「世界って、明日終わるらしいよ」

 今日の夕飯カレーだって、くらいの軽いノリで、わたしたちは既に全世界に知れ渡った絶望の言葉を交わす。

「知ってる。隕石が墜落するんだろ」

 どうやらとてつもなく大きな隕石が地球と仲良くしようとしているらしいと知ったのは、もうそこそこ前のこと。

「そうそう。明日の夜十一時くらいだっけ?」
「十一時一分予想らしい、分刻みでわかるとか、さすがだよな」
「本当にね、回避は出来ないのに無駄に正確」
「予想より早かったら非難轟々だろうな」
「まあ、文句言う前に人類滅亡してるけどね!」
「違いない」

 そんな内容に反して緊張感も悲壮感もない会話をしながら、わたしたちはいつも通り教室の席に着く。

 もっとも特別な『人生最後の日』というものを、皆それぞれ、想像くらいはしたことがあるだろう。

 美味しい物や欲しかった物を買い漁るだとか、行きたかった場所に行ってみるだとかのプラスもあれば、日頃気に入らなかった人を殴ってみるだとか、ずっと欲しかったけど手に入らなかったものを盗むとかのマイナスまで。
 最後なんだからと普段我慢していたものを発散したり、ずっと願っていたことを叶えたり。

 それでも、いざその時が目の前に来ると、実感が湧かない。もっと世界は混乱するかと思ったけれど、わたしたちの日常はあまり変わらなかった。

 いくらお偉いさんが滅亡宣言をしたところで、正直隕石を見たことすらない大半の人達は、半信半疑なのだ。
 そして、自分達は大丈夫かもしれない、なんて根拠のない自信を捨てきれずにいる。

 結果、世界が滅ぶとわかってからも、この国の人達はほとんどが普通に学校や会社に行って、いつも通りの生活をしていた。
 早々に来なくなった子たちはごく一部居たけれど、愛の逃避行だ、なんて昼休みに消費される噂程度の話題で終わってしまった。

 外国ではデモだとかも起きたと聞くから、その辺は長いものに巻かれる主義の日本人ならではなのかもしれない。

 周りで変わったことと言えば、ニュースでしつこいくらい衝突までのカウントダウンをしたり、専門家が何やら小難しい話をしたりするくらい。

 わたしちの日々は今も変わらない。朝起きて身支度をして、学校や会社に行って勉強と仕事をする。友達と喋るついでに隕石の話をしたとしても、すぐに他の話題に流されてしまう。
 非日常を日常に落とし込んで、不安を見て見ぬふりするのだ。

 それでも、表向き平気そうにしていても根底にある不安感は拭えなくて、日常生活をこなして夜になり、ニュースで終末へのカウントダウンがされる度、皆も迫り来る終わりをひっそり意識する。

 だから、最後の一週間は毎晩盛大に花火が上がる。きっと、皆が少しでも上を向いて、不安を忘れられるように。そして最後の日に、空を覆う光に怯えずに済むように。

「最後の日、かぁ……」

 ある人は、最後の晩餐に大好物を食べるのだと言う。
 ある人は、遠距離恋愛中のあの人に会いに行くそうだ。
 ある人は、全財産を使う……のはやっぱり世界が続いた場合怖いので、少しだけ贅沢をするらしい。

 じゃあわたしたちは、何をしよう。

 疫病のパンデミックでも社会活動が止まらなかったように、大抵の人は日常生活を送り続け、わたしも学校には通い続けたけれど、受験勉強はやめてしまった。

 部活もさぼって、放課後毎日遊び歩いた。他の部員もとっくに来ていないし、そもそも他校も似たような状況で試合も大会も成立しないのだ。
 そう考えると、学生が青春の熱を傾けるべき部活動というものが最初に切り捨てられるなんて、少しだけ物悲しい。

「今日が最後とか、実感わかないな」
「本当にねー」

 先程から軽い調子で話をしていた彼『花也』とわたしは同じ孤児院育ちで、今はそれぞれ自立という形で施設を出ているから、家族と呼べる人も居ない。
 他の友達は家族の都合で田舎の親戚のところに行ったり、家族旅行をしたりするようで、最初こそ毎日学校に来ていた皆も、カウントが十を切る頃には次々減っていき、最後の一日と言われている今日は、遂に先生が学校に来なかった。

 今日は、本当に最後なのかもしれない。前から散々宣告されていたにも関わらず、皆今日になって慌てて帰郷したりするのだ。朝から道路は混んでいて、まるでお盆のようだった。

 今日死んだら、わたしたちも盆に参られる側になるのだろうか。
 そんな風に考えもしたけれど、皆死んでしまうなら、誰も参ってくれないんだろう。そもそもお墓もなくなる。何もかもが消えてしまうのだ。何だか少しだけ、寂しい気がした。

「なあ雪乃、お祭りしないか?」
「お祭り?」

 わたしたち二人だけのがらんどうの教室で、最後の晩餐ならぬ最後の昼餉をどうするか既に通信状況も最悪なスマホを片手に悩んでいると、不意に花也から突拍子もない提案を受ける。

