公園からの帰り道、薄着だったせいか身体はすっかり冷えてしまっていた。話を聞いてくれたお礼も兼ねて、自動販売機であたたかい飲み物をもう一本買おうとしたのだが、手がかじかんで小銭を落としてしまう。
 昔よりもずっと大きくなった陸の手が、十円玉を拾い上げた。それを萌に返して、自分のコートのポケットからお金を取り出す。結局今度は萌が奢ってもらうことになった。

 片手にはコンビニのビニール袋、もう一方はあたたかい紅茶。ペットボトルを首に押し当てると、少し寒さが和らぐ気がした。せっかく買ってもらったけれど、飲むのは帰ってからになりそうだ。
 半歩分離れて歩く陸を見上げ、萌は小さな声で謝罪の言葉を口にした。

「…………ずるくてごめん」
「ん?」
「自分に都合のいいときだけ、陸ちゃんに頼っちゃってごめんね」

 本当は、恋愛相談なんてしてはいけなかった。分かっていたけれど、陸の優しさに甘えてしまったのだ。
 怒ってもおかしくない状況なのに、なぜか陸は驚いてみせる。

「なんで? ずるくてもいいじゃん。むしろ頼ってほしいし」
「でも…………」
「友達が困ってたら萌だって絶対放っておかないでしょ」

 幼馴染の指摘に、萌は小さく頷いた。
 いつだって萌の味方でいてくれる、優しくて、強い人。
 恋という形では気持ちに応えられなかったけれど、せめて応援してくれるその気持ちだけは、大事にしたい。

 陸ちゃんの言う通り、勇気を出して、矢吹くんの話を聞いてみよう。

 どんな話か分からなくてこわい。不安もたくさんある。それでも、萌からも歩み寄らなければ。
 そう決意をして、道の角を曲がったときだった。
 陸が立ち止まり、その背中に思い切り顔をぶつけてしまう。痛くてうずくまる萌に、陸が言った。

「あれ、矢吹だ」

 反射的に顔を上げる。
 陸の声が聞こえたのだろうか。萌の家の門に寄りかかっていた駿介が、振り向いた。
 駿介と萌の視線が交じり合う。その距離、約百メートル。

 時間にしてみればわずか数秒だっただろう。萌には永遠に思えるような沈黙の後、萌は立ち上がり、踵を返した。

「陸ちゃんありがと! またね!」
「あんまり遠くに行くなよー」

 走って逃げていく萌に、陸がのんきに声をかける。それから立ち尽くす駿介に、「追いかけないの?」と陸は訊ねた。

「お前が行かないなら、俺が行くんだけど」

 冷たい声で告げられた言葉に、駿介も走り出した。陸の横をすり抜けて、萌の背中を追いかける。

 一方で萌は、走りながら必死に頭を整理していた。

 さっき私、勇気を出して矢吹くんと話してみようって思ってなかった?
 五十嵐くんがヤキモチも不安も全部話してみたら? って言ってくれた。
 陸ちゃんも、私の味方だって伝えてくれてた。
 なのに、なんで私、全力で逃げてるの…………!?

 先ほどまで陸といた公園に逃げ込んだ。
 目に飛び込んできたのは、大きな山の形をした遊具。子どもがかくれんぼに使う隠れ穴に身体を滑り込ませ、萌は息をひそめる。
 足音が近づいてくるのが分かった。だんだんゆっくりになり、すぐそばで歩みが止まる。

「雨宮、足速いな。見失うかと思った」
「…………私のこと、どこまででも追いかけてきてくれるって言ったのに?」

 告白のときに、駿介が言ってくれたこと。
『雨宮がいいって言ってくれるなら、俺は世界の果てのどこまででも追いかけていくよ? いいの?』
 駿介は自分のことを重いと言っていたけれど、萌はあの言葉が嬉しかったのだ。

 自然と責めるような口調になってしまった。そんなつもりはなかったのに。困らせたいわけでもなければ、傷つけたいわけでもない。
 まだ同じ気持ちだよ、と言って欲しいだけなのに、上手く伝えられない。
 萌が俯いて膝を抱えると、駿介の影が動いた。声が近くなったので、駿介もしゃがんだのだろう。

「見失っても探すよ。絶対に捕まえて、今度こそ手は離さない」

 かけられた言葉は、萌の望んでいたものだった。
 おそるおそる顔を上げる。駿介の手のひらが、萌の手を待っていた。少しだけためらった後、大きな手に自分のそれを重ねる。
 遊具から引っ張り出されて、萌は無理矢理コートを着せられた。駿介のコートはぶかぶかで、手も隠れてしまう。まだ彼の温もりが残っていて、少しだけ心の棘が丸くなった気がした。