「じゃああの動画は本気じゃなかったんだ」
萌と仲良くなろうと思った理由の根底に麻衣の存在があるならば、健也が萌に恋心を抱くことはないはずだ。
そう思って紡いだ言葉だったが、健也はあっさり否定した。
「え? あれは本気だよ?」
「えっ、だって今、篠原さんが好きって話…………」
「雨宮ちゃんは意外とせっかちさんだなぁ」
楽しそうに笑う健也のことが、さっぱり分からない。萌が戸惑っていると、健也は肩をすくめてみせる。
「いやー俺もね、最初は本当に興味本位だったんだよ。雨宮ちゃん、顔かわいいし? 面食いかよ、とか思ってたんだけどさー」
面食いとは誰のことだろうか。話の流れからすると、駿介だろう。
駿介が見た目で人を判断するタイプでないことは知っていたので、反論しようと思い立ったが、すんでのところで思いとどまった。
健也は、駿介の名前を出していないのだ。ここで萌が彼の名を挙げてしまったら、余計な墓穴を掘ってしまいそうだった。
それでも駿介に不名誉なレッテルを貼られるのは悔しかったので、無難な範囲で反論をしてみる。
「面食いなら篠原さんを選ぶんじゃないの? 篠原さんの方が私よりずっと美人だと思うけど」
「そう? まあ美人っていえば麻衣の方だけど、かわいいなら雨宮ちゃんだと思うよ?」
先ほどもそうだったが、あまりに自然な流れで褒められるものだから、どう反応していいか分からない。
聞かなかったふりをするのも悪い気がして、ありがとうと小さく呟くと、健也は目を細めて笑った。
それからはっと我に返ったように、「そうだ、動画の話だった」と言葉を紡ぐ。
「きっかけは興味本位だったけどさ。だんだん雨宮ちゃんと仲良くなるうちに、分かってきたんだよねー」
あいつが惚れた理由。と付け足された言葉に、萌は俯いた。頰が赤く染まってしまっている気がする。
人の機微に聡い健也のことだ。きっと萌の反応には気づいているはずなのに、何も言わなかった。
一生懸命で努力家で、負けず嫌いでひたむき。いつも周りの気持ちを優先してばっかりで自分の意見を言わないのに、友達を傷つけられると本気で怒る。
雨宮ちゃんは、そんな人だよ。と言われ、萌は目を丸くする。
健也の目に映る萌は、実際よりもずっといい子に見えているらしい。ありがたいことだが、本当の萌はそんなにいい子ではない。
勉強も運動も部活動も頑張ってはいるけれど、今回の痴漢事件のように、関係のないことで心がぽっきりと折れてしまうこともある。人に優しくありたいと思うけれど、嫉妬や不安が高じて優しく出来ないときもあるのだ。
「…………そんなに私、いい人じゃないよ」
「そうなの? だとしても、俺にはそう見えてるし、そんな雨宮ちゃんが、俺は好きだよ」
突然の告白に、思わず顔を上げる。
健也はもう窓の外を眺めてはいなくて、萌のことをまっすぐに見つめていた。
色素の薄い瞳は、いつもよりも優しい色を帯びている気がして、心臓の鼓動が速くなる。
「いつから? だって五十嵐くん、いつもいろんな女の子と一緒にいたよね」
萌の問いかけに、健也は肩をすくめる。そうだね、と困ったような顔をされると、なんだか悪いことを言ってしまったような気分になる。
そんな萌の考えはお見通しだったらしい。雨宮ちゃんは何も悪くないよ、とフォローを入れてくれる。
「雨宮ちゃんのこと、はっきり好きだって自覚したの、実は昨日なんだよね」
「えっ?」
「あいつに触られてるのを見て、嫌だって思った。他の奴に触らせたくないなーって。雨宮ちゃんは俺の彼女じゃないのに、変な話だよね」
萌に説明をしながら、健也はスマートフォンを取り出す。その画面に映っているのは雪穂が昨日撮った例の動画で、萌はまた頰が熱くなる気がした。
それでこの宣戦布告ですよ、といつものふざけた調子で健也が笑うので、萌もつられて笑ってしまった。
「じゃあ矢吹くんと話をしてるときは、結構勢い任せだったんだね」
「まあね。でも、後悔はしてないし、本気だよ」
健也が笑みを消して、真剣な表情で萌を見つめる。優しい目をしているのに、吸い込まれてしまいそうだ。
健也の言葉ひとつひとつが、心の奥に火を灯していく。胸の奥がじんわりとあたたかくて、同時にぎゅう、と締め付けられるように悲鳴を上げている。
「ま、俺は女の子大好きだし、なかなか信じてもらえないかもしれないけど。……でも、覚悟しておいてね」
「え、覚悟って…………何の?」
おそるおそる訊ねると、健也は萌の前に片膝をつき、そっと萌の手を取る。
童話の中に出てくる、王子様みたいだ。
そんなことをぼんやり考えていたのが悪かったのだろうか。
健也は萌の左手を優しく持ち上げ、その薬指にキスをする。
一瞬で全身が沸騰するように熱くなり、萌は震える唇でなんとか言葉を紡ぐ。
「〜〜〜〜っ! な、なに、して……!」
「本気で奪いにいくよ、雨宮ちゃん」
にっといたずらに笑う健也から、慌てて自分の左手を奪い返す。
王子様なんかじゃない。たちの悪い狼だ。
真っ赤に染まっているであろう顔を必死で隠しながら、精一杯睨みつけるが、健也は嬉しそうに笑うばかりだ。
「そういう反応が返ってくるってことは、まだ俺にも可能性があるね。負け戦だと思ってたけど、やる気出てきたなー」
すっかり返す言葉を失ってしまった萌は、知性のかけらもない「ばか、五十嵐くんのばーか!」という悪態をつくことしか出来ないのだった。