駿介の話はまだ続いた。
最近になって、例のストーカーがまた現れるようになったと麻衣から相談を受けたこと。
あいつは駿介を彼氏だって思ってるんだから、他の男に頼むのじゃダメなの、と懇願されたこと。
親に相談しろよ、と言っても、心配をかけたくないから、と麻衣は頑なに話そうとしなかったこと。
その気持ちは、萌にも少しだけ分かる気がした。駿介に守ってもらいたい、という下心は確かに麻衣の中に存在しただろう。
でも、両親には出来れば知られたくない、心配させたくない、という気持ちは萌にも覚えがあったのだ。
何日か続けて痴漢の被害に遭っていたときだってそうだ。本当ならば真っ先に母に相談すべきだった。でも、余計な心配をかけたくないから、と自分で解決しようとしてしまったのだ。その結果、さらに両親に心配をかけることになるなんて、想像も出来ずに。
「…………それで、篠原さんの彼氏のふりをしたの?」
「ちょっと違う。付き合ってるのって訊かれたときは否定してたし。親か他の誰かに相談出来るようになるまで、送り迎えだけ、って約束で」
萌は俯いた。紅茶のカップはもうあたたかさを失っていた。
昔、俺のせいで篠原に怪我をさせたこと、ずっと後悔してたんだ、と駿介は言った。
もしもあの日、後から追いかけるのではなく、最初から麻衣を送っていたならば、男は襲って来なかったかもしれない。
「だから今度はせめて後悔しないように、って思ってたけど、ダメだな、俺」
「え?」
「それで雨宮のことを傷つけてたら、意味ないじゃん」
その声は少しかすれていた。後悔を、しているみたいだった。
萌は顔を上げて駿介のことを見つめたけれど、目は合わない。駿介がずっと俯いているからだ。
「昨日…………雨宮を送って帰る途中、篠原から電話があったんだ。家にあいつが押しかけてきた、助けてって」
慌てて駆けつけると、男は麻衣の家から少し離れた電柱の影に隠れていた。家に押し入られたわけではないらしい。
それでもこわいから、そばにいて、と麻衣に引き止められていた。萌との電話中に聞こえた声は、そういう意味だったらしい。
「…………ストーカーの人、どうなったの」
萌が訊ねると、駿介は静かに首を横に振った。
「分からない。でも、警察を呼んだんじゃないかな」
「ずっと、篠原さんの家にいたの……?」
「家の、玄関の外な。中には一度も入ったことないよ」
少しだけほっとして、萌はそうなんだ、と呟く。
健也に萌を探すように頼んだけれど、その後お前は来るな、と言われた。それならばせめて、一つでも出来ることをしなければ、と駿介は覚悟を決めた。そのまま駿介は、麻衣の家の前で親が帰って来るのをずっと待っていたらしい。
「篠原は嫌がってたけど、親父さんに事情を説明した。俺はもうそばにいられないから、篠原が安心して過ごせるようにしてやってください、って言って、帰ってきた」
「………………じゃあ、もう篠原さんと一緒に帰ったり、しないの?」
おそるおそる訊ねた萌に、駿介は顔を上げた。萌のことを見つめる瞳は、どこか不安の色がにじんでいる。
「しないよ。約束を破って、不安にさせて。雨宮の優しさに甘えて、辛い思いさせた。本当にごめん」
目の前が涙でにじむ。
駿介は訳もなく約束を破ったりなんてしない。きっと何か理由があるはず。麻衣との関係も、萌が勝手にヤキモチをやいて、不安になっているだけだ。
何度そう言い聞かせても、不安に押しつぶされそうだった。
もしかしたら萌よりも、麻衣を選んだのかもしれない、と。
嫌な考えが頭から離れなかったのだ。
駿介は、全部説明してくれた。ちゃんと納得のいく理由だった。たった一言、萌が質問すればよかっただけなのだ。
最近篠原さんとよく一緒にいるけど何かあった? 大丈夫? と。
情けなくて、みっともなくて、でも安心して。涙がこぼれてしまいそうだった。
「雨宮のことを傷つけた俺に、こんなことを言う資格はないのかもしれない。でも、それでも俺、雨宮が好きだ」
「…………っ」
萌が息を飲む。涙がぽろ、と一粒こぼれて、頰を伝っていく。
駿介も、今にも泣きそうな顔をしていた。それなのに、萌の涙を指先ですくってくれる。その優しさに堪え切れなくなって、涙がぼろぽろと溢れ出していく。堰を切ったように、止まらなくなってしまった
「健也にも、速水にも、渡したくない。ずっと雨宮の隣にいたい」
雨宮のそばにいさせてください、と紡がれた言葉は、萌の鼓膜に優しく刻み込まれた。