時は天元元年――、貞元より”陽五の厄”であるとして改元された年。
 場所は土御門大路より北、西洞院大路より東にある”とある屋敷”にて、一人の男がその弟子の帰還を迎えていた。
 その男は年は十代後半に見えるだろうか? ――しかし、すでに正しい齢は五十を越えて六十にまで達しようかという高齢であり、その外見こそが彼の人ならざる力の証明となっていた。
 帰還した弟子はと言えば、長い黒髪を後ろで雑に結び――、それを掻きながら”全てが詰まらぬ”といった風にて、帰りの挨拶もなく師である男の横を黙って通り過ぎていった。

「こらこら……、道満、帰りの挨拶はどうした?」
「ふん? ――師よ、そこにいたのか? 存在が薄すぎて気づかなかったわ――」
「嘘をつきなさい……、はあ――、そのような礼儀知らずに育てた覚えはないですよ?」
「――貴様に育てられた覚えもない……」

 道満と呼ばれたその弟子は、口を不満げにとがらせて言う。その姿は親に不満を漏らす子供そのものである。
 師と言えば――、いたってにこやかにほほ笑みながら答えた。

「フフ――……、師と言えば親も同然――、お前は私の子供同然ですよ」
「気持ち悪いことを言うなよ――師よ……。そもそも、自分が依頼された鬼神退治を、大切な子に振る親がどこにいるんだ?」
「ははは――、それこそ子の成長を望むがゆえに――、心を鬼にして……」
「ほう? ――ここにも鬼神がいたか? これは退治せねばな――」

 道満は歯を見せて笑いながら懐から一枚符を取り出す。そして――正しく師へと投擲し”急々如律令”と唱えた。

 ドン!!

 激しい爆音とともに師が立っていた場所に火柱が立つ。――それは強力無比な火炎呪法。

「こら――、屋敷内で火遊びはないでしょう? 危ないじゃないですか」
「は――、そのようなこと欠片もないクセに、よく言う口だな師よ――」

 いつの間にか弟子の背後に立っている師が微笑みながら叱り、それを道満は笑って受け止めた。

「――で? 師は今まで起きていたのか?」

 不意に道満が話題を変える。師は笑顔のまま答える。

「そうですね――、弟子に鬼退治を振った手前――、眠るわけにもいかず……」
「――そんな事なら、そもそも拙僧(おれ)に仕事を振るな」

 師の言葉にあきれ顔で答える道満。――しかし、すぐに笑って言ったのである。

「まあいい――師よ。ちょうど神酒も残って、どうしたものかと困っていた所だ……、共に飲むか?」
「おや――それはうれしいですね。そう致しましょう――」

 弟子のその言葉に、本当にうれしそうに笑顔を向ける師であった。

 ――その屋敷……、安倍晴明邸宅に道満の師である”安倍晴明”の歌う声が響く。
 それを半ばあきれ顔で笑いながら眺め、酒を飲む弟子である蘆屋道満。
 血なまぐさい戦いのあった夜はそうして更けていく――。


 播摩国に生まれた蘆屋道満が、安倍晴明の弟子となってすでに一年が過ぎようとしていた。
 齢八歳の時に師である安倍晴明と出会っていた蘆屋道満は、それまで師につくことなくすべてを独学で学び、ありえないほどの呪力を身につけ、播摩の国では他にない呪法師として知られていた。
 しかし、ある時に自身の力不足を痛感――、そしてさらなる学びを望んだ彼は、都へとのぼってそこで己の力を試そうと考えたのである。
 その最初の標的となったのが安倍晴明であった、――が、それが彼にとってはいけなかった。

 道満は元々独学ですべてを習得した天才。――そもそも師につくという考えもなく、都の術者に勝負を吹っ掛けたかっただけであったが――、彼は見事に晴明に返り討ちにあう。
 ――と言っても、天才であったがゆえに、その力に奢ってヘマをしてそれを晴明に突かれただけであったが――、それでも勝負は勝負。
 何かと自分を弟子にしたがっていた”安倍晴明”の口車にまんまとはまった道満少年は、見事策略にはまってその弟子に収まることとなった。

