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日本史の授業をする先生に隠れスマホをスクロールする。
黒板には字がびっしり書いてあるのに自分のノートを横目で見るとなぜか白い。
まぁ、起きてるだけましでしょ。とモグラ叩きができるくらいしか頭の上がっていない教室をザっと見てまた視線をスマホに戻す。
そうは言っても見るものも尽きてきて暇つぶしに開いてみたニュースも大したものはやっていなかった。
去年の今頃は新しい制服に身を包み、高校生こそは充実させるぞというあまりにも一瞬で散った抱負を掲げていただろう。
2年生にもなってしまえば皆「あれ、そんな真面目にしてなくても進級できるわ」ということに気が付いてしまい
どの授業で寝るか、どの授業をどうさぼるか、そんなことばかり考えるようになった。
毎日毎日つまらん代り映えのしない授業を聞いて意欲が湧いてくる奴の方がおかしい。
何の楽しみも特にない平凡な毎日。
やることと言えばSNSを見漁るか、こうやってなんとなくニュースを見てみるだけ。
そんな僕らの平凡かつつまらない毎日に一端の終止符が付いたのは桜の木に緑が色づき始めた、そんな時期だった。
珍しいタイミングでの転校生。
なんでも急だったらしく席は1番後ろの窓側しか空いていない。
無理やりあけたそこは僕の右隣でクラスの奴からは「かわいい子だったら譲れよその席」とかいう現実的には叶わなさそうなお願いをされた。
朝から先生がそんなことを言うもんだから皆どんな転校生なんだろうとか
女の子か男の子かとか
かわいいかなとかイケメンかなとか
そんな話題で持ちきりだったけど、なんでそこまであったこともない他人に興味がもてるのか僕にはわからなかった。
僕からすると皆の奇行ともとれるそれをまたスマホで見なかったことにする。
最近は「アングレカム」というドラマが流行っているらしい。
「おーい、なんで席立ってる奴いるんだ。チャイムなってるだろーが」
という少し不機嫌そうな担任に全員「めんど」という空気を存分に出して席に着く。
これが思春期というやつか。
あくまで素直にいうことを聞きたくないという悪あがき。
そんなことしても無駄なのになぁと視線は依然スマホ。
「朝言ってた転校生だ。今日は挨拶と帰りのホームルームだけ参加で本格的には明日からな」
という先生の視線の先にいる人物をクラス全員が目にして1秒。
その反応に大げさだなと思い、顔を上げ、「え」と僕が漏らすまでに3秒。
転校生は女の子。
彼女は長く黒い髪を左右に揺らし背筋を伸ばしてクラスを見渡した。
「こんにちは、池下蘭です。どうぞよろしく」
「え、池下蘭ってあの池下蘭? 」
その声がクラス中に響き渡った時一気に緊張感が高まった。
彼女が本物の池下蘭ならおおごとだぞ。
そんな心配は彼女からしたらミジンコよりもちっぽけなものだったみたいで
意気揚々と
「ええ、女優の池下蘭です」
と答えた。
今話題のドラマ「アングレカム」に主演として出演している今引っ張りだこの女優だ。
SNSでは別に検索しなくとも彼女のことが流れてくる。
同い年だったことも知らなかった。
それくらい雲の上の存在だったから。
席に着くや否や囲まれる池下蘭だったが帰りのホームルームを始めたい先生に冷たく注意を受け仕方なく引き下がっていた。
先生は
「蘭さんがこの学校に転校してきたことをSNSとかで言わないようにな」
と強く念押しした。
モラルもクソもない世の中では必要な注意だろう。
さっきまで画面の向こうで見ていた人が今自分の隣にいる。
違和感でしかない。
まぁ、僕には関係のないことか。
そう思い、ホームルームを聞き流した後皆が団子になる隣を背にして岐路に立った。
****
「ねぇ、名前くらい名乗ってよ」
そう言われたのは彼女が転校してきて3日後の英語の授業中だった。
ペアで音読するという時間に英語ではなく日本語がとんできた。
「あ、ごめん。星たくまです」
言われるがまま自己紹介を軽くする。
僕なんかに興味ないだろうし名前なんて言わなくていいと思っていた。
「え、ほしって星座の星? 」
この質問、自己紹介するたびにされるんだよな。
もう自分の中で言うセリフも用意してある。
「うん、名字負けしてるから下の名前はほぼ覚えてもらえないよ」
こう言うことで相手に気まずさを覚えさせあまりしゃべりかけてこないようにする戦法だ。
これは僕が星という名字を背負って十数年の経験から得た結果だった。
