたのだ。
『だから高坂くんも、どうか幸せになってください。
高坂くんの手が何事もなく完治して、また素敵な絵が描けるようになって、いつか私じゃない誰かと結ばれて、心から笑える日が来ることを願っています。
短い間だったけど、本当にありがとう。
ごめんね。ばいばい。さようなら。
春見紫音より』
あれ以来、高坂くんとやりとりはしていない。
手紙でお願いしたとおり、高坂くんは電話もメッセージもしないでくれた。美菜や瞳さんを通じてなにか言ってくることもなかった。
頭が良くて、コミュ力の高い察し上手な高坂くんのことだから、きっと私の気持ちも察してくれたんだろう。さすがだ。到底私には真似できない。私だったら未練がましく、あれやこれやと手を尽くして直接話を聞こうとするだろう。決断をしてから二年が経ち、大学生となった今ですらまだモヤっとしているくらいなのだ。
本当に私は、ぜんぜん成長していない。
*
美菜から私の住んでいる近くへ旅行に来ると連絡があったのは、私がちょうど大学のサークルの新歓合宿が終わったあとだった。
高坂くんの容体や友達のこと、学校のことなんかでメッセージや電話はしていたけれど、直接会うのは送別会をしてくれた時以来だ。
「やっほー、紫音。久しぶり」
待ち合わせ場所に選んだ行きつけのカフェの扉を開けると、入り口近くのテーブル席で美菜が手を振っていた。
私も手を振り返してから、その向かいの席に腰を下ろす。
「ほんと久しぶりだね、美菜。元気だった?」
「んー紫音が転校してから寂しくて寂しくて食事も喉を通らなくて五キロ太った」
「いや待って、なんでそこで太るの」
「そりゃーもちろん、学校の近くにオープンしたカフェに湊……藤村と放課後に行って、新作ケーキたくさん食べてたから」
「超元気じゃん」
二年ぶりの再会だったけど、特別気まずさもなく私たちはすぐ会話に花を咲かせた。
美菜は今も藤村くんと付き合っており、大学も同じで半同棲みたいになっているらしい。高校の時の藤村くんは女子には奥手だったが、今では随分と慣れて逆にドキドキさせられることも多いのだとか。十八歳の誕生日の時はサプライズをされてあやうく失神しそうだったと笑っていた。
また私が転校したあと、夏休み明けにクラスの中でカップルがたくさん誕生したらしい。ただそのうちの一人がクラスの中で二股をしており、十月ごろに一悶着あったと美菜は苦笑いしていた。私は、新学期の時に見た五本の青い糸を思い出した。
そのほかにも、私のこっちでの生活やお互いの大学の様子などたくさんのことを話した。二年の時間を超えて、私たちは大学生から高校二年生に戻っていた。
「それでさ、紫音。高坂のことだけど」
「うん。あの時はごめんね」
ただひとつ、戻っていないこともある。
「本当に、もういいの?」
美菜はコーヒーを一口飲んでから、心配そうに私を見た。高校生の時、教室でよくいじられた時の表情となぜか重なった。
私も頼んだ紅茶を口に含んで、そして小さく頷く。
「いいの。もう、十分だから」
「なんだか、自分に言い聞かせているように聞こえるけど?」
「あははっ、なんで。そんなことないよ。今も結構、楽しいし」
さらにひと口、私は紅茶を飲んだ。ほろ苦い風味が舌から鼻へと通り抜ける。
「ふーん? じゃあもし、私が今から高坂をここに呼んでもいいって訊いたら?」
「んぐっ!?」
予想外の言葉に私は盛大にむせた。ほろ苦いどころじゃない刺激が鼻から目にまで染み込んでくる。
「いや、もしもよもしも。距離的に今すぐここには来れないし」
「だ、だよね」
美菜から手渡されたナプキンで口元を拭きつつ、私は少し考えた。けれど、結局私は首を横に振った。
「まあ、それでも私の考えは変わらないよ。私はもう、高坂くんと付き合うつもりはない」
「不安になるから?」
「うん……そう」
脳裏に思い出が蘇る。
夕暮れ時の公園で、高坂くんから初めて告白された日のこと。