 このため――、道満は常に晴明を出し抜いて、その口から”参った――”を言わせようと何かと画策していた。
 まあ――そのたびに返り討ちに会うのは……、まだ経験の浅い若者だからだろうか?
 傍から見れば殺し合いにすら見える呪術合戦も、二人にとってはただのじゃれ合いに過ぎなかった。

「いい加減、真面目に仕事をしたらどうだ、師よ?」
「ははは――、何をおっしゃる……。常に私は真面目ですよ?」
「嘘をつくな――、貴様が内裏でどう呼ばれているか知っておろう?」

 あきれ顔で話す道満に、晴明は笑う。

「他人の言葉など、どのようなものであっても、気にしなければ死にはしません。――どうでもいい話です」
「はあ――、一応の弟子としては、師が馬鹿にされるのは何とも――」
「フフ――、怒ってくれるのですか?」

 その晴明の言葉に、道満は深くため息をついて答えた。

「馬鹿を言う――、拙僧(おれ)の格が下がりかねん――、ただそれだけの事だ」
「そうですか――」

 晴明は道満の言葉に残念そうに笑う。

「でも――、これでもそこそこまじめに仕事はしているつもりなのですが――、やはり……」
「何かと、師の悪い噂を流す奴がいるみたいだな」
「――困ったものです」

 その犯人に多少の心当たりがある道満であったが、師の事であるゆえに弟子の自分が出る幕ではないと考える。
 ――そもそも、晴明はその程度の事で――、本当の意味で困っているわけでもないだろう。

「まあ――、次の仕事は貴方に丸投げせずに、私も多少は手伝うと致しましょう――」
「あのな――、そもそも弟子に自分の仕事を振る――……、まあいい……」

 道満は不満げにその場に寝転んでふて寝を始める。それを見て晴明は――、

「フフ――、そのような場所で寝ると風邪をひきますよ?」

 ――そう呟きながら、美しい満月を仰ぎ見たのであった。


◆◇◆


 それは深い闇の底――、火を囲んで闇がうごめく。

「そうか――あ奴も死んだか」

 そう呟くのは体躯一丈三尺もあろうかという大鬼である。その傍には美しい衣を着た女鬼が腰に刀を帯びて控えている。

「父上――、いかがいたします?」
「どうもせぬさ――、都にのぼった時点で我とは縁が切れておろう?」
「しかし――」

 腰に刀を帯びた女鬼は不満げに答える。大鬼はただ目を瞑って言った。

「我ら鬼神――、横道に奔ってはならぬ――。少なくともあ奴は――、人に恨みもなく……ただ血を欲して喰らったのみ。――それは鬼神ではなく悪鬼でしかない」
「――彼女は、父上の妹君では――」
「であっても同じだ――。理解せよ百鬼丸(ひゃっきまる)――……」

 百鬼丸と呼ばれた女鬼は、それでも不満げに自身の父親である大鬼を見つめる。

「不満はあろう――、当然ではある。しかし、今はその時ではない。我らは人の悪しき都を討ち、いつか日の光を臨む――、そうするのは十分な準備を整えてのちだ……」
「――それは、無論です……。しかし、配下の一部は……」

 百鬼丸の言いたいことは彼も分かっている。配下の鬼神の中には、その気性ゆえにすでに暴走して都へと向かう者もいる。

「――返り討ちに合うのも致し方なき事……、それが我らへの討伐令に発展せねばそれでよい――」
「どうでしょうか?」

 自身の娘の心配そうな顔に、大鬼は優し気に娘の頭をなでる。

「心配なら見てくるとよい――、ただ、決して手は出すな……、死ぬのは奴らの自業自得であるぞ?」

 その父の言葉に百鬼丸は小さく頷き闇へとその身を隠す。――父親は小さく笑って見送った。

「ふむ――、果たして我慢できるか? それとも……」

 大江山にあって――、鬼神群を配下とする大鬼神――。
 ”酒呑童子(しゅてんどうじ)”――。その天部に匹敵する妖力を焔のように立ち上らせながら、彼はただ静かに大事な娘の無事を祈ったのである。