なのに彼女は
「え、いいじゃん星。私”たくま君”って呼ぶより”星君”って呼びたいもん」
そう言って満足そうに教科書の音読を始めた。
画面の向こうで見る彼女とあまり変わらないThe陽キャみたいな言葉にこちら側から若干の壁をつくってしまう。
陽は苦手だ。
陰の人間にはまぶしすぎる。
その光が体にいいと思ってるのは自称陰キャ。
本物の陰キャに本物の陽キャの光は体に悪すぎる。
毒と言っても過言ではない。
「ごめんたくま君、今日ゴミ捨てお願いしてもいい? 」
多分3回くらいしかしゃべったことのないやつ。
もちろん「いいよ」そう答える。
争いごとは面倒だ。
さっきちらっと聞こえた話によるとこれから遊びに行くらしい。
はやく終わらせて帰ろう。
そう思っていたのに
全然帰らないやつが1人。
最初こそ皆にわっしょいわっしょいされていた彼女だが
少しの強引な性格と僕たちを下にみているような態度により速攻浮いていた。
何やらパラパラめくっているのは、台本か?
あ―なんか女子が言ってたわ。
わざわざ学校に台本持ってくるところとかが女優アピって感じ。と。
わからんでもない。
実際僕も今、早く教室から出てくれないかとイライラしてきているところだ。
ゴミ捨ては最後、教室のカギ閉めまでが仕事だから早く出て空いてる教室に移動してくれないと僕が帰れない。
さすがに声をかけようか迷っていた時
「私に鍵頼めばいいじゃん」
とまっすぐ彼女が言ってきた。
なんだそれ。
さんざん待たせといてその言い草は。
でも言い返すのは得策じゃない。
女子ってそうなんだろ。
ネットで見た。
女の子の言う事にはとりあえず同意しとけって。
「さすがに転校してきてすぐの君に頼めないよ」
てきとうに並べただけの理由。
「でもそのゴミ捨てと鍵は星君の仕事じゃないんでしょ? 」
淡々と話す彼女の視線は依然台本。
「そんなの君だって同じじゃないか。別にこの鍵は君の仕事じゃない」
「私君って名前じゃない」
めんどくせぇ。
とっとと帰ってくれよ。
皆が蘭ちゃん蘭ちゃんというしうちの学校の先生は生徒を下の名前で呼ぶことが多い。
名字がかぶってる人の割合が多いかららしい。
「ら、蘭さんだって同じだろ。早く帰りなよ」
蘭さんはようやく台本を閉じ、こちらを見た。
いや、別にこっち見なくてもいいから早く帰ってほしかった。
「私、鍵の返し場所も分からなければ今私が早く出ないと星君が困るってことも知らなかったよ」
そう言われて少しハッとした。
そうか。
そう言われればそうか。
「この学校の人はなんも教えてくれないのね。聞いたら聞いたでめんどくさそうな反応してくるし」
「歓迎されてないって感じ」
これまでの彼女とは違う少し寂しそうな表情。
蘭さんは僕らが思っているよりも普通の女の子なのかもしれない。
少なくとも雲の上の存在ではないみたい。
「鍵の場所、教えようか」
とっとと帰りたいけどこの話の流れで「じゃあ帰る」とは言えなくなってしまった。
「行く」
表情に変わりはないのにカバンを持って僕のもとに来る足取りはいつもより軽い気がした。
鍵返しに行くだけだぞ。
「失礼しました」
職員室にこうやって頭を下げるのは小学生の時に教え込まれた日本教育の癖だろう。
「これで終わり。もう帰るだけだよ。じゃあね」
この言葉は冷たかっただろうか。
下駄箱まで無口だった彼女が発した言葉はなぜか怒りが含まれているようだった。
「星君って生きたいと思ったことあるの」
なんだ、それ。
”生きたい”
死にたいと思ったことはないけど生きたいと思ったことはない。
そんなことを意識しないといけない状況になったことがない。
毎日無事に眠りにつけることに喜びを感じたこともなければご飯が毎食食べられることにありがたみを感じたこともない。
普通に起きて、普通に過ごして、普通に眠る。
これに違和感を感じたことがない。
何も言わず首をかしげる僕に蘭さんは大きなため息をついた。
それが何だか腹立たしかった。
僕って意外にガキなのかも。
マウントを取られているみたいで気に食わない。
争いごとは面倒だと思っていたのになぜか無性に腹が立ってしまった。
「じゃあ蘭さんはあるのかよ。生きたいと思ったこと」
僕の言葉に彼女は明らかに動揺していた。
いつものように意気揚々とかえしてみろよ。
大人気女優は毎日が楽しくてしょうがないんだろ。
皆にちやほやされてさ。
いいよな。
人生イージーモードだろ?
