お昼休みになると、駿介が萌のクラスにやって来た。顔を見て話がしたい、と言っていたので昼休みに約束をしていたのだが、まさか堂々と教室に迎えに来てくれるとは思わなかった。
 慌てて教室を出る準備をする萌に、駿介は「ゆっくりでいいよ」と優しく声をかけてくれる。その優しさが、なんだか久しぶりな気がして、萌は少しだけ泣いてしまいそうになった。
 思えば一緒に登下校をしなくなってから、こうして二人で過ごす時間は初めてかもしれない。部活中は他の部員がいるし、クラスも違うので、なかなか二人だけで話すタイミングはないのだ。

 お弁当や水筒、ひざ掛けを持って振り返ると、駿介は健也に話しかけていた。
 昨日のやり取りを知っているだけに、非常に気まずい。だからといって駿介をそのまま待たせているのも申し訳ない。
 二人に近寄ると、意外にも険悪な空気ではなく、いつも通り会話をしているようなのでほっと息を吐く。

「…………お待たせ、矢吹くん」
「あ、雨宮ちゃん。やっほー。今駿介に、雨宮ちゃんの手作り弁当自慢してたところ」
「な、なにしてるの!?」

 慌てて健也の手におさまっているお弁当箱に蓋をする。ありゃ、とのんきな声を上げる健也には構っていられない。

 み、見られた……? 矢吹くんに、私の下手くそな手料理、見られちゃった…………!?

 おそるおそる顔を上げると、駿介は分かりやすく眉をひそめていた。どうやらしっかり見られてしまったらしい。
 泣き出したい気持ちになりながら、とにかくその場を逃げ出すことだけを考える。

「行こう、矢吹くん。あの、えっと……、後で説明するから!」

 健也が余計なことを言い出す前に、駿介の手を引き、教室から逃げ出した。後ろから「もっと自慢したかったのにー」という声が聞こえてきたので、後で説教するしかない。
 下手だしおいしくない、とさんざん説明したのだから、せめて誰の目にもつかない場所でひっそりと食べて欲しかった。

 どこなら人がいないだろう、と考えながら廊下を歩いていった。人通りが少なくなってきたので、適当な教室に入ってしまおうかなと、近くの教室を覗いていると、駿介が萌の名前を呼ぶ。萌は足を止めて振り返り、そこでようやく駿介の手を握ってしまっていたことに気がついた。

「ご、ごめんね……! 慌ててたから、つい…………!」

 付き合っていることは隠す、という約束だったのに、これは大失態だ。
 ぱっと手を離すと、駿介は何も言わずに萌の手を捕まえて、優しく握る。

 その行動の意味も、理由も、分からない。
 分からないのに、駿介が口を開いてくれないので、萌は「矢吹くん……?」と名前を呼ぶことしか出来なかった。
 駿介は何も言わないまま、萌の手を引いて歩き出した。さっきまでとは立場が逆転して、戸惑いながらも駿介の後を着いていく。人通りのない廊下に、二人の足音だけが響いていた。
 空いている教室に二人で入り、駿介がドアを閉める。
 たったそれだけのことなのに心臓が騒がしくなるのはなぜなのだろう。

「矢吹くん、あのね……」

 萌が何か言おうと口を開く。
 何を話すかは決めていなかったけれど、とにかく駿介に話しかけなければ、と思ったのだ。
 何かに焦っているような、切羽詰まったような表情を駿介が浮かべていたからだ。

 しかし、結果として萌は言葉を飲み込んだ。
 先ほどまでとは違い、ぎゅ、と力強く手を握られる。駿介の視線はずっと二人の手をとらえていた。
 手が触れるほど近くにいるのに、目が合わないなんて珍しい。もしかしたら意図的に目を逸らされているのかもしれない。
 それでも、萌は駿介の手を握り返した。二人きりの教室に、静かな沈黙が流れていた。