不幸の青い糸が私と高坂くんを繋いでいて、私は断腸の思いで彼の告白を断った。けれどまた告白されて、想いに押されて付き合って、楽しい日々を過ごして、不幸になるなんて幻かもなんて思った矢先にそれは起こった。
何事も、実際に体験してみなければわからない。私はもう、彼が不幸な目に遭うのを見たくない。私と彼を繋ぐ青い糸が視界に映るたびに、私は絶対に不安に苛まれる。そんな日々を過ごしたくない。
私は高坂くんに、不幸じゃなくて幸せになってほしい。
だって私は、高坂くんのことが好きだから――。
「……そっか。ちなみに、今付き合っている人はいないんだよね?」
「う、うん」
「気になってる人は?」
「いや……いない」
「ふーん、そっか」
美菜はまだなにか言いたげにしていたが、飲み込むようにまたコーヒーに口をつけた。
不幸の青い糸は、あの日以降一度も私の指から伸びていない。
*
美菜とわかれてから、私は駅へと向かった。
美菜はこれから藤村くんと合流するらしい。恋人との旅行で別行動している理由を訊いたら、なんでも藤村くんもこっちにいる友達と会っていると言っていた。
「紫音! やらない後悔よりやって後悔だからね! そして後悔しなくなるまでやるんだよ! 高校卒業しても、青春は卒業しないでよー!」
バス停に向かう去り際に、美菜はそんな恥ずかしい言葉を叫んでいた。周囲の視線がちくちくと刺さる中、私は笑って小さく頷いておいた。
本当に、美菜は美菜だった。
あそこまで真っ直ぐになれるのは一種の才能だと思う。憧れて頑張ってみた時期もあるけれど、やっぱり私は私だった。
帰宅ラッシュで混雑する駅構内を人の流れに乗って進んでいく。今日は土曜日ということもあって、一週間のなかでも特に混雑している。改札に入るだけでも一苦労だ。
そしてこれだけ人がいれば、所々に例の青い糸が浮かんでいる。カップルらしき人たちを繋いでいるものや、ベビーカーを押して仲睦まじく話し込んでいる夫婦を繋いでいるもの、会社の同僚らしき人たちを繋いでいるものもある。
この世の中には、どれだけの不幸が潜んでいるんだろうか。
あんなに楽しそうで幸せそうなのに、いつかは壊れていく。
理不尽だと思う。不公平だと思う。
でもきっと、それが縁なんだろう。
それを受け入れられるようになってこそ、諦められるようになってこそ、大人になれるんだ。
大人にならないといけないんだ。
だから、私の判断は間違ってない。
この経験を糧に私は、幸せになってみせる。
ごった返す雑踏の中で、私は思い新たに改札を抜けた。
――青い糸が閃いたのは、その時だった。
「え?」
目を見張る。
喧騒が遠のく。
行き交う人の動きがスローモーションになり、次第にぼやけていく。
「え、え?」
代わりに私の視線を捉えて離さないのは、毛糸ほどの青い糸。誰も見向きもしないし、引っかかりもしない。何度もすり抜けては人混みの先へと繋がっている。
うそ、うそでしょ。
ギュッと手を握る。汗がにじむ。背中にも伝う。心臓の音は先ほどからいやに早い。
これ……って。
間違いない。
私はこの糸を、二年前までずっと見続けてきた。
忌々しくて、煩わしくて、消えてほしいと願ってきた。
私と彼が運命の人じゃないことを示す、最悪の糸だから。
そして、この青い糸は繋がれた相手が近くにいないと現れることはない。それが意味することはつまり、“彼"が近くにいるということだ。
背後から苛立ちの声が聞こえていた。けれど私は、金縛りにあったみたいに動けなかった。
それでも、思考の渦は生まれてから一番と言っていいほどに素早く回転し、私の中を巡り巡っていた。
私は、どうしたらいい――?
心が問う。
――彼は、運命の人じゃない。
今の私が答える。
でも私は、彼のことが……――
心がすがる。
――彼の不幸は、見たくない。
昔の私が答える。
でも、だって、私は……――っ
心が泣く。
――彼には、幸せになってほしいでしょ?