そう思っていたのに。
彼女から初めて弱い声が聞こえた。
「あるよ。毎日思ってる。生きたい。1日でも長く」
「なんで。何をそんな欲張ることがあるんだよ。なんでそんな生きたいと思うんだよ」
だって、こんなにつまらない毎日。生きたいと思うほどの価値ないだろ。
「私には時間がない。もう半分だよ」
その言葉を聞いて意味が分からなかった。
どういうことだよ。
そう僕が言うよりも先に彼女は僕の手を引いて空いている教室に入り、鍵を閉めた。
「何してんの」
「いいから。そこにいて」
そういうとおもむろに制服のボタンを上から開け始めた。
「いやいや、何してんの。馬鹿なの? 」
「脱がないから。そこで大人しくしてて」
ボタンを半分まで外し、あまりにも華奢すぎる肩をあらわにした。
「なに、それ」
「気持ち悪いでしょ」
と自虐的にいう彼女の肩から肩甲骨にかけて茶色っぽい大きなあざが広がっている。
インナーに隠れて見ないけど胴体の4分の1くらいはあざが広がっているみたい。
「太ももにも少し出てきたの。どんどん広がってきてる」
説明しながらまた制服をきちんと着なおした蘭さんは何かを待ってるようだった。
僕は多分まんまとその言葉を言ったんだろう。
「どうしたのそのあざ」
そう聞く僕にふっと笑って、あ、蘭さんが笑ったの初めて見たかも。
「これね、そのうち全身に広がって頭まで来て、最後は死ぬの」
想像していたよりも重い。
「発症したとき、医者に言われたのはもってあと5年。もう2年経過してる」
5年。僕からしたら途方もない期間のように思えるけど彼女は違う。
僕らは同じ時間で違う時間を生きている。
きれいな顔立ちで髪は美しく、テレビに引っ張りだこの有名女優。
今やCMや広告でも彼女の顔を目にするし、ドラマだけでなくバラエティーでも見かける。
「私は生きたい。このままちゃんといただいてる仕事を全うしたい。やっと訪れたチャンスたちなの。これまでしんどかった。何度オーディションにおちてきたか、何度SNSで叩かれてきたか、何度いらないと言われてきたか。もうあきらめた方がいいんじゃないかって。自分より若い子が注目を帯びているのが辛かった。だからこそ今を大切に生きたいの。テレビでお仕事ができるなら死に物狂いで努力する。たとえ友達が出来なくても。悲しいかな結果がすべてのこの世界で1秒でも長く芸能界で生き続けるためには友達だっていらない」
そう言う彼女の目には涙が溜まっていた。
多分、今まで彼女が辿ってきた道のりを思い出して辛かったことや苦しかったことが思い起こされてるんだろう。
自分の人気に胡坐をかいているわけじゃなかった。
自分の夢の為に取捨選択をせざるを得ない状況なんだと思う。
高校に通う理由はちゃんと高校はいっておきなさいと親からの願望ともとれる約束の為だという。
でも、と蘭さんは続けた。
「不細工だって言われてた頃もあるよ。今でもある。SNSでエゴサすれば演技下手とかかわいくないとか色々言われてる。努力してもそう言われるのに顔にあざなんてできたら、もっと言われちゃう。女優のお仕事も来なくなると思う」
「私は女優として生きたい。それがこのあざのせいでダメになるならそんなのは死んだも同然なの。だから私の寿命は命がある限りじゃない。女優として生きていられる間だけなの」
あんなに溜まってる涙を一滴もこぼさずにしゃべりきるのはさすが女優と言ったところだろうか。
彼女の言葉は凡人の僕にはわかりかねるものだった。
生きたいけど、死にたい。
そう言う風に聞こえる。
ただ1つだけ分かるのは蘭さんは本気だということ。
ただの蘭ではなく、女優の蘭として生きることに。
「いきなりこんな話、びっくりするよね。ごめん」
突然現実に引き戻されたように蘭さんは荷物を持った。
「まだまだ可能性があるのに毎日を無駄に生きてる星君がちょっとうらやましかった」
と残し教室を出ようとする。
ちょっと待てよ。
ひとしきりしゃべって捨て台詞はいてさよなら?
