「矢吹くーん、戸締り終わったよ」
「お、ありがとう。じゃあ帰るか」
「うん。今日もよろしくお願いします」
音楽室の鍵を施錠するのは、吹奏楽部の部長、矢吹駿介。その横で笑いながら頭を下げた雨宮萌は、駿介と同じ吹奏楽部で、一緒の楽器を担当している。
しかし二人の関係はそれだけではない。萌が駿介のことを好きだと自覚し、二人が付き合い始めたのは、つい二週間前のこと。
駿介は恋人になる前から登下校の送り迎えをしてくれていたので、一緒に帰ること自体は珍しくない。でも両想いなのだと知ってからは、通学路を歩く二人の距離が、半歩分近くなった。きっと萌の気のせいではないはずだ。
今日も二人は、手が触れないぎりぎりの距離を保ちながら、隣を歩く。
「今年のクリスマス会も賑やかになりそうだね」
今日の部活動で話題にあがったことを口にしながら、萌は自然と頰が緩むのを感じていた。
吹奏楽部では、クリスマスに一番近い土曜日に、練習を休みにしてクリスマス会を開くのが恒例になっている。今年は該当の土曜日がクリスマスイヴなこともあって、部員たちは浮き足立っていた。
部員の中から有志で実行委員を選出し、パーティーを開くのだ。昨年は初見演奏クリスマスメドレーなる企画が盛り上がったが、今年はどんなクリスマス会になるのだろうか。トランペットパートでかわいがっている後輩、美波と風花が実行委員に立候補したので、二人の企画も楽しみの一つだ。
「あいつら羽目を外しそうだから、たまに様子見に行かないとな」
「あはは! 矢吹くんは優しいね」
やれやれと困ったような表情を浮かべながらも、言っていることは優しい。部長を任されるだけあって、駿介は面倒見がいいタイプなのだ。
それから二人はクリスマス会の企画を予想しながら、萌の家まで歩いていく。
手を繋がないのは、誰かに見られないようにするためだ。
付き合い始めるときに、二人で決めたルール。部活を引退するまで、この関係は誰にも言わないこと。
それは、同じ部活、同じパートである二人が、部活動に取り組む上で公私混同しないための約束だった。
それでも、と萌は心の中で呟く。
クリスマスは、ちょっとだけでも恋人らしいことがしてみたいなぁ。
初めての彼氏との、初めてのイベント。萌は少しだけ浮かれているのだった。
しかし一方の駿介は、至っていつも通りだ。クリスマスを意識しているのは萌だけなのかもしれない。
告白をしたときは、駿介の初めて見る表情がたくさん見られて嬉しかったので、クリスマスももしかしたら、と思っていたのだが。
萌が舞い上がっているだけで、駿介にとってはクリスマスも日常の延長線でしかないのかもしれない。私も少し落ち着かなくちゃ、と萌が自分に言い聞かせていると、駿介がふいに黙り込む。
「矢吹くん? どうかした?」
「ん? あー、あのさ……。いや、なんでもない」
何かを言いかけて、その言葉を飲み込む。駿介のそんな姿は珍しくて、萌は慎重に「どうしたの?」と訊ねた。
駿介は数秒迷った後、意を決したように萌の目をまっすぐ見つめ、口を開いた。
「イヴの日、クリスマス会が終わった後、予定空いてない?」
それは、萌が期待していたクリスマスの誘いだった。自然と綻ぶ顔はそのままに、空いてるよ、と答える。
萌の言葉に駿介は安心したようにほっと息を吐いた。
「この辺だと誰かに見られるかもしれないから、ちょっと遠出になるんだけどさ」
そう言いながら駿介が見せてくれたのは、数駅離れた場所にある水族館のホームページだった。
イルミナイトクリスマスショーと書かれたそこには、クリスマス限定のイルカショーがあることが記されていた。
「わあ! 楽しそう……!」
「よかった。雨宮はどこに誘っても喜んでくれそうだけど、悩んだかいがあったな」
クリスマスに誘ってもらえたことも嬉しいが、駿介が萌と過ごす時間のために頭を悩ませてくれたという事実が何より嬉しい。
えへへ、とこぼれる笑みを見た駿介が、「あんまりかわいい顔しないでくださーい」とふざける。そっぽ向いた横顔を覗き見ると、少しだけ照れているみたいだった。もしかしたら頰も赤かったりするのだろうか、あの告白のときみたいに。
「クリスマス、めいっぱいおしゃれしていくからね」
「ん。楽しみにしてる」
萌の方を見てやわらかく微笑む駿介に、胸の奥がきゅんと鳴いた気がした。