「そう。コロナでさ、もう何年もお祭りなんて行けてないだろ?」
「あー、確かに。最後に行ったのって小学生の頃?」
「花火大会も無かったけど、ここ最近毎日花火見てるし……せっかくだから、最後にパーッと祭りでもしようかと思って」
「いいね、やろやろ。今日の昼ごはんは屋台飯だね!」
「ははっ、雪乃なら乗ってくれると思った」
「ふふ、当然!」

 参道をぐるりと囲む華やかな提灯飾り。
 所狭しと立ち並ぶ電飾に照らされた露店。
 慣れない下駄の擦れるちりつく痛み。
 夏のじんわりとした湿気を纏う暑い空気。
 美味しそうなソースの匂いとじゅうじゅうと響く音。
 遠い祭り囃子と近くの喧騒。
 人混みに流されて離れそうになる繋いだ手と手。

 そのどれもが、遠い記憶の中だった。それでも、あの頃と変わらず隣で微笑む彼が差し出す手を取り、笑みを返す。
 これがきっと、最後の夏。これがきっと、彼と過ごす最後の思い出。悔いなど残さないように、最高のものにしたかった。

 そうと決まれば、早速準備だ。わたしたちは財布を手に取り、教室を出た。廊下はやけに静かで、まだ滅んでいないはずの世界に二人しか居ないような、不思議な感覚がした。

 まずは飲み物。誰も居ない購買からラムネを拝借。ビー玉が涼やか。一応お金は置いておいた。
 雰囲気も大事。裏庭の池から金魚掬い。鉢は美術のデッサン用を借りた。狭いでしょ、ごめんね。
 メインのご飯。家庭科室でたこ焼きを作って、それっぽい器は近所の百均で買った。レジの人が一人だけ居た。
 りんご飴はレシピを検索して初めて作った。夕陽が赤にキラキラと反射して綺麗だった。
 チョコバナナにかき氷。食べたいものはたくさんあった。人生最後の日だもから、太るなんて気にしない。好きなものを好きなだけ。特別な一日の締めくくりなのだ、贅沢三昧してやろう。

「よし、完成!」
「やっとできたぁ……!」

 結局全部揃う頃にはすっかり日が暮れていて、どうやらこれが最後の晩餐になりそうだ。
 残り時間は限られていて、可愛い浴衣を着ることも出来なかったし、本格的な露店をすることも出来ない。
 見よう見まねの屋台飯を集めただけの、祭りの真似事にすぎなかったけれど、とびきりの彼の笑顔が見られたので良しとしよう。

 外の空気を取り込むように開け放った窓辺で、わたしたちはお祭り気分を摂取する。
 空腹もあってかどれも物凄く美味しく感じるし、りんご飴は、かつてない程とても甘い。思い出の中の屋台飯よりも、何だか優しい味がした。

 わたしたちはとりとめのないことを話しながら、いつも通りの時間を送った。
 やがて陽が沈み、夜空のカーテンを彩るのは、まるでテーマパークのパレードのような大量の花火。
 皆も見てるのだろう、建物の明かりと合わさって、夜だというのに世界がひどく眩しい。

「そろそろ時間だ」

 その言葉に、花也の腕に輝く腕時計を一緒に覗き込む。先月の彼の誕生日に買ったばかりの新品だ。この時を刻み始めたばかりの時計も、もうすぐ永遠に動かなくなる。

「あ……」

 今まで平気だったのに、意識した瞬間急に視界が滲むのを感じて、わたしは百均で買っておいたプラスチックの狐のお面で顔を隠す。
 わたしが泣けば、花也もきっと泣いてしまう。同じ施設で育ち、これまでずっと一緒だった花也。ずっとずっと大好きだった、優しくて大切な、かけがえのない人。彼には、最後まで笑っていて欲しかった。

「ねえ、わたしたちも、この花火みたいに弾けて消えちゃうのかな?」
「……どうなんだろうな。隕石って、燃えるんだっけ?」
「あれ、燃えるんだっけ? それとも、どっかーんって地球が潰れちゃう?」
「わかんないけど……きっと、一瞬だ」
「ね。本当に、花火みたい」

 お面で顔を隠しても、声の揺らぎが隠せない。とうとう彼にお面を外されて、泣きそうな顔を見られてしまう。耐えようと歪む顔を明るく照らす花火が恨めしい。
 これ以上何も言えなくなって、誤魔化すようにりんご飴を食めば、その甘さは喉の奥の熱さを紛らわせてくれた。

 世界が滅ぶと知った日から、ずっと決めていたことがある。わたしが最期に見る景色は『はなび』だ。花火……花日、花也と居られる日々。
 最期の瞬間まで彼と居られるなら、それ以上望むことはない。

「なあ。俺さ、最期まで雪乃と一緒に居られて良かった。ありがとうな」
「……うん、わたしも。花也と居られて、本当に良かった」
「まだまだ一緒にしたいことあったけど……来世に持ち越しだな?」
「来世、あるのかなぁ……地球が消滅したら、終わりじゃない?」
「その時はほら……宇宙でまた会えばいい」
「あはは、その時は、またお祭りしよっか」
「ああ。約束……」
「ゆびきりげんまん、嘘ついたら……」

 絡めた小指が揺れる中、離れる前に打ち上げられた今年最後の花火は、夏の夜空を彩るようにとてもとても大きな音と共に弾けた。

 そして、何も残すことなく、闇に溶けるように静かに散っていった。