僕にだってちっぽけではあるけどプライドはある。
あと、彼女の世界を彼女の目線で見てみたいという気持ちもあった。
そこまで言う女優という世界には何があるのか。
僕は意外と行動派なのかもしれない。
気づいたら思ったことが口から出ていた。
****
「よろしくお願いします」
学校とは打って変わって元気なあいさつで扉を開ける蘭さんについていく。
扉の先には大きなカメラやマイク、セットなどこれもまた画面の向こうでしか見たことない光景が広がっていた。
「池下蘭ちゃん入ります~」
という声で何人かの人が振り返り近づいてくる。
わわわ。
テレビで観たことのある有名人が沢山だ。
今日は「アングレカム」のスペシャルバージョンとやらの撮影を見学させてもらえるらしい。
基本はできない行為だけど何とか話をつけてくれたとのことだ。
「君がお友達だね、えーと名前は? 」
知らない人だ。
蘭さんとした約束は「必ず元気に、失礼のないように。聞かれたことにはすぐ答える」というものだったので
僕なりに元気に「あ、星たくまと言います。今日は無理を言ってすみませんでした」と軽く頭を下げた。
なんでもこのドラマの監督さんらしい。
蘭さんは別室に通され、僕はスタジオの端っこに用意してもらった椅子に腰かけた。
スマホを触りたい気持ちでいっぱいだったけどスタジオ内の撮影、録音は禁止と厳しく言われてしまったせいでへたにスマホを出すと怪しまれそうで出すに出せない。
いよいよ準備が進んでいき、アクションがかかるような雰囲気になってきた。
蘭さんはなにやらギリギリまで監督や他の俳優さんと真剣な表情で打ち合わせをしている。
「じゃあそろそろいきまーす」
スタジオ内に響き渡るその声からさっきまで笑い声も混じっていた空気が一気にピリついた。
なんとなく背筋が伸びる。
「よーい、アクション! 」
そこからは別世界だった。
少しファンタジーのような要素が入ったラブストーリーだが奥が深い。
蘭さん演じる主人公は努力を表に見せない。
世間からは才能だ才能だと騒がれているがその裏では、もう命すらもあきらめてしまおうかと思ってしまうほどの挫折を少しずつ乗り越えてきていた。
それに初めて気づいてもらった瞬間のシーン。
今まで誰にも気づかれることなく堪え続けていた感情と涙があふれだす主人公。
迫真の演技だった。
初めて”儚さ”を感じた瞬間だった。
「誰が何と言おうと、君は頑張ってる。才能なんかじゃない。努力だ。それでも命は大切にね。君がいなくなったら僕は悲しい」
という男性役を見つめる彼女は恋をしているのでもなく、分かってもらえたという喜びにただ涙するわけでもない。
空想の中にある彼女だけが知っている主人公の葛藤を表情のみで見ている人に伝えているんだ。
カットがかかってようやくそれが演技だったんだと再確認した。
彼女の演技に思わず一緒に演技をしていた俳優さんたちからも感嘆の声が上がる。
それに丁寧に答える蘭さんだけど足早にスタジオを後にした。
何かがおかしい。
一瞬迷って追いかけることにした。
廊下のソファーに顔を突っ伏し、激しく呼吸する彼女が目の前にいた。
どうすればいいか分からなくてひとまず背中をさするしかできない。
マネージャーさん、マネージャーさんは?