私が微笑む。
私は、わたしは……――
心が俯く。私が慰めてくる。諦めなさいと、飲み込みなさいと、大人になりなさいと、視線を合わせてくる。
でも、わたしは……
――春見、好きだ。
彼の声が聞こえた。
弾かれたように私は踵を返す。
「ごめんなさい! 通して!」
列を押しのけ、人混みを掻き分け、怒号を背中に受けながら私は駆けた。
先へと伸びる青い糸を必死に追う。見失わないように、消えてしまわないように、真っ直ぐに見据える。
意味がわからない。自分でもわからない。わからないわからないわからないっ。
それなのになぜか、青い糸を辿らずにはいられなかった。そして――
「高坂くんっ!」
駅の東口を抜けた先で、私は“その手"を掴んだ。
「え……しお、ん?」
突然私に手を掴まれた相手――高坂くんは、驚愕に目を見張っていた。
茜色の空の下。
東口前の噴水広場で、私は二年ぶりに高坂くんと再会した。
「……っ、と、あ、その」
小さく肩で息をしながら、私は言葉を探す。けれど、頭の中は真っ白だった。中途半端に開いた口からは、乾いた息が漏れるばかりだ。
「……」
私の名前を呼んだきり、高坂くんもなにも言わない。見れば最後に会ったときより身長は伸び、服装も大学生らしく大人っぽくなっている。青い糸がなかったらきっとわからなかった。
もしかして、わからないほうがよかった?
一瞬そんな考えがよぎるも、慌てて頭を振ってかき消す。
そんなことない。
私はずっと、言いたかったんだ。
「高坂くん……。私は、あなたが好きです」
ぼやけた視界のまま、私は正面から彼を見据えた。
「本当にごめんなさい。あんな手紙で一方的に別れを告げてしまって、高坂くんが目を覚ます前にいなくなってしまって、ほかにもたくさん……ごめんなさい」
自然と声が震えた。でも、しゃくりあげるのだけは必死に堪えた。
「私はあの事故のあと、高坂くんが不幸に遭うのを見たくないと思った。これから先、もし同じようなことが起こったらと思うと、怖くて怖くてたまらなかった。もしそうなるなら、離れたほうがいいと思った。そのほうが、高坂くんはきっと幸せになれるから」
高坂くんは黙ったまま、私の言葉に頷いてくれた。
「でも、でもでも……っ! 私はやっぱり、どうしてもあなたのことが忘れられなかった。好きだった。会いたかった。謝りたかった。ぜんぶ話して、一緒にいたかった……っ!」
彼の服にしがみつきたくなった。でも、堪える。
「ただ、それでも……高坂くんには不幸になってほしくない。またあんな大怪我をしてほしくない。高坂くんには幸せになってほしい。この気持ちも、本物なの……」
視線が下がる。堪えようとする。でも、力が入らなかった。
「私は、わたしは……どうしたら良かったのかな」
地面を見つめて、私は訊く。
いまさら、こんなことを訊いてもどうしようもないのに。
あれから二年以上経っていて、すでに袂は分かれているのに。
なんで、いまさら……。
「……っ、ご、ごめん。なに言ってんだろ、私。今の全部忘れて。ぐ、偶然あなたを見かけて、声をかけただけ」
「一緒に考えよう、紫音」
懐かしい温もりが、私を包み込んだ。
「俺のほうこそごめん。ずっと自分のことばっかりだった。紫音にほとんど無理矢理絵のこと頼み込んで、押し切る形で恋人になって、それなのに紫音の悩みに気づかないで……マジでごめん。紫音はずっと、青い糸に悩んでいたのに」
「え、な、なんで……」
「瞳先生に聞いたんだ、ぜんぶ。紫音からの手紙を読んで、絶望してた時にさ」
ギュッと抱きしめられる。背中に回された手に力が込められる。
「リハビリにも力が入ったよ。これで絵が描けないなんてなったら、絶対紫音は自分を責めるだろうし。そして今は全部治った。野々村から紫音がこっちの大学に進むって聞いて、俺も近くのデザインが学べる大学に進学した。じつは紫音を描いた『希望と初恋』が入賞してさ、親はそれで説得した。それから手当たり次第に探すつもりだったんだけど、こうして紫音から見つけて声をかけてくれた」
額に軽い感触があった。彼の顔が驚くほど近くにあった。鼻先に息がかかり、頬が熱くなる。
「紫音、俺は今もずっと、紫音のことが好きだ。紫音と一緒に不幸を乗り越えたいし、幸せを作り上げていきたい。そのためになにができるか、一緒に考えたい。一緒に未来を、描いていきたいんだ」
「高坂、くん……」
彼の瞳も潤んでいた。その瞳が優しげに細くなる。
「それと、紫音に名前で呼ばれて、好きって言われたい」