あたりを見渡すことしかできない僕の腕を蘭さんはすごい力で握ってきた。
「どうした? 僕はどうしたらいい? 」
その問いに返ってきたのは
「どうだった? 私の演技」
という新たな問。
もう言葉というより息でしゃべる彼女をいち早くどうにかしないといけないことはわかっていたけど本能が答えた。
「最高だ。蘭さんは女優として生きていくべきだ。君の居場所はここにある」
この言葉を聞いて少し微笑んだ蘭さんを見て、すぐにマネージャーさんに引きはがされてしまった。
そのまま、担架に乗せられた蘭さんは救急車で大きな病院へと運ばれた。
モニターの光しかない暗い暗い病室で、蘭さんが眠っている。
こうなってしまったらいつ目を覚ますか分からないんだって。
いつも1日~3日は眠ってしまうらしい。
女優の池下蘭という役を完璧に演じ切りたい彼女に僕ができる事はなんだろう。
こんな凡人か、それ以下の僕ができる事。
悩みを聞いてあげたって彼女の病気が治るわけじゃない。
今すぐに蘭さんの病気を治す方法を見つけたら僕はノーベル賞かなにかをもらえるだろう。
顔にあざがあったっていいじゃないか。君は君だ。
一定数世間が許さなくても君の演技を待ってる人はいるよ。
寿命一杯、やりたいことをやりきれよ。
こんなセリフ。きれいごとだ。彼女にとっては何よりも辛い言葉だろう。
じゃあ、僕にできる事。
それはもしかしたら人間をすてることかもしれない。
「ずっと、いてくれたの? 」
ぽとっと小さな言葉が落ちた。
聞き逃さなかったのは多分、眠る君をずっと見ていたから。
「先生呼ぼ」
と少し焦っている僕を静かに止める。
「待って、見て欲しいものがあるの」
そう言ってこないだの教室の時のようにまた服を少し脱いで見せた。
あざは明らかに広がっている。
二の腕、背中全体、鎖骨の上あたりまで。
「私にはあと3年も残ってないんだよ。どんどん広がるスピードは速くなってる。私の顔にアザができるのが先か、アングレカムを撮り終えるのが先か。ねぇ星君はどう思う? 」
正直、今日の撮影の感じとこのあざの広がり具合を見て撮り終えるというのはかなり厳しいと思う。
それを彼女に言うべきか。
いや、こんな出会って間もない僕よりはるかに自分の事をわかっているに決まっている。
僕を試しているんだ。
「アングレカムは絶対に撮り終える。女優池下蘭は完璧を演じ続けるんだ。朽ちるのはその後でいい」
「私が完璧なまま朽ちるには、星君の力が必要だよ」
その言葉の意味を、僕はよく理解していた。
彼女のためには凡人星たくまではいられない。
人生を変える出会いってなにもロマンチックなだけじゃないでしょ。
僕らには僕らなりのエンドロールを。
生々しくても、感動的じゃなくても、彼女の為に最高の舞台を用意する。
出会って数カ月の僕らはお互いに自分の運命を、互いに託した。
すべては池下蘭が完璧な女優のまま朽ちるため。
****
撮影はあと3回。
病気の事を言っていない蘭さんは体調がよくなくても撮影をこれ以上止めないようにと自分を押し殺し演じ続けた。
病院では全く明るい話しはなく、このあざの進行を何とか遅らせる気休めの薬の投与しかできなかった。
その薬の副作用により夜、僕の前でだけよく泣くようになった。
それでも朝になれば何とか重い体を引きずって学校へ向かい、授業をこなした。
学校の人にも病気の事を隠し通すつもりの蘭さんはしんどくなると静かにトイレに駆け込んだ。
気の強い印象の抜けきっていない蘭さんだったことが初めて功を期して、早退しても「どうせ撮影でしょ」となんとかごまかせていた。
本当は「どうせ」というこいつらに本当のことを言ってやりたいけど
そうしないのは、僕も最初同じことを思っていた立場だったから。
正直彼女の演技を生で見ていなかったらここまで肩入れしてなかったと思う。
それに僕はあくまで脇役だ。
出しゃばる真似はしなくていい。
撮影は残り2回。
いよいよ首元まであざが見えてきた。
衣装をいろんな理由を並べてハイネックに変えてもらっても病気が進んでいるという事実は何も変わらない。
撮影も大詰め。皆それぞれの強い意志を持って演技にぶつける。
それでもやっぱり蘭さんの演技は頭1つ抜けていた。
カットがかかりフラフラと近づいてきた蘭さんは生気がなくて今にも死んでしまいそうだった。
「私、まだ生きてるよね」
そう言う彼女の顔には汗が滴り、くまも見えていた。
僕だけが知ってる蘭さん。
「大丈夫。ちゃんと生きてる。まだ、演じれるよ」
強く手を握り、強く言う僕の言葉に大きくうなずく蘭さんはもう声を出すこともきつそうだ。
医者にはとっくに入院して、病院で安静に過ごしていないとダメだと言われている人が外を歩き、自分の命を削って演技をし続けている。
「私は、女優 池下蘭」
「大丈夫。蘭さんの演技は本物だよ」
もうすぐクライマックスだ。
池下蘭という物語にふさわしいラストを飾れよ。
今日が最後の撮影。
薬を飲み、動かない体に必死に鞭打ってスタジオ入りする。
ここに来るまでの電車では起きていることが出来なかった蘭さんがいつものように
「おはようございます! 」とあいさつをしている。
蘭さんの家族は現場に行くと本人の気を散らしてしまうからと静かに外から見守ると決めているらしい。
さぁ、最後だ。
思う存分演じて。後悔ないように。
「これが終わったら、次は星君が主人公になる番だよ」
そっと耳打ちして僕に背中を向けた。
違うよ。最期まで主人公は君だ。
アングレカムの最後。
「私はあなたと一緒に居られるのなら何にでもなる。後悔もトラウマも、全部背負ってでも一緒に居たいと思わせてくれてありがとう。沢山あなたに助けられた。次は私が助ける番。私があなたの光になるの」
そう言って本当はもう死ぬしかなかった相手に蘭さんの命を与え、蘭さんの命で新しい未来を生きるという終わりの始まりを迎えた。
「池下蘭さんクランクアップです! 」
沢山の拍手と花束。
すべてをちゃんとやりきった蘭さんは例えようのない最高の笑顔だった。
彼女は大きな病と闘いながら完璧に女優池下蘭を演じきった。
何度涙を流しても「辞めたい」「死にたい」とは一切口に出さなかった蘭さん。
お疲れ様。
欲を言えばやっぱり最後まで、寿命一杯まで生きてほしかった。
でも、ここまでやりきる彼女だ。
飛び切りのやりきった顔で僕の顔を見る。
「行こう」
うん。行こう。
君の望む場所へ
****
「ここならだれも来れないかな」
蘭さんに残っていたほとんどすべての体力を使い果たし、来れるだけ遠くに来た。
あたりは崖で下を見下ろすと深い深い谷。
確かにこんな所、そうそう誰も来ないだろうね。
ここは一昔前に話題になった自殺スポット。
池下蘭は完璧なまま、朽ちる。
僕は彼女の為なら人間をやめる。
「アングレカムが皆にとっての光になりますように」
そう願う彼女と、向き合う。
星君 怖い?
ううん 怖くないよ
いいんだよ 私だけで
1人じゃ確実じゃないだろ
それもそうだね ねぇ星君
どうした?
ありがと 私を完璧な池下蘭にしてくれて
それは違うね 完璧は全部君の力だ
でも終わりには星君が必要だよ 星君が主人公になる番
僕は脇役でいい
ふふふ 星君らしいね
じゃあ、お願い
うん 分かった
そう言って僕は人をやめ、彼女を刺した。
心臓をめがけて。
僕の想いを全て刃に込めて。
そのまま 女優池下蘭の終わりを見届けた。
どのくらい時間がたっただろう。
冷たくなってしまった彼女の手を握り続けて。
僕は脇役。
脇役としての仕事はまだ終わっていない。
もう1度蘭さんに会えるなら、その時は最後まで生きたいよ。
眠って起きることのない蘭さんに別れを告げる。
さようなら。きっと僕はあなたと同じところへはいけないから
せめて君を最後まで完璧にするよ。
そう誓って、彼女を置いて
崖の向こうへ、1歩踏み出した。