「あ……」
唇に、柔らかな感触があった。
トクトクと心臓が心地良い音を鳴らす。
私は目を閉じて、応えるようにしなだれかかった。
温かい。
本当に温かった。
こんなに安心感に包まれたのは、初めてだった。
数秒にも満たないキスのあとに、私は叫んだ。
「実くんっ、大好き……!」
ずっとずっと言えなかった想いを、きみの名前を。
全力の声に乗せて叫んだ。
後悔なんて、一ミリもなかった。
彼は恥ずかしそうに、幸せそうに笑っていた。
私も、堪えきれずに笑った。
あなたのことが、大好きだから。
*
実くんと再び恋人同士になってから二週間後。
GWの連休を利用して、私たちはこりもせずに遠く離れたあの丘陵公園に足を運んでいた。
「ね、ねぇ。ほんとに大丈夫なの?」
「大丈夫大丈夫。今回はちゃんと晴れが続いた日に来たし、天気予報もばっちり確認済みだし、本来の遊歩道からあの場所に行くし」
「え。この前の道って、本来の道じゃなかったの?」
二年も経ってから明かされた衝撃の事実に私は目を丸くする。でも考えてみれば、確かにあの獣道みたいな小道が正規の道なわけがない。高台には丸太の手すりもあったから、人は少ないといえどちゃんとした展望台なんだろう。
実くんは私の反応に苦笑いを浮かべて言葉を続けた。
「いやー、最初の道から行ったほうが驚きがあるんだよな。茂みを抜けてすぐ綺麗な景色が広がるって感じで。まあもう行かないけどな」
「私ももう行きたくない、というか行けないかな。今日丘陵公園に行くって言ったら、美菜に釘を刺されたし」
「俺も藤村に散々言われたわ」
視界の開けた遊歩道をのんびりと歩きながら、私たちは顔を見合わせて笑った。
本当に私たちはいい友達を持ったと思う。
あの日、私が美菜と会っていた日に、実くんは藤村くんと会っていたらしい。まだ私が未練を抱えているのを察して、二人で鉢合わせる計画を練っていたそうだ。まあ想像以上に駅が混んでいて、完全に失敗したと思っていたらしいけど。
けれど、あのおかげで私は青い糸を頼りに実くんを見つけることができたのだ。本当に二人には感謝しかない。
「お、ほら。もうすぐだ」
そこへ、実くんの興奮した声が聞こえた。
彼の指差すほうへ視線を向けると、薄っすらとネモフィラの花が見える。
あの日を思い出して少しだけ怖さや緊張もあったけれど、実くんが手を握ってくれた。力強く握ってくれる大きな手にドキドキして、べつの今で緊張したのは私だけの秘密だ。
「わぁ……っ!」
そして丸太階段を昇り切ると、私は思わず感嘆の声をもらした。
そこは、一面の青色だった。
突き抜けるような蒼穹の空。
遥か彼方まで続く紺碧の海。
足元に広がる青紫のネモフィラ。
いつかの日と同じように……ううん、いつかの日以上に、私があれほどまでに憎んだ青色がキラキラと視界いっぱいに輝いていた。
「俺さ、今年の残りはリベンジしようと思うんだ」
「リベンジ?」
「うん。前に描けなかったこの高台の景色を描いて、夏のコンクールに出して入賞して、高校生の時に過ごせなかった紫音との時間を取り戻して、そして……」
実くんは水平線に留めていた視線を私に向けた。
「紫音の見える青い糸は不幸だけを示すんじゃないって証明するための、その一歩にしたい」
柔らかな眼差しが私を見つめる。本当に実くんは頼もしい。その気持ちが、たまらなく嬉しい。けれど。
「ふふっ、ありがと。でもね、私はもう知ってるよ」
「え? なにを?」
きょとんとする実くんに向かって、私は思いっきり抱きついた。
「ひーみーつー!」
青い糸のおかげで、私は実くんを意識できた。
青い糸のおかげで、私は実くんを知れた。
青い糸のおかげで、私は実くんの大切さを知った。
青い糸のおかげで、私は実くんと再会できた。
青い糸のおかげで、今の私がある。私たちがある。
私の見える青い糸は、決して不幸だけを示すんじゃない。
身近にある幸せにも気づかせてくれる、青い鳥のようでもあるんだってことを。
「なんだよ、教えろよー」
「んー、じゃあ百歳になったらね!」
「百歳って……俺ぜってー青白くなってるわ」
「あ、それ上手い」
そんな未来を想像して、私たちはまた笑う。
健やかなる時も、病める時も。
君と描く未来が、不幸に満ちていたとしても。
私たちなら、必ず乗り越えられる。
「実くん、好きだよ」
「なんだよ急に。俺も好きだ、紫音」
心から笑い合えるあなたと、ずっと一緒にいられますように。